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三好四兄弟  作者: いつみともあき
5/7

第六章 内外の暗雲 

   1

 永禄元年(一五五八年)は如月に入っていた。

 炬口港から北の海域に調練に出ていた。遠くの対岸には、須磨の港が見渡せる。海岸に沿って並ぶ松の木だろうか。白い浜に、緑の幕が張られたように見えていた。

「遅いわ、甚太郎!」

 舵を切る命を出すのが、である。

 冬康は、握っていた馬鞭を撓らせた。手首を叩かれた信康が、顔を顰めながら呻く。

 戦場で潮を読み違えば、即座に命取りになる。まして、行く末は安宅水軍の棟梁になる男であった。信康の背には、常に多くの命が圧し掛かる状況になる。

 背後の之正や元常も、先ほど来からずっと黙って見ていた。海の厳しさ、水軍の棟梁の責の重さを、理解している。

 たとえ僅か九歳の信康であっても、海に出れば一人前の男であった。兄の長慶が家督を継いだのも十歳だ。そう考えれば、早く一人前に育って貰いたい。冬康自身が、いつ戦で命を落とさんとも限らぬ。  

「もちっと北へ向かえ」

 北の対岸に近づくほど波は早く、潮の流れが読み辛くなる。調練には、持って来いの海なのだ。

「はい」と、頷いた信康が、漕ぎ方に指示を出した。

 二十挺艪の小早である。すぐに漕ぎ方が応じ、掛け声が木霊し始めた。

 海水が撥ね、冬康の足元近くに水滴を落とした。潮風が、何度も体当たりを呉れてくる。

 冬康の淡路はもちろんだが、三好家全体に平穏な時が過ぎていた。弘治元年からの約三年間、目立った大きな戦が止まっている。淡路に至っては、小競り合いすら起きない。

 またいつ出陣の命が下るような状況になるかわからぬため、日々の調練は怠ってはいなかった。が、それでも所詮は調練。平和な日常で、戦場の勘は鈍っている。

 兄の長慶はその間、連歌や茶に没頭していた。兄から文や茶器が送られてくる機会があり、冬康も茶や和歌を楽しんでいる。

 城に戻ると、潮でべたついた体を湯で流した。冬康は、湯に入るのが好きである。多い時は、日に数回も入っていた。

「殿。太郎丸がむずかっておりまする。抱いてやってくださいませ」

 本丸の縁側で茶を飲んでいると、信子が赤子を抱いてきた。

 一昨年に、男子がもう一人、生まれた。太郎丸(後の清康)である。

 冬康は頷き、信子から太郎丸を受け取った。太郎丸は、真丸の両目を向けてくる。

 全く濁りのない素直な目だ、と思った。冬康の大きな胸元が心地良いのか、太郎丸のむずかりは、嘘のようにぴたりと収まった。

 やがて、すやすやと寝息を立て始めた。湯殿に浸かったばかりの冬康の体が、適度に暖かく、眠気を誘ったやもしれぬ。

「まあ。やはり殿に抱いて頂くと、太郎丸はすぐに大人しくなります。御父上の逞しい腕の中のほうが、安心して眠れるのですね」

 信康とは八つも離れていた。が、二人とも、目に入れても痛くないほど可愛く思っている。

 思い出す光景があった。

 芥川城攻めで降伏した孫十郎の子、長助の首が宙を舞った時の光景である。か細い首が、大量の血を吹いていた。

 実の姉である末の子、長慶や冬康の甥でもあった。降伏の質として出された長助の首を刎ねたのは、やはり長慶の失敗だったと思う。

 ――無慈悲な殺生は、権力者がつとに避けるべき行いであった。

 人心が離れては、国を支えて行けぬ。

   2

 武人にとって、平穏な日々など束の間の夢のようなものかもしれぬ。

 弥生に入った頃から、朽木に引き篭もっていた義輝と晴元が、京を目指して兵を挙げ始めた。

「六郎殿の加冠を行ってすぐであるな。何か、思惟があっての行動か」

 之正に目を向けた。長慶の下に使者に行き、戻って来たところである。

「元服した六郎殿に管領職を返せ、と考えたのではないかと。御屋形様も、そのようにご思案されておる様子でした」 

 先月に長慶が烏帽子親となり、晴元の長男である昭元の元服の儀を執り行っていた。以前の和議の際から、人質として預かっていた。

 和議の際に成された約定の一つに、昭元が元服した暁には、氏綱から細川家の家督と管領職を継がせる、との項目があった。その時の約を守れ、と迫っての挙兵というのか。

「それは、おかしい。約定を反故にして、先に御屋形様に兵を挙げたは心月一清様だ。今更、何の約定か」

 天文二十一年に和睦が成立した後すぐに、晴元は長慶に兵を向けてきた。故に和睦の際の約定など、此方が守る必要など、断じてなかった。

「儂も、そう思いまするが……」

 之正が眉を顰め、言い澱んだ。

「まさかとは思うが、御屋形様がか」

 養父の治興が、口を挟んだ。陽に焼けた首筋が、黒光りした。隠居したとは申せ、安宅水軍をみっちりと鍛えてくれている。

「はい、どうも浮かぬご様子でした。公方様や一清様の意図を慮り、しきりに首を傾げておられて。御屋形様にすれば、六郎殿を元服させたは、争乱を望まぬ意思の現れであったのやもしれませぬ」

 ――また、長慶の誠意が裏目に出たのか。

 つくづく長慶と、義輝や晴元とは、相性が悪いようだ。長慶の善意が、悪意と看做されるくらいだから。

 本丸の居間にも、春の草木の匂いが、風に乗ってきていた。

 申の刻である。皆の前には、一服の茶と団子が置かれていた。

「婿殿の前だが、御屋形様にもいい加減に割り切っていただかぬと、困るわな」

 治興が、皆が言い出しにくい話の口火を切った。気まずいのか、冬康を窺いながら団子を口に頬張っている。

「確かに、もう十二分に我慢して参りましたからな……。儂も正直、御屋形様の公方様らに対するお気持ちがこれ程とは、思いませんでした」

「とにかく、今は京の情勢を見守るより他はありますまい。いつ呼ばれてもしっかり働けるよう、日々の調練を弛まぬように致しましょう」

 之正が話を終らせてくれた。長慶を慕い、他の者に批判などされては耐えられぬ冬康の気持ちを、理解しての仕儀であった。

   3

 京の情勢は、緊迫の度を増していた。続々と淡路にも使者が訪れ、戦況を報告に来ている。

 先に長逸や久秀が京の防衛に入り、後から長慶も芥川から京に入っていた。東寺(後世の京都市南区九条町)に、本陣を置いているようだ。

 東寺は、かの平安京鎮護のための寺院として計画された後、嵯峨天皇より空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。別名を、教王護国寺とも呼ぶ。

 長慶の軍勢は約二万に迫る勢いであり、対する敵勢は、せいぜい数千程度であった。

 ――負けるはずがない。さっさと追い払うだろう。

 誰もが思っていた矢先であった。

「負けて撤退しただと! 何故だ。六角勢が来たか」

 六角勢が大軍で押し寄せたのであれば、戦力が均衡してくる可能性が考えられた。

「いえ、それが……」

 京からの使者が俯いた。長慶の母衣衆の一人である。言い辛い事情があるのだろうか。

「お主の考えが入っても罪には問わぬ。申してみよ」

 居並んだ重臣たちも、信じられぬ、といった態である。元常が、髭を扱いておる光景が目に入った。無類の戦好きである。己の働けぬ戦には、あまり関心を示さぬところがあった。

「はっ、それでは。お味方は北の瓜生山(後世の京都市左京区北白川)付近から敵が侵入すると思い、勝軍山城を中心とした防衛線を張っておりましたところ、敵は六角勢の加勢もあり、如意岳城を占領してきました。睨みあいが続くかと思われたのですが、お味方はすぐに、勝軍山城を捨てて本陣まで退がり申した次第」

「大軍を擁しながら、決戦も挑まずにか。みすみす、洛内への侵入を許す状況になるな」

 治興が、驚きの声を上げた。不審気な表情である。

「御屋形様には、深いお考えがおありなのだと思いまする」

 男が、深々と頭を下げた。これ以上の話は、出て来そうにない。

 その後、洛東付近で両軍の小競り合いが続いていた。

 文月に入った。

 野分が去った後で海は茶色く砂を含み、風はまだ強い。湿り気を帯びながら、びゅうと、辺りを鳴らしている。

 昼下がりであった。

 冬康は朝から港の様子を見に行き、船を出した。城に戻って湯に入り、居間で休んでおったところだ。

「殿、少しようござるか」

 冬康の寝所の隣から、之正の声がした。

「どうした? 眠ってはおらぬ」

 立ち上がり、障子を開けた。之正が立膝で控えている。

 上座に腰掛け、脇息を掴んだ。

「先ほど、京に放ってある手の者が戻りました」

 呼吸を見計らったように、之正が話し始めた。

 諜報活動は、全て之正に任せてある。元々は長慶の臣であった之正は、畿内にも知己の武将が多いからだ。

「先般の退却の件でござるが、どうも御屋形様が戦を渋ったようにござる。日向守様や弾正殿は、勝軍山城に依っての一戦を主張されていた、とのこと」

 やはり、まだ兄者は義輝らとの戦を避ける気持ちがあるのか……。

「皆の前で申さば、御屋形様に不信感を持つやもしれませぬので」

 之正は、続けなかった。何か言い足りないようであったが、冬康に申しても、どうにもならんと思うたのだろう。

「そうだとすれば此の戦、不味い結果となるかもしれぬ」

 そう、どうにもならぬ。兄者の心の中の問題であった。

   4

 文月の終わりに、長慶から出陣の命が下った。

 葉月の初めには、四国勢の先鋒である康長が、摂津に上陸する予定のようだ。

 冬康たち淡路勢も、葉月末の出陣に間に合わせるよう、準備に追われていた。炬口城にも具足姿の兵たちの出入りが増え、兵糧や武器・弾薬などが、そこかしこに積み上げられている。

 葉月に入り、幾分かは暑さが緩んできた。空も海も、平穏な日々が続いている。

「申し上げます。豊前守様が、港にお着きになられました」

「ええっ。豊前守様だと!」

 一瞬、耳を疑った。義賢の出陣は、葉月の半ばと聞いている。しかも、淡路に立ち寄る予定はない。

「何かの間違いではないのか。もう一度しっかり確認して参れ」

 勢いで口から出たが、そもそも家臣が嘘を吐くはずがなかった。

 四半刻も経たぬうちに、紛れもなく義賢が姿を見せた。

「兄者、これはいったい。どうなされました。ご出陣は、葉月半ばと承っておりますぞ」

 義賢を上座に促し、酒の用意を命じた。内々に阿波からやって来たのか。供もあまり連れず、数艘の小早のみで海を渡ったようだ。

「摂津守よ。我らの出陣は、そらごとであるぞ」

 義賢は髭を震わせながら、吐き捨てた。拳が強く握られている。

「出陣がそらごととは、どういうことにございましょう。まずは、説明してくだされ」

「先に上陸した山城守からの知らせだ。兄者は……。御屋形様はのう、戦をするために我らを呼ぶのではない! 和睦するために、出陣の命を下したのだ。公方らを恫喝し、良い条件での和睦を成すためにな」

