挟撃
謁見の間。文字通り、謁見する部屋であり、王が人生の中で最も人と会う場所。その人物が敵味方、国民、他国民関係なく。
ともすれば、王の力や財力を見せつけるために贅を尽くした作りになる。
オーセリアン王国、王都オーセリアンにある宮殿がまさにそうである。
謁見の間にある玉座は、その材質の80%は金であり装飾も豪華。鏡のように磨かれ、座り難さに目を瞑れば、誰もが一度は座ってみたいと夢を見るこの大陸で最も高価な椅子。
謁見の間も床、天井、柱はもちろん、玉座まで敷かれる赤い絨毯、窓枠、扉のドアノブに至るまで材質や装飾に拘っている。
この謁見の間にあるものだけでも、財力に自身がある商人の一生分の稼ぎぐらいの価値がある。趣味の良し悪しは別として。
「久しいな、レッドランス公」
玉座に座る人物が、眼下で深く腰を折る貴族へと声を掛ける。
玉座の主は当然、オーセリアン王その人である。
オーセリアン王はどちらかと言えば、まだ若い王ではある。だが、玉座に座る姿や一つ一つの所作は正に王そのものだった。
その王の前に立つ貴族は王国でも有数の名家であり、レッドランス領主でもあるゲオルグ・フォン・レッドランス。
「は」
ゲオルグほどの貴族であれば、相手が王であってもそれなりの発言は許される。だが、今日のゲオルグの言葉は少ない。
それどころか、ゲオルグの額には脂汗が浮かび、未だに頭を下げたままだ。
なぜなら、自分の失態を報告に来たのだから当然である。
ゲオルグは技術や兵力を確保するために、ギルの魔法都市へと攻めた経緯がある。5万の軍勢で。
だがそれはギルによるたった一発の魔法で壊滅した。
本来であれば大失態だが、ゲオルグはそれを画策した火の賢人ラルヴァにほぼ全てなすりつけ、大失態をただの失態にした。
だが失態は失態。事前に書簡で報告しているとはいえ直に伝えるとなれば、魔法都市での三国会談を切り抜けたゲオルグであっても嫌な汗の一つや二つはかいてしまうというもの。
「大失態ですな、レッドランス公」
叱責ではなく嫌味を言ったのは王ではなく隣に立つ老人。
その声を聞いたゲオルグは、普段絶対にしない舌打ちをしてしまう。幸運にもそれは聞こえていなかったようで、その老人は王の代わりに話を続けた。
「まさかあのレッドランス公が兵を無駄死にさせるとは……、それもこの時期に」
現在王国はナカン共和国と戦争中であり、まだ優勢を保っていはいるがジリジリと押し返されつつある。故に一人でも多くの兵を戦場に送る必要があった。
その悪い時期に他国といざこざを起こし、さらには5万もの兵を失ったのであれば、この老人の嫌味も当然である。
しかし、ゲオルグはこの老人が生理的に苦手、正確に言えば嫌いだった。
「大臣。書簡で報告した通り、ストラウス公に騙されたのだ」
ストラウス公とは火の賢人ラルヴァのことだ。
実際はラルヴァに騙されてなどいない。責任を逃れるための嘘だ。
「5万の兵を失った責任は貴公にもありますぞ。それも、たった一人の魔法士風情に。背後に敵を作っていたらと思うとゾッとしますぞ」
ゲオルグが大臣を嫌いな理由は、突出した技能や知能があるわけではないのに、ゴマすりだけで大臣まで上り詰めたことだ。
大臣も貴族ではあるが、爵位としてはゲオルグよりも下位。
大臣になるまでは媚び諂っていたのに、大臣になった途端に掌を返したかのように見下している。
他人のことを絶対に褒めず、嫌味を言うことが唯一の特技ともなれば、ゲオルグでなくとも苦手な者は多いだろう。
その上、その嫌味が的を射ていることが厄介なのもある。
ゲオルグは悪態をつきたい衝動を抑えながらも、頭を下げたまま大臣の嫌味を耐え続ける。
だがそこで、大臣とは逆側に立つ人物がゲオルグを助けた。
「大臣、貴様が王の代弁をするな」
