第三章 入京
1
碁盤の目のように整えられた辻を、具足に陣羽織姿の馬上群が進んでいた。護衛の者たちが、辻の民衆を両端に誘導している。
文月九日は、念願の京に足を踏み入れていた。
昼の暑さは摂津以上と聞いていたが、正しくその通りであった。盆地に囲まれた京は、風が澱んでいるようで、蒸し暑い。
――これが、京。
京童たちの好奇な視線を感じながら、初めて見る京の都を、冬康は新鮮な目で眺めていた。
前には長慶を真ん中にして、両脇を康長と長逸の叔父たち、その後ろを冬康と一存が並んで馬を進めていた。後ろからは、続々と三好の軍勢が入京してきている。
ちなみに、長教は氏綱に従って先に京に入っていた。
あくまでも氏綱を立てる長慶は、己が先に京に入るを良しとしなかった。御所への参内も、氏綱の後に行う手筈だという。
江口の戦を経て、いかに長慶が秩序を重んじる性格なのかがわかった。あれだけ裏切られ続けても、元主の晴元には、決して兵を向けようとはしなかった。
あの時に一存が攻め懸からなかったら、今頃どうなっていたか想像がつかない。未なお対陣中か、それとも、大幅に譲歩しての和睦が成ったか。
いずれにしても六角勢が戦に参加していたら形勢は逆転し、かなり苦しい戦いを強いられる状況であった。
冬康は、飛び出した一存を止めなかった。そればかりではなく、後の咎めを覚悟の上で、讃岐勢の渡河を助けた。
もちろん、父の仇である政長を討つ機会を逃したくなかった気持ちはあった。が、それだけではない。初めて、長慶の指揮に従っていては負ける、と思ったからだ。
絶対的で揺るぎない信頼を置いていた兄の命に、どうしても叛かざるを得なかった。
冬康は戦後、長慶との間に溝ができる状況を恐れていた。
が、長慶は一存と冬康を責めなかった。むしろ、いつものように笑みを湛えながら褒めてくれた。
実際、後詰に駆け付けた長慶の指揮は的確で、迷いがなかった。冬康などには、とても及び難い領域である。
――やはり、兄者は、すごい御方だ。
此度の戦は、晴元から氏綱に主君を替えたばかりだから、長慶は迷ったのだと思う。今後は大丈夫。
我らは、長慶の背中を、安心して追っていけばよい。
2
京に滞在するのは、僅か数日であった。長慶は京の仕置きを氏綱の家臣である今村慶満と長頼に任せ、芥川城に戻る予定だ。
名目上の代官が慶満で、実働部隊として長頼を残した次第だ。長頼は、晴元の旗下の小豪族たちを平らげる役割を担う。摂津における三好軍の一手の大将になっていた。
冬康も滞在中は長慶に従い、公家などへの挨拶に行っていた。
京に入って四日目には大徳寺での連歌会に同席し、さすがは長慶の弟である、と言われるほどに歌の才を褒められた。
滞在している屋敷に居る間にも、長慶への目通りを求める公家、豪族、商人たちが退きも切らない。それにしても、慌しい毎日である。
――兄者が、お疲れにならなければよいが……。
今後、京を統べるためには仕方がないのはわかっていた。が、長慶の多忙ぶりには舌を巻いた。所詮は田舎侍の冬康には、とても耐えられるものではない。
いや、冬康は、兄の長慶の気質を理解している。本当は、長慶も望んではおらんのではないか、と思った。三好家のために、己を殺して務めておるのやもしれぬ。
「左衛門尉。今後は、さらに御屋形様を命懸けで支えねばならぬぞ」
一存は、京に入ってからは毎夜、京の女子を抱いていた。讃岐の浜辺から京の方角を眺め、京の女子にずっと憧れておったようだ。
珍しく、今宵は屋敷にいた。それもそのはず、明朝に京を出る。
故に、屋敷の居間で一存と飲んでいた。