「何故に、和睦にござるか。我らの四国・淡路勢を合わせれば、軍勢は三万を優に超えまする。たとえ六角勢が加勢したところで、負けるはずがありますまい」

 長慶軍が総力を結集すれば、義輝や六角など、物の数ではなかった。敵からの降伏や和睦の申し出ならともかく、此方から和平を模索する必要はないはずだ。

「儂にもわからぬ。反対に、儂が聞きたいくらいじゃ。前の和睦の際も、そうであったろう。目の前に天下が転がっておるにもかかわらず、兄者は突如、和平を結んだ」

 ――御屋形様が、戦を渋っていた……。

 之正が掴んだ情報が頭に浮かんだ。その頃から、和睦を考えていたのだろうか。

「摂津守。儂がお主を訪ねたは、和睦に断固として反対するためじゃ。左衛門督にも、既に使者を出しておる」

   5

 義賢は憤りが治まらぬまま、阿波に帰った。冬康に、くれぐれも和睦には反対するように、と何度も念を押した。

 恐らくは、一存も義賢に賛同して激情するだろう。負けておらぬのに和平を乞うなど、勇猛で聞こえた一存には耐え難いはずだ。

 もちろん冬康とて、わざわざ淡路衆を率いて行き、和睦の餌として使われるのは納得がいかぬ。義賢らと共に、あくまでも決戦を主張したいと思う。いざ決戦に持ち込んでも、負ける要素が見当たらぬからだ。

 ――しかし、公の場で我ら兄弟が対立してはいかん。

 特に義賢は、四国・淡路の幅広い統治権を握っていた。三好家中でも、長慶を除けば突出した一大勢力である。兄想いの義賢が、よもや謀反などは考えられぬ。が、離間策を仕掛ける輩が出て来ぬとは限らない。

――公でなく、長慶を密かに説得しよう。

 まずは、二人で話をする場を設けなくては始まらぬ。

 義賢が葉月二十日に、兵庫港に上陸したと、報が届いた。

 それから約十日後の、長月は三日の朝であった。

 炬口港から見上げた空は、薄黒い。初冬であった。北風が、間断なく水面をざわめかしている。

 北風を上手く往なしながら西へ向かい、堺に上陸する予定であった。堺で、一存と合流する予定である。

「帆を張れ! 風に煽られぬよう、上手く風を掴め!」

 灰色掛かった波が、前方の舳先を遮ろうと向かってきた。が、鍛え上げた安宅水軍である。風波を物ともせずに、ぐんぐんと海面を滑り出した。後ろからは、続々と船団が港を出てきている。

 堺に到着すると、いつものごとく宗久の屋敷に通された。

「豊前守様、左衛門督……」

 意外にも、義賢までが堺にいた。屋敷の一室で、二人で飲んでおったらしい。

 気を利かした宗久が、しばし座を外した。締め切った部屋に、三人だけとなる。

「儂の姿があって、怪訝に思うたであろう。儂も、兵庫の上陸後は、勇み足で京に向かう算段であった。が、その途中で、御屋形様から堺に向かえとの指示があった! これが何を意味するか、お主には理解できよう」

 勇将の義賢を京に呼ばず、堺に向かわせた。義賢の情報の通り、長慶は和睦をする腹積りなのかもしれぬ。

「先般にも申した通り、此度は我らが力を合わせて、何としてでも和睦を阻止せねばならぬ。御屋形様が京を抑えてから数年、何の問題もなく政は行われてきた。今更、公方などが京に戻っても、混乱の因になるだけだ」

 義賢はギロリと、鋭い視線を向けてきた。冬康に、迷いを吹っ切れ、と言わぬばかりの圧力だ。

「されど豊前守様。御屋形様のご決心が固い場合は、どうなされまする。我ら兄弟が公の場で反目するは、敵に付け入る隙を与え、味方の動揺を誘いますぞ」

 冬康はもちろん、義賢や一存が長慶を慕っておるのは、兄弟同士だけに理解できる状況だ。周囲から見れば、必ずしもそうは見えぬ。

   6

「儂も、そこを危惧しておった。が、如何に御屋形様のお気持が固くとも、家臣総出でお諫めすれば、少しは考え直して頂けよう」

 義賢が、にんまりと頬を歪めた。傍らの一存も、頷いている。

「家臣が総出で? そこまで話は纏まっておりますか」

 いつの間に……。義賢は、出陣前から畿内の諸将を纏めに懸かっていたというのか。

「怪訝そうじゃの。頃合やよし。入れ、弾正」

 義賢が、障子に視線を向けた。

 すすっと障子が開いたかと思うと、色黒で鋭い目の男の顔が現れた。

 ――久秀である。

「驚いたであろう。此度の和睦には、御屋形様のお気に入りの弾正までが反対しておる。のう、弾正」

 義賢が得意げに、久秀に声を投げた。目尻の辺りが、少し朱に染まっている。酒が、回っておるのか。

「はっ、此度の和睦は御家のために成り申さぬ故。せっかく掴み掛けた天下を、御屋形様自身で投げ出す仕儀となりかねませぬ。この弾正、微力ながら豊前守様に助力させて頂く所存にござる」

 つつ、と進み出てきた久秀が、義賢の斜め後ろに控えた。

畳の上を、袴が摺っている。丁重な物腰だ。冬康がこれまで抱いてきた、どこか尊大で掴みどころのない久秀の印象とは、異なっている。

「兄者。儂は今まで、ちと弾正を誤解しておったようだ。こうやって腹を割って話せば、けっこう分かり合えるものじゃな」

 一存が、曇りのない声を放った。己の膝をトントンと叩き、人懐こい笑みを浮かべている。

 と、数人が、廊下を歩いてくる音がした。

「何やら、楽しそうでございますな。酒の追加と、肴をご用意しました。遠慮のう、御寛ぎくださいませ」

 女房どもを従えた宗久が、肩を揺らして入ってきた。宗久との付き合いも長い。だんだんと恰幅が良くなり、商人としての威厳が出てきている。

 堺に入ってからは、京のあらゆる情報を集めさせた。その結果、やはり長慶は、和睦交渉を始めているようだ。六角氏との間に、しきりと使者が行き交っている事実を、掴んでいる。

 数日が経つと、和睦交渉が行われておる噂が畿内中に流れ始め、やがては公然の事実となった。京洛近辺での戦闘はぴったりと止み、一時的な平穏が戻っている。

 当たり前であった。和睦成立が真近いと聞いて、誰が命懸けで戦ができるものか。

 長月十二日に、長慶から通達があった。十八日に、堺で軍議を行う予定である、と。

 長慶旗下の主な重臣たちは、ほとんどが参加する手筈らしい。

 しかし、もはや皆が軍議ではない、と知っていた。和睦のための話合いしか有り得ぬ。

 なぜなら、対陣中にもかかわらず、京から堺に重臣たちが集まるなど、背後を衝かれる恐れがある。それが可能な理由は、背後の恐れを取り除いているに他ならない。

 義賢や一存たちは、十八日を、あくまで軍議で貫こうと考えている。

 六角勢や義輝らの軍は、和議が成ると考えて弛み始めている。今、襲い懸れば、大勝利も可能であった。

   7

 長慶は軍議を明日に控えた十七日の夕刻に、堺に入った。

 冬康、義賢、一存ら兄弟は、当然に出迎えに行き、挨拶を交わした。

 冬康は今夜のうちに、兄弟四人で席を設けたい、と思っていた。やはり軍議の席で真っ向から反対するのではなく、腹を割って話し合っておくべきだ。その点において、義賢や一存は、話し合っても埒が明かない、という意識が強い。

 長慶の宿は、魚屋の千宗易の屋敷であった。宗易は武野紹鴎の茶の弟子であり、長慶や宗久とは昵懇の間柄で、冬康とも何度か面識はある。

 長慶の軍勢を通りで出迎えた後、落ち着いた頃に、宗久の屋敷に之正を使者に立てた。

 之正は、すぐに戻ってきた。が、表情が浮かない。口を真一文字に結んでいた。

 冬康は、屋敷の縁側に腰掛けていた。先ほどまで、庭で剣を振るっていたからだ。片肌脱ぎなので、ひんやりとした海風が肌に沁みる。

 庭の木々の葉は赤茶色になり、地面には幾つかの葉が散らばっていた。そろそろ、朝晩は冷える季節である。

「御屋形様は、今日はお会いにならぬ、とのご返答でした。屋敷の中にも通されず、門前にて断られましてござる」

「門前でだと! 確かに、この摂津の使者だと申したであろうな」

「もちろんでございます。しかし、いつもとは違い、何とも邪険に扱われた印象……。思わず、取次の者に暴言を吐きかけたほどでござる」

 之正が握りしめた拳を、やり場なく地面に向けて振った。手甲が、西陽で黒く光っている。

「なぜであろう。先ほどの出迎えの際には、何も変わりはなかったが」

 いつものように挨拶を交わし、兄弟皆が互いの息災を喜んだはずであった。長慶が宗易の屋敷に入ってから後に、何かが起こったとでもいうのか。

「よし、儂で駄目ならば、豊前守様や左衛門督からも使者を出して貰おう。さすがに、お断りにはなりますまい」

 しかし、冬康の見通しは、甘かった。義賢や一存からの使者も、無下に断られて戻っている。

「いったい、どうしたというのじゃ。兄者が、我らをこのように愚弄するとは」

 義賢が、首を傾げた。怒りではなく、不審気である。

 宗久の屋敷に、義賢と一存に集まって貰っていた。長慶の態度が、明らかにおかしい。

 酉の刻を過ぎていた。

 障子を閉め切った居間は、薄暗かった。四隅に備えられた行灯の油が、仄かな明かりを発している。油が燃える匂いが、辺りを漂っていた。 

「このまま時が過ぎるのを待ってはおれぬ。儂が今から、一人で御屋形様に御目通りを願うてくる所存。戻ってくれば二人には使者を出す故、お待ち頂きたい」

 一番穏便に話し合えるのは、自分しかいない、と冬康は思っていた。故に、一人で向かう。

   8

 魚屋の屋敷前で佇んでいた。

 陽はとうに暮れ、辺りを闇が支配している。そこかしこで燃え盛る篝火の姿が、浮かび上がっていた。

 訪いを入れてから、既に四半刻は過ぎていた。一向に誰かが姿を現す気配を見せない。

 従いてきた之正や供の者たちは、半ば憤り掛けていた。苛立っているが、主の冬康が落ち着いているのに、怒れぬのだろう。

 ――いったい、どうされたのだろうか。

 対面の際、いつものように穏やかな眼差しを向けてきた長慶の顔が浮かんだ。

 屋敷奥から、数人の足音が響いてきた。ようやく、誰かが近づいてきたのだろう。

 門前に出て来た数個の影の中から、一際ぐんと大きいものが、のっそりと前に出てきた。手には魚屋の提灯を下げている。

「お待たせして、すんまへん。宗易にございます。何度か筑前守様にはお伝えしましたが、やはり今日はお会いになられぬ、と仰せにございました。話は全て明日の軍議で、とお考えのようです」

