誘拐作戦
翌晩。既に準備を済まし、作戦開始時刻数分前だ。
昨夜の女神様誘拐作戦会議で、俺は全員に指示を出していた。
その中でも最も重要な役割はクレストが担ってくれた。
というより、クレストしかできないことだったからだが。
そのクレストに何をしてもらったのかというと、家を探してもらった。このエステルの街に詳しいクレストに任せるのが、最適だったからだ。
厳しい条件だったが、なんとか一日だけ借りることができた。
その条件とは、聖城から最も近い、この街の中で一番高くにある部屋。つまり、その物件と聖城との間に邪魔な建物がなく、さらに街の天井を支えるように建つ建物の最上階の部屋を借りることだ。
聖城に最も近いというのがネックなのは明らかだった。というのも、毎日教会と聖城に祈りに行くのなら、どちらかに近い物件を選ぶ人が多いからだ。
だが、最上階というのが良かった。毎日通うのなら低階層の方が人気が高い。
敬虔な信者でも、わざわざ最上階に住みたいと思う人間が少なかったみたいだ。教会と城に通うことが目的で、階段を上ることが目的ではないということか。
後は、家賃も関係がある。
地球では高い階層程家賃が上がる傾向にある。それはいくら高い階層だとしても、自分で歩く必要がないというのが基本にあるからだ。景観も良く、害虫も近づきにくい。エレベータがあるならば、こんなに良い物件はないから皆が高階層を選びたがる。
そうなれば必然的に高階層の部屋の値段が上がるわけだが、この法国に関してはエレベータという便利なものはなく、どんなに出不精な人でも毎日必ず家から出る必要があるのだから、高階層の部屋は値段が安くなるのだ。
財力に不安がある者は仕方なく最上階に済むのだが、聖城に近いというのが価値が上がる要因で、最上階だろうと割高に設定されている。
しかし、さすがに街の天井にくっつく程高いビルの最上階で、割高の部屋に済む人間はいないらしく、厳しい条件と思っていたが結構な数の空き家が見つかった。
クレストには、その中でも最も成功率が高くなる物件を一日だけ借りる手伝いをしてもらった。
その後、クレストには半魔たちがいる陥没穴へ、大量の食料を買ってから帰ってもらった。
あまり長く滞在するのは正体がバレる可能性があるからな。
ただ、クレストが最後に言っていた、「彼を呼び戻したのですが、結局間に合いませんでした。いったい何をやっているのでしょう」という言葉が気になった。
いや、間違いなく奴だろう。クレストが命令できるのは一人しかいないのだから。
詳しく聞けば、陥没穴に行く前に呼び寄せたそうだ。俺と共に陥没穴に行く命令が出てからすぐに決断したらしいが、どうしてその決断を下したのか問い詰めたかったのは言うまでもない。
奴がいると余計に危険が増えると思うのは俺だけだろうか。
しかし、一月経つというのに到着しなかったらしい。オーセブルクから法国まで馬車で半月程で、馬だけならもっと早い。
既に到着していても不思議ではないが、あいつのことだから道にでも迷ったのだろうとクレストは言っていた。
俺はその言葉にホッとするとともに、「一生、迷子になっていろ」と願ってからクレストを陥没穴に送り出した。
エルとリディアにも動いてもらった。
まず、俺たちの馬車の準備と食料、衣服の買い出し。そして、さらにもう何台か幌馬車を借してくれる人物を探してもらった。
食料は俺たちの分だが、衣服は半魔たちに着させるためだ。
半魔たちを陥没穴から出すためにも、フードで顔を隠し全身を覆うことの出来る衣服が必要になるからだ。
もちろん幌馬車も同じ理由だ。隠れながら移動するには、幌馬車は都合がいい。
俺は半魔たちをオーセブルクに連れ帰ることしたのだ。
半魔たちでは、どの街にも住むことはできない。だが、常に灯りを必要とする程暗く、俺が代表だと言われている魔法都市ならばどうだろうか?
