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三好四兄弟  作者: いつみともあき
4/7

第五章 三好政権

   1

 しばらくは平和が続くかと思われた畿内も、夏になると不穏な空気が漂い出した。

 姿を消していた晴元が、丹波や山城で反長慶の狼煙を上げた。相国寺で敗れた香西元成や三好政勝らと連携して、長慶の勢力圏を侵略し始めている。

 すぐに長頼を引き連れて自ら出兵したところ、親族衆で重臣の芥川孫十郎が寝返った。

 ――正に寝耳に水、であった。

 下手をすれば、晴元らと戦闘中に背後を突かれる危険があった。

 孫十郎は一族であり、長慶の妹婿でもあった。何かの間違いかとも思いたかった。

 が、そうではなく、裏切りは事実である。急ぎ、孫十郎に説得の使者を出して、長慶自身は京から越水城に兵を退いた。強固な信念の下に寝返るような男ではなく、説得次第では、どちらにも転ぶと見たからだ。

 長慶の読みは結果的に当たり、孫十郎は後に降伏した。

 しかし、その間の晴元らは勢いに乗って攻め寄せ、元成らは再び長坂口から京を窺うまでになっていた。

「何を考えておるのだ、あの公方は」

 神無月に入り、義輝が東山霊山(後世の京都市東山区)に城を築き始めた。

「捨てておきなされ。城一つで、何ができる訳でもありますまい」

 今や長慶の家老であり、弾正忠に任官された久秀が呆れた声を出した。実力もないくせに気ばかりが強い将軍を、久秀は軽蔑している。

 ちなみに、長慶の官位も従四位下になっていた。

「しかしのう……。どうも一清様と繋がっておるような気がしてならん」

 晴元は出家して、心月一清と名乗っていた。晴元の動きと呼応しての動きなら、ちと厄介な仕儀となりかねん。

 が、この時点での長慶の危惧は、誤りであった。

 霜月に、晴元軍に追われた長慶の被官たちが義輝の霊山城に逃げ込む事件が起こった。 

 その際、被官たちを匿った義輝軍と晴元軍との間で、小競り合いが起きたからだ。

 むろん、干戈を交えたのがフリならば、見事に騙された次第となる。

 しかし、天文二十二年(一五五三年)の年明け早々から、長慶と義輝の対立は決定的なものになっていった。

 事の発端は、昨年霜月の霊山城での小競り合いにあった。

 戦の際に壊れた城の修復のために、義輝は社寺に人夫を挑発しようとした。が、それを政所の貞孝が反対したのが、昨年末である。

 この頃、貞孝と他の義輝の近習たちとの関係は悪化していた。貞孝が近江に落ちた義輝を見捨て、長慶に阿って政の権を得た、と憎み、蔑まれていたからである。

 主君である義輝の申し出にはっきり否と答えた貞孝、その背後には長慶がいた。元からあった憎しみが事を機に募ったのか、奉公衆の上野や彦部らは、晴元と通じようと画策した。

 義輝直属の武官たちが、晴元と通じようとした。いくらなんでも、穏やかで済まされぬ。

 それら奉公衆の非を正すため、正月五日に長慶は入京し、義輝に面会を求めた。

 京の辻には、朝から霜が降りていた。白み掛かった地面を馬蹄が食んでいく。

 長慶の屋敷で礼装に着替え、花の御所に向かった。

 御所に入ると、いつぞやの謁見間に通された。

   2

 睦月の薄柔らかな陽が、真上に昇ろうかという頃であった。座に通されてから、かれこれ一刻は優に経っている。

「弾正忠。本日の公方様は、お忙しいご様子じゃ。我らは退散致すとしよう」

 想像は付いていた。恐らくは義輝が長慶に会うのを、嫌がっておるのだ。

 長慶の言に、近習たちの動きが慌ただしくなった。今此処で、長慶と義輝を決裂させたくないのであろう。

 と、しばらくしてバタバタと廊下を叩く足音が響いた。すぐに奥の襖が開き、義輝が上座に、ドカッと腰を下ろす。形通りの平伏で、長慶らは迎えている。

「して筑前。今日は何用じゃ」

 義輝の声には棘があった。臣下に追及される状況を拒否しておるのか。

「ははっ。先日に使いを出しました、細川殿、彦部殿ら奉公衆らの仕儀でござる。一清様と、好からぬ企みをしており申す」

 居間に、問題の奉公衆の姿はなかった。

「黙れ、筑前! その前に、なぜ余の人夫挑発を妨げた! その訳を申してみよ」

「儂が反対した訳ではござらぬ。伊勢守殿がご判断なされたと、承っており申す」

「戯言を! 伊勢守の後ろには其方が控えておろうが。其方は公方である余を、悉く蔑ろにする所存か」

 只ならぬ雰囲気の居間に、義輝の大音声が響いた。義輝の近習たちはもちろん、長慶の供らも、息を潜めて様子を窺っている。

「はて、公方様を蔑ろにしたつもりなど、一度もないはずですが。お言葉を返すようですが、儂を遠ざけようとされておるのは、公方様ではありませぬか」

 努めて冷静に、言葉を投げた。長慶としても、できれば義輝との決裂は避けたい。

「黙れ! 余は、其方の操り人形には決してならぬぞ。足利十三代の公方として、恥じぬ生き方をするのみじゃ」

 義輝は右手に持っていた扇子で、長慶を指した。何事にも退かぬ、と目を剥いている。

「では、どうあっても奉公衆の方々の罪をお認めにならぬと申されますか」

「当たり前だ。余の武官の罪は、余が決める。臣下の一人に過ぎぬ其方ごときが、口を出すべき事柄ではないわ。もうよい、下がれ。お主の顔も見とうない」

 吐き捨てた義輝は、やおら立ち上がると、来た時と同じ足音を残し、去った。

   3

「弾正。やはりもう一度、公方様に会う手筈を整えよ。このまま事を収めて、有耶無耶にはできぬ」

 長い沈黙の後、長慶は傍らの久秀に声を投げた。

 義輝の勘気に触れた長慶は、淀古城(後世の京都府京都市伏見区納所北城堀)に居所を置いた。義輝との関係を修復するためである。

 義輝の怒りの大きさから、関係改善は長引くかとも思われた。が、義輝の臣下たちが長慶との決裂を望まなかったようである。

 臣下たちは、せっかく京に戻れたばかりなのに、長慶との関係が悪化して、再び流浪生活に戻る状況を恐れていた。

 幾人の側近から繋ぎがあった。最終的には、『筑前守との和議に一切の異心なし』と、義輝から文が届いている。

 ただ、将軍が臣下である長慶に頭を下げる訳にはいかんので、文にて一切の遺恨を捨て、奉公衆たちへのお咎めは義輝に一任する仕儀となった。

 一旦は、長慶や久秀たちも矛を収めようとしていた。

 が、食えぬ将軍と言おうか。一向に奉公衆らへの処罰は行われず、普段と変わらずに幕府に出仕を許していた。また、晴元の軍勢と脈を通じている気配が拭い去れなかった。

 如月も五日を過ぎ、城下の桜の蕾が色づき始めていた。春の陽気に誘われて、草木は芽吹き、開き始めた花弁には蝶が舞っている。

 淀古城は平城だが、宇治川、桂川の大河川を主として、三方を川で囲まれた天然の要害であった。水運が盛んな状況から、洛南における物流や交通の要衝地となっている。

 城からの眺めは美しい。宇治川と桂川が京に向かって悠然と流れ伸び、川面の船群は絶えることを知らなかった。

 辰の刻も終りを迎えていた。本丸の北東に開かれた窓からは、黄金色の靄掛かった青空が見渡せた。

「和議が破れるやもしれませぬが、宜しいので」

 久秀は、何ら表情を動かさない。義輝と決裂したら、討てばいい、くらいに考えておるだろう。

「言葉を尽くして、お諌めしてみる所存だ。が、儂の言のみでは危うい。それ故、公方様の側近衆への根回しを、其方に頼みたい」

 長慶が拝謁して言葉で諌めても、義輝は耳を貸さない可能性が大きかった。むしろ、余計に頑なになるやもしれぬ。

 側近たちを籠絡しておけば、義輝も折れざるを得まい。

「御意のままに致しましょう。して、御屋形様の御内意は?」

「奉公衆を質に出させよ」

「えっ、それはまた難題でございまするな……。わかり申した。必ずお望みに沿えるように致しましょうぞ」

 久秀の額の皺が一瞬、深くなった。が、その後はにこやかに頬を歪めた。両の目には、自信が満ちているようだ。  

   4

 義輝への拝謁は如月の二十四日、場所は清水寺(後世の京都府京都市東山区清水)と決まった。

 早朝から鴨川沿いを北東に進み、伏見を経てから東山に至った。

 清水寺は、およそ八十丈ほどの高さを持つ清水山の中腹に建てられていた。寺内には、さまざまな建物が犇いている。

 朱塗りの仁王門を潜った。金剛力士像の苦み走ったような顔が、鋭い視線を浴びせてくる。

 汗ばむくらいの陽気であったはずだが、さすがに高所であった。涼やかな風が袴を靡かせている。

 義輝への拝謁は、奥の院で行われる次第となっていた。

 奥の院の檜皮葺屋根は、美しい反曲線を描いていた。舞台造りの居間の眼下には緑に染まった木々たちと、遠景には京の町が見渡せる。

 ちなみに、奥の院の崖下には、有名な音羽の滝があった。古来より「黄金水」「延命水」などと名付けられ、寺号の由来でもある霊水だ。

「筑前守よ。正月は儂も言葉が過ぎたようじゃ」

 正月とは打って変わったような、義輝の態度であった。表情は柔らかく、常に笑みを湛えている。

 が、どこかぎこちない、と長慶は感じていた。周囲の側近らに、言い含められておるやもしれぬ。

 もっとも、仕向けたのは他でもない、長慶であったが。

「滅相もござりませぬ。筑前のほうこそ、公方様の御機嫌を損ねた仕儀、深く反省しておりまする」

 努めて丁重に、頭を下げた。義輝に譲歩させるためには、誇りを傷付けてはならぬ。

 が、肝心の話を切り出す前に、義輝は酒と膳部の用意を命じた。すぐに、女官たちが膳を並べ、酌をして回っている。

 ――手際が良すぎる。

 無理矢理、酒宴に持ち込んだ形であった。久秀を窺うと、義輝の側近衆に冷ややかな視線を向けている。

 久秀の冷たい視線に晒されておる者たちは、怯えておるようだ。

 ――とすれば、義輝一人の策か。

 酒宴に持ち込み、それ以上に長慶の追及はさせない、との意思か。

「酒宴の前に、公方様に申し上げたき儀がござる」

 そうは問屋が卸さぬ。長慶は、話を引き戻した。

「……何じゃ、申せ」

 短く吐いた義輝の頬が、歪んだ。

   5

「まずは、女官らを退がらせて頂けまするか。それから、申し上げましょう」

「それには及ばぬ。余が許すと申したのだ。早う話せ」

 女官たちは顔を上げ、手を止めていた。凍りついた場の雰囲気を感じ、視線を彷徨わせている。先の挙措に迷っていた。

「いいえ、公方様。大事な儀なれば、一旦は女官らを退かせて頂きたい。重ねて、お願い申し上げる」

 義輝の険しくなった目に、挑んだ。此度の長慶は、目的を果たすつもりであった。

「きっ!」

 義輝は顔色を変え、肩を震わせて腰を上げようとした。

「上様! 筑前守殿ほどの御方が二度も仰せの大事にござる。何卒、お聞き届けくだされませ」

 機先を制するように、下座から声が投げられた。

 目を向けると、一人の若者が両手を着き、義輝に向かって頭を垂れていた。

 若者の名を、細川藤孝という。後に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、肥後細川氏三十九万石の祖となる男であった。が、この時はまだ齢二十にも満たなく、養父の細川元常から家督すら継いでいない。