 提灯の灯りに、ほんのりと宗易の顔が浮かんでいた。しっかりとした眼差しと、大きな鼻に特徴がある。

 六尺を超える大柄であった。が、商人らしく物腰が低い。宗易は、冬康に何度も頭を下げ続けた。

 これ以上は冬康が門前にいても、宗易など魚屋の者たちを困らせるだけであった。

「わかり申した。今日は退き上げまする。御屋形様には、くれぐれも良しなにと、お伝えくだされ」

「それはもう、必ずお伝え致しましょう。儂にお任せくだされ」

 宗易は大きな鼻を歪めながら、笑みを浮かべた。

 翌日の軍議は、晴天に恵まれた。からっと晴れた空に、潮の香りを含んだ風が舞う、穏やかな陽気である。

 場所は南宗寺(後世の大阪府堺市堺区)であった。南宗寺は、臨済宗大徳寺派の寺院で、後に三好氏の菩提寺となる。

 開山は長慶が師とも仰ぐ大林宗套で、昨年に長慶が、父の元長の菩提を弔うべく創建していた。

 瓦葺の仏殿の石畳の上には、ずらりと床几が並べられ、中央には三階菱に五つ釘抜の家紋の入った幕が掲げられている。

 中央に長慶が座し、重臣たちは左右に別れて、向かい合って腰を下ろした。

 四方を囲む扉は開け放たれ、清々しい風とともに、暗がりの仏殿内に陽を呼び込んでいた。

 護衛の兵は、もちろん配置されていた。が、これでは話が筒抜けになる心配が残る。

 どうやら、長慶には重要な軍議をする意図はないようだ。

「皆の者。遠路はるばる、よう集まってくれた。儂は軍議のため、と命を下した。が、そろそろ公方様らとの戦を終らせたい、と考えておる。つまりは、和睦をしたい、と思うておるのじゃ。今や情報が漏れているが、公方や六角らとも、水面下では交渉を続けておるところだ。それについて、各々の意見を聞きたい」

 長慶は、床几に座したまま周囲を睥睨するように、首をゆっくりと左右に振った。

   9

「されば、申し上げます。儂は、和睦には反対にござる。御屋形様が京を抑えて此の方、政には何ら支障は出ておりませぬ。今さら公方様を京に戻しては、大乱の種を身体に植え付けるようなもの。ここに集まった諸将を率いて京に押し出せば、公方様や六角勢を追い払うことなど、易々と叶いましょう。それにもかかわらず、なぜこちらから和を乞う必要があるのか、皆目わかり申さぬ」

 義賢の声が、殿中に響いた。諸将が固唾を呑むような表情を浮かべている。冬康の額には、じわりと汗が滲んでいた。

「儂も豊前守様に賛成でござる。今の御屋形様のご威光ならば、憚りはあれども、公方様にお気を使われる必要など、あり申さぬ。一戦して、蹴散らしてしまいましょうぞ」

 一存が、義賢に続いた。一存の朱色の具足が、血が滾っているように揺れている。

「摂津守。お主の考えも、そうか」

 長慶の声が、いきなり飛んで来た。自ら一存の後に続こうと思っていたので、虚を突かれたように心の臓が驚き、脈を打っている。

「はっ。儂も、此度は和睦をすべきではない、と存じます。せっかく近江に封じ込めていた公方様や一清様に、みすみず力を付けさせる次第となりかねませぬ。しかも、六角が旗幟を鮮明にして、公方様らに合力する様子。ますます、厄介な種になる恐れがあり申す」

 冬康たち兄弟三人が立場を明らかにした。長慶の視線には、今のところ、何の感情も見て取れない。

 義賢の工作が功を奏したようで、長逸や康長らの親族衆、猛将の長頼や岩成友通などが、相次いで戦続行に賛成を示した。

 長慶は、じっと目を瞑って聞いていた。迷っている時の長慶は、目を瞑る癖がある。

 一通り意見が出尽くすと、すうっと目を開き、視線を前方から中ほどまで、ずらしていく。

「弾正。お主の意見は、あるか」

 久秀に声が投げられた。久秀は、未だに一言も発しておらぬ。確かに、義賢に約束を誓うたはずだが。

「このような場で拙者の意見を申すなど、真に憚りはありますが……。茶番にござる」

 久秀が、抑揚なく言い放った。表情一つ、変えていない。

「皆の議論を茶番とは、無礼であるぞ、弾正!」

 長老格の長逸が、窘めた。言を続けようとしたが、

「待て、日向守。只今の議論を茶番と申したは、訳があろう。申せ、弾正」

 長慶は右手で長逸を制し、弾正のほうへ前のめりになった。両肘を腿に乗せている。

「主命であれば、申し上げましょう。先ほど来からの議論は、何者かが御屋形様に公然と反対し、面目を潰そうと仕組んだもの、と思われます。儂の下へも、確か、そのような誘いが、あったような、なかったような……。この弾正、主君の申す命に家臣は黙って従うもの、と考えておりまする。たとえ主をお諫めしなければならぬ場合においても、その威厳を損なわぬ形で為すが、臣下の道ではござらぬか。もっとも、儂は、和睦には賛成にござる。御屋形様の公方様を敬うお気持ちが、此度こそは届く結果となるを、祈るばかりでございます」

 久秀の視線は長慶だけに向き、他の誰をも意識しておらぬようであった。

 ――何という男だ。

 あれほど堅く義賢に約束し、擦り寄るような態度で酒を酌み交わしていたものを。怒りが込み上げるというより、あまりの変貌ぶりに、ぽかんと久秀の横顔を見つめた。

 久秀は少しも後ろめたさを見せず、飄然として見える。いやむしろ、楽しんでおるようだ。

   10

 義賢と一存、長逸らの表情は怒りに震えていた。一存などは、ぶるぶると肩を揺らして堪えている。長慶の御前でなければ、とっくに斬り掛かっておるだろう。

「儂に反対しようという動きがあると、堺に参ってから何とのう聞いてはおったが……。真であったようだの。弾正の申す通り、軍議で儂の命を潰そうなどという動きは許せぬ。儂を蔑ろにする輩じゃ。正直に、名乗り出るがよい」

 張りつめた場に、穏やかな風だけが流れていた。静かになった殿中にまで、境内の木々で鳴く鳥の声が響いた。

 長慶の背後の奥からは、釈迦三尊像の中央に座す如来が、慈悲深い眼差しで見下ろしていた。口元には、笑みが浮かんでおるだろうか。

 諸将は、沈黙していた。今この状況下で名乗り出れば、長慶を蔑ろにしている、と看做される。

 下手をすれば、反逆者の素養あり、と思われる可能性すらあった。しかし、誰も名乗りを上げなければ、場が治まらぬ状況にもなりつつある。

 義賢が、冬康と一存に視線を投げてきた。頷いている。

「御屋形様に申し上げます」

 義賢が口を開き掛けた、その時であった。長慶の右手のすぐ傍の床几の主が、若々しい声を放った。

「弾正の申す仕儀も一理あれど、此度は、御屋形様も軍議として我らを集め申した。とすれば、臣下として戦に勝つ道を考えるのも。至極妥当でございましょう。私欲でなく、三好家の行く末を想うてお諌めしようと考えたなら、正に忠義でござる。決して、御屋形様の面目を潰そうなどという輩ではありませぬ。むしろ、命懸けのご奉公ではありますまいか」

 声の主は、長慶の嫡男である義興(当時は慶興)であった。

 齢十六だが、若い頃の長慶に似て、才気が迸っていた。

 長慶も義興の才を愛し、跡取りとしてかなりの期待を寄せている。後の三好家を背負う人材として、冬康はもちろん、誰もが依存はないほどの逸材であった。

 才だけではない。顔や体躯などの形、はては声までも、長慶の若い頃によく似ていた。

 今だとて、長慶が言の如く、威厳を見せていた。

 義興の声が、場の雰囲気を大分に楽にした。誰も罰せられずに、話を続けられそうになっている。

「なるほど、孫次郎が言にも、一理あるわ。よかろう、もはや名乗り出なくともよい。どちらも忠義、臣下の道である。さて、仕切り直して、和睦の条件を詰めようぞ」

 長慶の表情に笑みが浮かび、和やかな席となった。が、長慶に和睦の条件を詰めようと言い出されては、さらに表立って誰も反対できぬ。

 と、久秀の目尻が一瞬、緩んだように見えた。

 ――まさか、全て和睦に反対させぬための……。

 久秀が義賢の誘いに乗ったように見せかけ、軍議では長慶に賛成する。全て、和睦へ導くための段取りであったとしたら。義興は宥め役か!

