危機的状況
タザールは魔法都市城の一室の扉の前にいた。そこは戦争が起きる前まで空き部屋だったが今は違う。ドアをノックして少し待つが、中からの返事はない。
タザールは溜息を吐いてから、小さく「入ります」と言ってドアを開いた。
開けた瞬間に薬の匂いがし、思わず眉を顰めてしまう。
部屋を見渡すと、歪な形をしたガラスの器があちこちに置かれている。目的の人物はそのガラス器の中心にいた。
「スパール老」
部屋の中心にいたのは、元三賢人の一人であるスパールだった。
王国軍が魔法都市の防壁突破に掛ける時間が短いと予想し、魔法学院から城へと移動させていたのだ。
タザールが声を掛けると、髭を片手で押さえながら液体を器から器へ移し替えている老人がチラリと見る。しかし、すぐに視線を戻すとまた器をゆっくりと傾けていった。
タザールは口を開くのを止め、作業が終わるのを待つことにした。
スパールは器に入っていた液体を最後の一滴まで移し替えると、ようやくタザールに顔を向ける。
「また何か問題かの?」
「予想通りです」
「つまり最悪だと言いたいんじゃな?」
「はい。魔法都市とエルピスを繋ぐ通路の防壁は、推測通り3日で突破されて王国軍が魔法都市に侵入しました。まったく、外れてくれれば楽できたものを……」
タザールは頭が痛いと言わんばかりに、親指でこめかみをぐりっと押す。
「ふぉふぉ、自分が優秀であることを証明出来て良かったのぅ」
「優秀であることを悲観することになるとは思いませんでした。政に関わればこうなると思い知りましたよ」
「じゃが、素質はある。民を自分の意志で兵士にさせるとは、わしのような老いぼれた元賢人では無理じゃ」
「嫌味ですね。残忍な性格だと言われた気分です」
「民は兵士になったのを自分の意志だと思っておるが、実際はお主に誘導された。他人の意志によって戦う羽目になったのじゃから、ふむ、たしかに残忍じゃのぅ」
「避難の手伝いをさせたかっただけです。民兵は裏の警備を任せましたから戦死することはない、と思います」
タザールが言い淀んだのは、戦死しないとも戦うことにならないとも言い切れないからだ。城門が突破され、いざという時は民兵が戦うことになる。民兵とはいえ、軍事要員として組織したのだから当然といえば当然だが、タザールが意図して作り出した戦力だ。もしその民兵が戦死したら、それはタザールが殺したと言っても過言ではない。
タザールは罪悪感に苛まれているのだ。
「非難しているのではないんじゃ。政の素質があるという話だったじゃろ?それに民兵がいなければ、住民の避難は到底間に合わなかったしのぅ。おかげで今しばらくは国民に被害が及ぶこともない」
「スパール老にそう言ってもらえて救われます」
「……それで、懺悔をしにきたわけではないんじゃろ?用はなんじゃ?」
「……ええ、まあ。王国軍は魔法都市の占領をほぼ終え、城の前に兵を集めています。住民がいないことで、城に秘密があるとすぐ見抜くでしょう。今は睨み合いですが、直に城が攻撃されます」
タザールはそう言いながら、スパールが移し替えていた器をチラリと見る。
その視線でスパールは何が言いたいのか察し、「なるほどのぅ」と髭を撫でた。
「石化解除薬の完成はまだかと言いに来たようなじゃな」
「そうです」
「ふむ、少し待て」
スパールは徐に立ち上がると、薬剤棚へと向かっていく。棚から銀色の液体が入っている瓶と、ガラスの棒を手に取ると今まで作業していた場所へ戻る。
瓶の蓋を開け、中にガラスの棒を差し込む。ガラスの棒に付着した銀色の液体をさっき調合していた石化解除役につけてかき混ぜ始めた。
すると、今まで濁っていた石化解除薬の色がみるみる変わり、あっという間に透き通るような水色へと変化した。
それを確認したスパールは大きく頷いた。
「ちょうど今、必要分の薬剤が完成したわぃ」