彼らが自由に歩けるようにする考えもある。時間はかかるだろうが、そのうち問題なくなるだろう。
だが、そのせいでかなりの出費だった。
もちろん、それはルカが聖王になった時に精算させてもらうが。
エルには一足先に陥没穴へ、クレストと一緒に半魔たちを迎えに行ってもらった。あの人数では馬車が何台か必要になるから仕方がない。
御者まで他人に依頼するわけにはいかないから、俺たちの中で馬車を陥没穴まで運ぶ必要がある。そのためにエルも迎えに行かせることにしたのだ。
半魔たちを乗せたらすぐにオーセブルクに向かって走ってもらうから、すぐに合流できるだろうし大丈夫だろう。
ただ、エルがホーライの監視にマークされているという問題があった。
苦肉の策として、エルフの奴隷をクレスト扮するフードを深く被った外套の男に売ったという偽装をすることにした。
エルに奴隷がつけらる鎖までつけ、さらにクレストから俺が金を受け取るという演技までしたから、なんとか監視から外れたと思う。
そうして、俺とリディアはエルを送り出した。おそらく、途中でクレストと合流したことだろう。
俺は何をしていたかというと、ミスリルを掘る鉱夫との契約と、ミスリルを運搬してもらうための人を探した。
それは問題なく手配を済ませたが、まだ終わりではない。
誘拐作戦のための魔法の開発。だけど、それも今まで開発した魔法の応用だったから、開始時間までに間に合わせることができた。
まぁ、時間的にはかなりシビアだったが、こうして無事に作戦時間の数分前となったわけだ。
そして、作戦開始時間。
リディアは既に馬車にて待機。そして、もう一台、借りた馬車をすぐに動かせるように準備しているだろう。
さて、ここでクレストから聞いた聖城の情報をおさらいしよう。
情報ではかなり高難易度だという印象だった。
まず街中だ。24時間祈る為に信者が出歩いている。
開始時間は夜だが、それでも全く人目につかないというのは不可能だ。
そして、城門の警備をする二人の聖騎士。見た感じだと、中に入るには絶対にここを通らなければいけない。外から城壁を壊して侵入も考えたが、二階ぐらいから地面まで、魔法と物理に強い建材をしようしているらしく、穴を開けるにはそれなりに高威力の攻撃でなくてはならないらしい。
そんなことをすれば、音で兵士が集まってきてしまうから駄目だ。入り口から入るしかない。
ここを無事に通ることが出来たとしても、中にも見回りの兵士が相当数いる。挙げ句、交代時間や見回りの経路すら、クレストには知らされていないというのだ。
そして、迷路のような通路と位置がわからない謁見の間。
ただ、謁見の間のある程度の位置はわかっている。いや、正確には女神がいる塔がどれかがわかっている。
あの部屋に行った時、細長い窓から外を見て、位置を確認しておいたのだ。
謁見の間に奇跡的に発見されず辿り着くことが出来たとして、ここにも問題がある。
謁見の間の入り口に立つ近衛兵。
そして、謁見の間の中に聖王がいる可能性だ。
聖王の行動については、クレストでも知ることが出来ない。いつ御簾から出て、自室に行くかということも不明だとか。
最高に運が良く、発見されず謁見の間に入れたとしても、聖王がそこにいて兵を呼ばれた時点でゲームオーバー。
これだけでもかなり高難易だと思うのだが、まだあるのだ。
女神の部屋。あの暗い部屋の内側は魔法を防ぐ仕掛けを施しているらしい。
その上、女神を開放しても、同じ道をあの鎧を連れて戻らなければならない。
これだけの対策が施されていては、誰も侵入しようとは考えないだろう。
聞く限り、潜入して発見されずに目標の奪取は不可能と言っていい難易度だった。
