狂戦士
不変の世界に変化が起きた。
暗闇の何もない世界。寒さや暑さ、痛みどころか感覚さえない。凡そ、欲求というものがない。とにかく何もない。あるのは、俺の思考だけだった。
そこへ突然、沈んでいく感覚。ゆっくりゆっくり、じわじわ、ズブズブと底なし沼に落ちたような。
このまま沈み続ければ、この世界の大地に降り立てるのではないか?
そう思えるほどはっきりとした感覚だ。だけど、いつまで経ってもその時は来ない。
沈み始めてから、秒を数え、分を数え、時を数えた。でも、大地は見えない。
期待が外れ、また王国への怒りが込み上げて来たから数えるのをやめた。もう限界なのに、これ以上の怒りを溜め込んだらどうにかなってしまう。
どれだけの時が経ったのだろうか。一日?二日?もっとか?
今も沈む感覚は続いている。
絶望しかけたから、俺の期待が生んだ勘違いだったことにした。
そう思った矢先、ピシリと音がなった。音もない世界なのにだ。
そして、ボロッと何かが崩れる音がすると、暗闇の世界に光が差し、直後に身体が重くなる。
身体に重み。つまり、感覚が戻った?
少し力を入れてみると、何かに引っかかった。
石化が溶けかかっていると直感した。
居ても経っても居られず、大きく身体を動かしてみた。ボロボロと石が地面に落ちるのが伝わってくる。俺の身体を包んでいた石が割れて落ちたのだろう。
石化は解けていると半信半疑だったけれど、ここでようやく確信。
どうしてかはわからないが、俺は助かる!
ただ、問題があった。
石の身体が肉体に戻った。つまり、全ての感覚が正常になった。なのに、口と鼻が未だ塞がっている。
息が出来ないのだ。………やべぇ。
窒息しそうになったから、全力で身体を動かす。
その甲斐あってか、右半身の石が一気にボロっと崩れて右腕が自由になった。でも、まだ息は出来ない。
急いで顔があるであろう場所を、自由になった手で叩く。
2、3回ゴツゴツと強めに叩くと、鼻と口を覆っていた石も崩れ、ようやく呼吸ができた。
ふぅ、と一安心したが、気になることがある。叩いた振動で耳付近も剥がれたのか、音がはっきりと聞こえるようになった。
徐々に身体が自由になっていくのは喜ばしいことだが、聞こえる音がおだやかじゃないのだ。金属と金属が打ち合う戦闘の音。
もしかして何日も石化していたのではなく、石化したあの時から数秒も経っていなかった?
だとしたら、急いで復帰しないとならない。皆心配しているだろうし、大丈夫だよと言って安心させたい。
だから俺は、無属性魔法で強化してから思いっきり身体を動かす。
だが、どうやら石化の解除は目前だったらしく、たった一度力を込めただけで全体の石が一度に剥がれ落ちた。もしかしたら、すぐ戦闘に参加することになるかもしれないのに、焦って魔力を無駄遣いしてしまったかもしれない。
だけど、とにかく俺は自由になった。
しばらく目を使ってなかったからか、久しぶりに入ってくる光は眼球の奥に突き刺すような痛みを感じさせたが、薄目で慣れさせながら少しずつ開いていく。
目の前の光景は俺の予想とは違っていた。イメージと実際の風景の違いに混乱したが、危機的状況だとすぐに分かり、混乱は怒りで塗り替えられた。
ここはおそらく城の裏庭。そこで大勢の王国らしき兵士が戦っているのだ。
俺の近くではエリーが馬乗り状態。少し離れた場所では、シギルも同じ状態だ。タザールも顔色が真っ青で体調が悪そうだし、クリークなんて体中傷だらけだ。
まだ状況が把握出来ていないが、おそらく城の中まで攻め込まれているんだろうな。
こいつらは俺の仲間たちに何をしてんだ?見た感じ、ギリギリセーフだったようだけど、もし一人でも仲間の死体が転がっていたら、限界近い怒りが爆は――。
辺りを見回していて、ある場所で視線が止まる。
黒い鎧の残骸。
ティリフスの鎧。
鎧が壊されたら、ティリフスの精神は?憑依物が壊されたらダメなんだろ?でも、壊れてるじゃん。前にティリフスが作ったスペア用の鎧だよな?………嘘だよな?