「全て完成したのですか?!ならば、なぜ早く言ってくれないのですか!今の会話が無駄になったではないですか!いつ城門が破られるかわからないのですから、少しの時間も無駄にできないんですよ?!」
「じゃから言ったじゃろう?今、完成したと。調合して、解除薬に変化するまで少しの時間が必要なんじゃ」
スパールが水色に変化した解除薬の瓶を指で軽く弾くと、水色だった液体は元の濁った色へと戻っていった。
「今のは確認作業のようなもの。嵩増しした薬液が、しっかりと元の効果を発揮出来るかを確かめたんじゃ」
「俺も錬金をかじっていますが、そんな作業があるとは知りませんでした」
「量を増やすなど、普通の錬金ではしないからじゃろう。邪道じゃし、失敗も多くなる上に大量の魔力が必要じゃ。それに原液に比べたら、効果は弱くなってしまうからのぅ。品質を下げることなど、金儲けをしたい錬金術師は好まないのもある」
量を増やすということは、どうしても原液を薄めてしまう。中級ポーションであれば、初級ポーション数本に増やせる程度だ。中級と初級では金額に雲泥の差があるし、初級ポーションの数を増やそうと中級ポーション一本には到底届かない。わざわざ儲けを減らし、その上数を増やして売り捌くのに苦労する商売人などいないだろう。
「なるほど、錬金術を生業にしている者には不利益が多すぎということですか。しかし、治癒ポーションであれば、此度のような戦で役に立つ。今は時間がありませんが、いずれその技術を学ばせて頂くとしましょう」
「決定事項のように話すのう?わしの答えを聞かずに決めるのは、まさに為政者のようじゃ」
「少しは才能があったようです。さて、時間が勿体ない。この大量にある石化解除薬を運ばせましょう」
タザールはドアを勢いよく開くと、「誰か、手伝ってくれ!」と声を張り上げた。
石化解除薬を木箱に詰めるとその数は五箱にもなり、それを見回りしていた兵士と共に裏庭へ運ぶ。
全て運び込むと人払いし、再びタザールとスパールの二人になった。
タザールは木箱から石化解除薬が入っている瓶を手に取ると、蓋代わりのコルクをポンッと抜く。
「この薬を掛ければギルは元に戻るのですね?」
「うむ。満遍なく、そして注意深く掛けるんじゃぞ。塗り残しがあれば、その部分だけ石化したままになってしまうからのぅ」
タザールは頷くと、石化解除薬をギルの石像へ掛けていく。始めは像の頭から掛け、首、肩、胴、足へと掛けていく。その後は塗り残しがないように、刷毛で靴裏まで注意深く塗布していった。
しばらくすると、石像から湯気が立ち上がる。しかし、いくらその場で待っても石像はギルへと戻らなかった。
「まさか失敗か?」
「そうではない。シギルから聞いたホワイトドラゴンの言葉によると、薬を使用したとしてもすぐに石化は解けんようじゃ。嵩を増したのもあって、さらに時間は掛かるじゃろう。見た限りでは、石化解除薬は間違いなく効力を発揮しておる」
スパールが、ギルの石像から今も立ち上がる湯気を指差す。
「……なるほど」
「解除にどれだけの時間が必要かはわからん。わしとて、石化したヒトを元に戻すことなど初めてじゃからな」
タザールは「そうでした」と呟くと大きな溜息を吐いた。それを見ていたスパールは堪えきれずに吹き出す。
「なんです?こんな時に笑って」
「なに、お主はギルが苦手だと思っていたからのう。なのに、ギルが戻らないことを残念がっておる」
「確かに苦手です。賢人だろうと王だろうと敬うことなどなく、嘘やはったりで相手の思考を操作する。なにより、自分勝手だ」
「ふむ、間違ってはおらん。じゃが、それが演技だというのも知っておるじゃろ?欺瞞で相手の思考を誘導するのは、ギルなりの生き残る術じゃしのぅ」
「覚えていますか?ギルから合成魔法理論を教えてもらった時を。当初は俺が雷属性を希望していたのに、奴が勝手に爆裂属性にしたんですよ」
