秘剣
【戦争前】
日課として、毎朝私は城の裏庭で修練をしていた。魔法都市内だから早朝の清々しい空気を感じることや、鳥の囀りなどを聞きながらはできないけれど、どちらかと言えばこの時間帯は静かで修練が捗る。
私の荒い呼吸と、剣を振って生じた風切り音だけだ。それがまた私の感覚を研ぎ澄ます。
ギル様から教わった技を繰り返し反復し続け、体に覚え込ませる。
ギル様の故郷の剣技が独特なのもあるけれど、私は才能のある剣士ではないから、体に覚えさせないと戦闘で咄嗟に繰り出すことが出来ない。だから、皆がまだ寝ている時間にこんな事をやっている。
当然ながらこの時間帯では、一緒に修練する相手など居ない。そこが少しだけ寂しい。
でも、この日課は私にとって大事なものだ。敵を倒すため、仲間を援護するため、ギル様を護るために。だからこそ、毎日繰り返さなければならない。
どれだけ息が苦しくとも、どれだけ疲れようとも。
汗がポタリと地面へ落ち、荒い呼吸を整えるために大きく息を吐く。
目標の素振り回数をこなしたし、そろそろ終わりにしようか。
そう思い、汗を拭っていると視界の端に人がいることに気がついた。どうやら集中しすぎて気配を察知できなかったらしい。これが戦闘中だったら致命的だ。反省しなければ……。
それはさておき、誰がこんな時間に私の修練を眺めていたのだろうか?
「終わったか?」
その人物が私に声を掛けてくれる。
城の庭はとある理由で照明がない。意図的に暗くしているのだ。だから、誰が見ているか分かりづらかった。
でも、声でわかる。ギル様だ。
ギル様はできるだけ夜の時間帯に就寝したいと考えている。それも仕事がお忙しいようで叶わないようだけれど、それでも丁度この時間に寝ることが多いようだ。だからか、早朝にギル様と会うのは珍しい。
「おはようございます。もしかしてギル様も訓練に?」
「いや、違うけど……、でも、興奮を冷ますには良いかもな」
「え?」
「あ、いや、こっちの話だ。よし、俺もちょっとだけ体動かそうかな」
ギル様がそう言いながら、いつも着ている黒い外套を脱ぐ。
どうやらギル様も修練なさるそうだ。となれば、私もまだ続けないと!
「私と一緒にやりましょう!」
「え、終わるつもりだったんじゃ……」
「いえ、ひと休憩です」
本当は終わろうと思っていたけれど、一緒に修練するなんて久しぶりだからつい嘘をついてしまった。でも、邪魔するつもりはないから、少しは我儘言って良いですよね?
ギル様は「ふーん、そうか」と伸びをする。
「じゃあ、少し打ち合いでもしようか」
もしかしてギル様は私の心の中を読めるのでしょうか?相手が居ないから寂しいと思っていた直後にこんな事を言い出すから、少しだけ驚いてしまった。
だからか、私がやりたくないと思われてしまったようだ。
「あー……、嫌なら別に――」
「いえ!嬉しくて驚いてしまっただけです!」
「え、いったいどこに嬉しくて驚く要素が……?まあ、いいや。じゃあ、やろうか」
そうして私たちは打ち合い練習をした。もちろん、木刀だ。
ギル様は最近剣を持たなくなった。魔法で作れるようになったから必要ないと、ギル様の愛刀まで私に下さった。いつかギル様が言っていた二刀流を私が使えるようになるまで、部屋で大事に飾っておくのだ。
それはさておき、当然、ギル様が愛刀を今でも所持していようとも、打ち合い練習で使用することはない。本番のような真剣よりも、安全第一にするというギル様の指示だ。
それから半刻ほど打ち合い稽古をして、ギル様の額に汗が浮き出たぐらいで終了になった。
二人して汗を拭っていると、ギル様が唐突に「リディアはやっぱり凄いな」と言い出した。
意味がわからず首を傾げていると、ギル様が苦笑いになる。
「リディアには、剣技じゃあもう勝てないなってさ」
「滅相もない!私などまだまだです!それにさすがにギル様には一日の長があります」
この流派の剣は、ギル様の方が断然長く練習している。数ヶ月の私とは経験値が違う。
「いや、俺は剣技は苦手だったしな。それに正面から打ち合う剣術は、俺の性格と合っていなかった」
「そう言われても、私としてはまだまだギル様に勝てる気がしないのですが……」
私が小さくため息を吐くと、ギル様は小さく微笑んだ。
「それは訓練相手が俺だからだろ。これが別人ならリディアが圧勝のはずだ」
「そうでしょうか?」
「この世界の剣術はまだまだ未熟だ。レベルと力のステータスがあるから、どうしても力任せの攻撃になってしまう。だけど、この剣術は技術だ。相手の出方を読み、裏をかいて攻撃する一撃必殺の剣技。段違いの力量差がなければ、まず負けないと思うよ」
たしかにギル様から教えていただいた剣術は、相手がどう避けるか、どう攻撃するかを予想して、それに対応するようにこちらが斬るような戦い方だ。
上段斬りするように見せかけて、避けた先に突きをし一撃で戦闘不能にさせる。