 しかし、天性の世渡り上手、芸は身を助ける、とはこの男のためにある言葉なのか。とにかく、周囲に敵を作らぬ男であった。

 実際に、犬猿の仲とも言える義輝と長慶の、どちらにも愛されていた。

 剣術など武芸に通じており、塚原卜伝には、義輝と共に師事した時期があった。そのせいもあってか、義輝の非常にお気に入りで、諱の一字(当時の義輝の諱は義藤)も与えられるほどであった。

 一方、若いながらも一流の教養人であり、和歌・茶道・連歌・蹴鞠等でも類まれなる才を発揮していた。長慶ともしばしば連歌などで座を同じくし、厚誼を通じている。藤孝の多才ぶりは、文武に秀でる長慶に似ていなくもない。

 義輝は、藤孝に向かって何か言い掛けようとした。が、口籠もり、思い止まった。

「よい、女官ども退がれ」

 義輝が、投げ出すように手を振った。刹那に、呪縛が解けたかのように女どもが去る。

 場が静まり返った。

 居間の半分ほどの所まで陽が伸び、陰影を映していた。奥の義輝と対面した形の長慶は、背に陽の暖かさと風を感じている。

「片じけのうございます。されば、手短に。文でお約束頂きましたる奉公衆らへの処罰は、如何になっておりましょうや。未だに、彼の者らは一清様と繋がっておる疑いが晴れませぬ故」

 重苦しい雰囲気が、場を覆い始めた。義輝はふてくされたように俯き、脇息を抱いている。

 傍らの側近たちは物言いたげに義輝に視線を投げ、長慶を横目でちらちらと窺っていた。恐らくは、側近たちへの工作は上手くいっておる。

 ――義輝は誇りの高さで、どうしても言えんのだ。

「公方様。儂も誤解しておる面がある、と存じまする。それ故、奉公衆らとじっくり話し合う機会が必要です。如何でありましょうか」

「それは良き案でございますな。話し合うて、互いに誤解が晴れる状況はよくある次第。公方様、もっともな意見ではございませぬか」

 藤孝が、長慶の後を取った。

 久秀は、藤孝にも工作したと見える。そういえば、久秀と藤孝の間には、以前から茶人としての好があった。

   6

 義輝は渋々の態ながら、奉公衆らの差し出しに同意した。藤孝の言に、居合わせた側近衆の多くが賛同しておる状況を察しての仕儀だ。

 長慶は即日に六名の奉公衆を霊山城より連れ出し、越水に送った。元より、話し合う余地などない。六名は、主君の義輝と朋輩の側近衆に捨てられた次第となる。

 さすがに将軍に質を出させた手前、長慶も以降は丁重な対応を心がけ、幕政は元通りに戻るかに思えた。

 が、臣下に人質を出して和を結ぶなど、誇り高き義輝にとっては、やはり我慢ならぬ仕儀であったに違いない。

 早馬は、まだ夜が明けきらぬ内に到着した。使者は、洛中の長頼からである。

「申し上げます。一昨日の弥生八日の深夜に、公方様が霊山城にお籠りなされたご様子。着々と籠城の準備を整え、しきりと、周囲の諸豪族や寺院に使者を出しておりまする」

 至急、居間に重臣たちが参集した。長慶も床の温もりが消えぬ間に、上座に着いた。

 夏が近いとは申せ、朝の冷気が居間に吹き込んでいた。が、人が増えると、肌の冷えを感じなくなっている。

「なぜ、一日も待った」

 使者を飛ばすのが、である。昨日の内に、知らせることもできたであろうに。

「はっ。主は公方様の動向を見極めてから、注進に及ぶ次第であり申した。ただ単に城に入っただけでは、御屋形様に対して異心ありか否かが、わからぬと考えた由。それ故に、只今の参上と相成り申した」

 長頼の性格だ。義輝が何かしても、大方、己の軍勢のみで抑えられる、と踏んだのだろう。軍事の才は申し分ないが、若いが故に、少し自信が勝ち過ぎる。

「なれど、第一報は飛ばせたであろう。甚介殿は、慢心したな」

 久秀が脇から話に入った。長慶の考えと、全く同じである。

「御屋形様、すぐに霊山城を囲みまするか」

 長逸が、勇ましい声を響かせた。目に、闘志が漲っている。

 ――この叔父も、長慶の天下を夢見ておるのか。

「儂も日向守様に賛成でござる。此度は、思い知らせてやる必要があると思います」

 久秀が、将軍家を蔑んだような物言いをした。重臣たちが、驚いている。

「すわ、弾正。公方様を弑せよ、と申しておるのか」

「御意にござる。公方様は命ある限り、御屋形様のためにはなり申さぬ。此度は、つくづく悟ってござる」

 何人かが、息を飲み込んだ。平然と将軍の命を奪えと言った久秀に、誰も声を掛けられぬ。まるで異人でも眺めるように、皆が久秀の顔を見詰めた。

 檜組みの天井を見上げた。長慶は一つ、小さく息を吐く。

「まずは、出方を見ようではないか。儂は、誇りを捨てて京にしがみつこうとした臣下どもより、公方様の誇り高さ、潔さに、此度は好感を持った。見直した、といっていい」

「……わかり申した。無理にとは申し上げませぬ。が、恐らく公方様は一清様と手を結び、我らに襲い掛かってきましょうぞ。望む、望まぬに拘わらず、命の奪い合いになるは必定と存ずる」

   7

 久秀の危惧の通り、霊山城に籠った義輝は晴元らとの連携に動き出した。晴元方の軍勢が、しばしば京境に圧力を掛ける事態になっている。

 が、今のところの戦闘は小競り合い程度だ。長慶は、義輝と晴元が攻め寄せてくるまで腰を上げるつもりはなかった。

 その長慶の優柔不断さが、後の戦火を大きくする嫌いがあるのはわかっていた。すぐに義輝を囲んで降伏させれば、避けられる戦もあるだろう。

 ――此度は攻め寄せてきたら、義輝との直接対決となる……。

 今もなお、将軍との戦を避けようとする長慶がいた。

 これまでの戦では、直接の相手は三好政長や遊佐長教、細川氏綱など、主筋でない者であった(氏綱には後に仕えた)。が、今の長慶は幕府、即ち義輝の直臣の身分になっている。

 ――いざという時にまた迷いが生じれば、多くの家臣を死なせる恐れがある。

 長慶は一人で、あれこれ悩んでいた。

 こればかりは、久秀や弟たちに相談できるものではない。皆は、長慶の天下を望み始めている。長慶だけが、室町幕府の幻影に畏怖を覚えていた。

 煮詰まった長慶は、卯月の半ばに大徳寺を訪ねた。

「かなり参っておるようだの。さすがのお主も、剣豪公方様には、手を焼いておると見える」

 深い皺を刻んだ頬を緩ませ、大林宗套は嘯いた。

 義輝は一流の剣術家である状況から、『剣豪将軍』との異名をとっている。

「禅師は、面白がってございましょう」

 齢七十を超える大徳寺九十世の和尚には、権力者の長慶と雖も、子供のようにからかわれていた。茶道の師であるのはもちろん、人生の師とも仰いでいる。

 時に心に迷いが生じれば、ふらと話に立ち寄っていた。寺内に入れば、不思議に血生臭い戦の匂いが、頭から消える。

「ほっほっ。バレておるか。なれど面白いではないか。野生の鷹を、爪に掻かれながらも飼い馴らすそうとしておる、鷹匠のようなお主が」

「公方様を鷹などと申しては、言葉が過ぎまするぞ」

「怒るな、筑前守殿。まずは一服なされよ」

 通された居間で向かい合っていた。宗套は茶を点て、長慶の前にそっと置く。

 長慶は一礼し、作法通りに口に茶を含んだ。渋みの中から仄かな甘みがじわっと飛び出し、喉の峠を越えて腸に落ちていく。

「いつ拝見しても、けっこうな御点前でござるな。心が晴れるような心地が致します」

 戦や政に疲れた時、宗套の点てた茶を飲むだけで、どこか心休まる気分になれた。

 庭を見渡せば、丁寧に刈られた芝の上に、木漏れ日が落ちていた。芝の隣には、小さな塔頭が建っている。

「何を悩んでおるかは、わからぬ。また、一介の僧侶に過ぎぬ愚僧に、お主の抱えておる悩みの答は出せん。ただ、お主の表情を見るに、かなり無理をしておるようだな。あまり、己を偽って生きぬほうがよいぞ。でなければ、三好家は強うなっても、お主の心が、いつか壊れる」

