復讐継続
ラルヴァがギルへの襲撃を失敗してから二週間が経っていた。
魔法都市から無事に脱出を果たした者は、ラルヴァ一人だけだった。だが、仕組んだ張本人が逃げ伸びたのは復讐の継続を意味していた。
そのためにラルヴァは、オーセブルクで馬を借りるとそのまま王国へと走らせた。
普段は貴族らしく、見栄を張るための装飾をこれでもかと施された馬車を利用しているが、ラルヴァが逃げるのに買ったのは老いた馬。
草臥れた老馬を更に草臥れるまで走らせて、ようやくオーセブルクを管理する領主のいる館へと辿り着いた。
――オーセリアン王国 レッドランス領――
ラルヴァが逃げ込んだレッドランス領は、オーセブルクから最も近い所にあり、自由都市と共にオーセブルクを管理する王国側の領地だ。
「すまないね。入浴どころか服まで用意してもらって」
ラルヴァはあてがわれた客室のソファに腰掛けながら、側に立つ執事に礼をする。
「お気になさらずに、ラルヴァ様。旦那様はもうすぐ戻られるはずですので、この客室でおくつろぎ下さい。旦那様のご用意が出来次第、お知らせに参りますので」
執事は恭しく礼をすると部屋を出ていった。
ラルヴァは3日馬を走らせ、運良く魔物に襲われることもなくこのレッドランス城まで辿り着いたが、体も服もかなり汚れていた。土や汗、涙や鼻水で。
この汚れた姿で会っていいものかとラルヴァも悩んだが、馬を買い道中の宿で持ち合わせていた金を全部使ってしまったから、服すら買えずそのまま館を訪ねた。
運良く領主が不在で、その時に対応してくれた執事が彼だ。
ラルヴァはソファに寄りかかり、天井を見上げながらつぶやく。
「レッドランス卿がいらっしゃらないのが、幸運だったとは皮肉だ」
レッドランスには兵を貸してもらうために訪れている。領主がいないのは不幸なのだが、自分の身なりや清潔を取り戻すことが出来たのだから、幸運かもしれないと思っての言葉だ。
「……貴族らしからぬ姿をレッドランス卿に見せずに済んだのは良かった。あとは、説得できるかだな」
ラルヴァはこの数日間、どう説得するかを考え続けていた。賢人であるラルヴァが数日間考えても、レッドランスの説得は難しいのだ。
レッドランスが早く来てほしい気持ちと、この落ち着ける場所でもう少し考える時間がほしい気持ちでラルヴァは何度目かわからない溜息を吐いたのだった。
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髭を蓄えた見るからに高貴な人物だとわかる身なりの男が、従者を引き連れて城から出てくる。
その表情は怒りに満ちていた。
「王は何を考えておられるのだ。他国と面したこの領地の兵をさらに出せとは!」
「レッドランス閣下は王国最強の兵を、そして兵数もどの領主様より多く持っているからでしょう。陛下はそれを知っておられるのです」
レッドランスと呼ばれた男は、従者にそう言われ表情を和らげる。
「もう城を出たのだぞ?閣下などと呼んでくれるな。……大臣がお前だったら私も憤懣遣る方無いこともなかろうにな。あの大臣は世辞すら言えんし、貴族を部下だと勘違いしているのではないか?」
「……でしたら、いつもどおりに。ゲオルグ様が王の要望に答え続けてきたので、今回の戦でも当然のことと考えているでしょう。大臣は……、ああいう御方としか言えませんな。ただ王の言葉を率直に言っているだけですし、それに使者が持ってきた書面では表情は見れませんから」
髭を蓄えた身なりの良い男こそ、レッドランス領主であるゲオルグ・フォン・レッドランス公爵で、ラルヴァが待っている人物だ。
「しかしな、英雄を相談もなく召喚し、戦況も有利だったではないか。それが不利に傾いた途端、貴族に頼るのは少々都合良すぎだろう。……何故不利になっているのかも貴族には理由を話さんしな」
英雄とは王国が召喚した最後の一人だ。
王国はナカン共和国と戦争中だ。英雄の力で戦況は有利であったが、ここにきて不利に傾き始めている。