「だが、策はある」
俺は夜道に立っていた。
いや、ぶら下がっていた。
街の天井に立っているのだ。
足と天井を氷魔法で固定しているのだ。
見つからずに潜入するのが不可能ならば、天井を歩いて直接女神の元へ行けばいいじゃない。
そんな軽い発想で実行したのだ。
そのために屋根が街の天井にくっついているほどの高層ビルの最上階を借りたのだ。
しかし。
「怖っ!怖っ!!」
物凄く後悔している。
なんせ、地上から約50mを足を凍らせて逆さまに立っているのだ。怖くないわけがない。
いくら恐怖心を消してくれる狂化スキルがあるとしても、それは戦闘に限ってのことだ。戦闘中でもなく、ただぶら下がっているいるだけなのに発動するわけはない。
だが、そろそろ行かなれけばならない。リディアも既に出国準備は終わらせているはずだから。
俺は勇気を出して片足の氷を溶かし、一歩踏み出す。
踏み出した足を再び凍らせて天井に固定。これの繰り返し。
「お、おーとこにはー、じぶんのーせかいが、あるぅ」
高層ビルが立ち並ぶ街の最も高い場所に、勇気を奮い立たせる地球の大怪盗のテーマを歌う声が響くのだった。
一歩踏み出すごとに下腹部がヒュンヒュンする感覚と、魔法失敗による落下の可能性、さらにぶら下がりによる脳の血管破裂に怯えながら進むこと10分。
ようやく女神がいると思われる塔の真上に辿り着く。
ロープを凍らせて垂らし、そのロープを降りていく。
目の前には細長い窓がある。
「よぉ、いるか?」
中にいる人物へと呼びかける。
数秒程してガシャガシャと慌てたような鎧の鳴る音が近づいてくる。
「な、え?!何してん?!」
ティリフスの黒い鎧が窓から覗く。
想定外のことに慌ててしまったのか、口調が変になっているな。
「今からここぶち抜くから少し下がってろ」
「え?!」
「早くしろ」
「あ、はい」
鎧の音が遠くなったのを確認すると俺は魔法を発動する。
この部屋の内壁には魔法を防ぐ仕掛けがある。だが、外からは?
使用する魔法は、風属性による振動系魔法。
爆発系を使用すると音で発見が早くなる。音をなるべく抑える必要がある。結果、音を発しない振動系魔法一択だ。
超振動で外から内へと壁を崩す。
ガラガラと崩れた瓦礫の音がしたが、下に聞こえるほどではないだろう。
俺はロープを降って中へと侵入する。
「おし、第一段階終了」
「……直接?」
「それしかないだろう。城の中を発見されず通ってくるのはどう考えても無理だった」
「いや、それでもこれはおかしい」
ティリフスは未だに平常心ではないのか、イントネーションが少しおかしい。
だが、そんなことはどうでもいい。時間が勿体無い。
俺は次の段階へ移行するべく準備をする。
マジックバッグからクロスボウを取り出す。これはエルから借りた物だ。
そして、魔法を発動。使うのは土属性。
魔法で特殊なボルトを作り出し、それをクロスボウにセットした。
狙いは出発地点である、借りた部屋だ。目印として赤い布を吊るしてある。
「んー……。ちょっとこっちの位置が低いか。おい、ティリフス、上に登れ」
「えっ?!い、いや、ちょぉ、まって?!」
「時間がないんだ、さっさとしろ」
カタカタと震える鎧を急き立てて、部屋の上の鐘が設置してある場所まで上らせる。
その間、ずっと「こわっ!」とか「なんか、ヒュンってする!」とうるさかったが、下に聞こえる程ではないから問題ないだろう。
それにしても、中身がない鎧だけでも、玉ヒュンするんだなぁ。
無事にティリフスが上ったことを確認し、俺も続いて上る。
上りきると、もう一度狙いをつける。
「よし、この位置ならいいな」
