隠し事と覚悟
大草原に整備されていない土の道。
王国の道というよりは、異世界の道はほぼ同じようなものだ。
この道を大勢で進んでいく。
砂煙が舞い上がり、足音は無限に続く雷鳴のよう。その音に混じる鎧のカチャカチャという音も、5万人という大人数が鳴らせば会話すら難しい。
彼らはオーセブルクダンジョン内にある魔法都市を攻める為の軍勢だ。
この大軍の先頭を行くのは、二頭の馬。
片方の馬に跨っているのは、貴族で賢人でもあるラルヴァ。
ラルヴァは満面の笑みを浮かべながら、行進の音を心地よく聞いていた。
「ラルヴァ公、貴族である貴公がわざわざ行かなくてもいいのですぞ?」
もう片方の馬に跨る目立つ兜の男が大きめの声でラルヴァに話しかける。5万人の足音に負けないように。
「将軍、この軍には魔法士隊がいる。ならば、賢人であるワシが一緒のほうが戦果も期待できるとは思わないかね?」
「それは正しくその通りです。が、戦では何が起きるかわかりませんぞ?」
「出来たばかりの国がこの軍勢にどう反撃するというのだ、将軍?」
「棒きれで殴られるかもしれませんぞ?それでも当たりどころが悪ければ死に至ります」
「はっはっは、将軍がいればその危険すらないだろう。そして、ワシが知恵を貸す。それは盤石ということに他ならない」
冗談を交えてラルヴァに注意したが、気分が良すぎるせいか聞き入れてくれない。
将軍はラルヴァにわからないように嘆息する。
将軍はラルヴァのことを好きではない。
言葉の端々からわかってしまう貴族以外は認めないラルヴァの性格。ゲオルグに話す時と平民上がりの将軍に話すとでは、敬意を微塵も感じない。口調の差がその証拠だ。
本人は気にしていないのも気に食わない。
それに何かがおかしいことにも気付いている。この戦は何かがおかしいと。
大規模な戦闘である戦争に発展するには急すぎる。もっと緩やかに変化していき、そしてこの状況になるのが普通だ。
それが一ヶ月前に、聞いたこともない魔法都市という国の名を聞かされ、たった30日前後で大軍を送り込んでいる。
将軍でなくとも疑問を持つ。
だが、もう兵を連れて出てきているし、これも仕事だと気持ちを切り替えるしかない。
「でしたら、出来る限り前に出ないでください」
「ほう?ワシに命令か?」
「『お願い』です」
「はっはっは。わかっておるわかっておる。ワシも冗談だ」
将軍は小さく舌打ちをしてから、向かう方向の地平線を見る。
「嫌な雲だ。雨が降る前にオーセブルクダンジョンに入れたらいいのだが……」
ちょうどオーセブルク辺りの空には分厚い雲が見える。国境付近にたどり着く頃には真上にあるだろう。
将軍はそれが凶兆に見えて仕方がなかった。
――――――――――――――――――――――――
俺は今オーセブルクである男の帰りを待っている。あることを手伝わせているのだ。
仲間たちの手助けはいらないが、仲間たちじゃない奴ならどうでもいい。……ちょっとだけ酷い言い草だったかな。ほんのちょっとだけ。
オーセブルクの街から出て、ダンジョン入り口に近い草原に座り水筒に入れたコーヒーを啜る。
美味い。そこら中に魔物を狩る冒険者が暴れてて煩いけれど、温かい気候に吹く体温を緩やかに下げる風が心地いい。
魔法都市を出る前に作ったタルトを頬張る。
うん、これも美味い。半魔たち、やるようになった。最初は料理すら出来なかったのに、今では大人気商品を大量に作っているしな。
それに大食い二人の胃袋を毎日満足させているんだから、料理も上手くなるか。
口の中にねっとりとした甘みが広がり、その直後に卵の風味が鼻を突き抜ける。
甘い、けど美味い。んで、この後のコーヒーは……、うん、最高だな。
「ギルくん」
俺がタルトに舌鼓を打っていると、いつの間にか近くに待ち人が立っていた。
「お?アーサー、帰ってきたか」
「酷くない?僕だけ走らせて、君はスイーツ食べながらピクニック気分かぃ?」
俺はアーサーに今回の戦争の手伝いをさせている。
こいつなら死ぬことはないだろう。っていうか、絶対死にそうにないから手伝わせているんだけどな。
大軍をダンジョンに入れるわけにはいかない。狭いダンジョン内では俺が使おうと思っている極大魔法は使えない。