 さすがに考え過ぎだと思った。が、どうにも久秀の言動は引っ掛かる。

   11

 和睦の方針が定まった。摂津の諸将は翌日には各々の居城に戻り、待機する。

 冬康、義賢、一存ら淡路・四国勢は、和睦が成るまで堺で見届け、それから帰国する手筈となった。

 なぜなら、もし和が成らずに軍勢を再度集める仕儀になった場合に、四国にいてはすぐに駆け付けられないからだ。

 冬康らは、和睦が成らぬ方向を望みながら毎日を過ごしていたが、もはやそれは望めぬであろう。

 長慶が提示した和睦の条件の中に、京を義輝に明け渡す項目があった。京を目の前にぶら下げられた義輝が、和睦を蹴るはずがない。

 神無月は半ばになっていた。堺に吹き込む風も冷たくなり、そろそろ初雪が降ってもおかしくはない季節になっている。

「摂津守よ。儂は、此度ほど御屋形様のお考えがわからぬ、と思ったことはないぞ。やはり、畿内と阿波に遠く離れておっては、兄弟と雖も縁が薄くなるのであろうか」

 義賢が寂しげに、枯山水庭園を眺めた。砂礫の造形術を、薄い陽が優しく浮かび上がらせている。真に見事なものだ。 

 枯山水の向こう側、塀際に整えられた木々の葉は、寒さのために全て落ちていた。剥き出しの松の枝々が、何とも言えぬ侘しさを、庭に加えている。

 南宗寺の一室で、茶を立てていた。障子の側で冬康と義賢が向かい合うように座し、居間の中央では、一存が退屈そうに火鉢に当たっている。

 一存は、茶好きの冬康らに、仕方なく付き合っていた。茶道や歌を、一存は無用と考えている。

「考え過ぎでござろう。御屋形様は、以前のままです。ただ、此度の一件だけは、我らとはお考えが違うておった。というより、御屋形様の公方様らに対するお気持ちの強さが、一番かもしれませぬ。あれだけは、儂の理解をも超えておりまする」

 冬康は、塀の上から伸びていく、薄明るい空に視線をやった。

「儂は何より、弾正が許せぬ! 今思い出しても、殺してやりたくなるわい……。あの裏切り者めが、一緒に酒を飲んだと考えただけでも悍ましい」

 一存は、胡坐を掻いたまま地団駄を踏みそうな勢いであった。畳に、拳を叩きつけている。

「ははは。見事に、儂らは弾正に騙されたのう。あ奴は、なかなかやりよる。今後は、ゆめゆめ油断すまいぞ」

 義賢が自嘲して表情を崩し、つと真顔に戻った。歯軋りが、聞こえてきそうに頬が歪んでいる。余程の屈辱であったと思う。

「危うく、我らは皆、罰を受ける状況になっていたやもしれませぬ。今後は、弾正の動きに十分に注意致しましょう。顔で笑っておっても、心で何を考えておるや、さっぱり読めぬ男にござる故。それにしても、我らが助かったは、真に孫次郎殿のおかげでございますな。立派な若様になられ、ほとほと感服致しました」

 全て仕組まれたもの、という考えは己の心の内に仕舞った。久秀はともかく、長慶や義興を穿った目で見るものではない。

 素直に受け取れば、長慶の愛息の義興だからこそ、丸く場を治められたと思う。

 ただ、冬康はもちろん、義賢と一存も、口にはせぬが傷付いていた。我ら兄弟に対して長慶が罰を加えようと言い出したのは、初めてである。

 義賢の呟いたように、遠く離れている間に、互いの考えにズレが生じていたのか。

「むろんだ。我らは、御屋形様の跡取りとして、孫次郎殿を盛り立てて行かねばならぬ。将来は、立派な御大将に成長されるだろう」

「三好家は安泰だな。御屋形様は公方らに憚りがあるようだが、孫次郎殿には天下を目指して貰いたい。そのほうが、儂の働き甲斐があると申すものじゃ」

 一存が、久秀に対する怒りをケロッと忘れ、満面の笑みを浮かべた。大方、義興の天下取りの先鋒を務める気にでも、なっておるのだろう。

「我ら兄弟が、これまで通りに御屋形様にお仕えするに、何も迷いはない。行く先が楽しみな孫次郎殿もおられるしの」

 義賢も微笑んだ。顎に手を当て、髭に指を入れている。

「兄者の意見に全く異存はない。が、早く和睦が成ってはくれんかの。ずっと堺に釘づけで茶ばかり飲んでおっては、体が鈍って仕方がない」

 一存が、冬康の立てた茶を一気に呷った。

   12

 長慶と義輝・六角氏との和睦は、霜月の初めに成立した。

 霜月下旬には、京に義輝が入り、長慶と氏綱らが迎えに行っている。

 これで、晴れて平和が訪れるかにも思えた。が、またしても晴元が和睦に応じなかった。和睦成立前に、瓜生山から忽然と姿を消したという。

 前回の和睦後もそうであったが、再び長慶に牙を剥く意図なのは、間違いなかった。義輝との和睦は、いつも不安要因を残したままで成る。

 故に、冬康らはすぐに帰国できなかった。

 義輝らが京に入って、再び室町幕府の執務が再開されてから約一月、堺に足止めを食う次第になっている。

 しかし、ようやく昨日、長慶からの帰国許可が届いた。師走は二十日である。

「それにしても、勿体ないのう。皆が手を差し伸べても、手に入れられぬ京を、手放してしまわれた」

 一存が惜しみながら呟いた。褐色の肌が、堺で過ごすうちに、幾分か白くなっている。

 帰国準備のため、港に来ていた。目前の桟橋では、淡路・四国勢が次々と荷を積み込んでいる。

 時折、突風が吹き荒れた。霙の粒が混じっておるのではないか、と思われるほど冷たい風である。

「もう申すな。成ってしもうたものは、仕方あるまい。これからは、公儀の傘の下で、三好家の勢力を伸ばしていく方向を考えるべきだろう。実質的な天下人が御屋形様であれば、それで良しとしようぞ」

 長慶は、今後も事ある毎に将軍や管領を立てようとするだろう。もはや、受け入れようと決めた。そうしなければ、兄弟間に亀裂が入る恐れがあるからだ。冬康はあくまで長慶に従い、兄弟間を繋いでおく役目を果たそうと決意していた。

 もっとも、いくら意見が割れても、義賢や一存も最終的には長慶に従いて行く所存なのはわかっていた。冬康の、取り越し苦労に過ぎぬ。

「兄者は、割り切りがええのう。昔から、あまり欲のない性格だ。淡路水軍を率いておれば、満足しておるものな。だが、儂はそうではない。やはり、甥よりも、実の兄が天下に号令する姿を真近に見たい、との欲はどこか捨てきれぬ。まあ、此度の件で、半分は諦めた夢にはなっておるが」

 一存が、首を振った。一存は、偉大な兄にも欲を持って欲しいのだろう。

「何にせよ、新年を国で迎えられてよかった。それだけは、和睦に感謝しよう」

   13

 永禄二年(一五五九年)は、冬康にとっては平和な年となる。

 それとは反対に、三好家にとっては連戦に次ぐ連戦が繰り広げられた。京で義輝と和睦をした長慶は、休まなかった。

 まず、一存を讃岐から岸和田城主(後世の大阪府岸和田市岸城町)に移した。讃岐の統治は、阿波の義賢が兼ねている。

 名目上は、和泉の統治であった。が、実質は違う。

 長慶の狙いは、河内にあった。

 河内は、遊佐長教が暗殺されてから混沌としていた。ちょうど昨年、長慶と義輝が和睦交渉をしている頃に、守護代の安見直政が国主の畠山高政と反目し、高政が河内から逃亡する始末になっていた。

 長慶はそこに付け入り、畿内での勢力を広げようとしている。

 その第一陣として、『河内を国主の高政にお返しする』との大義名分で、一存と滝山城の久秀の兵を河内に送った。皐月の初めのことである。

 が、間もなく、お味方大敗の情報が齎された。

「やはり、一存と久秀では、上手く行かなんだか。陣中で、反目し合うたか」

 冬康は、之正が連れてきた物見に、直接問い質していた。昨年に久秀が軍議で裏切って以降、冬康は久秀の周囲を探らせている。

 小袖に半袴といった、軽い出立で胡坐を掻いていた。之正と物見も、軽装である。冬康は、淡路にいる時は堅苦しい服装や慣習を嫌っていた。

 湿った夏風が、開け放った戸から吹き込んでくる。そろそろ梅雨に入るせいか、空には白い靄が掛かっていた。

「それも確かにあります。出陣の端から軍議も重ねずに、各々が別れて攻め込みました。なれど、最大の敗因は根来衆の参戦にございまする」

「根来寺が、敵に味方したのか!」

 根来寺(後世の和歌山県岩出市)は、新義真言宗総本山である。僧兵の数は一万を超えるとも言われ、畿内最強の寺院と目されていた。

「どうやら、河内守と根来寺には、何らかの繋がりがあった様子。根来僧の持つ鉄砲に、お味方は散々に撃たれて乱れ散り、退却してござる。お味方の死者は三百を超えますが、敵は、ほとんど被害はあり申さぬ」

 決戦は、和泉と河内の国境で行われた。鬼十河と呼ばれる一存が、手も足も出ずに逃げ帰っている。

 疑問点があった。鉄砲は初撃さえ躱せば、その後は役に立たぬ。弾込めに、時間が掛かり過ぎるからだ。

「殿の疑問に、儂がお答えしましょう。根来僧の鉄砲隊は、約五百挺であったそうにござる。しかも、僧兵の一人一人が、かなりの腕前に達しておるとか。的確に、味方の急所に狙いを付けて撃ってきたと聞き申した」