 宗套の白髭が、生暖かい風に揺れた。長慶の心の奥を覗きこむように、目尻を細めている。

 長慶は宗套の視線に耐えきれずに、庭の木々に目を向けた。

「確かに、無理を続けるのは、きつうございますな」

 木々の青葉が揺れ、地面の影も蠢いた。

   8

 夏の間は、義輝や晴元らに目立った動きはなく、小さな小競り合いが続いていた。

 が、文月三日、またもや芥川孫十郎が寝返ったとの報が、長慶を驚かせた。

「おのれ、豊後守。舌の根も渇かぬ内に……。此度は、絶対に許さぬぞ!」

 長慶は、すぐさま芥川城を囲んだ。難攻不落の城である。川で囲まれた三方を外して、唯一に残された東の高台に陣を敷いた。城外から今にも攻めかかる姿勢で、孫十郎を恫喝している。

 しかし、長慶は天守を仰ぎ、歯噛みしていた。孫十郎を説得にやらせた使者が、這う這うの体で追い返されてきたからである。

 陣幕の中では、重臣たちが床几に腰掛けていた。長慶だけが立ち上がり、城を睨み付けている。

 孫十郎への怒りと、焦りが頭の中を駆け巡っていた。

 怒りは、長慶自身にも向けられていた。孫十郎が前回降伏した際に、此の城を取り上げておかなかった己の甘さに……。

 未の刻であった。じっとしているだけで、汗が甲冑の下から滲み出るような暑さだ。兵の疲弊と城の堅固さを考えると、昼間に攻めるのは得策ではない。今は皆、休ませていた。

 本丸の白壁が陽に照らされていた。

 東曲輪に続く山道には人気が全く見えない。物見の報告では、道の所々に穴が掘られているらしい。長慶に囲まれる状況を、既に想定しての仕儀だ。今は、見張り以外の姿は見えぬ。

 ――簡単には、落せぬわい。

 最初から想定はしていた。しかも、端から籠城の準備をしている。

 が、長慶が焦るのには理由があった。京の情勢である。

 いかに天然の要害とは申せ、城はいつか落ちる。とすれば、孫十郎が何の後ろ盾もなく、裏切る訳がない。芥川で長慶が時を経ていれば、間違いなく京で事が起きるはずであった。

「難攻不落とは、よう言うたものじゃ。力攻めは、愚の骨頂だ。如何ともし難いのう」

 一息吐き出した長慶は、どっかと床几に腰を据えた。犠牲を強いてまで、焦るつもりはなかった。

「豊後守殿には、干上がって貰いましょう。気長に待たれることです」

 久秀が、戦場にそぐわぬ暢気な声を出した。

「いつもは儂よりせっかちな弾正にしては、珍しいな。だが、確かに兵糧攻めしか手はなさそうじゃ」

「ですが御屋形様。そうなると、京が気に掛かりまするな」

 長逸が扇子で煽ぎながら口を挟んだ。髭に覆われた下顎が、扇子の風で波打っていた。

「うむ。儂もそれは考えておる。が、此の城じゃ、腰を据えるより致し方あるまいよ」

「御屋方様。むしろ、京が動けば我らにとって好都合と存じます。邪魔者たちを、討つ口実となりますからな」

「弾正。邪魔者とは……、いや申すまい。お主は、わざと京の動きを誘おうと申すか」

   9

「予想通りに、動き出したか。よし、此度も一気に事を決するつもりで大軍を動員しようぞ。淡路は問題ない。が、四国は豊前守が阿波に残り、何も起こらぬよう十分に注意せねばならん。左衛門督だけに、来るように申し伝えよ」

 案の定ともいうべきか。十四日には晴元らが長坂口から現れ、京に進軍してきた。間もなく、義輝も動き出すだろう。

 京の治安と民衆の不安を招かぬためにも、長期の戦は避けたかった。故に、大軍で事を決する。

 ところが、長慶が京で義輝や晴元と駆け引きをしている間に、阿波で異変が起こっていた。

 阿波の国主である細川持隆を、義賢と一存が攻めて殺したのだ。先月末のことである。

 一報が入った時の長慶は、重臣たちの前にも拘わらず、弟たちを大声で罵った。

 持隆は、長慶の恩人とも言える人物であった。晴元の従兄弟に当たるのみならず、持隆は、父の元長が死んで没落した長慶たち兄弟を、これまでずっと庇護してくれた。

 が、長慶の力が旭日の勢いとなり、弟の義賢が事実上の阿波の権力者になっていくに連れて、次第に関係が悪化し出した。国主として、蔑ろにされていると思ったのであろうか。

 きっかけは、持隆が阿波で燻っている足利義栄(義輝の叔父である義維の子)を担いで将軍にしようと企図したからだという。持隆の案に反対した義賢と対立が深まり、義賢らが凶行に及んでいた。

 確かに、畿内の揉め事を大きくしかねない案ではあった。が、実際は名目に過ぎない国主を、義賢が疎ましく思ったのだろう。

 一言でも相談があれば、長慶は断固として許さなかった。が、起こってしまった状況には対処せねばならぬ。

 今、阿波で騒乱が起こるのは不味い。義賢は持隆の残党を掃討し、阿波の国人たちに、三好家への忠誠を誓わせる役目を果たさねばならぬ。

「ははっ、直ちに。して、我らは、このままに?」

 久秀が面を向けてきた。広げられた絵図に、チラと目を落としている。

 ちょうど軍議の途中であった。大机に絵図を広げ、一向に進まぬ攻城に、皆が匙を投げ掛けていた頃である。

 文月は十五日になっていた。城を囲んで十日以上が経つ。が、多少の攻撃を試みただけで、ほとんど動いておらぬ。いや、下手には動けなかった。 

「淡路・四国勢が到着次第に、我らは京へ向かう。城の囲みに、一部の軍勢は残したままだ」

 京を片付ければ、孤立した孫十郎などは、物の数ではなかった。やがては、自滅するだろう。

「ははっ」

 重臣どもの顔が、秋空のように晴れた。いい加減に囲んで暮らすに飽きて、戦をしたいのだろう。

「ただし、近江守の動きには注意せよ。六角勢が敵に加勢すると、厄介な仕儀となる」

 六角定頼は、今年の正月に亡くなっていた。すぐに子の義賢が家督を継いでいる。

 義賢が、父のように義輝に加勢するかどうかは、まだ未知数であった。

   10

 芥川城包囲から動けぬ長慶を嘲笑うかのように、晴元らの軍勢は洛中に侵入し、長慶方の屋敷を焼き討ちにした。

 どうやら、敵の狙いは京の平穏を乱し、公家や民衆らの長慶への信頼を失墜させるのが目的のようであった。

 その証拠に、正規軍として進軍してくるのではなく、徒党を組んだ小勢が各所で出没し、事を成し遂げては散会する、といった神出鬼没な戦法を取っている。この戦法には、さすがの長頼も手を焼いていた。

 正規の戦であれば、長頼は武人として古今無双の働きをする。が、いつ、どこに出て来るかわからぬ敵を探索するのは、かなりの骨が折れよう。

 しかも、徒党が出没する回数が次第に増えていた。

「公方様の御内書が、各地に出されている様子です」

 久秀が報告してきた。徒党はもちろん、晴元らの兵が、徐々にだが増えている状況を訝しんでいたからだ。

 始めは一千程度の報告であった敵の軍勢が、二千、三千と膨れていた。京周辺の醍醐寺などの衆徒までが長慶に牙を剥いた点で、何かおかしいとは感じていた。

 三好政勝や香西元成も、義輝と接触しているようだ。

「どう見る、弾正。お主の言う邪魔者がどんどん増えているようだが」

「所詮は、烏合の衆でございましょう。真に倒さねばならぬのは、たったの二人でござる」

 義輝と晴元のことだ。

「御屋形様。やはり、此度もご決心は尽かずに、迷われておりますか」

 久秀の目が、真っ直ぐに見詰めてきた。いやらしさはなく、非難する目でもない。

 戌の刻である。

 長慶の陣幕に、久秀と二人だけでいた。

 陣幕の白布には、篝火の影が幾つも揺れていた。城から吹き降ろしてくる山風が、時にヒラヒラと幕を靡かせる。

 朝晩は、すっかり秋の装いになりつつあった。そこかしこの草叢からは、鈴虫や蛙の鳴き声が、ひっきりなしに響いている。

 兵士たちも聞き耳を立てておるのか、眠りに入っておるのかわからぬが、静かな夜であった。

 見上げれば、無数の星が淡い光を落していた。

「……まだ、尽かぬ」

 ぽつりと、洩らした。

「わかり申した。御屋形様のご決心が定まらぬのであれば、この弾正にお任せ頂きとうござる。御屋形様のお役に立てますなら、どのような汚名を着せられるのも厭いませぬ」

 久秀の目付きに、刃のような鋭さが戻った。一片の迷いもない。

「弾正。だんだん、お主は恐ろしい男になってきた。お主は、公方様や先の管領様を何者とも思っておらぬ。とすれば、その臣に過ぎぬ儂なども、お主から見れば取るに足らぬ存在なのであろう」

 久秀には、権威に対しての畏怖が全くなかった。長慶とは逆である。皮肉のつもりで口を衝いて出た。

「滅相もございませぬ。弾正は、他の誰を見下そうとも、御屋形様だけには、心から忠誠を誓っておりまする。此処までの身分にして頂いたは、全て御屋形様のおかげ。感謝しても、し切れるものではありませぬ。たとえ公方様や天子様に弓を引く仕儀が訪れようとも、御屋形様には未来永劫、決して刃向かいませぬ。こればかりは、信じてくだされ」

 久秀は、地面に額を擦りつけんばかりであった。長慶が許さなければ、頭すらも上げぬ姿勢である。

 ――これが、久秀の真なのかもしれぬ。

 将軍や天皇など、久秀にとっては何の意味も権威も持たない。が、久秀を今の地位にまで引き上げた長慶に、絶大な恩義を感じてくれていた。

   11

 義輝・晴元軍は、文月の末には小泉城(後世の京都市右京区西院乾町)を囲み、攻め始めた。恐らくは長慶が京に入る前に、霊山城の周囲の勢力圏を広げようとしているのだろう。

 この頃には、敵の兵力は数千に迫る勢いになっていた。長慶が京に居れば息を潜めていた連中が、一気に息を吹き返した形になっている。

「申し上げます。左衛門督様、摂津守様らの淡路・四国勢が富田(後世の大阪府高槻市富田町)に集結し、御屋形様のご到着をお待ちしており申す。また、河内勢も間もなく淀のあたりにまで進んで来る由にござる」