ダンジョンに入られた時点で負けが確定する。
ならばどうするか。
外で決着をつけるしかない。
だが、軍隊が到着するのを外でずっと待っているわけにはいかない。簡単にいえば面倒だ。
俺も斥候を使って状況を把握する必要がある。
ただ、仲間に頼るわけには行かない。そう言ってしまった手前、斥候だからって今更助けを求めるのはダサすぎる。
だったら仲間じゃない奴に頼もうってことで、宿屋でTシャツ着て下半身を露出して寝ていた馬鹿を叩き起こしたってわけだ。
「アルバイト代出しただろ?働け」
「それって三食分でしょ?それだけでフルマラソン近い距離を走らされてるんだよ?それも毎日」
「仕方ないだろう?給料日までまだ日数あるんだろ?だったら、食う為には働くしかない」
「でもさ、ダンジョンで稼げって言ったじゃないか。僕もそのつもりだったのに」
「ホワイトドラゴンにも認められて自身をつけたからか?」
「ふふん」
アーサーはわかりやすく腰に手をやって胸を張る。
「どうやって認められたんだ?死んでも不思議じゃなかった状況だったろ?」
「それは教えられないよ。そのうち僕が英雄譚を書いて出版するからさ、その時に買ってよ」
親指を立ててウインクするアーサー。しかし、その顔は醜く歪んでいる。
っていうか、ウインク出来ねーならすんな。日本人はウインクに慣れてないんだからよ。
「はぁ、まあいいや。んで、どうだった?」
「あー、うん。今日の昼過ぎには到着する距離だったよ。天気も悪くなってきてるから、さっさとダンジョンに入るだろうね」
会議をしてから10日間。それで到着したか。
アーサーの足で6日間だから、随分と急いだな。兵も苛立っているに違いない。
「そうか。どのくらいの規模だ?」
「人数?わかんないね。凄い大勢ってことぐらい」
「わかった。まあ、お前に算数は期待してねーよ」
「え、それどういう意味?」
「聞いたまんまだ。よし、お前にはもう一仕事してもらおうか」
「またかぃ?もう疲れたよ。見てよ、足パンパンでしょ?フクラハギ辺り。もうパンパン過ぎてう○こが漏れそうだよ」
漏れそうなのと脹脛がパンパンなのは関係ないだろ。
「今回手伝ってくれたら、ケーキとなんかの動物の乳をキンキンに冷やしたやつ奢ってやるよ」
「なんかの乳ってなに?!牛乳じゃないの?いや、それは良いとして、お腹壊してる僕に食べさせる物じゃないね、それは!」
「わかったわかった。じゃ、手伝ってくれたら、ハンバーグ、いやお前ならハンバーガーが良いか?」
「その条件ならいいよ。で、何をすればいいんだぃ?」
即答で了承してくれた。大丈夫か、こいつ。いつか誰かに騙されそうだ。心配……、にはならないけど。
「とりあえず、法国には連絡して了承をもらったから、どっちにしろお前に手伝ってもらうのは確定なんだけどな。で、やってもらうことなんだけど――」
この数日の間で、現聖王であるルカに連絡をとっていた。あの超速で手紙を届ける小さい竜を使って。
そして、馬鹿のアーサーではなく、法国の使いである『女神の闇』を使わせてほしいと頼んだのだ。
戦争で戦ってもらうわけじゃない。では、どう手伝ってもらうのか。それは――。
「この戦争の見届人になってくれ」
――――――――――――――――――――――――
学院では午後の授業が始まろうとしていた。
魔法科、魔法技術科、そして魔法戦士科のクラスに別れて授業をしている。
エミリーのグループも午後の授業ではそれぞれ別の教室だ。エミリーはいつも午後の授業は心細い。
だが、今日からは違う。今朝、知り合いになったクルスが一緒だからだ。
しかし、エミリーは朝聞いたニュースが気になっていて、授業どころではない。
ならばと、始まる前に疑問を解消すべくクルスに質問する。
「クルスちゃん、今朝の話ってホントなんですか?」
「え?ああ、大軍が迫っているというお話ですか?はい、私も王国の出身ですので……。執事が今朝帰ってきたのですけど、途中でこちらに向かっている王国軍を見たそうですよ」
「でも、それが魔法都市に攻めてくるって確定したわけじゃないですよね?」
「どうかしら。ですが、色々な情報をあわせるとこの答えにたどり着くのです」