 傍に控えていた之正が顔を上げ、話に加わった。冬康が持つ疑問を、之正も先に抱いて、確認したのであろう。之正の目が、冬康の反応を窺っているようだ。

「五百とな! それは、また……」

 畿内九か国に版図を広げつつあり、堺も抑えている三好軍でさえ、三百挺程度の数であった。

 根来寺の力は、恐るべしである。

   14

 長慶は、先の一存たちの大敗に奮起したのか、すぐさま畿内の諸将に号令を掛けた。

 水無月には約二万の大軍を集め、長慶自らが、怒涛の如く河内に攻め入った。

 ――兄者は、負けたままにはせぬ御方だ。

 戦に全精力を傾けておる時の長慶は、間違いなく戦の神に愛されていた。武神の化身と言ってもいい。

 ただ、惜しむらくは、義輝や晴元らとの戦に対しては、精気を失う状況であった。当然そのような時の長慶は、戦の神に背を向けられる。

 根来寺に対しての根回しの手際も、冴えていた。和睦したばかりの義輝や、天皇の権威を利用して、根来衆が動けぬように仕向けている。

 長慶軍と直政の決戦は、水無月から文月に掛けて数度に亘る激しいものであった。が、最終的には長慶軍が徐々に安見軍を圧倒して、直政らは大和に逃亡した。

 結果として、河内の高屋城を、畠山高政に戻してやっている。 

「聞いたか、総介」

「はっ、讃岐守様からの急使の件ですな」

 一存は岸和田城主になる際、讃岐守の官位を貰っていた。長慶から、一層の励みを期待された訳である。

 炬口港から北の浜辺を馬で疾駆していた。之正が併走している。

 爛々と輝く陽射しが、砂浜はもちろんのこと、冬康らの肌を、じりじりと焼いていた。

 浜に沿って植えられた松の木々は、緑に彩られていた。東の水面は黄金色に染まり、白い波飛沫の線が、幾本も走っていた。

 今朝、一存からの使者が港に着いた。

 朝餉の前だったが、火急のため、冬康はすぐに謁見した。

「総介は、御屋形様の意図をどう考える?」

 今見た景色が、どんどん後ろに流れている。

「さて、儂には御屋形様の深謀遠慮は、とても読めませぬ。が、讃岐守様の申す通りにも一理ありと思いますな」

 之正が、手綱に力を入れたまま、声を張った。

 一存からの使者は、主の憤りをよく表現した。

 大和に直政らが逃亡した後、久秀だけは居城の滝山城に戻らず、河内と大和の国境付近から立ち去ろうとはしなかった。

 それが、葉月の八日には、信貴山城(後世の奈良県平群郡信貴山)に居城を移したという。

 しかも、一存からの報告では、久秀は河内・大和方面の司令官として、引き続き大和に攻め入る算段だと聞く。

 一存は、長慶が久秀に「大和は切り取り次第に与える」と、約束した事実を掴み、憤っている。いや、危惧しておる、という表現が妥当か。

 先に大敗を喫した以上、一存は自分が選ばれぬのは、当然だと思っていた。が、同じく大敗を喫した久秀を司令官にしたはなぜか、と怒っている。

 また、真に久秀に大和を全て与えた場合に、長頼の丹波と合わせると、松永兄弟の領地は広大な勢力となる。一存は、そうなる危険を感じているのだ。

 冬康も、一存と同じ意見であった。表裏の顔を持つと思われる久秀に、大きな力を持たせるべきではない。

 長慶の意図は、久秀の大和出陣を鼓舞するためかもしれぬ。が、真に久秀が大和を平定した暁には、約を違える訳にはいくまい。

   15

 永禄三年(一五六〇年)の年が明けた。

 長慶は芥川城で、年始の挨拶を受けていた。皆が口々に、官位の昇格を祝ってくれている。

 昨年末に、修理大夫の官位を朝廷から頂いた。さほど官位に関心はないが、昨年、根来寺の動きを封じたように、時には権威も役に立つ。

「申し上げます。岸和田城の讃岐守様より、使者が参っております」

「讃岐守からか。何ぞ起こったやもしれぬ、すぐに通せ」

 素襖姿で長慶への挨拶を待つ侍たちを割り込み、具足姿の使者が居間に入ってきた。

急ぎ、到着するように命を受けてきたのだろう。足運びが他の者と違い、緊迫している様子だ。

「河内の尾張守殿が守護代の民部少輔殿を解任し、紀伊に追いましてござる」

 使者の口上は淡々としたものだ。具足袖が湿り、光っていた。途中で小雨か、雪にでもあったとみえる。

 春先だが、寒い。年末から、週に一度や二度は、雪が舞っている。

 昨年の戦で、一旦は治まった河内であった。新しく任じられた守護代の湯川直光が、高政に解任された。

 直光は昨年、高政が安見直政に河内から追い出されて紀伊に至った時に、高政を助けた。長慶と共に、高政を高屋城に戻すための一戦に参加している。

 直光は、その功により、河内守護代に任命された。長慶も同意しての仕儀である。

「なぜ、解任された。何ぞ、手落ちでもあったか」

「はっ、詳しくは掴んでおりませぬ。が、伝え聞きまするところでは、民部少輔殿は河内の豪族らとの間柄が、上手く行かなかったようでござる」

 紀伊からいきなり来て、河内の統治は酷であったか。高政を助けて戦った状況などから見ても、無能ではなかった。

「それが事実ならば、解任も止むを得ない次第じゃな……。して、次の守護代は、誰を任命したか」

「それが、大和に逃げた左近を呼び戻し、守護代に任命した様子です」

「なんと! 尾張守殿の恩知らずなことよ。己の危機を救ってくれた民部少輔殿を袖にした挙げ句、叛かれた左近を呼び戻すとは。しかも、今なお弾正をして左近の追討を命じておった儂には、何の相談もなしにじゃ」

 長慶は、しめた、と思った。河内・大和を何とかして直轄地に欲しいと思うていた矢先であったので、付け入る隙を見出せるかもしれぬ。

 ――我にとっては、年始の朗報!

「急ぎ、尾張守殿に問い質すよう、讃岐守に申せ。事と次第によっては、兵を向ける状況も辞さぬ、とな」

 吹きすさぶ風で、窓板が鳴っていた。もうしばらくは寒さが続きそうであったが、長慶の血は滾っている。

 誰に気がねせずに、思う存分に戦える戦場は楽しい。

   16 

 長慶の詰問への返答に、高政は窮した。

 権力者の長慶には良い顔をしておきたい。かといって、一旦は呼び戻して和解した直政を、再び追い出す訳にもいかぬ。ご都合主義な男である。時ばかりが、過ぎていく。

 再三に亘り、高政から、長慶の機嫌を窺う使者が訪れていた。しかし、此方の意図に叶うような、的を射た返答はない。

 長慶の思い通りの展開になった。

「尾張守殿に申し伝えてくだされ。左近を処罰せねば、この修理大夫は河内に兵を送る仕儀となる、と。期限は、如月の末まで。それ以上は、一日たりとも待てませぬ」

 目前の使者が、おどおどと床に視線を這わせていた。額からは、汗が粒のように噴き出している。

 恐らくは、いつもの如く、のらりくらりと躱すように指示されていたのであろう。

 ――儂も、舐められたものだ。

 将軍や晴元との戦いを見て、長慶は敵に甘い、と周辺諸国に思われていた。

「い、今しばらく。如月末までは半月ほどしかあり申さず、あまりに急です。せめて、卯月までお待ちくださいますよう、深くお願い致しまする」

 使者は、額を板間に着け、肩を揺すった。何とか時間を稼ごうという魂胆が、見えている。

 長慶は取り合わず、冷たい一瞥を残して、部屋を出て行った。

 弁明の使者が如月末まで頻繁に訪れたが、長慶は、目通りすら許さなかった。

 その間、城の内外の梅の花弁が、見事に紅白に咲いた。次は、桜を待つばかりである。

 長慶は既に、河内攻めを決意していた。

「此度は、畿内はもちろん、四国・淡路衆まで動員して河内・大和を叩く所存だ。それ故、卯月には淡路へ行き、四国・淡路衆との軍議を催す。左様に手配するよう、実休に申し伝えよ」

 義賢は先年に出家して、今は物外軒実休と名乗っていた。

 弥生に入ると、河内攻略の準備のため康長が、芥川と阿波を往復していた。義賢との繋ぎ役である。

 今は、本丸の縁側で茶を喫していた。昼を過ぎたばかりで、今なお陽は頭上にある。

「はっ、仰せの通りに。一昨年以来の大動員にございますな。此度は、思うままに働きまするぞ」

 康長が髭を震わせ、垂れた目に笑みを浮かべた。が、すぐに表情を強張らせた。

 調子に乗り過ぎた、と思うたであろう。一昨年に大動員を掛けながら戦を避けたは、長慶であった。

「此度は、皆に働き場所を与えてやれるぞ。のう、笑岩」

 皮肉ってみた。康長は肩を竦めている。笑岩は、康長の法名だ。

 芥川城の庭園が、にわかに青々と色付き始めていた。虫や鳥の声が、緑の繁みや木々の密集した場所から、春を呼んでいる。

  17

 卯月の七日に、義賢の船団が炬口港に姿を現した。十日には、淡路・四国の諸将が集まり、兵庫港から長慶も海を渡ってくるはずだ。

 「実休殿、丸めた頭がよくお似合いですな。何やら、お顔まで優しくなられたような……。戦場で情け深くなり、槍が鈍っては困りますぞ」

 城に到着した義賢をもてなし、宴会になっていた。上座の義賢の前に膝を着き、酌をしている。

 膳部には、焼魚、帆立、鶏肉などの肴が置かれていた。急な到着だったので、急ぎ用意させたものだ。

 酉の刻に入っていた。が、薄い夕焼けが西の山際に沈んでいく途中である。

 今年の春は寒い日が多かったが、夏に入って、かなり暖かくなった。緑の山々の表面は朱色に染まり、東に目を向けると、海面に縮れ走った陽光が、黒い影に覆われつつあった。

「馬鹿を申せ。戦では、今まで通り獅子奮迅の働きを見せてくれようぞ。が、頭を丸めてみると、何とのう心が洗われる気になるものだ。無心で経を唱えておるとな、己の迷いが吹っ切れ、俗世などちっぽけに思える。長い輪廻の中では、今生などは、ほんの一瞬。迷う暇もない、とな」

 義賢が出家すると聞いた時、周囲は一斉に驚いた。一存ほどではないが、武勇に長けた兄である。出家からは、遠い位置にいると思っていたからだ。

 出家の理由は一切わからぬ。また、義賢もあえて口にはしなかった。が、冬康や長慶など兄弟は、細川持隆を弑逆した事を悔いての仕儀ではないか、と思っていた。

 今日の三好家の興隆は、持隆なくしてはあり得なかった。恩人を攻め殺して今日の繁栄を手に入れた状況に、どこか気持ちが晴れぬのかもしれぬ。

「儂が、一足先に来た訳はわかるだろう。お主とは、前もって話をしておきたかった」

 一存からの報告の件であろう。義賢の表情が、憂鬱に変わっている。

 宴は散会し、義賢と二人だけで居間にいた。先ほどまでは、信子、信康、太郎丸らも場に侍り、皆で談笑していた。

「讃岐守からの報告でござろう。儂も一度、御屋形様には申し上げねば、とは思うておりました」

 手酌で、己の盃を満たした。盃を呷りながらも、義賢に注意は置いている。

「十日の全体軍議の後、我ら三人になる機会がある。その場で、儂は御屋形様に、弾正に国を任せてはいけませぬ、と申し上げる所存じゃ。いや、御家の行く末に災いを為す可能性が、極めて高い男だと思っている。できれば、今の内に除いておくべきだ」

 着物から出ている首元まで朱色に染めた義賢の目は、据わっていた。いや、決意した者の目だ。

「儂も弾正は危険だと感じておりますが、何も除くまでせずとも……。力を持たせぬか、放逐でよろしいのではないでしょうか。何らかの罪状なしに命まで奪うのは、儂は気が進みませぬな」

 無駄な殺生は、なるべく避けたかった。いささか、一存と義賢は過激な考えに至っておるやもしれぬ。

「甘い! お主と御屋形様のそういうところは、よく似ておる。下克上の世の中、寝首を掻く恐れのある芽は、早めに摘まねば、生き抜けぬぞ。その点、讃岐守には、野生的とも申すべき勘がある」