「頃合いや良し。これより我らも富田で四国衆らと合流し、北上して京を目指す。途中、下鳥羽あたりで河内衆とは落ち合えるであろう。その旨、使者を走らせよ」

「ははっ」

 一斉に床几を後にした諸将が、各々の陣を撤収に掛かった。城の囲みに一手を残す他は、残り全軍で京に入るつもりである。

 四半刻も経たぬうちに、丘や山肌を覆っていた陣幕は消えてなくなった。何事もなかったかのように、辺りには鬱蒼と緑が繁っている。

 街道を馬上に揺られていた。長慶を守る槍の穂先が陽を受け、時折ぎらっと目に入る。刺客に狙われるようになって以降、久秀が警固を厳しくしていた。

 その久秀は、物見と護衛を兼ねて先行していた。

 芥川城を背にして川沿いを下って半里も進むと、色鮮やかな旗指物が風に吹かれている光景が目に入ってきた。整然と辻に並んだ軍勢たちが、長慶の一挙手一動を待っている。

「御屋形様。お久しぶりでございます。息災の御様子は、何よりでござる」

 並んだ四国衆の中から進み出たのは、冬康であった。本当に、久しぶりである。

「おお、摂津守。四年ぶりになるか」

「はっ。いつぞやの京以来にござります」

 冬康は変わらぬ穏やかな目で、長慶の頭の上から鐙に掛けた爪先までを眺めた。

 と、――。冬康の斜め後ろには、一存が項垂れるように面を伏せていた。長慶の視線に気づいたようで、びくっ、と肩を震わせている。

「お、御屋形様。……阿波の仕儀は、真に申し訳ありませぬ」

 長慶が怒り狂った状況を、耳に挟んだのであろう。

 戦場では周囲が恐れる一存も、こうして見ると二十一歳の若者である。まるで、番頭に怒られる丁稚のようではないか。

 一存の憔悴した様を見て、怒る気は失せた。

「済んだことは、もう良い。それよりも、此度の働きで補え」

「ははっ。承りましてございます」

「左衛門督様には、阿波衆の分までお働き頂きたいものです」

 久秀の声が、背後から投げられた。

「弾正! お主に言われる筋合いはないわ!」

 神妙であった一存が、背後の久秀に目を剥いた。太い両腕で、今にも飛び掛かからんとする勢いだ。

「控えよ、左衛門督。御屋形様の御前だぞ。弾正よ、お主もつまらぬ横槍を入れるな」

 冬康が、すうっと一存の前に立った。

「これは、申し訳ございませぬ。悪気のう、口から出た次第にございます。常々、左衛門督様の武勇には目を瞠っておりました故に」

「摂津守の申す通り、つまらぬ諍いを起こしておる場合ではない。速やかに、軍勢を京に進める」

 長慶の一言に皆が従い、膨れ上がった軍勢が粛々と進み出した。

 ――久秀と一存の仲が悪いのは、儂にも一因がある。ちと、気をつけねばならぬ。

   12

 長慶は下鳥羽で河内の畠山高政や安見直政らと合流し、総勢・約二万五千の兵で京に入った。葉月一日の夕刻である。

 義輝・晴元軍は、長慶が京に入る報を聞くや、小泉城の囲みを解いて霊山城に入っていた。

「公方様が城には入らなかった、だと。それは真か」

「間違いございませぬ。城に籠っておるのは、松田、磯谷、内藤らの将だけにて、公方様は北の船岡山で陣を敷いておる由」

 長頼が自信に満ちた目で答えた。敵が小泉城を囲んでおる間、京の治安と情報収集を任せていた。

 京で長頼らと合流して、全軍が揃って初めての軍議であった。霊山城から南一里の場所に陣を敷いている。

 見渡せる限りの田には稲穂が稔り、もうじき来るはずの収穫を待っていた。戦がなければ、田畑には百姓が満ちていたであろう。

 西陽が皆の顔に落ち、陣中のあちこちにまで蜻蛉が動き回っていた。先ほど来から、蝉の鳴き声も大きくなっている。

 長頼の言に、ほとんどの諸将が味方の勝利を確信していた。城には大将の義輝が居らず、山上から高見の見物を決め込む。

 ――何も思い煩って、此度の戦を考える必要はなかった……。

 骨のある将軍だと思うていたら、いざ決戦では逃げ出したり、高見の見物を決め込む。どうも、掴み所のない将軍であった。

「命が惜しくて逃げ出すくらいなら、端から霊山城に籠らねばよいものを」

 久秀が皆を代弁してか、苦々しげに呟いた。

「公方様は見物をしたまま、我らに勝てる算段なのでしょうか」

 冬康も絵図を眺めて、首を捻っている。

 兵力差にして、味方は敵の数倍であった。大将であり、皆を煽った義輝が高見の見物をしている中で、誰が本気で戦をするというのか。

「御屋形様。明朝から、一気に攻め懸かりましょうぞ。儂に先陣をお申し付けくだされ」

 一存が、よく通る声を放った。爛爛と、目が輝いている。根っから戦が好きな弟であった。

 長慶は一存の、そういう子供じみた一面を、愛している。

 明朝は二日。陽が顔を出し始めた途端から、城攻めが開始された。

 先鋒は、希望通りに一存に任せた。一存の圧力に勝る武将は、他には見当たらない。

「懸かれ!」

 周囲を揺るがすような大音声で一存が叫ぶと、「おう」と、讃岐勢が駆け出した。

 味方の貝や太鼓の音が城の周囲を賑わせたかと思うと、城内からも返礼のように鳴り物が鳴らされた。

 城方は、槍を揃えた讃岐の赤備え隊に震え上がったのか。端から貝のように、城に籠ろうとした。

 ――貝には断固ならせぬ。

 長慶は右手を上げて、軍配を振った。

 すさまじい轟音。恐らくは、これまで誰も聞いたことのない数の鉄砲の音だ。濛濛と、空に白い煙が立ち昇っていた。

 讃岐勢の援護に、堺から集めた鉄砲隊を送り出していた。その数、三百挺余である。

 三年前に初めて晴元軍が使用してから、集められるだけ集めた。堺を抑えている長慶だからこそ、できる仕儀であろう。

 兵力差、火力差、武将の質の、どれを取っても味方が敵を圧倒していた。

   13

 僅かの間に讃岐勢が防御の一角を崩すと、敵は半刻も保たずに総崩れになった。味方が城壁をよじ登り、城内に殺到していく。

 後詰の長慶も城近くの麓にまで迫り、戦況を見守った。

 怒号と喊声が、次々に巻き起こっていた。やがて敵方は城に火を放ち、北を目指して落ち始めた。

 味方は逃げ惑う敵に殺到し、槍で突き、首を掻き切った。こうなると、戦ではなく、一方的な殺戮である。血に塗れた亡骸が、城壁の周囲に山積みになっていく。

「申し上げます。公方様らも陣を払い、落ちて行く様子でござる。追い討ちにしますか」

 傍らに控えた長頼が、長慶の顔を窺った。先鋒を一存に譲り、働き場所に飢えているのだろう。

「いや、捨て置け」

「御意」

 長頼も長慶の真意を読んでか、素直に引き下がった。一礼して、陣幕を後にしている。

「御屋形様。甚介殿より聞きましたが、公方様らを放っておかれますのか」

 長頼と入れ替わるように、久秀が幕内に顔を出した。元より、兄弟で示し合わせての仕儀であったかもしれぬ。

「また、何か言いに来たのか。追撃はせぬ、と甚介に申したばかりだぞ」

「この弾正にお任せくださいませぬか。決して、公方様の御命を奪うような次第には致しませぬ故。捕えて連れ帰りましょうぞ」

 久秀の両目が冷たい光を帯びているような気がした。表情が動いておらぬ。

「弾正、出過ぎた真似をするな。甚介殿すら、引き下がったのだぞ」

 御家の重鎮である長逸が久秀を叱り付けた。長逸も、出しゃばる久秀を快くは思うておらぬのか。

 周囲を見渡せば、居合わせた康長らが息を潜めて成り行きを見守っていた。久秀の申し出と、親族衆代表とも言うべき長逸の間を、長慶がどう調整するか気にしている。

 ――真に久秀の申し出を信じてよいものだろうか。

 久秀の長慶に対する忠誠を疑っている訳ではなかった。ただ、長慶のために義輝が邪魔だと久秀が判断すれば、殺しかねぬような気がしている。

 なかなか返事をせずに考え込んだ長慶を、久秀が親犬に縋る子犬のような目で見つめてくる。

 ――また、一存ら家中の動揺を招く恐れがあるか。軍事的な実績に乏しい久秀を、長頼にさえ許さなかった追撃軍の将に抜擢しようとしている……。

 が、どうも長慶は、久秀が向けてくる一途な忠誠心に答えてやりたくなっていた。

「よし弾正。お主に任せよう。ただし、公方様らは逃げるに任せ、降伏する将は、丁重に保護せよ」

「ははっ。全て、仰せのままに。ご期待を裏切らぬよう努めまする」

 すぐに久秀は、敵の追撃軍の大将として軍を率いていった。先頭に高々と掲げられた久秀の蔦の家紋が、味方を割って街道に出ていく。

    14

 久秀は長慶の命令通り、義輝らの残党に執拗な追撃は行わず、京から追い払う程度に止めていた。降伏した義輝の奉公衆も、保護して京に送ってくる。

 降伏者は、次第に増えていた。

 なぜなら、長慶が久秀に命じ、『公方様に随行して京を離れた者の知行は、全て没収する』と、布告したからだ。

 これまで義輝と共に長慶を非難し、暗殺まで企てた連中が、知行の安堵欲しさに長慶にひざまづいた。何ら恥ずかしげな様子もなくである。

 家臣に戦をさせ眺めておるだけの義輝、侍の矜持など捨て去った幕府の奉公衆たち。

 ――室町幕府は滅ぼさずとも、もう既に滅んでおるやもしれぬ。

 頭では十分に理解していたが、それでも、幕府を倒そうとまでは考えられなかった。

 結局、義輝は近江の朽木氏を頼って、朽木庄(後世の滋賀県高島市)に落ちて行った。朽木氏は、近江源氏の佐々木氏の庶流である。

 京の仕置きを済ませた後、長慶はすぐさま芥川城に取って返した。長慶に唯一、敵対し続けている孫十郎の息の根を、止めるためだ。

「恐らくは、城中に京の戦況は伝わっておろう。戦意を失くしておるはずだ」

「じきに、城中の兵糧も尽きましょう。そうなれば、いかに堅城とはいえ、落ちるのは時間の問題」

 冬康が、鳴りを潜めたように静かな城を見上げた。囲んで干乾しにするだけで、一切の攻撃は行っていない。

 再び、城の東に陣を敷いていた。久秀・長頼の兄弟は京周辺に残し、此度の脇を固めておるのは親族衆が主である。

 葉月も半ば、夜は月の美しい時季になっていた。

 今は夕刻。空は薄暗く、月が丸いかまぼこのように見えている。沈みゆく太陽の代わりに、ぽっかりと空に浮かんでいた。

「御屋形様。お伺いしたき儀があります」

 冬康が藪蚊を顔の前で払いながら、長慶の床几近くに寄ってきた。長慶を中心に、重臣たちの床几も置かれている。が、今は各々が陣を見回り、数人しか残っておらぬ。

「……弾正が仕儀であろう」

 冬康と一存には、京で帰国を許した。が、冬康は淡路への通り道だと申して、芥川まで同道している。長慶と二人で話す機会を窺っておったのだろう。

「左様でございます。お見通しであれば、儂の申し上げたき儀も、お解り頂けますでしょうか」

「わかっておる。儂も、家中を割るような真似はせぬつもりだ。が、摂津守。お主らも、ちと弾正を誤解しておるようだぞ。あ奴には、儂に取って代わろうなどという野心はない。あるのは、儂に天下を取らせようという野心だけだ」