「わかっておる、兄者。儂は先日、改めて御屋形様のために命を捨てる覚悟を決めた。三好家のため、御屋形様のためなら、いつでも死地に飛び込むわい」
一存が赤く濁った両目を、薄く細めた。褐色の肌も、紅色に染まっている。
庭の松の木の周囲の繁みに、多くの薮蚊が潜んでいたらしい。行灯の明かりが、障子に幾つも黒点を映している。時折、どこからともなく入り込んでくる蚊を、二人は無言で始末していた。
「それならいい。お主は戦一辺倒で、御屋形様がいかにお悩みかを、考えておらぬでな。こういう機会だ。たまには儂から申しておこうと思った」
冬康は一存の盃に酒を注ぎ、肘を引いて己の盃にも垂らした。
「兄者は本当に、昔から兄弟想いだな。我ら兄弟としては真に有難い仕儀なれど、少しは肩の力を抜いて遊んだほうがよい。歌や茶のことではないぞ。女子だ。兄者はまだ、京の女子を抱いとらんだろうが。何とも勿体なや……。京の女子はええぞ、去る前に、一度は試して見られるが宜しい」
一存は、白くて嫋やかな京女子に、すっかり惚れ込んでいた。
「いや、儂はいい。それよりも、戦だ」
「信子殿と赤子が恋しいのか、兄者。全く……、儂には解しかねる。信子殿は、確かにええ女子だが、兄者は安宅家の棟梁じゃ。子は、多ければ多いほどよい。ええ加減、側室の一人でも持たれよ」
昨年の暮れに、待望の長男が生まれていた。甚太郎と名付けている。
年が明けて如月に出陣してからは、淡路に戻っていなかった。信子と甚太郎の顔が見たくない、と言えば嘘になる。
3
長慶が急ぎ京を退いたは、訳があった。伊丹城を囲むためだ。
江口の戦後も、伊丹城の伊丹親興だけは籠城を続けていた。摂津の諸将の中で今なお長慶への抵抗を続けているのは、親興のみであった。が、伊丹城は越水城から近く、長慶としてはかなり目障りである。
しかも、伊丹城は小高い丘の上に聳えた、総大な城郭を構える天然の要害である。東を伊丹川、猪名川が防ぎ、残りの三方を、丘を上手く利用して造られた城郭が守っていた。
暑さ厳しい秋の夕日に映える天守が、悠然と寄せ手を見下ろしていた。
「すまぬな、摂津守。なかなか淡路に帰してやれぬようだ」
長慶が床几から立ち上がり、忌々しげに伊丹城を見上げた。向かい合っていた冬康も腰を上げ、長慶の背後に従う。
戦続きの冬康を労ってか、長慶は入京後に奏上し、摂津守を賜ってくれていた。
伊丹城の西は数町の場所に、長慶の本陣を置いていた。
「いいえ。伊丹城を、このままに捨て置けぬのは、重々に承知でござる。お気になされますな」
伊丹城を攻めあぐねた長慶は、力攻めを諦めた。何度か攻撃の糸口を探ったが、伊丹城は予想以上の堅城であった。
此処で大きな犠牲を出しては、近江に逃れた晴元や将軍家が盛り返してくる恐れもあった。今のところは、長頼が京周辺の制圧を上手く進めてはいたが。
そこで、伊丹城の周囲、東西南北を囲んだままにして、長慶は芥川城に戻る仕儀となった。冬康は南の富松城に入り、伊丹城の包囲網に参加し続ける。
「うむ。今ここで気を抜けば、せっかくの江口の大勝利が無駄になりかねぬ。兵庫頭を城に閉じ込めておいてくれ。追って、音を上げるはずだ」
孤立し、援軍を望めぬ籠城など、続くものではなかった。いずれ戦意がなくなるか、兵糧が尽きる。
長慶が力攻めを諦めたは、それでも決死の籠城を続ける親興の闘志を恐れたからだ。
「無理に戦えば、犠牲が大きくなるだけだ。敵の戦意が盛んな時に応じるは愚かなり。今は、じっと待つ時機だ」
軍議での長慶は、落ち着いていた。覇者として入京し、貴人たちに持て囃されても、少しも驕らず、冷静に戦況を見極めていた。