 義賢は、ぐいっと盃を呷った。大きな息を吐き、しばし目を瞑っている。

「摂津守よ。今ここで叩いておかねば、厄介な仕儀となる予感がするぞ。なぜか御屋形様は、妙に弾正を気に入っておられるでな」

「いずれにせよ、弾正が危険という認識は、我ら三人の一致する見方。それについて、御屋形様に重ね重ね、申し上げましょう」

 四隅の行灯の火が、仄かに揺らめいていた。湿った風が、辺りに漂っている。

 ――なかなかに、兄弟で水入らずなどという雰囲気には、なりそうになかった。

 冬康は、初めて養子に来た時に、長慶と寝所で話した状況をふと思い出した。あの時の潮の匂いが、鼻の奥に、今も残っている。

   18

 長慶の頭の中での作戦は、ほぼ出来上がっていたから、軍議は手際よく進んだ。

 冬康ら諸将は、説明される作戦について、己の役割を認識すればよい。意見を具申しても良いが、兄以上の作戦が、思い浮かぶものではなかった。

 今回、冬康は淡路に居残り、直接の戦には参加しない。義賢が先鋒で畿内に入るため、四国や淡路で万が一にも動揺が起こらぬように備える役目を負う。戦に参加せんで残念な気持ちはもちろんあるが、半分は気が楽になった。

 冬康の心を重苦しいものにしているのは、今宵の宴会であった。諸将らとの酒席の後、兄弟三人での席を設ける。

 義賢は、久秀の命を奪うべきだと思っている。今宵、その旨を長慶に具申するだろう。 

 長慶は以前、久秀は自分に叛くことはない、と言い切っていた。今も、その時の気持ち

に変わりがなければ、長慶と義賢は相容れぬ。

 先年の南宗寺の件もある。冬康は、長慶と義賢との間に、溝ができぬようにしたかった。

 軍議は、申の刻半ばに終了した。酉の刻からは、宴会が始まる。

 軍議で使った大広間には、安宅の女房衆が入り、酒宴の支度を始めていた。忙しそうに、立ち働いている。

 本丸の廊下や、庭などのそこかしこでは、武将たちが談笑し、高笑いが響いていた。

 上座の長慶は動かずに、少しでも好を通じておきたい豪族たちに取り巻かれていた。動かぬというより、動けぬのだ。

 滅多に海を渡れぬほど多忙な長慶だ。このような機会に、四国や淡路の豪族たちの心を掴んでおかねばならぬ。 

「殿。今の間に太郎丸を、御屋形様に挨拶させようと思いまする」

 信子が、太郎丸の手を引いてきた。確かに、酒宴が始めると、子供の出る幕はない。

「おお、そうだったの。太郎丸は、まだ御目通りさせておらんかった」

 太郎丸の手を引き、上座に向かった。

 近づくと、長慶と目が合った。周囲の武将が、冬康に気を使い、身を引いて行く。皆、長慶の兄弟には気を使うのだろう。

「御屋形様。初めてお目に掛けまする。次男の太郎丸にございます。以降、お見知りおきくだされ」

 膝を着き、頭を下げた。むろん、太郎丸も倣わせる。冬康を真似て、ぺこんと、頭を垂れていた。

「そうであったな。儂は初めて会うが、摂津には立派な次男坊が生まれておったわ。良い、太郎丸。此方へ参れ」

 長慶が、己の傍らを指示し、手で招いた。凛々しい眉が崩れ、頬には笑みが浮かんでいる。

 太郎丸の瞳が、冬康を窺い、背後の信子に移った。二人が促したので、恐る恐るだが、長慶に歩み寄る。

「何も怖くはないぞ、儂は、お主の父上の兄じゃ」

 長慶が、太郎丸の両肩に、優しく両手を添えた。

「兄上……」

 太郎丸が、呟いた。

「そうじゃ、お主にとっての甚太郎と同じだ」

「兄上様か! それなら、いつも遊んでくれる」

 太郎丸の声が弾んだ。長慶を、己と近しい人物と認識している。

「遊んでくれるか。摂津よ。儂らも、幼き頃はよく遊んだのう。とは申せ、摂津は幼き頃から戦ばかりじゃな。太郎丸。兄弟、仲良くするのだぞ」

 長慶は太郎丸の頭を撫でた。太郎丸の垂れ下がった髪が揺れている。

   19

 三人だけで飲み始めたのは、亥の刻を回ってからだ。先ほどまで、大広間での酒宴が続いていた。

 いや、正確には、まだ幾人かは飲んでいた。板敷きに寝転び、高鼾の者も、一人や二人ではない。

 頃合いを見計らって、長慶に用意した寝所の隣の部屋に、仕度をさせた。

 膳部には、豆腐と煮物が少し置いてある程度である。むろん、酒は付いていた。

 長慶の機嫌は、終始すこぶる良かった。余程に、此度の河内・大和の攻略戦を楽しみにしておるのだろう。今も、目の下辺りを赤く染め、ひっきりなしに盃を重ねていた。

「兄者、あまり過ぎると、明日に差し支えまするぞ」

 脇息に片腕を掛けた義賢が、にやけていた。空いた方の手で、ちびちびと飲んでいる。義賢の機嫌もいい。顔も似ているが、戦好きなところも、長慶とそっくりだ。

「心配はいらぬ。儂はのう、こうして兄弟三人で静かに飲めるのが、心から嬉しい。いつ以来であろうか」

 長慶は穏やかな眼差しで、冬康と義賢を眺めた。軍議の際に上座にいる姿とは、別人のようだ。

「我らもでござる。兄弟とは申せ、普段はそれぞれが離れております。また、御屋形様はいつも多忙の御身。隙を見て、話し掛ける機会にも難儀致しますほど故」

 どこにいても、長慶の周囲には取り巻きがいた。畿内九か国に版図を及ぼす、押しも押されぬ大大名である。当然と言えば、当然であった。

「一昨年の堺では、御目通りさえ叶いませなんだ。あれは、寂しゅうござった」

 義賢が、しんみりと呟いた。満たされた盃を、じっと見詰めている。

「もう、申すな。あの時は、儂の耳にいろいろと入ってな。それに、儂も痛いところを突かれるのか嫌で、誰とも話したくはなかったのじゃ」

 長慶が、すまなさそうに目を細めた。盃を膳に置き、格子窓に視線を投げている。

 今宵の月の輝きが、窓枠に薄光を落としていた。大広間の笑い声が、闇を伝わり微かに耳に入っている。一瞬、しんと、静かになった。

「兄者。その儀にござる。昨今、家中で、兄者に良からぬ讒言を吹き込む輩がおるようです」

 義賢が、つと視線を長慶に向けた。意を決したように、言葉に力が入っている。

「儂に讒言を吹き込む輩、だと……。実休よ、誰を指しておる。いや、つまらぬ話は聞かぬがよい。酒が不味くなる」

 長慶が、首を振った。口元が、くい、と斜めに歪む。不快の態である。

「いいえ、つまらぬ話にはございませぬ。御家のためです。今宵はちょうど良い折にて、是非にも腹を割って、お話し申し上げたい」

 義賢は、一歩も退かぬ態度であった。丸めた頭から首元に掛けて、酒と興奮のせいか、赤い。 

   20

「御屋形様。儂からも、重ねてお願い申し上げます。実休様の申す内容は、儂もある程度までは、同意しておりますので」

 二人の弟からの直言であれば、長慶も聞かずにはおれぬであろう。長慶は、じっと見詰め返した。

「……ならば、申してみよ、実休」

 長慶は、義賢に視線を向けた。表情に、険が出ている。

 義賢が寛いだ姿勢を正して、きちんと胡坐を掻いた。軽く、両手を板間に着く。

「されば、御察しの仕儀とは存じますが、弾正にござる。恐らく、一昨年に我ら兄弟と会おうとなされなかったのは、弾正から何かをお聞きになったからだと存じます。その他、弾正の意見が御屋形様のご判断に影響している場面に、皆が出くわしており申す。その中には、讒言と思われる内容も多々あり。また、先年の河内での戦の後、弾正を河内・大和の総司令官として残されました。しかも、兄者は、弾正が大和を制した暁には、褒美として大和一国を与える約束をされた、と聞いており申す。家中には、御屋形様が弾正に肩入れし過ぎである状況を、危惧する声が多く起っております。また、万が一にも弾正が大和を手に入れれば、弟の備前守の丹波と合わせますと、松永兄弟が、かなり強大な力を持ちまする。これは即ち、家中に獅子を抱えるようなもの」

 義賢は口を開くと、一気に話した。激しているわけではなく、淡々とだ。

「お主の申した事実には、ほぼ間違いはない。だが、それに何の問題がある。有能な臣には、それなりの恩賞で報いてやらねばなるまい。儂は、お主たちにも、そうしてきたつもりである。その証拠に、実休には四国・淡路を統べる権を与えておる」

 長慶は表情を動かさずに、盃を呷った。

「確かに、臣の働きに報いるのは、当然でござる。なれど、備前守の武勇に対し丹波は当然としても、これまでの弾正の働きへの恩賞は、ちと過分ではありませぬか。武勇の大きさからすれば、讃岐守のほうが断然にござる。はっきり申し上げましょう。備前守の忠義には一片の曇りもありますまい。ですが、弾正には、どこか得体の知れない野心を感じます。御屋形様はともかく、我ら三好家親族衆に対する態度にも、反発心が感じられまする。儂は、家中が割れる状況を危惧しておるのです。今の間に、是非とも弾正を除いてくだされ。さもなければ、御家の将来に災いを及ぼす恐れが大きい、と考えまする」

「黙れ、実休! さすがに、言葉が過ぎるぞ。忠実な臣を除けなどと、よくぞ申せたな。お主の申す内容こそ、讒言なのではないか」

 長慶も興奮してきたのか、額が朱色掛かっていた。目付きも、鋭くなっている。

 ――このままでは不味い、と思った。

「儂も、弾正は危険だと考えておりまする。一昨年の堺では、御屋形様と我ら兄弟を離間させようとした、とも考えられます。孫次郎殿が取り成して下さり、真に良かった。確かに、弾正は有能かもしれませぬが、あまりに御心を許し過ぎるのは危険。それを、我らは危惧しております。命まで奪うは、今のところ、儂も賛成できかねまするが」

「いや、命を奪われる前に、奪わねばならぬのが世の常。命を狙われるほどの力を持たせぬなら、儂もあえて申さぬ。が、一族でもない松永兄弟が二か国を統べるは、あまりに危険にござる。何卒、ご再考をお願い致します」

 義賢が、沈痛な表情で頭を下げた。そこには、一片の私欲も感じられぬ。

 長慶も、義賢の真剣な様子を見て、怒りを抑えた様子であった。しばし黙り込み、すうっと目を閉じた。考えている証拠だ。

 義賢と冬康は邪魔をせず、静かに待った。兄が考えを纏める癖は、昔から変わらぬ。

「摂津には申したが、弾正の忠義心は真である。故に、除くなどはあり得ぬ。また、単に危惧だけで、大事な家臣を殺すなど、できる訳がない。謀反の証拠でもあれば、別ではあるがな。もちろん、そんな物はあるまい」

