貴族
ギルが新しい魔法開発に勤しんでいるその頃、エミリーは魔法学院入学日を迎えていた。
『普段であればこんなことは』という言葉をよく聞くが、エミリーもまた大事な日だからこそそんな状況に陥っていた。
魔法都市の中心地に設置してある鐘が鳴り朝を知らせている。しかし、外は暗く万人がイメージする朝とは程遠い。
魔法都市は常闇である。街は光属性魔法の照明で他国の夜より断然明るく生活しやすいが、太陽に比べればやはり暗く、寝ても覚めても夜という不思議な街だ。
その極夜に似た環境で生活するには、時間は絶対的に必要である。
それを知るために朝、昼、夕と三回鐘が鳴る。
そして、今は朝の鐘が鳴っているのだ。
エミリーはというと、まだ夢の中だ。つまり、寝過ごしている真っ最中なのだ。
普段であれば、商人の娘であるエミリーならば朝の鐘が鳴る前に起きるのだが、常に夜であることと、入学の前日に緊張で眠れず夜更ししてしまったことがこの結果を招いていた。
鐘も鳴り終わり、目覚ましのスヌーズ機能がないこの世界では遅刻確定の状況だが、幸いにもエミリーには友人がいる。
ドンドンドン!
部屋のドアを激しく叩く人物がいた。
「エミリー、もう朝よ!具合が悪いの?!」
その人物は魔法学院に同じく入学する友人のエレナだ。
エミリーがその声とノック音でようやく目覚め、目を擦りながら起き上がる。フラフラと歩きドアを開ける。
「ふぁぃ。どうしたんですか、エレナしゃん」
「どうしたって……、今日入学の日でしょ?!」
「ふぇ?まだ、朝の鐘なってないですよ?」
「もう鳴り終わったのよ!良いから早く着替えなさい!」
「えー!!」
こうしてエミリーの学生の日々は始まった。
エミリーが急いで着替え、朝食を取らない決断をしたおかげでなんとか遅刻しない時間に寮をでることができた。
学院と寮は数分の距離で、その通学路をエミリーとエレナ、もうひとりの友人テッドが歩いていた。
「はは、なんだエミリーが遅かったのは寝坊したからか」
「すみません」
「まあ、気持ちはわからんでもない。寝る時夜で、起きても夜だとな」
「でも、この街で生活を始めて7日よ?寝坊ぐらい誰でもあるけれど、それが入学の日にすることないでしょう?」
「す、すみません」
三人は同年齢ではない。テッドが27歳、エレナは24歳、エミリーが16歳だ。
テッドとエレナは冒険者仲間で、冒険者という職業を抜きにしてもエミリーより年上というだけあってしっかりしている。
エレナは怒っているわけでも、呆れているわけでもない。妹のように思っているエミリーをただ注意しているだけだ。
それはエミリーも理解しているが、彼女もエレナを姉のように慕っているからか、謝らずにいられない。
知り合って間もないが、一週間で同じようなことがありこの構図が日常になっている。
「ははは、まあまあ。俺からすればエレナだって冒険の時は寝坊するじゃないか」
「もう!今それは関係ないじゃない!」
テッドがエレナを止めた後、余計な一言で今度はテッドが怒られるのも日常になっていた。
「7日寮で寝泊まりしたが、あんなに過ごしやすいんじゃ俺だって寝坊しそうだぜ」
「まあね。そこらにある高級宿より断然居心地が良いわね」
「はい。それ以前に、寮という学生専用の宿があることが驚きました」
魔法学院の学生には、各国から来るということもあり寮が用意されていた。ただ強制ではなく、泊まる場所を選ぶ事ができる。
裕福層や貴族ならば、高級宿の一室を長期間借りたり、魔法都市の土地を買い家を建てそこから通学する者もいる。
寮は激安で借りることが出来、生活の厳しい者や節約したい者たちが住んでいた。
冒険者で収入が安定していないテッドとエレナ、商人の娘で貧しくはないが出来る限り親に迷惑掛けたくないエミリーも寮暮らしを選んでいた。
「それもそうだが、設備がな」
「そうね。魔道具と呼ばれるキッチンや照明。いつでも湯が出る湯船まであるぐらいだし。寮がこの設備なら高級宿はどんなのかしらね」
「魔道具かぁ。街も楽しかったですね」
「おー、魔道具だらけでびっくりしたな」
「この街にいる間、賢人キオル様のお店のプールストーンを買っておきたいわね」
「冒険で役に立ちそうですしね」
「いや、それならシギル魔道具店だろ。俺は金を貯めて石テントの魔道具買うって決めたんだ」