「御屋形様がそう仰るのであれば、真でござろう。が、淡路にいる儂には、こうして直にお聞きするまでわかり申さなんだ。ですが、御屋形様。儂がわからぬように、周囲の皆たちにも、御屋形様の真意は、なかなか想像できぬものです。もし機会あらば、今の御言葉を左衛門督らにも、自らお伝えくだされ。きっと、皆が抱く誤解も雲散霧消致しましょう」

「相分かった。摂津守よ。よくぞ申してくれた」

 久しぶりに会っても、冬康の言は素直に耳に入った。兄の長慶と三好家を心底、思ってくれておるからだろう。

「よし摂津。今宵は、久方ぶりに月でも眺めて飲もうぞ」

 あの白い月が光を放ち出せば、上手い肴になるだろう、と長慶は思った。

   15

「城中の食糧は尽きた、と見えまするな」

 軍議の席での、長逸の発言である。

 というのも、此処のところ毎夜、城からの脱走者が後を絶たなかった。脱走者を尋問した結果、城中は飢え、木の皮や軍馬を食べる始末になっている状況がわかった。

 捕えられた者は皆が、乾いた生気のない肌と、肉が削ぎ落とされ、今にも飛び出してきそうな骨だけの体躯であった。どうせ死ぬなら逃げ出そうとの決意で、城壁を登り越えてきている。

「城内に脱走兵は咎めぬ、と矢文を射ち込んでやれ。それで、ますます落城は早まる」

 このまま待っていても勝ちは逃げぬ。が、長い戦に味方も倦んでいる。少しでも早く終わらせたい。

 矢文の効果は直ぐに出てきた。その夜からはさらに脱走兵が増え、城方も阻めずに匙を投げた格好であった。もっとも、食い扶持が減るため、あえて止めぬかもしれぬが。

 二日後の未明に、孫十郎から使者が来た。使者は、孫十郎の嫡子である長助を伴っている。齢は五つだ。

「さて、まずは豊後守の口上を聞こうか。今更、どの面を下げて、儂に降ると申すのか」

 鋭く言い放った長慶の声に、使者である真上の表情が引き攣った。長助も俯き、肩を震わせている。

 此度の長慶は、孫十郎を許すつもりは一切なかった。

「ははっ、恐れながら申し上げます。主は、此度も御屋形様に叛いてしまった仕儀を、深く悔いておりまする。この通りに嫡子の長助様も某に預け、くれぐれも、御屋形様によしなにお取り計らいくださるようにお願いせよ、と念を押されてござる。今後は未来永劫、芥川家は御屋形様のために粉骨砕身を致す所存」

「黙れ、真上! 一度ならず二度までも。親族衆なればこそ、この芥川を任せていたものを……。自ら城を出て謝罪にも来ず、童子を差し出して恩情を乞うなど、豊後守めは武士の風上にも置けぬ」

 肝心なところで義輝や晴元らと通じて長慶に叛く。下手をすれば、長慶が窮地に追い込まれる状況も有り得た。

 沸々と、腹の底から怒りが噴き上がってきた。期待を掛けていただけに、裏切りの代償は大きいと、教えてやらねばならぬ。

「長助と申したな」

 長助は、伏せ加減で両目の瞼を揺らしていた。怯えておるのだろう。

「はい」

「其方の母は儂の妹じゃ……。なれど、真に馬鹿な男を父に持ったは其方の不幸である。父の背信を、恨むがよい」

 垂れ髪の奥から覗く顔は、痩せて童子のような膨らみがなかった。藍色の着物に着られておるような姿が、哀れに思える。

 と、警護衆に目を投げた。

「二人を城の傍まで連れて行き、即刻、首を刎ねよ。豊後守に、己の甘さを思い知らさねばならぬ」

「御屋形様、それはなりませぬ。降伏を乞う使者にござりますれば。それに、長助は姉上の子でござる。我らとも血が繋がっており申す」

 冬康だった。縋るような目を向けてきている。

「ならぬ。その血の繋がり故に、一度目は許した次第だ。二度の背信を許さば、ますます都合の良い背信を繰り返す者が増える。たとえ親族衆であっても、儂に叛いた者には厳罰を与える姿勢を、内外に示す」

 長慶には、わかっていた。孫十郎の二度の裏切りも、元を正せば長慶の甘さが原因かもしれぬ、と。

 今までの合戦での長慶は、敵や、敵に寝返った者たちに甘い対応しかしてこなかった。

   16

 真上が両脇を固められ、地面に両膝を着かされた。首を突き出した格好のまま、有無を言わさずに刀が振り落とされる。

 首のない真上の体から鮮血が迸しり、土の上に倒れ込んだ。いや、転がったというべきか。

 落ちた首は、長慶からは見えなかった。悲鳴なのか喚声なのか、区別が付かぬような叫びが、周辺に充満している。

 声が収まらぬうちに、真上の半分にも満たない小柄な長助が引き出された。城の天守の方角に、顔を向けさせられている。

 城壁からは一際大きな喊声が沸き起こった。今度は、正しく悲鳴である。慌てたような素振りで、身分の高そうな形の侍たちと女子が数人、櫓の上に姿を見せた。

 長慶は陣幕の一角を取り除き、処刑の様子を見物していた。重臣たちも、固唾を呑みながら背後で立っている。

 櫓上の女子が、崩れるようにしゃがみ込んだ。妹のお末かもしれぬ。

 櫓から放たれる声に怯むことなく、蹴鞠のようにふわっと、小さな首が宙を描いた。藍色の着物が、血飛沫で朱に染まりながら、土に落ちていく。

 刹那、敵味方共に、しばし声を失った。戦場は音を失い、周囲の景色は灰色に染まった。

 長慶は己が作り出した生き地獄から、少しも目を逸らさなかった。

 三日後の未の刻に、孫十郎は単身で城を出て、長慶の陣に降伏に来た。誰何を受けた際には脇差一つも身に着けておらんかったようだ。

 皆が居並ぶ中、三間ほど離れた場所に床几を与えていた。自ら赴いた気持ちを買ったのである。

「痩せたな、豊後守よ」

 孫十郎は、幽鬼のように骨と皮になっていた。落ち窪んだ両目には、かつての生気はない。とても天下人である長慶に弓を引いた男とは思えず、半ば死人同然に見える。

「このような姿で御目通りし、面目ございませぬ」

「さぞ、儂を恨んでおろうな」

 宙を舞った長助の首が、瞼に浮かんだ。

「いえ、恨みはございませぬ。二度も御屋形様に叛いた、儂の不徳の致すところにござる。只々、長助が事は残念に思っており申す」

 孫十郎が痩けた頬を震わせ、下唇を噛んだ。

「相分かった。お主が一人で参り、全面に降伏したは執着至極である。この上は、命までは取らぬ。城を明け渡した後は、どこぞに落ちて行くがいい」

   17

 長慶は孫十郎に城を開かせた後、そのまま芥川城に入った。二度とこの堅固な城を囲むまいと思ったのと、今後の政で京と攝津全域に睨みを効かせるには、ここを本拠にするのが最適と思われた。

 孫十郎は、長慶の妹のお末らと共に、何処かへ落ちていった。長助を手に掛けた以上、妹とも顔を合わさなかった。

 長慶軍が入城した際、枯れ木が具足を付けたような敵の亡骸が、城内の至る所に転がっていた。戦とは申せ、干乾しとは酷い作戦である。

 芥川にどっしりと腰を据えた長慶は、事実上の天下人として政の采を振るうようになり始めた。

 なぜなら、義輝が朽木に落ち、幕府の奉公衆らのほとんどが長慶に屈服したからである。

 京で起った紛争や政に関する重要な裁断を、伊勢貞孝らが直に長慶に仰いでくるようになっていた。

 長慶の花押の付いた文書で、政が動き出す。それは権力を我が手に握った喜びでもあり、恐れもあった。芥川が、天下の中心となる。

「日向守よ。甚介に八上(後世の兵庫県篠山市)を落せと命じようと思うが、何か意見はあるか」

「いよいよ、丹波でござりまするか。御屋形様の作戦に異議を唱えるなど、儂にはとてもでき申さぬ。甚介殿ならば、間違いないでしょう」

 長逸が笑顔で鞍から降りて、手綱を供に渡した。額では汗が光っている。

 長慶はとっくに馬から降りて、汗を拭いながら待っていた。

 城の南は芥川の畔まで、野駆けに出ていた。馬の吐き出す息が、微かに白煙となっている。

 長月に入ったばかりだが、もう風が冷たかった。火照った長慶の体には、心地が良い。

 朝餉の後に直ぐ城を飛び出した。百姓たちは、既に野や畑に出て働いている。皆は、長慶らが傍を通ると、丁寧に辞儀をした。城主が代わっても、民の営みは何も変わらぬのだろう。

 八上城は、丹波の大名である波多野晴通の居城であった。かつて長慶は晴通の父である稙通の娘を娶り、婿と舅の間柄だったこともある。当時、晴通とは義兄弟であった。が、今はしばしば長慶に敵対している。