「なにを……」
「まぁまぁまぁ」
ティリフスの疑問を適当に流し、風魔法を発動しながらクロスボウを射る。
同時に土魔法を発動。
ボルトがワイヤーを引っ張りながら飛んでいく。後に発動した土魔法でワイヤーを作り出したのだ。
そして、ボルトは借りた家の窓の横に突き刺さった。
そのボルトから伸びるワイヤーを、ピンと張るように鐘がある所へ引っ掛ける。
借りた家と城の塔をつなぐ一本のワイヤーが出来上がった。
更に、もう一度土魔法を発動。フックを2本作り出す。
その内一本のフックを呆然としていたティリフスに手渡す。
「じゃあ、これ持って」
「へ?」
「こう……、ひっかけてっと。じゃあ、行って」
「は?」
「一応、手首に引っ掛ける安全バンドみたいな役割なものをワイヤーで作ったけど、ちゃんと握ってないと落ちるから」
「はぁ?」
ちっ、1000年も生きてるのに頭わりぃな。
「ほら、はやく」
「ま、まって。心の準備が!」
心あるのか……。哲学だな。
しかし、何度も言っているように時間がない。
「急げ」
「だ、だめ」
……鎧なんだから落ちても死にはしないだろ。
まあしかし、説明もしないのは確かに不親切か。
「このフックで滑ってあっちの家に渡るんだ。時間をかければかける程、脱出出来なくなるぞ」
「わ、わかってんねん。準備。心の準備が…………」
ティリフスは屋根の縁で鎧をカタカタ鳴らしながら、へっぴり腰でフックを掴み、飛び出すタイミングをはかっている。
…………。
………………。
おせぇ!
鎧の尻を蹴っ飛ばしてやった。
「な、なにしてんねえええええええぇぇぇん」
猛スピードでワイヤーを滑って渡っていくティリフス。
っていうか、途中からチョイチョイ出ていたけど、あいつ地球で言う関西の方の方言じゃないか?精霊の言葉って関西弁だったのかぁ。
まぁ、どうでもいいか。まだやることはある。
ティリフスが家の壁に打つからないように魔法を発動してあげないと。
天井を歩いている時に大体の距離は測っておいたから、問題なく発動することが出来るだろう。
ティリフスが壁にぶつかる5m程手前で風魔法を発動。押し返す勢いで風を吹かせることで止める。徐々に弱めていって、無事にあちらに着くことができた。
よし、次は俺だ。
俺はフックを引っ掛けて勢いよく飛び出した。
無事に窓から家の中に入ると、ティリフスが隅の方で体育座りをしていた。それを横目に魔力を流すのをやめる。
魔法で作ったワイヤーとボルト、俺とティリフスが持っていたフックが砂になって落ちた。流石に土属性の金属精製を同時にいくつも使用し、維持し続けるのは魔力の減りが早い。
思いの外ギリギリだったな。
「やっぱ、お外怖い……。頼む相手間違ったかもしれん……」
「上手くいったんだからいいだろう?それより、次の行動だ。これを着ろ」
俺は用意してあった、フード付きローブをティリフスに渡す。
鎧のまま出歩いても問題ないが、冒険者風にローブを着させるほうが自然だと判断した。
俺も外套のフードを被るとドアを開ける。
「さぁ、もうすぐ街の外に出られる。さっさと行くぞ」
「人使いが荒いお人やでぇ」
「お前、鎧じゃねぇか」
「………」
軽口を叩きながら、長い長い階段を降り地上まで辿り着くと、リディアとの待ち合わせ場所まで向かった。
リディアは計画通り馬車を二台用意して待っていた。
流石にエルとクレストの二台の馬車だけではぎゅうぎゅう詰めだから、もう一台余分に用意しておいたのだ。
俺はリディアとは別の馬車に乗り込むと、言葉も交わさずに出発した。
そして、俺たちは女神を誘拐したことが発覚せず、無事に出国したのだった。