この場にいる誰よりも屈強で大きな体躯。そんな男が子供のように小さい老人を見下ろしながら力強い発声でそう言えば、嫌味で高揚感を抱いていた老人であってもたじろぐだろう。
「む、し、しかし、兵士長殿もそう思うであろう?!」
「だから、貴様がしゃしゃり出るなと言っている」
「……」
ゲオルグを助けた男は、王直属の親衛隊のトップ。近衛兵士長だった。
ゲオルグにとっては助けられた形だが、近衛兵士長もまたゲオルグには苦手な人物だ。
近衛兵士長は誠実であり、王は必ず守る。
ここまで聞くと信頼出来る男だと誰も思うだろうが、彼には欠点がある。
冗談が全く通じず、王の気分を害しただけという理由だけで剣を抜いてしまうほど忠実なところだ。
実際、彼に斬り伏せられた者は少なくない。たとえそれが貴族であっても。
ゲオルグが苦手な理由は王と普通に話していても、王の表情が僅かでも陰った途端に斬られかねないことだ。
それに正に今、自分が王の気分を害していると判断されかねないからか、冷や汗は止まらない。
しかし、それは当然大臣も同じである。彼の嫌味が兵士長にそう判断されたら自分が斬られる可能性がある。
大臣にとっても兵士長は天敵なのである。
だからか、大臣は楽しみである嫌味を止め黙った。
静かになると、王がゆっくりと口を開いた。
「大臣の話す通り、失態だったな。レッドランス公」
「は」
毅然と返事をしてはいるが、その言葉でゲオルグの背中には大量の汗が吹き出る。
「しかし、その魔法都市とやらの王と友好を築けたと聞いている」
「……は」
更に額から出してはいけない汗が吹き出し、それがぽたりと床に落ちた。
ゲオルグの書簡にはそこまで書かれていない。つまり、既に調べられているということ。
ギルとの友好は、ゲオルグにとって奥の手だ。
正式な同盟は結んでいないが、条件さえ揃えば手助けしてくれる。
その程度の友好関係ではあるが、場合によっては自分の失態を功績に変えるほどの奥の手。
奥の手なのだから、自分の領地から遠い王都に知っている人物がいるはずがないのだ。
なのに知っているということは、既に自分の領地にねずみが紛れ込んでいるということになる。それも自分と親しい人物がそうである可能性。
しかし、問題はそこではない。
奥の手ということは王に報告していないということ。相談もなしに他国の王と友好を結んでいるのだから、裏切りと捉えられかねないのが問題なのだ。
ゲオルグの恐怖は当然だろう。正に今、兵士長の剣が抜かれかねない。
「背後に敵ではなく、味方を作れたことは喜ばしいことだ。帝国が心配のタネだが、今はまだ事を構えることはしないであろう?」
王がそう言うと大臣と兵士長が頷く。
「ですな。国力が戻ってきているとは言え、完璧には程遠い。かの不遜王とて、その状態で攻めるには防御が不安でしょうな」
「帝国の兵は強い。ですが、数で勝っている我々ならば、不遜王がいない居城を逆に落とすことも可能でしょう」
二人の意見を聞き、王は満足気に頷く。
「であれば、問題は背後にいるその小国だが、友好関係があれば無闇に攻めては来ないであろう?」
「ですな」
「……」
大臣は高らかに笑いながら、兵士長は黙ったまま頷く。
ゲオルグも下げた頭を更に深く下げ肯定を示した。
「が、失態は失態だな。この始末どうつけるか」
良い方向へ話が向かいつつあっただけに、この言葉はゲオルグを絶望に染める。貴族の称号を捨てるぐらいの覚悟をした。
だが、思わぬところから助け舟が出された。
王が次の言葉を発する前に謁見の間の扉が勢いよく開かれたのだ。
「何事か!」
自分の楽しみを邪魔されたからか、大臣が声を張り上げて今入ってきた者を叱りつける。
「し、失礼しました!ですが、緊急が故、どうかお許しください!」