「だったら、どうしてそんなに落ち着いていられるの?」
「んー、それは私が王国出身だからかしら。それなりに名のしれた商人の娘ですから、危険は少ないと高をくくっているだけですね。貴族とも取引をしていて、私自身お会いしたこともありますし」
それだけの理由で落ち着いていられるなんて元々豪胆な性格なんだろうなと、エミリーはクルスの性格を分析する。
「私も王国の商人の娘ですけど、そこまで落ち着けませんよ」
「あら、そうなんですの?だったら性格ですね。……そんなに気になるんでしたら聞いてみたらいいですわ」
「え、誰に……」
クルスは淑やかに手を教室の出入り口に向ける。そこには丁度授業をするためにアニーが入ってきたところだった。
アニーもクルスが自分を指していることに気付いて、首を傾げなら二人に近づく。
「えっと、何か質問があるの?」
「あ、はい。えっと……、そのですね」
あまりにも急だったのと、確証のない情報を元に問い質さなければという気持ちで口吃る。
そんなエミリーを他所に、クルスがアニーへ今日の天気の話題をするかのように質問をした。
「アニー先生。王国の軍隊が魔法都市を攻めてくるというのは本当でしょうか?」
「ええ?!」
「「「え?!」」」
アニーはクルスの質問に驚く。隠していたことが露見したから驚いたのではなく、純粋に驚いただけだ。
そして、少々大きめの声だったせいでクラスの全員に聞こえてしまう。アニーと同じように耳を疑っている。
クルスも配慮が足らなかったと反省するが、聞かれてしまったのならと全員に聞こえるように続けた。
「今朝、私の執事が教えてくれました。オーセブルクダンジョンに向かっている兵士たちを見たそうです」
「マジかよ」
「訓練ではなくて?」
「いや、自由都市を刺激するような訓練なんてないだろ」
「だったら、本当に?」
「アニー先生は何か知っているんですか?」
「皆さんお静かに。私も今始めて聞きました。代表様や学院長からも何も言われていません」
アニーは正直に答える。が、それが余計に生徒たちの不安を掻き立てた。
「嘘だろ?!学院の関係者にすら教えてないのかよ?!」
「上の連中は住人に教えないつもりなのかも」
「いや、もしかしたらそれ以前の話かもしれんぞ」
「それ以前?」
「何も知らないのさ。知らないから話せない」
「それって最悪じゃん!どうするの?!逃げるべき?!」
「それがいいかもな!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて」
パニックになりつつある生徒たちを止めようとするが、生徒は聞かない。
「落ち着いて巻き込まれたらどうすんだ?!」
「そうよ、生徒は自由都市や帝国から来てる子がいるのよ。のんきにしていて攻め込まれたら何をされるか!」
「俺は帰ってここを出る準備をする!」
恐慌に陥る生徒たち。すぐ逃げ出そうと考え教室を出ようとする。
「待ちなさい」
しかし、教室に入ってきたスパールがそれを制止する。
「「学院長?!」」
賢人である学院長スパールが止めたこともあって、生徒たちは驚きでその足を止める。
「ほっほ。紹介されるために教室の外にいたのに、何時まで経っても呼ばれんし騒がしくなるしで入ってみれば、生徒たちは教室から出ていこうとしているから驚いたわい」
「あ、今日は学院長に特別講師として参加してもらう予定だったの」
今日の魔法科の授業は合成魔法の基本。アニーはまだ合成魔法が使えないからスパールが生徒たちに見せる予定だった。
だが、生徒たちはそんなことはどうでも良くなっている。
「そんなことより!大軍が迫っているというのは本当ですか!?」
「スパール様も知らないのですか?!」
「ほっほ。知っておるわい」
「「「な?!」」」
大軍が迫っていることを聞いたことよりも、大賢者スパールが教室にいることよりも、スパールが知っていて住民や学院の生徒に教えていなかったことが今日一番の驚きだった。
「とはいっても、王国の軍が迫っていること以外は何も知らん」
衝撃の事実に殆どの生徒は絶句していた。
「でしたら、魔法都市側は何もしないのでしょうか?」