え?つまり?死んだってこと?
壊したのは?いやいや、もちろん、コイツラだろ。
コイツラ?おうこく。
また王国!!!
「❚❚■❙❚❚■❙ーー!!!!!」
怒りの限界は吹っ切れ、俺は叫ぶ。
一気に頭へ血が上り、体中に熱を帯びる。全身の毛穴が開いているような痛みが広がり、目が血走っているのがわかるほど痛くなっている。
怒りに身を任せよう。そう思うと同時に何かがカチリと嵌った感じがした。
何かはわからない。何もわからない。
もう何も考えられない。
――――――――――――――――――――――――
ギルは無意識に無属性魔法による肉体強化を施した。
魔法陣構成は繊細だ。特にギルの魔法陣構成は集中力が必要で、頭に血が上っている状況で使用できるものではない。
それは無属性魔法もそうだった。
肉体強化は必要な身体の部位に、必要な分だけ魔力を流し、留めなければならない。魔力の消費が尋常ではなく、さらに強化し忘れは身を滅ぼすことになる。無属性魔法は、効果とは逆に繊細と言えるだろう。
しかし、身体全部に魔力を行き渡らせれば難易度は下がる。
それをギル本人は推奨していない。
ギルほどの魔力を持っていても、馬鹿らしく思えるほど魔力を消費するからだ。
だが、狂化したギルは、必要ではない部分にも魔力を流す。
毛先や爪、目や舌、内蔵に至るまで全て。魔力を肉体に留めることはせず垂れ流すことで、肉体強化を無理矢理成立させたのだ。
だからか、肉体にも変化が現れる。魔力が込められた髪は逆立ち、瞳は赤く発光した。
この変化に意味があるかと言えば、微妙なところだろう。視力は多少良くなったが、逆立つ髪の毛は全くの無意味だ。
であるのに、ギルが消費した魔力は、総魔力量の半分。そこから肉体強化を維持するために、水の入った瓶を逆さまにしてドバドバと溢すように魔力を垂れ流す。
ただ、膨大な魔力による肉体強化は絶大な力を引き出していた。
ギルの赤く発光した2つの瞳がゆらりと動く。最も近かったエリーに乗っている王国兵を、無造作に退ける。それだけで剣を振り上げていた腕だけを残し、バラバラになって散らばった。
次はシギルの下へ0.2秒で移動し、同様に押しのける。結果も同じだった。
動きに慣れてからは更に短い時間で処理していく。押しのけるのをやめ、次第に打撃へと変わっていき、人間の弱点を局所的に狙っていったのだ。
結果、5秒も掛からず裏庭の王国兵を殲滅した。
もちろん、それで終わりではない。裏庭から城門へ繋がる通路に、王国兵の姿が見えているのだから。ギルの頭には『滅殺』だけだった。
ギルは通路の敵を倒すために走った。そして、目の前にいた王国兵士を殴る。いや、殴ろうとして失敗した。
あまりの速度でタイミングが合わず、ただの肩と肩が打つかった程度になったのだ。しかし、結果は王国兵の胴体半分が消失。
思考できない頭でもなんとなく悟る。当たれば良いんだと。
それからはただただ猛スピードで走った。すれ違う王国兵の腕や頭部、足など考えずに掴み、叩き、殴る。それだけで事足りた。
立ち止まることはない。ただ走った。
城門から外にでると、倒すべき敵が群れでいた。
それでもやっぱり走る。口元に笑みを浮かべながら。
――――――――――――――――――――――――
王国軍大将は、目の前の信じられない光景を、ただ呆然と眺めていた。
兵士たちが独りでに弾け、飛び上がり、叩きつけられ、バラバラに千切れていく。
もちろん、本当に独りでに死んでいくなんて思っているわけではない。得体の知れない、恐ろしい敵と戦っているとも理解している。