一方、私たちの世界の一般的な戦い方は、盾で受け止めて剣で斬る。これだけを覚えさせられる。
もちろん、中には連撃中に体術を混ぜるような珍しい戦い方もあるけれどそれは稀で、王道である盾と剣が最も強いと思われている。
どちらの盾捌きが上か、どちらの攻撃力が強いか。盾使いと剣を振る力が勝っている方が勝利する。だからか、装備の質も勝敗に大きく左右する。
だけど、ギル様の剣術は違う。刀という細い剣一本で戦うのだ。防御も攻撃もすべて剣一本。
それで盾持ち相手と渡り合うのだから、ギル様の世界の剣士たちには頭が上がらない。
しかし、段違いの相手か……。
「もし、この技術が通用しない相手と出会ってしまったら、どうすればいいのでしょうか?」
「逃げる」
即答に私は苦笑いしてしまう。たしかにそれが正しいのでしょうけれど……。
「逃げられない戦いの場合は?」
「うーん……。魔――」
「魔法はなしです。もし私がそういう場面に遭遇した場合です」
「俺なら卑怯な手を使うけど、リディアだしなぁ」
ギル様が「うーん」と唸りながら腕組みをする。真剣に考えてくれている証拠だ。
それが私にとって凄い嬉しく、思わずニヤけてしまいそうになるけれど、ここはグッと我慢だ。真面目に答えを待っているようにギル様を見つめる。
そして、何かを思いついたのか「あー、あれがあったか」と呟いた。
「何か良策が?」
「あ、いや、うーん、あれはなぁ」
珍しくギル様の歯切れが悪かった。
だからか、私は思わず食いついてしまった。
「何かとんでもない技なのですか?」
「うーん、まあ、技?なのかなぁ。運と奇跡と偶然がないと出来ない技なんだよ」
「なんですか、それ……。途轍もない破壊力がある剣技でしょうか?武器破壊や兜割りのような奥義ですか?」
「んー、絶対必中の剣らしい」
「凄いじゃないですか!」
「そりゃあ、運と奇跡と偶然があれば必中だろうよ」
言われてみればそうだ。確かにギル様の言うように、それは技ではない。だけど、もし意図的にそれが出せるならば無敵なのでは?
「ぜひ教えて下さい!」
「え……、いや、まあ、教えるだけなら良いけど……。俺だって一度も成功したことないぞ。それで剣術を辞めたぐらいだから」
「会得できるかはわかりませんが、知っているのと知らないのとでは全く違いますから」
「まあ、リディアの言う通りだな」
ギル様が感心したように息を吐いている。何とか説得出来たようだ。
実はギル様を説得するのは簡単だ。この方が最も大事にしている『知識』に結びつければ良いのだ。これを悪用しようとは思わないけれど、つい好奇心から使ってしまう。私だけではなく、恐らく皆もやっていると思う。
さて、いったいどんな構えから、どんな振りをすれば絶対必中なんてできるのだろうか。
早速教えて頂こうと胸が躍る気持ちで立ち上がるが、ギル様は座ったままだ。
「えっと……?」
「あー、だから技じゃないんだよ。大層な技名とかはあるけど、これは理論みたいなものだから座って聞いていてくれ」
全く意味がわからなかったけれど、私はギル様の言うように隣に座り直す。
「技名があるのですね?何というのですか?」
「技名が2つあって、一つは『無影剣』って呼ばれてた。でもこれ本当は技名じゃなく、技の真髄をただ言っているだけなんだとさ。俺の世界の言葉で、『剣も影も無い』剣技って意味で言っているそうだ」
補足として、秘奥義として扱われているから本当の名を出さないようにしたらしいとギル様は説明してくれた。
「ところでリディア。人の瞬きの速さってどれくらいか知っているか?」
どうして急にこんな事を聞いてきたのかわからないけれど、ギル様の話すことには全てに意味がある。だから、私は真剣に考えて答えた。
「途轍もなく速い……ですよね?」
こんな答えで情けないけれど。これが私には限界です。
「たしかに速い。リディアには時計の読み方は教えたよな?」
「はい。魔法都市で時計が普及するようになるかもしれないからと。たしか、60秒で1分でしたね」
「うん。それで一秒っていうのが、これぐらい」
ギル様は指で自分の膝をトン、トン、トンと叩く。
おそらくこのテンポが60回で1分ということだろう。つまり、1秒はこの膝を叩く一回分。
「瞬きってさ、約100ミリ秒だって言われているんだ。つまり、0.1秒が瞬きの速さ」
「……とにかく、一瞬ということですか」
「文字通りな。で、本題。無影剣っていうのは、この瞬きをして目を瞑った瞬間に斬る技なんだよ。だから相手は剣を振ったところも、その影さえも目で捉えることもなく斬られる。という、とんでも理論」
それは本当にとんでもない理論だ。
それが可能ならば、剣を構えている姿がいつの間にか振り終わっている姿に見えるはず。そして、その時には既に相手は致命傷である。
たしかにこれができれば、絶対必中だろう。なんせ、避けることも防ぐこともできないのだから。