 此度は完全に京を制圧し、実権も握った。長慶は余勢を駆って、丹波も手中に収めたいと思っていた。

 もう一つ、考えがあった。版図を広げて長慶の実力が圧倒的になればなるほど、義輝や晴元らは戦意を失うのではないか、と。

 此度もそうだが、彼我の戦力差が大きければ、義輝と晴元はまず主戦場には出て来なかった。

 となれば、長慶は心置きなく戦える。長慶には勝てぬと義輝らが悟れば、いずれは和睦も成るやもしれぬ。

「よし、甚介を総大将、弾正を副将にして西に向かわせよう」

「殿。一つ宜しいですかな」

 長逸が、改まったような声に変えた。汗を拭って乱れた着物の襟を、正している。

「どうした、改まって。申せ」

「僭越ながら……。これまでの働きからして、弾正殿が甚介殿より官位が高いのは解せぬ、と家中から声が上がっており申す。丹波攻めが終りましたら、甚介殿の官位を奏上されては如何でござろう」

 長逸も、久秀に対して警戒心があるようだ。冬康に約束した通り、長慶は家中を割るつもりはない。

「其方の申す通りであるな。宜しい、丹波を平らげたら、そのように致そう」

   18

 本丸の中庭に出ている時であった。繁みの陰から「御屋形」と長慶を呼ぶ声がする。

「……保士か」

「御意」

 繁みからささっと、浅黒い肌の保士が顔を出した。百姓の形である。

「どうした、何ぞ掴んだか」

 保士には、何か掴んだら報告せよ、とだけ言い渡していた。自由に動き、探索することを認めている。

 長頼と久秀らに八上城攻めを命じてから、十日ほどが経っていた。松永兄弟は、長月三日から、八上城を囲んでいる。

 陽が、遥か下を流れる水面を黄金に変えていた。山肌を覆う羊歯の茂みの、緑も映えている。冬を迎えた芥川界隈は、未なお秋の匂いが残っていた。 

「はっ。何やら、京北辺りが騒がしくなり始めており申す。恐らくは、甚介殿が京を離れた故」

 長頼の武名は、畿内に鳴り響いていた。

「甚介が京を留守にした隙に、何か事が起きると申すか」

 義輝や晴元はついこの間、京から追い出したばかりだ。長慶は首を捻った。

「恐らくは間違いないかと。詳しい調べはこれからですが。一旦、甚介殿らを呼び戻すのも一つの手かと存じます。いや、これは儂の範疇を超えておりますな。では」

 一瞬、白い歯を見せたかと思うと、保士の姿は山肌に消えていった。忍が意見してはいかん、と思ったのであろう。

 保士は、決して忍である己の分を超えようとはしない。長慶は、そういう保士を気に入っていた。

 数日後に、保士の言は現実となった。

 八木城(京都府南丹市八木町八木)が、敵に囲まれたのだ。

「右衛門大夫らめが! 悉く儂の邪魔をするつもりか。急ぎ甚介に兵を返し、八木城を救援に向かうよう伝えよ」

 三好政勝と香西元成らが兵を募り、攻め寄せていた。江口の戦以来、何度となく敗れても、長慶に牙を剥いてくる。

 ――ええい、忌々しい奴らだ。

「甚介に、此度こそは右衛門大夫と越後守の首を持って参れ、と重ねて伝えておけ!」

 孫十郎の子・長助を処刑してからというもの、長慶の心は殺気立っていた。いや、事実上の天下人になったにもかかわらず、一向に満たされぬ状況に苛立っておるのか。

 しかし、間もなく、僅か二日で八木城が落ちた、との一報が城中を駆け巡った。

 城主の内藤国貞は敗死したという。ちなみに、長頼の妻は国貞の娘である。

 ――救援が間に合わず、駆け付けた長頼の心は、如何ばかりであろうか。

 実直な長頼である。目の前で義父を死なせた己を、責めておるやもしれぬ。

 また、八木城は京から山陰路へ向かう要衝の地にあった。難航不落の堅城でもある。奪われたのは、今後の軍事戦略上は、かなりの痛手であった。

   19

「御屋形様! 甚介殿がやり申したぞ」

 駆け込んで来たのは、長逸であった。ドタドタと板間を鳴らし、バタ、と腰を下ろす。

 早馬が到着したとの知らせがあり、皆が集まっていた。

「動きがあったか、申せ」

 八木城での攻防が始まったのであろう。長逸の髭面が、緩んでいる。味方に良い知らせか。

「動きどころではありませぬ。甚介殿は、僅か一日で城を奪い返しましたぞ」

「何と! そは、真か……」

 八木城は、山全体の諸所に曲輪を配置した巨大な要塞である。丹波国でも有数な城が、二日で落とされ、一日で奪い返したというのか。

 長慶は、低く呻いた。信じられぬ気持ちである。

 が、怒りに奮い立った長頼が猛攻したと考えると、有り得ぬ話ではないとも思う。

「間違いなく、真でござる。甚介殿の武名はますます高く、畿内中の噂になっておるそうな」

 居並んだ諸将も笑みを浮かべて、喝采し出した。兄の久秀と異なり、長頼の爽やかで誠実な人柄は、多くの者に好まれている。表裏のない武人であった。   

「祝着至極じゃ。甚介の武勇を、皆で祝おうぞ。酒の仕度を致せ」

 主役の長頼は不在であったが、芥川は美酒に酔う一日となった。

 戦後に長慶は、八木城の家督を内藤国貞の遺子である千勝に継がせた。しかし、千勝が幼少であったのを幸いに、長頼を後見として城に入れている。

 これで、事実上は八木城も長慶の直轄になった仕儀となる。

 山城、摂津、丹波、和泉、淡路、阿波、讃岐に加えて、播磨と伊予の一部。今や長慶の勢力圏は、九か国に跨る広大なものとなっていた。

 他に長慶に匹敵できる大名はと申せば、山陰八か国の尼子晴久、関八州の北条氏康くらいであった。

 しかし、日の本の中心地を抑え、さらに堺も手中に治めている点で、国力は長慶がずば抜けていた。

 しばらく畿内が治まりそうだと思ったばかりであった。が、播磨で火種が燻っていたようである。

 年を越して天文二十三年(一五五四年)の春頃から、摂津の有馬郡を治める有馬重則と、西を接する播磨の三木次郎が、領地争いを繰り返すようになっていた。

 寡兵同士で、互いの領地を荒らし回っていると聞く。力が均衡しており、なかなか両軍共に決戦には慎重な姿勢を見せていた。

 播磨独自の事情も影響していた。播磨は現在、三木、別所、小寺などの小豪族が割拠している。決戦などして力が弱れば、それら周辺の豪族に付け入られる恐れがあった。

 最近になって重則から長慶に、しきりに援軍を要請してきていた。重則は、以前から長慶に好を通じている。

 ――なかなか、戦は止みそうにないわ。

 圧倒的な実力を手にしても、戦が止む訳ではないようだ。その力を、利用しようとする者が現れる。

   20

「播磨への出陣は、今が好機かと存ずる」

 長逸が簡単な挨拶の後、すぐに口を開いた。言いたい話を先延ばしにできぬ型の男である。腹蔵がないので、長慶の信頼は厚い。

 葉月末に、重則からの要請に応えた形で、長逸を播磨に救援に赴かせていた。

 破竹の勢いで三木次郎を有馬郡から追い払い、城に閉じ込めた長逸は、居城に戻る前に芥川に報告に来ている。

 長月の十三日になっていた。

 具足のまま本丸の居間に通った長逸は、労いに出した茶すら目に入らず、話し出した。

 夕刻である。射しこんだ陽が、長逸の影を板間に伸ばしていた。

 長逸は播磨の状況を粒さに見て、長慶が大軍をもって今の内に攻めれば勢力を拡大できる、と確信して戻ってきた。間を空けずの出陣を、勧めている。

「それほど、播磨は乱れておるか」

 小豪族の争いぶりが、である。各々の領地は纏めてはいるだろうが、大勢力が侵攻して来た際にも、結束する可能性が低いほうがよい。より強大な敵に当たる際には、思わぬ同盟が成り立つ状況も考えられた。

「はっ。十中八九は各個撃破が可能かと思われます」

 とすれば、迷う必要はなかった。長逸の目なら、判断に疑いはない。

「よし、播磨を攻めようぞ。此度は、四国勢らに随分と働いて貰う仕儀となろう。来月の半ばに、淡路の炬口城に弟たち皆を呼び寄せるよう。出兵の打ち合わせを致す」

 播磨を攻めるには、陸地からの侵攻と共に、海軍も動員しようと考えた。

 摂津の海岸から離れて淡路に近づくに連れ、波は荒く、猛々しくなった。

 といっても、野分などではない。よく晴れた、青空が広がっている。

 淡路や播磨の海は、流れが速く、うねりも大きいので有名であった。

 神無月の十二日になった。今日の昼に、炬口城で弟たち三人に会う手筈になっている。

 冬康と一存とはたまに顔を会わす機会はあったが、義賢とは数年ぶりとなる。天下人と煽てられても、兄弟とすら、なかなか会えぬ。

 海面を這う風が、安宅の甲板を滑るように通り抜けていく。さすがにもう冬の時季なので、着物の下から付け入ってくる風が冷えていた。

 やがて、懐かしい炬口港が眼前に入ってきた。冬康を養子に出す際に訪ねて以来である。 

 思い起こせば、長慶は当時は十四か五歳くらいだった。家督を継いで、四苦八苦しながら畿内を駆けずり回っておった頃だ。

 港を見渡せば三好の旗が連連と掲げられ、淡路衆が粛然と並んでいた。

 以前訪ねた時は全くの田舎の港町に過ぎなかった。が、三好の一軍として京などで働くうちに、軍勢としての品格を備えるようになっている。

 ――真に、冬康は淡路衆をよく纏めておるわ。

 七つか八つだった当時の冬康の姿が、懐かしく脳裏に浮かんだ。

 長慶の旗艦を先頭に、数隻の安宅船と関船が港に入った。港には見物衆が集まり、一際賑やかな様子になってきている。

 渡しから地に降り立つと、肩衣姿の冬康と、具足姿の義賢と一存が並んで立っていた。

「皆が揃うのは、真に久しぶりだな」

 開口一番、長慶は弾んだ声を投げた。潮騒が、耳に心地良く響いている。やはり、兄弟が皆で揃うのは嬉しいものだ。

「ははっ。我らも同感でございます」

 冬康が微笑むと、二人の顔も崩れた。

 一瞬、子供の頃に返ったかのような錯覚に陥った。赤子の一存を父の元長が抱き、後の三人はまだ髪を下ろしている。

 が、所詮は錯覚であった。父は、一存を一目も見ずに身罷っている。

   21

「ここまで来れたのは、皆のおかげ。まずは祝杯を挙げようぞ」

 心からそう思っていた。親や兄弟であろうと気の許せない今の時代で、弟や叔父たちは 

一丸となって長慶を支えてくれていた。

 本丸の奥間には、冬康が気を利かしたか兄弟だけが集まった。一応は、播磨出兵の密議をする建前になっている。

 昼間なので、閉じられた障子を光が通していた。もっとも、北小窓は開け放っておるので、葉を幾らか落とした木々が目に入る。視線をさらに上に向けると、心配事も消し飛ぶような青がある。