それでも悪夢を見ているに違いないと思わずにいられなかった。
たまたま自分の足元に飛んできた、先程まで生きていたのであろう部下の死体。その鎧の胸当て部分。心臓があるはずの場所にはポッカリと丸い穴が空いていて、向こう側の地面が見えている。
王国軍大将でなくとも即死だったと分かる。
しかし、どうやってかはわからない。鉄の鎧を貫き、肉体と内臓、さらには背中側の鎧まで貫通するこぶし大の攻撃。
つい先ごろに城内から放たれたものとも違う。あれはもっと小さい穴が空くからだ。それなりの高さがある天井に叩きつけられたりはしない。血や腸の雨が降ったりはしない。ヒトが四肢を千切れさせながら飛び、打つかった別のヒトと一緒に弾けることなどしない。こんな残酷なこと、ヒトはしない。
こんなものは夢に違いない。
「夢はいつ醒めるのだろうか」
そう呟いた10秒後。
彼は頭部を失くし、この世を去った。
――――――――――――――――――――――――
王国民として生まれ、育ち、学んできた。
ドワーフでそれなりの差別もされたが、それを糧にしてきた。鉱物に興味を持ち、専門的に学んで新しい採掘法である爆破を考案し、王国がもっと裕福になると確信したもんだ。
だけど、事件が起きた。鉱山で爆破し、崩落が起きて犠牲者が出たのだ。
悪いのは注意事項を守らない鉱山の監督さんだとわかっている。けれど、やっぱりこんな技術を作り出さなければ、犠牲者は出なかったのだと思わずにいられなかった。
自分も悪いと申し出て、牢で反省させてもらった。
もう爆破は忘れよう。そう何度も考えたけど、考えている時点で未練があったんだ。
だったら、出来る限り安全に使用できるようすべきだと着眼点を変え、牢で犠牲者に謝罪と祈りを捧げながら考え続けてきた。
そして、殿下と出会った。
次期王様が、わしを悪くないと言ってくださった。さらに、もう一度機会を与えてもくださった。
爆破で失敗したとしても殿下が罪を背負うとまで言ってくださったとなれば、やらないわけにはいかない。
自分で言うのも恥ずかしいが、大成功だった。落盤などなく、犠牲者も出ていない。
将軍さんからは、「勲章ものだぞ」とお褒めの言葉も頂いた。
でも、その将軍さんはもういない。目の前で頭を消し飛ばされて死んでしまった。
血の雨で濡れながら、どうしてこんなことになったのかと考えた。
短い時間だったけれど、考えて考えて考えて、わかった。いや、悟った。
やはり、わしのしたことは罪だったのだ。
王国のために、爆破を使った。早く終戦すれば、犠牲者は少なくて済む。それは敗戦国にも悪くないことだと思っていた。
でも、違うんだ。根本的に間違っていたんだ。
爆破を使った結果、王国が勝って国民が幸せになるかもしれない。だけど、それは他国を犠牲にした上での幸福だ。
わしが爆破を使ったせいで攻め入られ、今戦っているこの国のヒトたちの誰かが死んだかもしれない。
それって結果的に、わしのせいではないだろうか?
だから、わしは今日死ぬのだろうか?
あの2つの赤い光が通り過ぎると、兵士さんが死んでいく。そして、光の線がわしへと一直線に伸びてくる。
ほら、もう、目の前――。
あれ、どうしたんだっけ?意識が飛んだ。いつの間にか倒れている。
息が出来ない。口元から温かい液体が垂れているからか?
咳き込んで吐き出さないと息ができないぞ。それっ、ごほごほっと。
「――、――、――」
咳き込むこともできない。あれ?でも、咳き込めないのに、口から温かい液体が溢れてくる。
そろそろ苦しくなってきた。立ち上がれば、吐き出せるかな?
