馬車の車窓から
上を見上げれば、青空が広がり雲が緩やかに流れている。顔に当たるそよ風は心地よく、嗅げば濃厚な緑の香りが鼻腔を擽る。そして、視線を落とし周りを見渡せば、緑の匂いの正体が現れる。右を向けば、深い森の木々が立ち並ぶ。左を向けば、辺り一面の草原。
そして、整備されていない路面。最高だね!
「俺の思い描いてた馬車の旅とちがう」
思わず声に出して不満を言ってしまったのが、俺。地球の日本出身の『朱瓶 桐』。元々、日本で普通のサラリーマンだった俺は、なんの予兆もなく突然にこの異世界へと来てしまった。召喚された影響で、若返っているらしく、今は『ギル』と名前を変えこの異世界を馬車で旅しているところだ。
日本に慣れている俺は、整備されていない道を甘く見ていたらしい。それはそうだ。馬車で旅する前に、ほんの少し考えれば予測できたことだったのに、ちょっとテンションが上がってたせいで、考えが至らなかった。この馬車はゲームなどでよく見る機会がある、幌馬車だ。それに乗り旅するとあっては興奮せずにいられまい?
聞けば、道が整備されているのは都市付近か、そこから最も人通りが多い道だけだそうだ。他の道は整備されていない。というか、悪路だ。加えて、馬車は主に木で作られている。サスペンションやゴムタイヤなど期待できないだろう。ちなみに地球では17世紀になってようやくバネのサスペンションが装備された馬車が登場した。この異世界の話を聞く限り、地球の17世紀の科学には到達していないだろう。
つまりは酔いと尻の痛みとの戦いだ。
「ぼかぁ、このままじゃお尻が爆発してしまうよ」
「ふぇ? あ、ご、ごめんなさい。ギルお兄ちゃん」
俺が愚痴を零すと隣に座る、美しく長い金髪をサイドポニーにしている美少女が俺に謝る。
この子はエルミリア。この異世界で初めて世話になった亜人の村の村長マーデイルの娘だ。ただ、血の繋がりはなく、マーデイルの親友の娘だったが、奴隷商人に襲われて命を落としその時に助けて以来、自分の娘のように育てたらしい。エルミリア自身もそれは聞かされて理解しているが、それでもマーデイルを父として接している。
そして、亜人の村が再び奴隷商人に襲われ、俺が助けたのをきっかけに俺についてくることになった。
美人と可愛いを兼ね揃えた美少女だが、70年を生きるエルフだ。だが、この世界のエルフは精神の成長が遅いらしく、見た目とは違って幼く感じる。
そんなエルミリアが、俺の具合の悪さを自分の責任だと謝ってきたのだ。
「あー、エルのせいじゃないぞ。道と馬車自体が悪いんだよ。エルのおかげで馬車の旅が出来るんだ感謝しているよ」
「そ、そうですか?それなら、よかった、です」
エルミリア、愛称でエルと読んでいる。彼女が安堵の息を吐くと、荷台からまた別の美少女が顔を出してきた。
「そうですよエル。私も感謝しています。もう少し行ったら私にも御者をさせてください。ちなみに私のお尻は大丈夫です」
「そりゃあ、俺の椅子に座ってるからだろうが」
馬車の荷台から顔を出してきた美少女はリディア。この異世界のヒト種で、俺が戦った冒険者の護衛をしていた少女だ。赤毛をポニーテールにしている。17歳だがかなりの美人で大人っぽい。スタイルの良い身体に、それなりに高価であろう革鎧を着ている剣士の冒険者だ。
俺と出会った時、馬鹿っぽい三人の駆け出し冒険者の護衛をしていたが、俺がそいつらを叩きのめした際に使用した魔法に惚れ、俺に教えを請う為に行動を共にしている。
そのリディアが俺が地球で大事にしていた椅子に座りながら、『私のお尻はノーダメージです』と言っているのだ。
「ギルさま。この椅子は本当に素晴らしいですね!ギルさまが、何故椅子を大事に運んでいたかわかりました!」
「そうだろう!それは良い物だ!」
「ぎ、ギルお兄ちゃん。わ、わたしも後で座ってみたい、です」
「うんうん。エルも座ってみるといい」
今、この二人が俺の仲間だ。悪路でサスやゴムタイヤもない馬車だけど、それなりに楽しく旅している。サスペンションやゴムタイヤも同じ素材とはいかないまでも、代用出来るものがあれば、改造してみるか。そんなことを考えながら、果てしない草原を進んでいく。
やがて、空が茜色に染まってきていた。そろそろ野営の準備をしなければならない。馬車を止め、俺の椅子でうたた寝をしていたエルを起こし、みんなで馬車を降りる。
爆発しかけてたお尻を撫でつつ、背伸びをする。
「ギルお兄ちゃん。エルは何をすればいいです?」
「そうだなぁ。エルは馬の世話した事あるだろ?マーデイルの家に馬小屋あったし。馬の世話任せても大丈夫か?」
「がんばる、です!」
小さな手を胸の前で拳を握りしめ頷くと、馬達の方へ向かっていった。かわいい。ちなみに馬車は2頭立てだ。もちろん馬は2頭いる。世話も結構大変である。