「だったら、ずっと買えないわね」
「なにをぅ?!」
「ふふ」
「あはは、あ、学院に着きましたね」
いつも通り何気ない会話をしながら歩いていると、あっという間に学院に着いていた。
「な、なんか緊張するな」
「そ、そうですね。ここからは別々だからですかね?」
「エミリーは魔法科、私は魔法技術科、テッドは魔法戦士科と見事に別々だものね」
ギルが賢者試験で魔法に関わる検定を用意すると宣言したこともあり、魔法学院にもこの3つの科があった。
「エレナさんが魔法技術科というのが驚きました。冒険でも魔法士として活躍しているんですよね?」
「んー、冒険者は危険な仕事だし、いつまで出来るか分からないもの。だったら、手に職をつけた方が良いかなと思ったのよ。この街を見て回って、間違ってなかったと確信したわ」
「俺は年寄りになっても魔法戦士として活躍してやるんだ。エミリーも魔法科で腕が上達したら俺たちのパーティに勧誘するか」
「私に冒険者は向いてないと思うんですけど……」
「だったら、学んだ魔法を何に役立てるつもりなの?」
「んー、本当ですね」
「ははは、何だそりゃ」
「退け、庶民共」
三人が話していると突然後ろから声がし、眉をひそめながら振り返るとそこには知らない男が二人立っていた。
お気楽ではあるテッドもさすがにこの言葉には苛立つ。
「は?別に道を塞いでるわけじゃあねーだろ?」
「それに庶民って言葉も気に食わないわ」
珍しくエレナも突然の暴言に食って掛かる。
対して二人組の男はニヤニヤしている。
「貴族が通るのだから庶民は道をあけるのが基本だろう」
「そうだな。それに庶民かどうかは格好を見れば瞭然さ」
「この糞――」
頭に血が上ったテッドが、貴族相手だということも忘れ暴言を吐こうとした時、思ってもない方向から貴族たちと思しき二人組に反論する人物がいた。
「あ、あの、この街では身分は関係ないと聞いたのですが……」
「なに?関係ないわけないだろう!」
「そうだ!貴族は貴族!敬われて然るべきだ!」
「ですが、ここは他国ですよ?お二人のお国でしたらその言動も正しいのでしょうけど、この魔法都市の法では許されないと思います。それとも勉学にではなく、外交で来られたのでしょうか?でしたら、無礼を謝りますが……」
エミリーだった。
正論だったが、彼女を小心者と理解していたテッドとエレナは驚く。
もちろん貴族の二人組もだ。
「そ、そんなの関係ない!他国だろうと貴族は貴族!それは変わらない事実だ」
「他国というが、ここは出来たばかりの国。いや、国かどうかもわからないじゃないか!」
貴族の二人組は慌てていた。それは彼らがどの国に行っても貴族として丁重に扱われ、エミリーのような反論をされたことがなかったからだ。
実際、この二人の言葉は正しい。貴族はどの国に行っても貴族なのだ。
敵対国やギルの国でなければ……。
真面目なエミリーだからこそ、この貴族たちの理論に反論する。ですが、と。
「ですが……」
「ええい!黙れ庶民!」
「貴族の時間を使うんじゃない!我々は行く!……お前、覚えておけよ」
だが、反論をされたくない二人はエミリーの言葉を無視し、捨て台詞まで吐いて行ってしまう。
その様子を呆然と眺めていたテッドとエレナは、はっと我にかえる。
「お、おぉ。凄いなエミリー!スッとしたぜ!」
「え、凄いって何がですか?」
「確かに入国時に言われたもんな。この国は身分は関係ないってさ」
入国時に審査官が話す内容に、その説明が入っている。
これはギルが貴族に対して偏見を持っているせいで加えられた法だった。
エミリーは商人の娘で、商売をするには各国の法に従えという父の言葉を、真面目に守っただけだったのだが。
「だけど、大丈夫かしら。私たちが別々の時が心配だわ」
「大丈夫、だと思いますよ」
「そうさ、何かあったら学院長である賢人スパールに相談すればいいしな」
「うーん、だといいけど……」
「そんなことより今は遅れるのを心配した方がいいですよ」
「そ、そうね」
エレナは一抹の不安を感じつつも、目前まで迫っている初日に遅刻という問題に対処することを優先する。
今はまだこの些細ないざこざが、他の問題と絡み合って大問題に発展するとは想像できなかったのだった。