「とても素晴らしい理論です!ですが……」
「まあ、無理だよな。相手がいつ瞬きするかも予想できないしな」
「はい……。いえ、でも練習します!ギル様、付き合って下さい!」
「えー……」
興奮してしまった私は、ギル様の手を掴んで一緒に立ち上がる。
ギル様は出来ないことを知っているからか嫌々だったけれど、練習には付き合ってくれた。
ただ立っているギル様から少しだけ離れて、ギル様の瞬きに合わせて私が刀を振る練習が繰り返され、半刻ほど追加で修練することになった。けれど、成功することはなかった。
残念がっている私をギル様は慰めてくれ、それから少しだけ世間話をしたあとギル様は部屋へ戻ることになった。
「今日はありがとうございました」
「いいって。また訓練に参加させてもらうよ」
「はい!」
ギル様が部屋へ戻っていく途中、私はこの技の真の名を聞いてないことを思い出す。
「あ、ギル様。最後にこの技の本当の名を教えてもらってもいいですか?」
「あー、そうだった。この技の名は――」
――――――――――――――――――――――――
【現在】
もうすぐ太陽が沈む。焦りと緊張で体がこわばってしまう。逆に体内は忙しなく動いている。心臓が早く鼓動し、血が熱を帯びているかのように全身を移動する。それに伴って額から汗が浮かんでくる。
あの技をするのであれば、相手に気取られないのが大事だ。なのに、これでは今から何かをすると自分から教えているようなものだ。落ち着かないと……。
だから私は、もし成功しなくとも相手がシリウス皇帝だからだと考えることにした。それでも、本当に成功するのかと不安になってしまう。
私だって馬鹿じゃない。この試合の最中に何度も試していた。
呼吸も瞬きもシリウス皇帝を真似るようにし、それに合わせて連続斬りをしていた。でも、一度たりとも成功しなかった。
当然といえば当然だ。いくら真似しようとしても、相手がいつ瞬きをするかなんて完全にわかるわけがない。
それにギル様は、瞬きの速さは0.1秒と言っていたけれど、正確には目を閉じている間なのだからもっと短い。
つまり0.1秒よりも速く刀を振り切られなければならない。その上、完全に目が閉じるまでは一切身動きせず、これから斬ると気取られないようにし、目が閉じきった時に音も出さずに刀を振る。
無理とはこういう事を言うのではないだろうか。
でも、可能性はある。
シリウス皇帝はこの真剣での試合も遊びだと思っているのか、落ち着き払っている。呼吸も瞬きも一定だ。
それに砂が多い地域だからか、目を閉じている時間が長い。おそらく、砂が目に入らないように習慣化しているのだろう。
少し強い風が吹いた時には、更に目を閉じている時間が長くなる。
それがこの試合中に真似し続けて覚えたシリウス皇帝の癖だ。でも、それだけで完璧なタイミングの瞬きは予想できない。
目を閉じるのがわかれば良いのだけど。
……こんなに色々な事を考えて戦うのは初めてかもしれない。ギル様はいつもこうやって戦ってきたのだろうか?
さて、あと一度チャンスがあるかどうか……。その間、諦めずに機会を探し、考え続ける。文字通り、一瞬のために。
訓練場には海が奏でる漣の音と、風に運ばれくる潮の香り。
そこに構えも取らず自然体で立つシリウス皇帝と、刀を横に倒した構えを取っている私が睨み合う。
そして、ついに時間切れの時が来た。
この瞬間、風が吹く。
少しだけ強い海風が、砂を運びながら訓練場へと届く。
幸運にも、私の位置は海に近かった。
それはつまり、シリウス皇帝よりも僅かに早く風を感じることができたということ。
ここしかない!
シリウス皇帝の瞼が反射的に閉じていき、完全に瞑る。その瞬間、私は刀を横に薙いだ。
まるで刃が空気を避けたかのように風切り音はなく、しかし閃くような横薙ぎ。
シリウス皇帝は動かなかった。動けなかった。
剣も影も見えない一撃。
シリウス皇帝の鎧には、しっかりと剣で斬った傷跡が残っていた。
私は奇跡と偶然を運で引き寄せ、目標を達成した。
瞬きを終えたシリウス皇帝は、いつの間にか私が剣を振り終えていた事に少しだけ驚いたのか、僅かに眉をピクリと動かした。
しかし、斬られたことには気がついていない。
「真月流奥義、秘剣『新月』」
私がギル様から教えていただいた技名を口にして、ようやく何かされたと気づいたようだ。
シリウス皇帝がゆっくりと視線を下へ移動させ、自分の鎧を見る。そして、手で傷跡を軽く撫でた。それから視線を私に戻すと、ニヤリを嗤った。
「見事」
最強の王が私を認めた。私は目標を達成したのだ。
何人かの読者様に、前話で何度も出てくる残身を、日本剣術における正しい『残心』だと誤字報告して頂けました。
間違いなく『残心』が正しい漢字であり、残身ではありません。ですが前話の内容では、残身という表現が正解ですので、修正は行いませんでした。
どうかご了承頂ければと思います。