「ギルさま、私は薪でも集めてきますか?」
さすがはリディア。冒険者をやっているだけあって、野営の準備も理解しているようだ。薪を第一に考えるところが経験豊富だと分かる所だ。
「頼んでもいいか?リディア」
「お任せください」
リディアは返事をすると森の中へ入っていく。
さて、俺は飯の用意でもするかな。とりあえずは、馬に飲ませる水の用意してエルに渡そうか。それから飯の準備だな。
水は2樽ほど用意しておいた。木のバケツがあったからそれに水を入れエルに渡す。それから、鍋に水を入れ、干し肉を入れておく。今日の晩飯はスープとパンだ。この世界に来てから、一番口にしているメニューだ。違うものも食べたいけど、今は素材がないから仕方ないね。干し肉を先に入れたのは出汁を取るためだ。はぁ、カツオ出汁で作りたいわ。
さて、これを火にかけたいところだが。
そう思っていると、リディアが焚き火に使う枝や枯れ葉を持って帰ってきた。
そして、俺が魔法で火を付けてから、鍋に火をかけて、野菜を入れておいた。
灰汁を丁寧に取り、塩胡椒を少々ふりかけて、醤油を入れて完成だ。本当はもっと凝った料理を作ってあげたかったけど、調味料は有限だ。少しずつ大事に使わねば。
その頃にはエルも戻ってきていて、俺の料理を凝視していた。
三人で火を囲みながら話をしていると、辺りが暗くなってきたから、作った料理を食べることにした。
「じゃあ、食おうか。いただきます」
食器類は木で作ったものだ。木のスプーンで掬って飲む。うん、肉と野菜の出汁に塩と醤油の味付け。胡椒がピリッとして美味い。他の二人も俺に習いいただきますといい、口に含む。
「わぁ!お、美味しいです!ギルお兄ちゃん!」
「ホントですね!黒い液体を入れてた時はびっくりしましたが奥深い味わいです!」
そうか。この世界には醤油なんてものはないか。材料があれば、もっとちゃんとした料理作ってあげられたのに残念だ。
ガツガツ食べる二人も見て、笑いながら『ゆっくりお食べ』と言った。
満腹になり、焚き火の前で今後の話をする。
「それで、リディアの言っていた街っていうのは後どのぐらいなんだ?」
「そうですね。このペースだと後2日といったところでしょうか」
後2日もかかるのか。お尻大丈夫かな?
今向かっているのは、リディアが冒険者として拠点にしているヴィシュメールの街。エルが住んでいた村から、王都オーセリアンに向かって北西に進む途中にある街だ。別に王都に行く予定はないが、ヴィシュメールの街は王都から商人がよく行き来しているらしく、それなりの人が住んでいて多くの店があるという。
そして、ワインが美味い街でもある。それが楽しみっす。いや、ほんとに。
「あ、あのギルお兄ちゃん?エルは、どうしたら強くなれます?や、やっぱりとぉさまのように、魔法を覚えるのです?」
エルは戦う力を手に入れるために俺についてきている。それについても色々考えているが、まずは何から始めるかだな。
「エルはエルフだ。多分だが、目は良いと思うのだがどうだ?」
「はい。エルフ族はそろって目が良い、です。でも、良いのは目だけで、力とか、ないです」
見るからに元気を無くすエルの頭を撫でつつ俺は答える。
「そうだな。確かにエルフは身体的には弱いかもしれない。でも、それがデメリットって訳じゃないと俺は思うぞ」
この世界のエルフは、俺が地球で見た、小説やアニメなどと同じ性能だ。身体は弱いが、優れた魔力と良い目を持っている。弓を装備させれば、遠距離では敵なしなのだ。
「エルは良い目を持っている。明日から、昼に時間を取り弓の練習をしてもらおうと思ってる。魔法の勉強もしてもらうが、まずは即座に攻撃できる手段がほしい。身体が弱くても、敵が近づけないならエルは無敵だと思わないか?」
そう言いながら口の端を上げる。
エルは見るからに目を輝かせて、俺に抱きつく。可愛いし嬉しい。
そんなエルを見ながら、今度はリディアが話し出す。
「私には魔法を教えていただけないのでしょうか?」
寂しそうにリディアは言う。
エルに教えて、リディアに教えないわけではない。
「というか、リディアは魔法を教えてほしいというが、今まで学ぼうと思わなかったのか?」
「本を読み勉強しました。ですが、あまり上手くいきませんでした」
そう言うと、馬車まで行き自分のバックパックから一冊の本を取り出してきた。
題名は『新 魔法理論』と書いてある。
賢者ダンデリオンの魔法理論を読み、俺は魔法を使えるようになった。だが、効率が悪いらしく、更に簡単にしたものがこの『新 魔法理論』らしい。王都の魔法学校の教科書にもなっているらしい。