「ふぉふぉ、覚えておるわい。たしか、『雷はジジイが使うと決まっている』と言っておったな」
「いったいどういう理屈なんだ」
「じゃが、爆裂属性はお主向きじゃった。『水蒸気』やら『粉塵』やら言われても、わしには全て同じに見えたからのぅ。原理を理解しなければ出来ん芸当じゃ。まさに、研究者であるお主向きじゃろう」
「それは黙っていたほうが良いです。ギルがつけあがる」
二人して「そんな昔のことではないのに、懐かしい」と笑いながら、石像と化したギルを見る。
「して、残念がっていたのは状況が芳しくないということかのぅ?」
スパールにそう言われると、タザールは再び眉間にシワを寄せながら親指でこめかみをぐいっと押す。
「城門がどれほど持つかわからないのです。突破されれば、あっという間に城を占領されるでしょう。圧倒的な兵力差です」
城攻めに必要な兵力を王国はオーセブルクダンジョンに連れてきている。元々、魔法都市城は防衛を想定して建てられていないのもあって、いつ突破されるか予想できない。
何ヶ月も持ち堪えられるのか、それとも一日で突破されるほど脆弱なのか、戦争の専門家でもないタザールにはわからないのだ。
「城の前に集結しつつある王国軍を見たくないのぅ」
「見れば俺と同じく頭痛が日常化しますよ。とにかく、城門が突破されるまでにギルの復活が間に合わなければ、確実に敗北します」
「ふむ。住民が城内に隠れていなければ、『裏』があると見当がつくしのぅ」
「できれば、合成魔法の雷属性で範囲攻撃ができるスパール老には、防衛を手伝っていただきたい」
頼まれたスパールは、髭を力なく撫でながら首を横に振った。
「石化解除薬で魔力は底をついたわぃ。雷属性を使うほど残っておらん。一発の魔法を撃つにも、一日は休まなければならんだろう」
錬金は専用器具に魔力を込めながらする。その魔力消費量は金属武器に魔力を流すのと同じで、多く消費してしまう。スパールが石化解除薬の嵩増しに時間が掛かったのは、主に魔力不足が理由だった。
当然、完成直後の今は魔力が枯渇している。
「……それは、困りました」
「しばらくは『裏』で休むことになる。じゃがのぅ、それはそれで良かったやもしれんぞ」
「と、言いますと?」
「報告で聞いたが、エルピスから魔法都市へ避難させるのにかなり苦労したようじゃのぅ」
「俺が不甲斐ないのがどう関係あるのです?」
「お主が不甲斐ないのではない。戦に巻き込まれれば、下手したら死ぬのは誰でも知っておる。なのに、不満を言っていた住民は逃げるよりも、お主に説明を求めたのじゃろう?いつ避難出来るのかではなく、どうしてこの状況になったかを」
スパールが話をしていくにつれ、タザールの眉間のシワはさらに深くなっていった。
「たしかに。まるで避難を邪魔しているようでした」
「エルピスの住民たちは、避難前に財産を移動させていたし、来訪者にしても王国が攻めて来ていると知らせていた。不満は出ても仕方ないが、それでもまずは逃げるのが先じゃろう。わしはその報告を聞いて、わざと混乱させていたのではと感じたんじゃ」
「つまり、まだ王国の間者がいて扇動していた?」
「どうじゃ?わしが『裏』で休むのも悪くなかろう?」
タザールは顎に手をやってブツブツ言いながら考え込む。スパールはそれを黙って見ていた。
しばらくすると考えがまとまったのか、タザールが大きく頷く。
「二日程度ならば、弓と俺の爆裂魔法で城門を保たせます。それだけあればスパール老の魔力も戻るでしょう。できれば、その二日で潜んでいる敵を見つけてもらえますか?」
「老人に鞭打つのぅ。わかったわぃ。早速向かうとしよう」
「俺も城門へ行きます」
二人はギルを一瞬だけ見ると頷き合い、スパールは『裏』へ、タザールは城門へと向かうために別れた。