「何を仰いまするやら。我らこそ、御屋形様にここまで従いて来られて、真に夢のような心地でござるわい。のう、兄者」

 一存が、既に酔うたように戯れた。悪戯の過ぎる童みたいな表情である。

「おっ……。もちろん、そうでござる」

 伏目がちだった義賢が、一存に声を掛けられて顔を上げた。義賢は年月を経て、ますます長慶に似てきたと思う。

「豊前守。其方がしっかりと四国を統べてくれるおかげで、儂は畿内の政を執れる。これからも頼むぞ。其方は、いわば四国における儂の分身じゃからな」

 義賢には阿波と伊予は元より、瀬戸内全域に掛けての独立統治の権をほぼ与えていた。必要とあれば、己の判断で一存や冬康といった讃岐・淡路勢をも動かせる。

 なかなか会えぬとは申せ、絶大な信頼を置き、武将としての手腕は買っていた。

「ははっ。有難き仰せ。今後も、兄者のために尽力致しまする」

 義賢としばし目を合わせた。気まずかった間柄が氷解していく気がしている。

 義賢が阿波国主の細川持隆を殺してから、初めて顔を会わしたからだ。どこか気まずい雰囲気が、ずっと二人を押し包んでいた。

「兄者。やはり会うて話せば、我ら兄弟はわかり合えまするな」

 冬康が長慶の盃に酒を注ぎ、己も口に含んだ。

 兄弟皆が無言で頷き、微笑んでいた。酒宴の機会は多いけれど、なかなかこれほどの美味い酒は飲めない、と思う。

 播磨への出陣を綿密に打ち合わせるつもりであったが、その日は延々と飲み明かす次第となった。

 翌日に十分の打ち合わせを済ませ、兄弟たちはそれぞれの国に帰った。長慶も堺から京の情勢を気にしつつ、芥川に戻っている。

 播磨への侵攻は、霜月に入ってから開始された。

 先鋒の篠原長房が、二日に阿波から播磨へ上陸し、人丸塚(後世の兵庫県明石市)に陣を敷いた。義賢の片腕である。

   22

 芥川城は、出陣の準備に追われていた。天文二十四年(一五五五年)の正月の十日になっていた。

 皆の吐く息が白かった。

 城下には続々と畿内各所からの軍勢が集まり始め、割り当てられたそれぞれの場所に陣を置いた。年明け早々の出陣なので、武将たちは到着すると、年賀の挨拶にやってくる。

 まだ春の面影は全く見せず、夜などは雪がちらついている。元日の夜には、城下の景色は一面が白に染まった。

 昨年の霜月から始めた播磨攻めは、一向に捗っていなかった。

 篠原長房の後詰に長慶の直属軍を一手、送った。が、ずっと明石城を囲み続けている。明石氏は城門を堅く閉ざし、城から一歩も出ずに籠城していたからだ。

 長房らは無理攻めをせず、年明けからの本格的な攻勢を待っていた。犠牲を最小限に抑える戦の仕方は、長慶の好みである。義賢が長房の才を愛しているのが、垣間見えるような気がした。

「御屋形様。豊前守様が、そろそろ上陸される頃ですな」

 康長が、肥った体を揺らして近づいてきた。肉がたっぷりと付いた腹のせいか、胴丸が前に迫り出している。

「我らも急がねばならぬ」

 午の刻であった。

 長慶は本丸郭の傍から、城下に集う軍勢を眺めている。

 義賢の阿波勢は、早朝から渡海していた。上陸したらすぐに、明石城の囲みに加わる手筈になっている。

 長慶も呼応して今日の午後には発ち、明日には明石城の包囲に加わる計画であった。

 敵方は、今日、到着した阿波勢の大軍を見て驚いた後、明日には長慶の大軍を目にする展開となる。圧倒的な力量の差を見せ、戦意を奪うつもりであった。

 軍勢が巻き上げた砂煙が、寒風に乗って消えていった。街道の脇には、長慶の軍勢を一目でも見ようと、時折、ちらほらと民衆が顔を出す。童たちが、軍勢に沿って土手を走っていた。

 やがて、風が湿りを帯びるようになった。海が近くなってきたのだろう。越水で一泊した後は、明石まで海沿いの街道をいくつもりだ。

 翌日、播磨に着くと、長慶は太山寺(後世の神戸市垂水区伊川谷)に本陣を置いた。

 太山寺は天台宗の仏教寺院であった。開山は藤原鎌足の長男と聞いている。

 本堂から庭園を挟んで眺める三重塔が、静かな山間に風情を醸し出していた。草木が賑やかな季節であったなら、さぞ美しかっただろう。

 遠巻きに後詰をしたのは、既に先鋒と義賢の軍勢で十分だからだ。敵は必死に囲みを破ったとしても、強大な長慶の後詰に当たらねばならぬ結果となった。大方は、戦意を喪失しているだろう。

 故に到着してすぐに、城へ降伏勧告の使者を出した。無益な戦は、できるだけ避けたい。

「御屋形様。御見込み通りに、敵は降伏してきましたぞ」

 義賢が、朝早くから供回りを連れて太山寺を訪れた。夜明けと共に、城から義賢の陣に降伏の使者が現れたらしい。

「一晩じっくり考え、抵抗の愚を悟ったのであろう。互いに犠牲を出さずに済んだ。降った者たちも、粗略には扱わずに労ってやるがよい」

「残るは、三木でございまするな」

 此度は、この足で佐藤城の三木次郎を討つ算段であった。

   23

 佐藤城(兵庫県小野市中谷町)の守りは堅固であった。昨年の長逸の攻撃で付城や出丸等を攻め落とし、丸裸にしていたにも拘わらず、である。

 平城であったが、東を大畑川、西を中谷川、北を東条川が遮った要害の地に作られている。

 攻めるのは、南からしかなかった。しかも、性質の悪い状況に、空いた南側も狭い。せっかくの大軍の利が活かせぬ。

「懸かれ! 懸かれ!」 

 前方十町余では、先鋒の長房が、明け方から攻撃を開始していた。喊声と太鼓の音が響き渡り、周囲を圧している。

 味方が外堀に怒涛のように飛び込み、二丈くらいはある土塁に取りついた。

 土塁の上からは、矢や石と共に、敵の槍も落ちてきた。味方の幾人もが、ばらばらと堀の底に吸い込まれていく。

 数日間は、城内外での攻防を繰り返した。城の士気が、意外にも高い。

 しかし、此方は大軍であった。何人か討たれて犠牲を出そうとも、次々と蟻が群がるように土塁を登り、ついには内堀に到達した。まあ、犠牲を出す戦は、本来は長慶の性には合わぬのだが。

 それから以降が、どうもいかぬ。

 外堀、内堀を占領されてからの、敵の守りは堅固であった。

 主郭、西郭には、当主の次郎自らが叱咤に出て、上手く味方の攻撃を阻んでいる。都合の悪い状況に、主郭や西郭に到達する道筋はさらに狭かった。寡兵で、敵の城郭に挑まざるを得ない格好になっている。

 さすがの義賢も、攻めあぐねていた。それだけ、次郎の指揮が巧みといえよう。

 如月も半ばを過ぎていた。出陣した頃とは違い、草木が芽吹き、周囲の山の緑が眩しくなっている。

 佐藤城を攻め始めて、既に一月が過ぎていた。長慶は苛立っていた。

「御屋形様。到着したようです」

 長逸が、幕を潜ってきた。待ち人ようやく来る、とでも言いそうな表情だ。鋭い目尻には、笑みすら浮かんでいるようだ。

「すぐに前面に出して、敵の度肝を抜いてやれ」

 長慶も、状況打開のために待ち望んでいた。鉄砲隊である。

 京と攝津に分散させている鉄砲隊の半分以上を、呼び寄せていた。播磨の田舎侍たちを、驚かせるためである。

 新兵器を見せ付け、実力差を理解させる。なかなか佐藤城が手強いと見た長慶は、力攻めを避けようと考えた。

 いかに現在は城方が優勢とは申せ、寡兵には限界があり、いずれは兵糧も尽きる。無残に城を落とされるより、良い条件で和議に応じたほうが賢明である、と伝える腹の内であった。