ゲオルグが苛立っているのは、王の兵や英雄だけではなく貴族たちに頼るべきだというゲオルグの助言を聞かなかったことだ。
実際には戦に貴族も関わっている。しかし、兵を出しただけだ。
英雄が無休で戦っていけるわけではなく、後方が下がっている間は貴族から出させた兵に頼っている。
「噂でよろしければお教えできますが?」
「お前のその言葉を期待していた」
ゲオルグがそう言うと、従者は肩をすくめた。
「ゲオルグ様が指示してくだされば、自分はもう少し楽なのですが。それはさておき、戦況ですね。なんでも、ナカン王国は大量の魔物を従えているらしいのです。眉唾ものですが……」
ゲオルグはどんなことを聞いても驚かない自信があったが、この言葉には心底驚き歩くのを止め振り返ってしまうほどだ。
「敵国は魔物を従えているのか?!そんなことは無理だろう!」
「あくまで噂ですが。ですが、火のないところに煙は立たないといいますし」
「だとすれば、それこそ貴族を頼るべきではないか。兵を上手く使うには、その兵を出している領主が必要なのだ。貴族が戦場に立ってこそ士気が高まることも忘れたか」
「もちろんそれはわかっているでしょう。魔物の件が事実だとして、他にも何か隠していることがあるかもしれません」
「それは逆効果だ。何を隠しているか知らんが、包み隠さず話した方が我々に理解してもらえるだろう。結局のところ王の命に従うのだから、わざわざ隠し事で不満を持たれる必要もあるまい」
「その通りで……。従者ごときが言うことでもありませんが、やはり今回の兵を出せという命は従えないと?」
「もう10万もの兵を送っている。これ以上は隣国が攻めて来た場合、防衛に支障が出る」
「自由都市は戦争を仕掛けてこないと思いますが……」
「自由都市はな。自由都市の南に帝国があることも忘れてはならんのだ。とはいえ、かの不遜王が戦場に立てばどんなに兵を出したとしても無意味だがな。それこそ今戦っている英雄をぶつけるしかないだろう」
レッドランス領は東に自由都市、南東に帝国、そして北に法国と3つの国と面している。
正確には帝国との間に山や森があり、直接レッドランス領を攻め込んで来るとは考えづらい。しかし、あり得ないとは言えないのだ。
法国の名を挙げなかったのは、聖王の代替わりでそれどころではないことを知っているからだ。
「ですが、今は王国の歴史の中で最も平和な時期です。とはいっても、ナカンとの戦争中ですが……、それでもゲオルグ様が気にすべき三国と、すぐに仲が悪くなるというわけではないでしょう」
「まあな。それでも王はもう10万よこせと言ってきたのだ。それだけは頷けん」
「わたしはゲオルグ様の判断を信じておりますので」
「おっと、こんなことをお前に言っても仕方がないな。仕事は終わったのだから切り替えんとな」
「はい。それとゲオルグ様が王からの使者と会っている間にメイドが来ました。なんでも、ラルヴァ殿がいらしているそうです」
「ストラウス公が?」
「はい。お屋敷で待っておられるそうです」
「ふむ。さて、何が狙いだろうな」
「そう勘ぐらなくても……」
従者の言葉にゲオルグは鼻を鳴らす。
「奴がただ会いに来るわけないだろう。……とにかく、帰って聞いてみるとしよう」
「はい」
ゲオルグと従者は頷いてから、足を早めるのだった。
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城を持っている貴族が、城に住まないのは珍しい。
ゲオルグ・フォン・レッドランスはその珍しい人物の一人である。
ラルヴァはゲオルグが居住する家を別に持っているのを有り難いと思っていた。あの汚れた姿で城に行くなどプライドが許さなかったからだ。
それでも大小あれどプライドが傷ついたのだ。
安心できる場所へ逃げ込んで恐怖が収まり、今は怒りがこみ上げつつある。
そこでゲオルグが帰ってきたと執事が呼びにきて、応接室へと案内された。