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魔法都市にある高級宿の一つ、その一室で初老の男たちが三人でワインを飲んでいる。
そのうちの一人が、突然テーブルに拳を叩きつけた。その衝撃でグラスが跳ね、そのまま床へ落ち割れる音が部屋に響く。
しかし、グラスが割れた事も、まだグラスに残っていたワインを飲めなくされたことにも恨み言を言う者はいなかった。
それもそのはず、テーブルに拳を叩きつけた人物は貴族でもあり、賢人の長の就任が確定している賢者ラルヴァだったからだ。
「ええい!何から何まで腹立たしい!!」
「ラルヴァ様、落ち着いて下さい。もう夜更けですし……」
「時間的には昼ではないか!」
「確かに……、先程昼の鐘が鳴っておりましたな……」
漫才とも思える会話だが、本人たちは至って真面目である。
彼らが何をしに魔法都市に来たのかと言うと、それは偵察である。それが何故、宿の一室で憤慨しているのか。
「常夜もそうだが、貴族であるワシを優先入国させなかったり、5日も待ってようやく入国の順番が巡ってきたかと思えば、入国審査官とやらに無礼な一言を言われる始末!どうなっておるのだ、この魔法都市という国は!」
このラルヴァの言葉が答えだった。
「たしか……、『この国では身分は関係ない』でしたか?」
「ああ!ああ、その通りだ!今思い返しても腹立たしい!」
「ですが、この国の法ですので……」
「法だと?!誰がこの街を国だと認めた?どの国も認めておらぬではないか!あの小僧と元三賢人が自分らで言っているだけだ!貴族はどの国でも貴族として扱われなければならん!敵国ですら、侯爵であるワシなら人質の扱いは丁重だろう!」
このラルヴァの言葉には間違いと正解がある。
まず、魔法都市は法国に認められたれっきとした国であるが、ギルが公言するのを忘れていた、正確にはどうでもいいと考えていた為に、現在ラルヴァを含め多くの人々が知らない事だった。
そして、何が正解かといえば、貴族はどこでも丁重に扱われるという点だ。敵国という部分に関しては、その国次第ではあるが。
とはいえ、高級宿で怒りに任せて暴れられても困る。そろそろラルヴァを止めなければならないが、二人の男はどちらがやるかと視線を合わせる。
やがて、落ち着いた雰囲気の男が溜息してから切り出した。
「『大賢人』ラルヴァ殿!」
「むっ?!」
大賢人という言葉に反応を示したことで、落ち着いた男は話を続けることを決断。
「大賢人で賢人長に就任、その上貴族でもあるラルヴァ殿が、まさかこの程度の事に本気で憤慨しているわけではないですな?」
「う、うむ」
「そして、ここに『新』三賢人がこの一室に揃っているとなれば、怒りを喚き散らすことなどあり得ませんな?」
「そ、そうだとも!賢人ヒスロ!」
賢人ヒスロと言われ、満足げに落ち着いた男は頷いた。
賢人と言われたことに満足したのではなく、上手くラルヴァの怒りを鎮めることが出来たことにだ。
その様子を見て安心した謙る男が、ここぞとばかりにラルヴァを持ち上げる。
「そうですとも、ラルヴァ様!魔法学会のトップであるラルヴァ様と、三賢人である我らは下民の無礼な言葉ぐらい笑って許すことが寛容!」
冷静な人間であれば、この謙る男の言葉がメチャクチャであることに気がつくだろう。
しかし、冷静ではないラルヴァはなるほどと頷くだけだった。
「うむ、その通りかもな、賢人ドルフ」
賢人ドルフと呼ばれた謙る男は、微笑みながら頷く。冷や汗を拭いながら。
ラルヴァ、ヒスロ、ドルフのこの三人が、魔法学会の新しい三賢人だった。もちろん、ラルヴァの独断と偏見で決めた人選である。
ヒスロの魔力は元三賢人に劣るものの、冷静な判断力を重視して選ばれた。
ドルフはその謙った態度がラルヴァに気に入られたのが三賢人に選ばれた理由だ。魔力は優れているとは言い難く、パッとしないドルフを三賢人に抜擢するラルヴァを疑問視する賢人が多いが、ヒスロとしてはラルヴァの機嫌取りに向いている彼が選ばれたことを喜んでいた。
「しかし、賢者試験では一笑に付していたが、あの子供が話していたことが現実味を帯びてきましたな」
ヒスロが唸りながら顎に手をやると、ラルヴァが冷静なうちに本題に入るべく口を開いた。
「ふん、忌々しいガキだ。特別な魔法を使え、少々素早く魔法陣を描けるぐらいで付け上がりおって」