「――!」
おかしいな。立ち上がる以前に、起き上がれない。身体に何か異常があるのかも。
手で触ってみるか。指は動く、腕も動く、足を触る、お腹を触る、胸は……え?ぺったんこだ。潰れてる。
………あー、思い出した。何かに押し倒されて、そのまま胸を踏みつけられたんだった。
あぁ、あぁ、そういうことか。わしはもう死んでるんだ。そりゃあ、息が出来る内蔵がなければ、咳き込むことはできないか。
不思議なこともあるもんだ。わし、もう死んでるのに、物を考えられている。
もしかして、こんなわしにも、女神エステル様が奇跡を与えてくださったんですかね。
僅かな懺悔の時間を。
ちょっと、話すことは無理そうなので、考えるだけで良いですか?女神様。
わしはですね――――。
2つの防壁を突破し、魔法都市城門を破壊した罪人ドワーフは、懺悔のあと静かに息を引き取った。
――――――――――――――――――――――――
ギルは魔法都市とエルピスで、王国兵17万を鏖殺した。
それに掛かった時間は、僅か5分だった。
まだ3万人近い王国兵は生存しているが、その殆どは戦意喪失し、魔法都市の2つの街で隠れ潜んでいる。
ギルに彼らを探しだすという考えはなく、視界に立っている者がいなくなった時点でエルピスを飛び出し、ダンジョンへと移動した。
その頃には魔力は底を尽き、無属性魔法による肉体強化は解除されるが、それでもギルは進む。
逆立つ髪と赤く発行する瞳は元に戻っても、怒りに身を任せ、本能で走る。
目的地だけははっきりしていた。
王国の都オーセリアン。オーセリアン王がいる場所へ向かっていた。
しかし、ダンジョン内にもまだまだ王国兵は残っている。
ギルの本能は王国兵を敵と認識しており、ダンジョン内に存在する王国兵は残さず戦った。
魔力は枯渇し、武器もない。だが、それでもギルは倒し続け、戦った王国兵は生き残っていない。
ダンジョン内で戦死した王国兵の死因は、気絶中の魔物による攻撃。
魔法を使えないギルの戦い方はシンプルだった。理性を失っている人間の戦い方とは、とても見えないほどに芸術的でもあった。
ある王国兵がギルを発見した。剣を抜き、何言かを発し、ギルが敵であると判断すると攻撃。剣が振り下ろされ当たる寸前、ギルはカウンターを王国兵の胸当て部分に叩き込む。
振りかぶる仕草も、拳が当たった瞬間も目視できず、気がつけば殴り終わっていて、鎧の胸当てには拳の跡がくっきりと残っていた。
防御力の高い鎧に構わず攻撃。恣意的にも見えるギルの攻撃だが、心臓か顎を狙うのが教わったことであり、何千何万と繰り返して身体に覚え込ませたことを、無意識に繰り出したに過ぎない。
今回の場合も顎を狙って一撃で意識を刈り取れば終わっていた。だが、当然ながらこの王国兵は心臓強打による一瞬の硬直と麻痺だけで無事だ。
なんとか立ち上がり再び剣を振りかぶるが、今度は呼吸が正常に出来ず苦しいのか顎を上げている。
思考していないギルでもそこが弱点であると認識し、リピート再生のようなカウンター。当然、弱点と認識した顎へと叩き込む。
王国兵は意識を手放し、崩れ落ちる。これの繰り返しだった。
複数人と会敵しても、戦い方は変わらない。攻撃してきた相手にカウンターで迎え撃つ。しかし、同時に攻撃されることもある。
身体に覚え込ませた事を繰り返すことしか出来ないギルの行動は変わらない。最初に攻撃を仕掛けてきた相手に対してカウンター。残っている王国兵にもカウンターを続けざまに当てようとするが、ほぼ間に合わず、相打ちで倒していく。
防刃効果のある外套のおかげで、四肢欠損するほどの深刻なダメージは避けられているが、戦う度に打ち身などのダメージは蓄積していった。
それでもギルは歩みを止めず進み続け、ボロボロになりがならも単独でオーセブルク1階までの王国兵を片付けたのだった。