「久しいな、ストラウス公」
「はい、レッドランス卿」
「それで……、今日は急にどうしたのだ」
レッドランスの質問に、ラルヴァは切り出し方を決める。
「兵を貸していただきたい」
「兵を貸す……、だと?」
レッドランスの表情を見て機嫌が良くないことを見抜いての単刀直入だったのだが、それが失敗だったと更に表情が険しくなったことで気がついた。
「どうやら私の言葉で気分を害されたようですね。いったい何が?」
「ふん、勘の良さは相変わらずだな。貴公も知っているだろう?ナカンとの戦を」
ラルヴァはようやく得心が行く。
「そんなに兵を出しておられたのですか?」
「それもあるが、また出せとな」
「卿はもう十分出しておられるではないですか。私も兵を出したので知っていますが、ナカンを返り討ちにするには過剰な戦力だったはず」
「今は不利になったそうだ。いや、今はその話はよそう。それで何故、私に兵を貸せと?」
「卿のご子息が今どちらにいるか知ってますか?」
ラルヴァの話題が変わったと感じ、ゲオルグは眉間にシワを寄せる。
「何故ここで私の息子が出てくるのかわからんが、今はオーセブルクにいると聞いている」
「正確にはオーセブルクダンジョン内です」
「ダンジョンに?跡目を継げないからといって、よもや冒険者にでもなったのか」
「レッドランス卿は魔法都市というのが出来たことをご存知ですかな?」
また話題が変わったことにゲオルグは段々苛立ちはじめる。
「いったい何が言いたい?私は魔法都市なんぞ知らんぞ」
「これは失礼を。実は今の話は全てつながっているのです。今、卿のご子息はダンジョン内に新しくできた魔法都市という場所にいます」
ゲオルグは表情にこそ出さなかったが、内心驚いていた。
自分の管理するダンジョンの中に都市が出来たというのもそうだが、そこに息子がいるとなれば仕方のないことだった。
「それは知らなかった。それで息子はそこでなにを?」
「魔法を学んでいるようです」
「何故だ。魔法は貴公から学んでいるだろう?息子も賢人から学べることを誇りに思っていたはずだが?」
「そこは私も不満を持っているところですが、それは置いておきましょう。それで私は詐欺にでもあっているのかと思い、その魔法都市へ行ってみたのです」
ラルヴァはギルへの恨みを隠しながら魔法都市での事を話した。
「なるほどな。その魔法都市で最先端の魔法技術が生まれているのは事実だったが、息子が学んでいる学び舎では貴族を蔑ろにする、酷い場所だったと?」
「はい。しかし、そこまでは良いのです。ご子息が決意して新しい技術を学ぼうとしているのですから。しかし、私は賢者としてその都市の代表と話すために待ち伏せしたのです」
「待て。何故、賢人である貴公がその都市代表と話すのだ」
「おっと、話を飛ばしてしまいました。その学び舎を作ったのが代表を嘯く男なのです。ご子息から学び舎での扱いを聞き、私が注意しようと思いまして」
「なるほど、自分の生徒を気にしての行動だったか。すまないな、私のバカ息子のために」
「お気になさらずに、レッドランス卿。その貴族の扱いですが、ご子息も学び舎の教師に注意をしたそうです。が、都市代表がしゃしゃり出て来て、……その言いにくいのですが、ご子息に体罰を……」
「なんだと?!私の息子と知ってのことか?!」
「それはわかりません。ですが、私もそれを気にして、ご子息に内緒で代表に注意をしようとしたのです」
「……それで?」
「襲われました」
「なに?!」
「私も思ってもなかったことだったので、何も出来ず逃げ帰ることに。弟子も犠牲に……」
ラルヴァは心底悲しそうに、目頭を押さえる演技をする。
「ストラウス公……、そうだったのか。息子のためにすまないな」
「いえ、良いのです。お世話になっている、レッドランス卿のため。ですが、このまま私も黙っていることはできません。そこで兵を借りたいのです」