――――――――――――――――――――――――
魔法都市では王国兵が城攻めのために慌ただしく動き回っているが、隣のエルピスは兵士たちの休息の場として利用されていた。エルピスにいる王国兵たちの表情は、まだ完全制圧も勝利宣言もしていないのに笑顔が見えている。既に勝利ムードが広がっていた。
クリークが住んでいた家には、王国軍の将軍がいた。一階にある集会所を指揮所として利用し、今は隊長たちの報告を聞いている。
「魔法都市をくまなく調べましたが敵兵は一人もおらず、安全が確認されました。現在は城を攻め落とすため、ダンジョン内から兵士を呼び寄せている最中です」
「わかった。しかし、魔法都市の住民たちはいったいどこに消えたのだ……」
将軍の表情が暗いのは、占領した2つの街の住民が何処にも居ないことが原因だった。
「あの城になにか秘密があるのかもしれません。どちらにしろ、我らがすべきことはあの城を落とすことではないですか?」
「そう、だな……。とにかく、城攻めを急がせろ。何があるかわからんからな」
「はっ!」
報告を終えた隊長が敬礼をし部屋を出ていくと、また別の隊長が入れ違いで入ってくる。
「ご苦労。報告を」
「はっ!魔法都市の家々には、エルピスとは違い物が残っていました。どうやら慌てて避難したのでしょう。今はそれらを回収し、エルピスへ運び出している最中です」
「そうか。手癖の悪い兵士は見張っておけ。貴重な物だから王都へ持ち帰らなければならん」
「了解しました」
こうして将軍は隊長たちの報告を聞いていくが、次に報告しに来た隊長の表情が暗いことに眉を顰める。
「どうした?なにか問題か?」
「たった今、エルピスで兵が死んでいるのを発見しました」
「なに?!」
「裏路地で二人、入り口を見張らせていた兵士も二人。さらにダンジョン側の出口にも二人死んでおり、計6人が亡くなっているのを発見しました」
「なんだと?!つまり、脱出されたということか!」
「おそらく……。兵士たちは誰も見ていないと言っておりました。姿も人数も不明です」
「これだけ大勢の兵士がいる中でどうやって……」
「もう一つ報告が」
「まだあるのか」
「はい。エルピスで休息中の隊長二名が行方不明です。どこぞでサボっているのか、それとも逃げ出したか。……もしくは」
「6人と同じように何処かで死んでいるか、か」
「はい」
「わかった。どちらにしろ誰かがエルピスから外に出たのは明白。各階層に注意するよう伝令を送れ」
「了解しました」
隊長が頷いて出ていこうすると、入れ違いで兵士が駆け込んでくる。
報告予定のない兵士が駆け込んできたのだから緊急だとすぐに理解し、将軍は面倒そうに頭を掻く。
「今度はなんだ……」
「たった今、オーセブルクから報せが来ました!」
「オーセブルクだと?」
「はっ、北から法国軍の接近を確認し、南から帝国軍が関所を突破したと鳩で報せが届いたようです!!」
「なんだと!!」
この報告には冷静な将軍も驚き、思わず立ち上がって大声を上げてしまう。
法国軍の接近も、帝国軍の関所突破のどちらも王国に敵対したことを意味する。特に法国に関してはオーセブルクに接近している。それはつまり、魔法都市の援軍であることは明白だろう。
4大国家と言われる内の二国が敵になり、その上多くの兵はオーセブルクダンジョンに送り込まれている。
王国にとって危機的状況を理解した将軍は唖然とするが、今もオロオロとしている兵士の姿を見ると我に返る。
「すまない。貴様はオーセブルクへ行き、我らはどうすべきか王都に指示を仰げ」
「わ、わかりました」
「急げ!」
「は、はっ!」
将軍が命令すると、兵士は大慌てで出ていく。その姿を見送ると、将軍は力なく椅子に腰掛けた。
「……王国はどうなってしまうのだ」
とうとう何が起こっているのか把握しきれなくなった将軍は、不安げに呟いたのだった。