 此度の播磨攻めは、圧倒的な力を誇示して勝つ算段であった。

   24

 轟音に次ぐ轟音が鳴り響いていた。

 長慶は鉄砲隊が到着してから、間断ない射撃を繰り返させていた。

 そのため、土塁や石垣に取り付いて登るのは容易くなった。敵が防ごうと櫓などに姿を現せば、蜂の巣になるばかりだからだ。

 もっとも、味方が壁を越えて攻め懸かった時の敵勢の抵抗は、まだ激しい。

 しかし、激しい鉄砲と大軍の圧力に、いつまでも耐えられるものではなかった。

「一両日中であろうよ」

 降伏するか、城が落ちるかが、である。

 敵が首を引っ込めた亀のようになったので、前線の長房の陣に視察に出ていた。外堀のすぐ側で、義賢も付き添っている。

 白煙はすぐに風が掃ってくれた。が、硝煙の匂いは濃く残り、鼻の奥をつんと擽る。

「弾込め!」「構え」「撃て!」と、その間にも、味方の下知は次々に飛んだ。

 その都度、数十本の唐竹を一斉に割ったような音がして、敵を脅かし、城壁を抉った。

「間違いないですな。明日の朝には使者が参る、と儂は考えまする。これだけの鉄砲です。張りつめていた緊張の糸を断ち切るには、十分」

 義賢が、一息吐いた表情をしていた。心なしか目元が緩んでいる。

 なかなか落とせずに気を揉んでいたのは、弟も同じであった。阿波勢が先鋒になっておる以上、四国の総帥として責任を感じていたであろう。

 夕暮れ時に、佐藤城の周囲を包んでいた風が凪いだ。濛濛と白煙立ち込める城は、さながら灸を据えたようだ。いや、城が燃えたと見れば、落城を予言しておるやもしれぬ。

 義賢の予想が当たった。翌日の長慶軍が攻撃を開始する前には、城から降伏の使者がやってきた。

 播磨の東二郡を版図に加えた長慶は、芥川に凱旋した。

 久方ぶりの、平穏な暮らしを送っていた。

 京の治政も大方は落ち着き、長慶の判断が必要な案件も減っていた。

 長慶は、ここぞとばかりに連歌と茶に明け暮れた。京の公家たちと連歌会を催し、堺に出かけては、茶を楽しんだ。

 武人よりも今の隠遁したような暮らしが性に合っているのかもしれぬ、と思っていた矢先に久秀が訪ねてきた。

 久秀には、滝山城(兵庫県神戸市中央区)を与え、西摂津の統治を任せていた。会うのは、久方ぶりである。

 長慶の版図が格段に広がったため、主だった武将を各地に派遣して統治していた。任せた領地に関しては、幅広い権限を認めている。

「相変わらず、見事な御点前でございまするな」

 久秀が口に含んだ茶を、背筋を伸ばして吟味していた。口内の舌が動きを止めたのであろう。慣れた手つきで湯飲みを畳に置き、笑みを向けてくる。久秀も、一級の茶人だ。

 本丸の離れに急拵えで造らせた茶室にいた。二間四方くらいの部屋に、畳を敷かせた殺風景なものだ。山水画の掛け軸と一輪挿し、茶道具の他には何もない。

 開け放った窓からは、梅や松の木が目に入った。陽は縁側の半ばまでを侵し、茶室の内と外で別世界を作っている。

「で、弾正。何か申したい仕儀があるのだろう。茶を飲むためだけに、お主が参ったとは思えぬ」

「これはご明察、恐れ入り申す。せっかく御屋形様と茶を楽しんでおる雰囲気に、そぐわぬかもしれませぬが……」

 久秀が言い難そうにして、庭に視線を向けた。梅雨がすぐ傍まで近づいていたが、一面の乾いた青空である。

「戦の話か……。仕方がない、申してみよ」

 久秀が言い辛そうにしておるので、戦しかない、と思った。わざわざ来た久秀の話を聞かぬ訳にもいくまい。助け舟を出した。

   25

「八上でござる」

 久秀の意図は、直ぐにぴんと来た。長慶も、心に引っ掛かっていたからだ。

 一昨年に八上城を長頼に攻めさせたが、三好政勝らに八木城を落とされ、長慶は退却を命じた。苦い思いとして、今も蘇るくらいだ。

 城主の波多野氏と政勝は今なお好を通じて、長慶の版図である北摂津や播磨を脅かしていた。すぐ側の西摂津を統べる久秀としても気が気でなく、目の上の瘤に見えるのであろう。

「儂も考えぬではない。が、昨年来からの出陣続きじゃ」

「御屋形様自らではなくとも、備前守殿などは動かせませぬか」

 備前守とは、長頼の官位であった。長逸との約束通り、奏上して賜っている。

「とすれば、再び備前守が八木城を空ける結果となる。せっかく安定しておる京や近江が、また不穏になる可能性が高い」

「わかりました。出過ぎた内容を、申してしまったようです。お許しを」

 久秀が、つと尻を擦るように一尺ほど下がり、頭を下げた。

「秋の終わり頃までは待つのだ。百姓らの収穫が終れば、儂も手を打つ考えだ」

 長雨の梅雨と夏から秋が冷たかったせいで、作物に元気がなかった。

 不作ながらも大方の収穫を終えた状況を長慶は見届けてから、長逸を八上城攻略に派遣した。

 長月も半ばであった。

 長慶の中軍を一つ従けて送り出した長逸の戦果は、散々なものとなった。

 意気揚々と八上城を囲んだ長逸は、背後を政勝や波多野の軍勢に脅かされ、撹乱された。

 八上城は、後に明智光秀が攻めきれずに、実母を人質に出して波多野氏を降伏させたほどの堅固な山城であった。高城山全体を要塞化した、寄せ手は攻め難いが、守り易い城である。

「時機を改めて、今度は儂が行こうぞ」

「面目もございませぬ」

 長逸の落ち窪んだ目の光が、弱弱しかった。肩の辺りにも、疲労が滲み出ている。

 敵の撹乱に耐え切れずに兵を退こうとした長逸を、敵は猛追した。

 地形を知り尽くした波多野勢は、突如として山々の陰から襲い掛かってきた。

 味方の犠牲は広がり、長逸は散々の態で芥川に戻ってきていた。なかなか、視線を上げようとはしない。

「気にするな、日向守。敵に、地の利があったということだ」

 これで、八上城攻めは二度目の失敗となる。

 ――三度目はない。

 長慶は、戦で負けたままにしておくつもりはなかった。

    26

 弘治三年(一五五七年)は神無月になっていた。

 長慶は自ら指揮を執っていた。久しぶりの戦である。

「懸かれ! 一昨年の屈辱を雪げや」

 平地に陣を敷いたとは申せ、冬の丹波は底冷えがする。背後を流れる篠山川の水などは、つとに冷たい。

 昨年一年間は、ほとんどを連歌・和歌・茶の湯をして過ごした。このまま長慶は政を家臣らに任せて隠遁するかもしれない、と京の噂にもなったようだ。

 しかし、長慶自身は、しばしの休養のつもりであった。次に真っ先に攻めるは、この八上城と心に決めて、入念に策を練っていた。

 北西は峻嶮、南は尾根が続き、東西に長い。力攻めが通用する方角は、長慶の陣取る北と、山間の西部からしかなかった。

 が、此度は完全に包囲を完成させ、背後で蠢動する政勝や波多野勢もおらぬ。悠々と、城攻めを眺めていた。

 なぜなら、八木城から動けぬ長頼からの援軍を、西摂津から呼び寄せた久秀軍の指揮下に置き、付城と出丸を全て落とさせた。また、徹底的に伏兵を調べさせてもいる。長慶の背後を衝く隙など、どこにも作らせぬつもりだ。

 前回の長逸が背後の伏兵に悩まされて敗れた轍を、二度と踏むわけにはいかなかった。

 三度の敗北を喫すれば、長慶軍の信頼は失墜して求心力が低下する。となれば、現在は従っている畿内九か国の豪族たちの去就が危ぶまれ、再び畿内が戦火に塗れる恐れがあった。

 故に、何としてでも波多野氏を屈服させる必要があった。

 そこらじゅうから、轟音が木霊していた。三木氏を降伏させた時のように、大量の鉄砲を運んできている。

 波多野勢は、これほどの数の鉄砲音を、聞いたこともないだろう。

 敵の被害はさほどでもない場合もあったが、敵に心理的な圧力を与えられる。戦意を挫くのも、攻撃の一種であった。

 山道を、じりじりと味方が這い登っていた。今や味方は、二ノ丸を抜かんと迫っている。

 八上の本丸までは、約三百丈の高さであった。二ノ丸までは五十丈程度に過ぎぬ。が、頂上から、徐々に迫ってくる長慶軍を見ておる波多野晴通は、間違いなく風前の灯に違いない。 

 また、攻城を始めて数日が経っても、長慶軍に動揺が見られぬ状況も訝しんでいる。波多野勢や政勝が背後を攪乱して、前回のように追撃する時機を待っておるはずだ。策が破れたのではないかと、焦り始める頃合だろう。

「御屋形様。右衛門大夫は北に追い払ってござる。物見の報告では、京北の方へ逃走したとか」

 久秀が、長慶の本陣を訪れた。背後の伏兵たちをほぼ平らげたとの報告である。

「であれば、波多野勢に教えてやらねばならぬな。一番に知りたがっておるのは、彼奴らだろう」

 これで、敵の戦意は萎えて、勝を拾える。

 久秀が目で頷いた。薄く頬が笑っている。

「右衛門大夫の軍は、京に逃げ帰ったと伝えてやれ。それから、城外で討ち取った波多野の大将首を、二つか三つも、敵陣に投げ込んでこい」

 下知を投げた。「ははっ」と、幾人かが陣幕を出ていく。

 城主の晴通が降伏し麓の陣に降りて来たのは、その日の内であった。

「与兵衛殿。このような再会は望みたくはなかったですな」

 政略結婚であったとは申せ、かつては義兄弟であった男である。跪いた晴通の背が、小さく見えた。上背は、長慶よりも高い。

「な……、なんとも申し上げようがござらぬ」

 晴通の低い声が、微かに震えを帯びていた。四角ばった頬が硬くなっている。脅えておるのか。

「今後は、この筑前の旗下で働かれるつもりがおありか」

 殺す価値もない、哀れな男に思えた。武将としての資質は父の足元にも及ばぬくせに、政勝などに乗せられて、城だけを頼みに刃向った。一度崩れれば、脆い人間である。

「御屋形様、それは、ちと」

 傍らの久秀が、驚いた目を向けてくる。てっきり、長慶が晴通を殺す、と考えていたようだ。

 長慶も、晴通の顔を見るまでは、そのつもりであった。

「身命に誓うて、今後は筑前様の下で働きまする故に、何卒何卒、御命だけはお助けくだされ」

 ついには、晴通の両腕がぶるぶると震え出した。懇願するような目をしている。

「……質は貰う。それで許そう」

 床几を立って幕から出た。側近たちが唖然とした顔をしている。呼び止められるのを嫌って、憮然と足早に歩いた。

 直感のようなもの……。長慶自身も、気まぐれだと思う。が、何かの拍子に、どうでもよくなるのだ。

 直感を信じれば、晴通のような男は、長慶に恐怖を感じておる限り、二度とは刃向わぬように思う。

 八上城を落とした長慶は、丹波のほとんどを手中に収めて凱旋した。ご機嫌伺いの公家や豪族たちが連日、芥川を訪れる。

 ――芥川は第二の京。小京都。

 などと言われるほど、貴人たちが長慶との交誼を求めてやってきた。京の次に貴人たちが集まる場所なので、小京都である。京童などは、『筑前参り』と名づけ、噂をしていると聞く。

 これ以降、三好長慶の名はますます勢い盛んになり、天下に知れ渡った。


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