「ですが、全てが新しいですよ、この街は」
「プールストーンによる街の演出か。この2日間で街を見て回ったが、魔道具というのは確かに素晴らしいものですな」
「確かに素晴らしい。あのガキが発見したのでなければな」
ラルヴァの感情に多少の怒りはあれど、もう我を忘れる程ではなかった。冷静さを保つことに集中さえしていれば、ラルヴァは暴君ではないことを二人は知っている。
「賢人長ラルヴァ殿が怒るのも無理はない。あの子供が賢者試験に来てから、我々は軽視されておりますからな」
「うむ。ワシらがわざわざ赴いたのも、そろそろあのガキを躾けなければならないからだ」
「ですがラルヴァ様、あちらには元三賢人がおりますよ」
「ふん、もう賢人ではない男たちに何が出来るのだ?」
「キオル殿は貴族……、失礼、その心配は必要ありませんな」
ラルヴァが自分の胸を叩く。その姿を見てヒスロは続きを言わなかった。
キオルは伯爵だが、ラルヴァは侯爵。同じ王国の貴族で上位であるラルヴァがいれば、相手が貴族だろうと問題がない事を思い出したからだ。
「ただ、やはりと言うべきかプールストーンの存在は大きいですね。世界を変える技術の最先端の街に対し、企てが成功し潰すことが出来たとして、その後我らの味方をするものがおりましょうか?」
ドルフの言うことは尤もだった。
ギルが賢者試験で発表したプールストーン技術は、本人が知るより注目されていた。
その生産地ともいえる国が何者かに潰されでもしたら、その何者かが逆に顰蹙を買いかねないのだ。
「ううむ」と唸っていたラルヴァが急に何かを思いついたのか、口元をニヤつかせた。
「何を言っておる、ドルフよ」
「は?」
「プールストーン技術は我々が最初に発見したのではないか」
「え……」
まだ考えが追いつかないドルフは助けを求めるべくヒスロに視線をやるが、そのヒスロは満足げに頷くととんでもないことを言い出す。
「確かに!あの子供は我々の研究の成果を盗み、それを賢者試験で発表してしまったのだ!世界が混乱しないように秘匿していた技術を!」
「そうだ、あの技術をもって我ら三人が大賢人になる予定だったのに、それを盗んだあのガキはのうのうと生きるどころか、功績を利用して国まで作る始末!到底許せんな!」
あまりの虚言に流石のドルフも呆れるが、清々しさも感じていた。そして、ドルフがこの後取った行動は同調である。
「で、ですな!流石はラルヴァ様!こんなことを思いつくとは!」
「はは、何を言っておるドルフ。思いつくではなく、事実を言ったまで」
「そ、そうでした!なんと卑劣な子供でしょうか!ヤツは!」
「そうだろうそうだろう。となれば、大陸最強の魔法士で王国の貴族、このラルヴァがこの魔法都市を潰さなければならんな!」
「それは良い考えですね!」
「……」
ラルヴァの言葉に相槌を打つドルフだが、一方のヒスロは更に何かを考えていた。そして、思いついたのかニヤリと口元を歪める。
「ラルヴァ殿、この国を潰すなんてとんでもない!」
この同調しない言葉に、ラルヴァがヒスロを睨む。
「何を言っておるのだ、貴様」
「それはそうでしょう。なんせこの国は我ら魔法学会の支援があって出来た国です。代表がいなくなったのならば、取り潰すのではなく新しい代表を決めるべきです。そうですね、ラルヴァ殿なんていかがですかな?」
ヒスロの答えにラルヴァは満面の笑みになる。
「ははは!そうだな!我らが支援したのだから、潰すのは勿体ないな!ワシとしてはこんな玩具のような国の代表は嫌だが仕方ない!賢人長であるワシが我慢してこの国の代表になろうではないか!」
上機嫌なラルヴァを見て、ヒスロとドルフも満足げに頷く。
「そうと決まれば、あの代表代理のガキを追い出す方法を考えなければな。だがまずは、酒だ。飲みながら意見を出し合おうではないか」
「そうですな」
「そうしましょう!私と賢人ヒスロ殿で高級なワインを注文してきましょう!」
ヒスロとドルフは酒の追加注文をするために部屋を出ていく。
その様子をニコニコとラルヴァは見ていた。
扉が閉まると同時に、ラルヴァの顔から笑みが消える。
そして、徐に立ち上がると窓際へ歩きながら呟いた。
「ワシは本気だぞ……。全てを奪ってみせる」
そして、夜景を見ながらほくそ笑むのだった。