ゲオルグが頭を下げたまま視線だけだ見てみると、入ってきた者は謁見の間の前に立っていた兵士だった。
「申してみよ」
「は、レッドランス領の南北からアンデッド共が大量に発生し、王都方面に向かって進行中とのこと!数は不明!ですが、最低4万以上と伝令が!」
ゲオルグは自分の領地にアンデッドが大量に沸いたと聞き、下げていた頭を戻してしまうほど驚く。
「ど、どういうことか!レッドランス公!」
大臣も同じなのか額に血管を浮かせながら怒鳴り散らす。
だが、大臣に怒鳴られようが、知らないものは知らない。レッドランスでさえ、大臣を無視するぐらい驚いているのだから。
「陛下、これはもしやナカンの策では?」
「兵士長、どういうことだ?」
「以前、ヴィシュメールの冒険者ギルドより近郊にアンデッドが大量発生していると報告があったかと」
「……たしかに。それで?」
「その時、ヴィシュメールの近くにある森にも強力なアンデッドが発生していたのですが、冒険者が倒し事なきを得たと」
それはゲオルグも知っていた。だが、それがどうナカン共和国と関係があるのかと首を傾げる。
貴族たちのほとんどがナカン共和国との戦争に関わっていない。兵を送っているだけだ。現在の戦況をなんとなく理解できてはいるが、それが真実かどうかすら疑っていた。
ナカン共和国から最も遠くに位置するレッドランス領なら尚更だろう。
「覚えているが、それがどうナカンとの戦につながる?」
「冒険者ギルドの長が言うには、アンデッドの発生は不可解であり、何か計画の一部のような気がすると」
実際にはこの言葉はギルが言ったことだが、それをそのまま王都への報告に使ったのだ。
「計画の一部……、それがナカンの仕業と?」
「十分ありえるかと。事実、我々は挟撃された形になりました」
「ふむ」
「ど、ど、どうなさいますか、王よ!すぐに兵を!いや、それとも一旦英雄殿を!」
「待て、大臣。ふむ、そうだな」
王がしばらく考え、ちらりとゲオルグを見る。
「では、レッドランス公に命じる。アンデッドを殲滅せよ」
「な、なんですと?!」
突然のことで驚き、ゲオルグは悪い知らせを報告しにきたことも忘れ、声を荒げて聞き返してしまった。
「余はレッドランス公が魔法都市なる国の王に寝返ったことや、ナカンと裏で繋がっている可能性も考えておる」
「まさか!」
「まあ、まて。レッドランスは民から愛され、愛国心があることも知っておる。ここで挽回し、先の疑いを余の勘違いだったと証明せよ。信頼を取り戻すのだ。レッドランスの兵のみで殲滅し、この挟撃の難を脱して欲しい」
「しかし!」
これで信頼を取り戻せるのならば、食い下がらず従うべきだ。しかし、レッドランス領には南北から来るアンデッドを止めるだけの兵力はない。
片方ならばまだしも、両方となるとゲオルグの守るべき護衛を出しても追いつかないのだ。
「わかっておる。そこでだ、その友好的な隣国の手を借りてはどうか?貴公の友人が王国を助けるのであれば、裏切っていない証にもなろう」
そんなことはあり得ない。たとえ、ギルが助けたとしても、王国を攻めない理由にはならないからだ。
だが、王としてはナカン共和国側に出している兵を呼び戻すことはしたくない。ならば、利用できるものは利用するべきだと判断したのだ。
そしてそれは、ゲオルグにとっても飲まざるを得ない条件でもある。
端から殲滅できるとは思っていない。足止めさえできれば良いのだ。
そうゲオルグは王の考えを読む。だが、それでも腑に落ちない。落ちないが王がそう望むならばとゲオルグは覚悟を決める。
「わかりました。何としても、レッドランス領で食い止めましょう」
「やってくれるか!それでこそ名家レッドランスよ!」
そして、承った証として、もう一度深く腰を折るのだった。