その魔法学校だが、入学できれば教員から指導を受けられて、魔法が上達しやすい。が、それにはかなりの金が必要らしいのだ。入学できるのは貴族ぐらいだ。平民でも学費免除制度があるが、始めから魔法の素質があって、その上かなり優秀な者でないと入学できないという。
騎士学校というのもあり、それもほぼ同じような内容だった。平民に優しくない国だな。
俺はその『新 魔法理論』をペラペラと捲り読んでみた。内容は俺が読んでいた本と似たようなもので、杖を使うか使わないかというのが大きな変更点だ。無詠唱で且つ瞬時に魔法陣の展開が出来る俺からすれば、杖を持たなければいけない時点で改悪だと思うのだが、それにも理由があるらしい。
魔法を使うのには魔法陣を描くことが必須なこの世界では、魔力集中で作る魔力の光を利用して空中に魔法陣を描く。だが、この魔力集中が難しい。そして、魔力集中ができても、その維持が高い壁になっている。
それを魔法専用に作られた杖を使うことで、楽に魔法陣を描けるということだった。
「それで、どの部分が上手くいっていないんだ?」
「それが、恥ずかしながら魔力集中の部分で躓いていまして……」
「それは杖を使用しても?」
「……はい」
それは素質自体がないのでは?と俺が口から出そうになったがなんとか我慢した。
「いえ!ステータスを見ると魔力は多いのです!それも魔法使いよりも!」
どうやら顔に出ていたらしい。それを否定するようにリディアは魔力はあるというのだ。
「へぇ?それは凄いじゃないか!魔力はどのくらいなんだ?」
「魔力は560もあるのです!」
俺が現在700だから、確かに魔力はある方だと思う。下級魔法であれば、25発ぐらいは打てるかもしれない。もしかしてレベルは俺より低いのか?
「あのさリディア。言いたくないなら言わなくていいんだがステータスとか教えてくれるか?」
「もちろんギルさまになら全然教えても大丈夫です!」
俺のどこにそんな信用があるのかわからんのだが。
リディアが教えてくれたステータスはこんな感じだった。
リディアのステータス
Lv 14
生命力 980
魔力 560
力 42
速さ 39
知力 26
精神 31
俺よりレベル高いじゃねーか。
俺のレベルは7。そして、俺のステータスは彼女より上だった。やっぱチートだったわ。あのユニークスキル。
リディアが落ち込むから今は言わないでおこう。
「ステータスから察するにやはり剣士向きなんだな」
「そうですね。私も剣の方が性に合っていると思います」
「でも、確かに魔力は高いな。それじゃあ、エルが弓の練習をしている時に魔力集中の練習でもするか」
「は、はい!よろしくお願いします!」
これで明日からの訓練の内容は決まった。
そこまで話すとエルが船を漕ぎ出す。エルは戦闘能力がないから、しばらくは夜の見張りは俺とリディアで交代しながらすることになった。
俺は馬車に行き藁を布で巻いたベッドを用意すると、エルをそこに寝かした。
夜の見張りは、約4時間毎に交代することになった。最初はリディアに寝てもらうことにする。
睡眠時間は短いが、どうせ長い旅だ。交代しながら昼寝でもすればいい。
こうして馬車の旅一日目は終わった。
朝になりエルに起こされた。エルはぐっすりと寝てしまったことに落ち込んでいた。夜の見張りを俺とリディアだけにしてもらうのは申し訳ないと言い出すが、今は昼に御者をがんばってもらうのと戦闘能力が育ってから見張りをやってもらうということで落ち着いた。
それから旅は順調に進んでいった。
いや、彼女たちの訓練は順調ではなかったが。
エルは10メートルの的を目標に矢を射る練習から始めたが、まず届かなかった。それでも繰り返しやることで、3日目には15メートル近くまで飛ぶようになった。
その間にリディアには、魔力集中の訓練をしてもらった。結果からいえばリディアに魔法の才能はないということがわかった。魔力の操作は出来た。だが、魔力の集中、維持が壊滅的に向いていない。これでは、魔法陣を描ききるまで維持できないだろう。
一応、魔力集中の訓練を継続してもらい、色々と彼女に合ったやり方で魔法を使えるようにしよう。この3日間で俺は、良い案が浮かんでいたのだ。これなら、リディアも魔法っぽいのが使えるのではと、少し期待している。
3日目の夕方にやっとのことで街が見えてきた。街に入るために行列ができている。夜になる前に到着できてよかった。リディアの話だと夜になると壁門がしまってしまい、朝まで待たなければならないと言っていた。
今夜は、宿のベッドで寝る事ができるかも。まあ、まだ街の門を潜る前だから安心はできないが。リディアは普通に通れるとして、俺とエルは大丈夫なんだろうか?
そんな不安を胸に俺達は街に入る為に列に並んだ。