 再び開いた長慶の目には、力が籠っていた。場を圧するような威厳である。

「兄者……」

 義賢が何かを言い掛けた。

「待て。とは申せ、それだけ周囲に心配を掛けておるのは事実だ。故に、今後は気を付けるように致そう。大和については、既に一度、弾正と約束を交わしている。今更、役を違える訳には参らぬ。それで、よいな。これで、話は終わりだ」

 長慶の表情は和んだ。が、それ以上、言を続けるのを拒否している態であった。

 義賢の表情には不満が残った。が、もはや何も言える状況ではない。

   21

 水無月は二十四日になった。 

 摂津の梅雨は明け、連日の空は快晴であった。

 夏の陽射しが、皆の具足に突き刺さっていた。から梅雨だったせいで地面は乾き切り、少し強い風が吹けば、砂を巻いた。

 尼崎に陣を敷いたのは、昨日であった。本日の午後、義賢が海を渡ってくる手筈になっている。

 義賢が到着次第、先に駆け付けた久秀と共に、此度の侵攻作戦を話し合う。

 陣幕の中は無風で、長慶の傍らには大団扇を持った小姓が控えていた。床几に掛け、義賢の到着を待っている。

「御屋形様。予定通りの出陣と、相成りましたな。我らにとっては、治部大輔が倒れてくれて上々にござる」

 傍らの床几に座した久秀が、陽に焼けた顔を向けてきた。

「真にな。だが、まさか治部大輔が討たれるとは、誰も思わなんだろう」

 列席している重臣を見渡した。皆が同意しておるのか、頷いている。

 長慶は、出陣は予定通りにできぬだろう、と考えていた。

 というのも、皐月に入り、駿河の今川義元が、大軍を率いて上洛の動きを見せたからである。

 駿河、遠江、三河、尾張の一部を版図に持つ義元は、海道一の弓取りと名高く、国も富んでいた。

 その義元が、約三万余の軍勢を西に向けて駿府を発したのが、皐月十二日。

 義元発つ、の知らせは、すぐさま長慶に届いた。

 物見の情報では、義元は勢いに乗り、道中の豪族たちを吸収しつつ、やがては上洛してくる、との噂が濃厚だった。

 長慶が恐れたのは、義元の上洛と呼応して、京の公家や義輝らが、動き出す可能性があったからだ。

 今川家は足利将軍家の親族であり、正しく名門の出であった。

 細川家の陪臣の身分から成りあがった長慶を、公家や義輝らは、心のどこかで見下していた。そのような長慶の機嫌を取らねばならぬ状況を打破できる希望が、義元の上洛である。それ故に、決して油断できなかった。義元が京に近づけば必然、長慶は何らかの対応を迫られる状況になっていたであろう。

 しかし、その義元が、驚いたことに尾張で討たれた。討ったのは、尾張の織田信長という小豪族である。長慶は、名すら知らなかった。恐らくは、日の本の大名のほとんどが、そうであっただろう。それだけに、義元の戦死には、日の本中が驚いた。

 義元の三万の軍勢に対して、信長の軍勢は二千にも満たなかった、とも言われていた。

 何にしろ、お蔭で長慶は、河内・大和攻略に専念できるようになった。 

   22

「殿。その上総介は、昨年に上洛しておりますぞ。確か、殿は河内に出兵中で、お会いになられなかったはず」

 傍らで、長逸が声を投げた。焼けた頬に、黒々と髭が伝っている。

「そういえば昨年、越後守殿が上洛なされた頃に、もう一人、尾張の大名も上洛した、などと言うっておったかもしれぬ。あれが、上総介であったか」

 昨年、越後の上杉謙信(当時は長尾影虎)が、義輝からの上洛要請を受けて、京に入った。同じ頃に、織田信長も上洛していたようである。

 当時の長慶は、小賢しい、と思って聞いていたが。

 義輝は諸国の大名に上洛を促して、諸国に将軍の権威を示そうとしていた。己に従うことを、約束させるのが狙いのようである。

 将軍なのだから当たり前の振る舞いであり、何ら長慶が咎められぬものではなかった。が、義輝の意図は、将軍以上の権力を揮う長慶に対する牽制であった。

 此度の今川義元が上洛を決意したのも、再三に亘る義輝の上洛要請が影響していた。

「いずれにせよ、治部大輔の最期を詳しく探れ」

「上総介には、注意が必要ですかな。物見を、張り付かせまするか」

 久秀も、かなり忍を使っている。弟ほどの武勇はないが、諜報活動に才があった。

「上総介などは小豪族に過ぎぬ。が、公方様との繋がりは、押さえておかねばならぬ。それについては、越後守なども同様である」

 義輝や公家たちが、諸国の大名らと何かを企てるつもりであれば、事前に察知しなければならぬ。

「申し上げます。実休様が、お着きになられました」

 陣幕の外から母衣衆の一人が駆け込み、地面に膝を着いた。

「すぐに通せ。早速に、軍議を始める」

「実休様。これはまた、見事な胴丸でござるな」

 右手の義興が、感嘆した声を上げた。 

 出家したからであろうか。義賢の胴丸には、僧侶の蒔絵が描かれていた。金粉を塗しておるので、義賢に斬られる者は、断末魔に後光を見るやもしれぬ。

 冬康も洩らしていたが、細川持隆を殺してからの義賢は、どこか人が変わっている。

「いえいえ、久方ぶりの先鋒で、ちと気合いを入れるためでござるよ」

 義賢の表情に笑みが浮かぶ。

「実休殿は、敵を極楽浄土に導いてやるのでござるな」

 長逸が髭を震わせ、カカ、と笑った。周囲にも、笑いが伝播している。

 義賢の胴丸のおかげで、軍議は和やかに進んだ。

 先鋒は義賢、後詰は長慶の本軍が進み、久秀が、高政と直政の連携・退路を断つため、信貴山城を中心にして側面に展開する。長逸は、河内に向かう長慶の留守の間、摂津の動揺を抑える役目であった。

 長慶は終始、義賢を立てるように心掛けた。

 淡路以来に会うのが初めてだったので、少し気まずかった。久秀に肩入れし過ぎている、と指摘されたため、気を付けようとしている。

   23

 進軍は早かった。二十九日に義賢の先鋒が出発し長慶の本軍が続いてから、文月の三日には、若江城(後世の大阪府東大阪市若江南町)を一気に占拠している。

 その間は戦らしい戦もせず、高政の籠る高屋城に迫っていた。正に、無人の野を行くが如くである。

 それもそのはず。守護代の直政も、飯盛城に籠城していた。敵の二大勢力が、それぞれの居城で籠城している状況である。野戦に出てくるのは、小部隊ばかりであった。長慶の大軍を阻める訳もなかった。

 恐らく直政は、高屋城を包囲した長慶軍を、撹乱しようと動くだろう。今のところ、動きは一切なかった。いや、動けないのではないか。久秀が信貴山城付近で軍勢を展開させて直政の動きを封じているからだ。

 それと、もう一つ。敵の籠城で気をつける状況があった。

 援軍の存在である。特に直政は、昨年の戦で根来寺を動かした。名門の畠山家だ。どのような縁を辿るかもしれず、決して侮れない。そのため、周囲に多くの忍を放っている。

 十九日には、長慶は本陣を剛琳寺(後世の藤井寺市葛井寺)に移し、高屋城の包囲網を構築した。

「申し上げます。敵襲にございます!」

 長慶の寝室の外で、鋭い声が放たれた。母衣衆である。

 既に横になっていた長慶は、薄目を開けた。天井を闇が包んでいる。が、障子越に、転々と、篝火が焚かれているのが見えた。

 余裕を持った挙措で、上体を起こした。落ち着いた母衣衆の物言いに、急を要せぬ報告だと察している。

「続けろ」

「はっ。恐らくは、左近の軍勢かと思われまする。只今、実休様が応戦しております」

「敵の数は、如何ほどか」

 障子に映る影に、声を投げた。影も、落ち着いた息遣いである。

「弾正殿の包囲を潜ってきた由にござれば、多くても数百程度かと思われます」

「ならば、捨て置け。実休が直に、追い払うだろう」

 長慶軍は、総勢二万を超える。蚊に刺された程度の攻撃でしかなかった。

 ――しかし、大軍だからといって、油断は禁物。

 ちょうど、今川義元の例もある。

 直政軍の夜襲に対し、義賢軍がさんざんに斬り立てて防ぎ、追い返した。直政勢は多数の亡骸を捨てて、飯盛方面に向かって退却している。

 直政は、葉月に入ってからも同様の夜襲を、数度は仕掛けてきた。主君の危機を救おうと、躍起になっている。一度は反目し合っても、長年の主従関係は、真に侮れぬ。

 が、これらの攻撃も、義賢が呆気なく打ち破っている。敵はその都度、数十体の亡骸を残していった。

 その後は、飯盛山城からの動きは全くなくなった。高屋城はもはや、援軍の望みなし、と気づいたであろうか。

 南に目をやれば、高屋城の本丸屋根が聳えていた。高屋城は、かつて遊佐長教を囲み、落せなかった思い出がある。守りは、当然、堅い。

   24

 高屋城の包囲網が完成した。葉月に数度、城方との衝突はあったが、全て撃退している。その後、敵は城に籠り切りとなった。

 故に、義賢を飯盛城の直政攻略に赴かせた。どちらも、容易には落とせぬ城である。二手に別れて攻撃したほうが、早く終わると考えた。また、一方でも落ちれば、他方も希望を失う。

 追い詰められた高政は、大和の豪族に助けを求めようとしていた。二度、久秀の網に引っ掛かっている。

 長月も半ばになった。

 秋の終わりにもなると、夜風が肌に冷たい。日中も、じっと床几に掛けておるだけでは、汗も出ない。もっとも、城攻めの兵たちは、汗みずくで戦っていた。

 情勢は動かない。長慶は、目の前の高屋城を、見詰め続ける毎日だ。

 高屋城は、安閑天皇・山田皇女合葬陵の古墳址を改造し、平城にして造られていた。全体を土塁と堀で囲い、長慶らの攻撃に備えて、兵糧もたっぷりと蓄えている。そのため、力攻めは得策ではなかった。