「攻め込んで息子を取り返すつもりか?貴公の話だと、出来たばかりの都市なのだろう?数人の精鋭で取り戻せるのではないか?」
「失礼ながら、その戦力では無理です。あの代表の強さは凄まじいのです。それこそ私に匹敵するかと」
「なんと、賢者の称号を持つ貴公にか?!」
「それに取り返すのが目的ではないのです。あの都市を我が国の物にするため、制圧したいのです」
「……それは軍を送るということか。そこまでする必要性は感じんな」
ゲオルグがそう判断するのは当然である。
自由都市と共同で管理するダンジョンに兵を送れば問題になる。それはなんとでも言い訳できるとしても、それに見合うメリットが感じられなかったからだ。
それが自分の子供のためでも。
「レッドランス卿の兵が更に強くなるとすればどうでしょう?」
「なに?」
「ご子息から聞いた話ですが、魔法戦士というクラスが学び舎にはあるそうです。魔法を使えない戦士が魔法の力を使いながら戦えるようになるようです。その技術、王国には必要だと私は感じますが」
「それは確かに欲しい技術だ。だが、軍を送る程か?」
「あの代表を討つには最奥部にある城を目指さなければなりません。街が2つほどあり、できればそのままにしておきたいのです。どういうわけか、街の住人たちはあの代表に逆らえない。もし、少人数で見つかれば住人に殺されるでしょう。であれば、反抗する気がおきない大人数で制圧するしかない」
確かにその通りだとゲオルグは頷く。逆襲をさせないためには、戦争をしても勝てない数を持つか、抑止力となる力を見せる必要がある。
だが、息子を無事に助けるためには大軍は邪魔だ。
「息子が人質になる可能性があるではないか」
「その可能性はありますが、もちろんその懸念事項を排除してからです」
「ふむ、賢人が知恵を出しているのならば、そこは心配しても仕方がないか。……いいだろう」
ゲオルグは一瞬で判断し、そして決断した。
ラルヴァの言っていることを全て信じたからではない。ゲオルグは貴族としても、政治家としても優秀で、言葉での説明に全てを信用しない。
だが、もし無傷でひとつの都市を占領できれば、そこからナカン共和国で戦わせる兵士を補充できるかもと考えての決断だった。
「おお!それは素晴らしい判断です!」
「だが、なぜそれを私に話したのだ?貴公の兵だけで十分だと私は判断するが?それにだ、自分の兵だけで占領すれば旨味は大きい」
「私の兵も戦に出していて少ないのもありますが、何よりダンジョンを管理しているのはレッドランス卿ですから」
「ふん、私だけではなく自由都市もだ。国境になければ我が領の物だったのだがな」
だが、共同管理はオーセブルクだけだとレッドランスはほくそ笑む。新しく出来た都市に決まりごとはない。
「私が出せるのは2万が限界です。卿はどれほど出していただけるのでしょう?」
「2万?!街2つを制圧するのにどれほどの兵を出すのだ?!ダンジョン内の制圧などそれだけで十分のはずだ」
「先程も言いましたが、都市の代表に心酔していますから、反抗の気すら起こさせないためには圧倒的な戦力を見せる必要があります」
確かに圧倒的な戦力を見せるのは有効だ。しかし、どう考えても過剰な戦力だとゲオルグは経験からわかっている。
しかし、それを説明してもラルヴァは納得しないし、またこの会話をやり直すか別の言い訳を話すだけだろう。
だからか、ゲオルグは頷くことにした。
「わかった。私は3万の兵を出そう。全部で5万、これが自由都市を刺激しない限界だろう。行軍訓練で済ませる事ができるのはな」
ラルヴァはもっと戦力を用意してほしかったが、自由都市の名を出されたらこれで下がるしかなかった。
「では、そのように。必ずや無血開城させ、あの街を手に入れましょう。では、詳しい段取りを話し合いましょう」
「今日は昼食すら取ってないんだがな……。いいだろう、続けよう」
ゲオルグは呆れ気味にため息を吐き、ラルヴァはなんとも言えない笑顔だった。
2週間後、5万の兵がオーセブルクに向かう。