代わりに質問したのは、元々この情報を知っていたクルスだった。
スパールは首を横に振る。
「いいや。ギル、いや、魔法都市代表が一人で戦場に立つぞぃ」
「それだけですか?」
「ほっほ。ところで、生徒たちの中に兵士の子はおるかの?」
クルスの言葉にスパールは答えず、別の質問を投げかける。
生徒たちは互いに顔を見渡してから、全員が否定する。
「なら良かったわぃ」
「それはどうして……」
スパールが深く頷いてから、少しだけ悲しい表情をしながら口を開いた。
「虐殺が起こるからじゃ」
――――――――――――――――――――――――
さて、オーセブルクから地上へと出てきたが……。
兵士たちはまだ見えないな。
ただ、地平線に砂煙が立ち上がっているから、もうそこまで来ているのだろう。
それにオーセブルクから出てくる時に、商人やオーセブルクに訪れてる観光客が騒いでいたから、オーセブルクへ……、魔法都市へ大軍が迫っているのを勘付きはじめている。
また大騒ぎになるんだろうな。攻めてきていることではなく、これから起こることが。
俺は目立つのは嫌いなのに、だ。といっても、俺が原因という考えも出来るからな……。
それにしても大軍か……。やだなぁ……。
恐れじゃない。殺されるかもしれないからでもない。
俺が虐殺者になることが嫌なのだ。
だけど、だけどだ。俺は既に覚悟は決めてある。
それでも嫌なのは変わらない。便利なスキルがあったとしても、この気持ちは残るんだ。いつまでも。
俺が覚悟を決めたのは、この世界に来てからすぐ。
初めてダンジョンを見つけ、そこでコボルトを殺った時だ。
魔物だから当然?いいや。
魔物だろうと、人間だろうと俺にとって同じだ。どちらも同じ生き物。
この手を血に染め、生物を手に掛けた時に決めた。誰でも殺すと。
例え千人の人間を虐殺することでも、俺の覚悟は揺るがない。
だけど嫌だという気持ちはあるんだ。その時が来ても躊躇することもないが、その感情はずっと残る。
虫酸が走り、反吐が出そうな気持ちがずっと続く。
そんな気持ちになるのは俺一人で十分だろ。
今回の件に仲間たちを連れてこなかったのは、魔法に巻き込みたくなかったのもあるが、こんな気持ちにさせたくなかった。
これは隠し事だ。もし話せば、俺の心強い仲間たちは『そんなこと関係ない』と着いてくる。
だがそれは出来ない。
良くも悪くも、彼女たちは甘い。
俺はスキルがあるからなんとか耐えられる。だけど、彼女たちは違う。
旅の間にそれを教えていたが、どうも芳しくない。まだ覚悟も、準備も出来ていないだろう。
まだ早い。まだ。
だから、今回は俺一人でやる。だから、俺は一人でここに立っている。ならば、迷わず『敵を殺せ』。
…………よし。再決意は終わった。
「――てる?ねぇ、ギル君?」
なんかアホっぽい声がする。
「ちょっと、ギル君聞いてる?」
あ、アーサーか。忘れてた。
「なんだよ、瞑想ぐらい静かにやらせてくれ」
「本当に瞑想?なんか、僕の顔みた瞬間変な表情したあと、驚いたけどまさか僕の存在忘れてたわけないよね?」
……こいつ、たまーに勘が鋭いんだよな。馬鹿のくせに。いや、馬鹿というよりやることや、考えがブッ飛んでるだけか。
それもスキルのせいだろう。恐らく。
「当然だろ?それでなんだよ?」
「本当かなぁ。ま、いっか。どうやら先頭が見えてきたみたいだよ」
アーサーが指差す先に視線を向けると、二頭の馬が見えた。
ただの旅をしている奴らじゃないのかなと思ったが、そのすぐ後に鈍く輝く甲冑を着た兵士たちが続いている。
どうやら、ご到着のようだ。
俺はアーサーに頷いてから、空を見上げる。
空は今にも降り出しそうな程、厚い雲に覆われている。
「天気悪いな。雨が降る前に終るといいな」
「そこ気にするところ?」
「それ以外に何がある?」
「………」
心配してくれているのか、それとも呆れているのか、アーサーは続きを話さず黙り込む。
さて、そろそろ頃合いか。
「アーサー、そろそろ頼むわ」
「……うん」
アーサーは俺から離れ、軍隊の方へと歩き出す。
アーサーは立会人で、見届人。その仕事を果たすのだ。
まずは俺の伝言を伝えてもらう。
よし、俺も準備をしようか。
虐殺の始まりだ。