「我らは、待つしかあるまいよ。無駄な犠牲を出すだけだ」

 長対陣への焦りはあった。が、己に言い聞かせている。

「実休様が、活路を開いてくれましょうや。連日の猛攻と、伝え聞いておりまする」

 列席している岩成友通が、目を輝かせた。

 友通は、備後の豪族の末裔であった。長慶が播磨攻略に入った頃、旗下に加わっている。 

 武に優れ、昨今の戦では重き役割を担うようになっていた。後の話だが、長慶亡き後は三好三人衆の一人として活躍する。友通は、武将としての義賢に憧れていた。

「飯盛も巨大な山城じゃ。いかに実休とて、そうは簡単には落とせまい」

 飯盛城の食糧が乏しいとの情報を掴んでいた。義賢は、弱っていく敵を、攻め立てている。

 轟音に次ぐ轟音が響いた。味方が、城を攻撃している。

 鉄砲を多く引き連れてきたのは、根来寺が動いた時の備えであった。

 根来寺には、天皇や将軍を使って政治的な圧力は掛けていた。が、不測の事態には、備えておかねばならぬ。

 それでも、一存からの報告では、根来寺の鉄砲の数は五百挺にも及ぶ、と聞いた。数では、如何に足掻いても、こちらが圧倒される。

 硝煙の匂いが漂う中を、寺の湯に向かっていた。長慶の本陣は、未だ剛琳寺から動いてはいない。

 一日の攻撃を終え、本陣に戻っていた。酉の刻を、回っている。

 庭を見渡せる縁側を、音を立てて歩いていく。そこかしこには護衛と、背後からは小姓が従いてきていた。たかが風呂に物物しいが、暗殺に対する備えだ。やむを得まい。

 今川家のように、大将が倒れれば、いかに大軍とて、敗れる。

 と――、縁側の下から、そそ、と人が出てきた。

 百姓の形をした男は、砂利を避け、石畳の上に立膝を着いた。保士である。

「いつも現れ方が、小憎らしいのう。して、何があった」

 保士は現れる時、常に護衛の目を掻い潜ってくる。忍としての己の力を誇示するとともに、敵に回せば、いつでも長慶を殺せる技を示していた。嫌味ではあったが、実力を認めぬわけにはいかぬ。

 また、己の技量を、はっきりと銭で売る姿勢は、嫌いではなかった。

「五百挺が、動きますぞ。ご注意を」

 ニヤリ、と、保士は頬を歪めた。立ち上がり、長慶に背を向けて立ち去ろうとする。

 十分に伝えた、と背中が言っている。

「相分かった。褒美は、勘定方から好きなだけ貰うて行け」

 ――近々、根来衆が動く。

   25

「備前守に、すぐさま出陣を命じよ。急ぎ、南下せよ、とな」

 母衣衆が数人、八木城に馬を飛ばした。

 長頼を、根来衆に当てるつもりであった。どこから攻め懸かってこようとしておるのかわからぬが、今この状況下で側面を突かれると、包囲網の一角が崩される恐れがあった。

 ましてや五百挺の鉄砲の威力は、想像もつかぬ。

 神無月に入った。やはり、保士の情報通り、根来寺の動きが怪しくなっていた。日に日に、門徒が寺を抜け出し、数を減らしている、という情報が入っている。

 ――間違いなく、高屋城の後詰に来る。

「備前守。予定通りに、根来衆にはお主が当たれ。できれば、完膚なきまでに叩くのだ。それで、我らが勝ちが決まる」

 長頼を陣所に呼び、長慶の意図を伝えた。聡い長頼ならば、言わずとも理解しておるだろうが、念のためである。弟たちともそうだが、やはり、側に置いていた頃とは違う。

「はっ、仰せの通りに致しましょう」

 長頼も、そのつもりだ。褐色の肌から除いた白い目が、何を今更、と訴えていた。戦の要諦を、弁えている男である。

 根来衆が動いた次第で、高屋城が何を支えに籠城を続けているのか、はっきりとした。全く援軍も望めぬ状況で、よく耐えている、と思っていた。

 とすれば、望みの綱を、全て断ち切ってやればよい。そのためには、出てきた根来衆を、徹底的に叩く必要があった。二度と出て来られぬようにできれば、城方の戦意を失わせられる。

 十四日の夕刻。石川を下る僧兵の船団が、高屋城の南方数里に現れた。長慶の下には、続々と物見が戻ってきている。

「備前よ。夜半のうちに、川辺の茂みなどに、兵を潜ませておけ」

 恐らくは、暗いうちに城近くで岸に着け、夜明けと共に、城内と呼応して攻撃してくるだろう。

 夜襲の可能性も否定できないが、鉄砲の威力を発揮させるには、日中のほうが都合がよい。多くの僧兵が、かなりの腕前と聞いているので、攻撃は明るくなってから、と読んだ。

「伏兵にございますな。坊主らの得意な鉄砲を背中から浴びせ、蜂の巣にしてやりましょうぞ」

 根来衆の動きを聞きつけて、長頼が本陣に駆け付けた。体から、闘志が漲っておるのが感じられる。

「後は、任せた。お主には、それ以上は申すまでもなかろう」

 長頼は、心得顔で、すぐに下がった。何を、どうすべきかの判断は、全て任せられる。

 庭の砂利が、夕陽で朱に染まっていた。寺の軒下から影が、庭のあちこちに伸びている。

   26

 障子越しに、薄陽が射し込んでいた。

 遠くで、けたたましい音が断続的に聞こえ、長慶は、ふと目を覚ました。竹が、炎の中で、弾けるような音。

 ――間違いなく、鉄砲だ。

「……始まったか」

 障子の向こうに、気配を感じた。報告に来たのだろう。

「はっ。申し上げます。未明より根来衆が鉄砲で撃ち懸かり、城の南方包囲を崩そうとしてきております」

「守備は、どうだ」

「備前守様の軍勢が、城の包囲軍を庇いながら応戦中です。今のところ、お味方が少し押され気味かと、聞き及んでおり申す」

 そうこうしている間にも、音が大きくなり始めた。根来衆に応戦している味方の鉄砲の音も加わり、相乗作用で大きくなっているのだろう。双方合わせれば、かなりの数の鉄砲が、戦場に出ていた。

「戦が、変わってきておるか……」

「何と仰られましたか」

 長慶の独り言に、母衣衆が反応した。無視して、考え込んだ。

 かつて鉄砲を始めて見た時、戦が変わる可能性を感じた。十年前の、洛東での戦後のことである。冬康と久秀も、鉄砲の可能性にいち早く気づいていた。が、これほど早いとは、長慶には想像がつかなかった。

「如何、致しましょうや」

 もう一度、障子越から声がした。はっ、と我に返る。

「包囲網は崩されてはならぬ。死守せよ。後は、備前に全て任せておる。包囲陣は守りを固めて、防ぐだけに専念せよ。すぐに、全軍に下知を出せ。儂も、すぐに出る」

 城の北側近くに陣を進め、戦況を見守っていた。南方では、相変わらずの轟音が鳴り響いている。敵味方双方が、射撃の応酬をし合っていた。

 入ってくる報告では、全て味方が押されていた。当たり前である。射撃の腕に、各段の差があると聞いていた。

「備前守は、根来衆を川から引き離しておる最中だ。もうしばらく待てば、戦況が変わるはずである」

 焦り出した諸将を、宥めていた。同時に、己にも言い聞かせる。

 東の石川の向こうから、陽が天に昇ろうとしていた。整然と目前に展開した自軍の兵たちの具足が映えている。

 と、間断ない鉄砲の音に、乱れが生じたと思うと、さらに遠くから、射撃の音が聞こえた。喊声が一際、大きくなってきた。

「申し上げます。備前守様の別働隊が、根来衆の背後を突いてございます。根来衆は、徐々に崩れ始めておる様子」

 幕内の諸将が湧いた。歓声が上がっている。

「御屋形様。某を、追手にお出しくだされ」

 岩成友通が、進み出た。じっとしている籠城戦に、飽き飽きしていたのだろう。

「備前守だけで十分だが、許そう。退屈しておるだろうからな。が、くれぐれも備前守の邪魔にならぬように申し付ける」

 友通は一礼を残し、軍勢を南に向けた。気持ちのいい武者ぶりである。長頼と共に、今後は長慶の手足となって働いてくれる逸材であった。

 その後、長頼と友通の軍は、根来衆を完膚なきまでに叩いた。首を取った数だけでも、百近くに達している。

 長頼が背後に網を張っていたので、僧兵たちは川からは逃げられなかった。山中や田畑の中を、散り散りになって南に落ちていったという。

   27

 根来衆撤退の様子を、高屋城の敵は、手を銜えて見ているしかできなかった。

 ――甘いな、と思う。

 他に援軍が来ぬ状況では、唯一の勝機もしくは、逃げ道を開く一戦であったはずだ。改めて、畠山高政の無能ぶりを、目の当たりにした気がした。

「飯盛城の左近が、降伏の使者を出して参りました」

 二十四日になっていた。根来衆の撤退は、すぐさま飯盛城内にも、矢文で知らせていた。最早、どこからも援軍は来ない、と。

 それでも、十日ほどは義賢の猛攻に堪えたは、褒めるべきかもしれぬ。

 先に直政が音を上げたは、やはり食糧が尽きたからであろう。

 いや、食糧はとうに尽きていたはずだ。とすれば、援軍の望みがなくなり、気力が萎えたか。

 その三日後の二十七日に、高政も降伏を申し出た。

 高政、直政主従は城を明け渡し、裸一貫で堺に落ちて行った。降伏し、城を明け渡した者の命までは、奪うまい。

「河内は片付いた。弾正。儂と実休の中軍以外の兵は、全てお主に預ける。思う存分、大和を切り取って参れ」

 河内を版図に加えた長慶は、勢いで大和まで切り取る計画であった。今なら、畠山・安見の残党狩りという名目での出兵が成り立つ。日を置けば大義名分がなくなり、野心のみの出兵と、陰口を叩かれるだろう。

――また京で、どのような陰謀が企てられるかわからぬ。

 久秀に全面的に大和を任せたは、長期間、京を留守にしたくなかった理由もあった。が、弟や重臣たちは、贔屓と感じるかもしれぬ。

「仰せのままに。必ずや、大和を征服してご覧に入れまする」

 久秀が、得意げな顔をした。口元に、微笑を浮かべている。

 この妙に余裕のある態度が、余計に諸将の反感を買うのだろう。久秀が心を開くのは、儂か長頼くらいなのかもしれぬ。

 居並んだ諸将の中には、露骨に不満気な顔をしている者もいた。傍らの義賢は、もちろんその一人だ。

「実休。お主には河内を取らそう。阿波には、孫四郎を残せばよかろう。儂も、居城を此処、飯盛に移す所存だ」

 飯盛も、交通の要衝地にあった。京や堺への便宜もよい。

 義賢を畿内に呼ぶのは、版図が拡大して、統治力のある武将が畿内に必要だからだ。戦場になる可能性も、畿内が高い。

 四国・淡路には、今のところ戦乱の種はなかった。 



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