冬康は、改めて兄の偉大さを感じさせられていた。
「ははっ。兵糧が乏しくなるを待ち、兵たちの離反を誘い続けます」
将が闘志盛んでも、末端の兵にはいずれ必ず、綻びが生じ始める。長慶の狙い通り、敵の戦意を喪失させる役割を果たすつもりであった。
冬康は、己が兄の手足となり、役に立てる状況を嬉しく思っていた。
――また、信子に妬かれるやもしれぬな。
冬康の目には、長慶の背越しに、西陽が射している遠くの川面が入った。薄赤く揺れた姿から、信子の染まった頬や首筋を想像した。赤子の小さな手の平も、同じ色をしていたかもしれぬ。
4
富松城の水堀に沿った辻を、職人たちが荷を担いで通り過ぎていく。初売りの魚売も、城の中に聞こえるような大声を張り上げている。
天文十九年(一五五〇年)の年明けは、富松で迎えた。昨日の元日は静まり返り、寒風が堀の水面をざわめかしていた。
一転して、初売り、初商いの今日は、辻が賑わっている。
冬康は館の奥間から、水堀を眺めていた。
少し苛立っていた。なぜなら、もうすぐ長慶が富松城に入る予定であった。
むろん、兄と会うのが嫌な訳でははい。己の力で伊丹城を降伏させられなかった次第を、悔しく思っていた。
伊丹城の親興は、冬康らが四方を囲み、さまざまな工作を試みても、容易に降らなかった。城内の兵をよく纏め続け、耐えている。名将だと思う。
此度の長慶の出陣は、ようやく疲れが見え始めた親興との和睦交渉であった。わざわざ兄の出馬を仰がねばならなくなった己の不甲斐なさが、冬康は許せない。長慶を支え、力になるためには、此の程度の城くらい落として然るべきだ、と思っていた。
また、三好軍は和睦を急がねばならない理由があった。
京の情勢である。どうやら、前将軍の義晴らが再び京を窺う姿勢を見せ、北白川付近(後世の京都府京都市左京区東部)に出没して兵を集めておるようだ。今のところは長頼が抑えているが、いつ火種を見せるかわからなかった。
それが故に、冬康は伊丹の仕置まで長慶の手を煩わせたくなかった。
睦月十一日に、長慶が直属軍を率いて富松に入城した。
「御屋形様の出馬を要した仕儀、真に申し訳ありませぬ」
上座の長慶に、深く頭を下げた。ちらと見上げた長慶の首筋が、細くなっているように思えた。戦続きで、走り続けておるせいだろう。
「いや、お主のせいではない。兵庫頭が戦上手であっただけだ。それに、兵庫頭も今の状況に嫌気が差したから、和議に応じる気持ちとなった。時間は掛かったが、儂の思惑通りに、事は進んでおる」
「しかし、儂がもう少し工作に成功しておったら、もっと此方に有利な条件を提案できたやもしれませぬ」
親興は伊丹城を明け渡さず、今のままの状況でなら和議に応じる、と伝えてきた。あくまで敗れて降るのではない、と主張している。
「構わぬではないか。兵庫頭ほどの武将が、三好の旗下に従いてくれると申しておるのだ。敵にしておくより、断然に良い。伊丹城くらい、安いものだ。元から兵庫頭の城であるしのう。儂が新たに城を与える訳ではない」
長慶は元来、敵対した武将に寛大であった。それ故に、戦で不利になれば降る敵が多かった。
慈悲深い、と評判が立っていた。が、陰では、仕置きの甘さを嘲る者もいる。
しかし、此度の親興は、味方になってくれると心強い。手合わせした感覚から、冬康も長慶に賛成であった。
5
生憎の曇り空であった。久方ぶりに目にする炬口城の南櫓から旗が振られた。冬康の到着に気づいたのであろう。
弥生は三十日であった。一昨日に長慶と親興の和議が成立し、冬康は淡路に帰ってきた。実に一年余ぶりである。
陽が雲に隠れ、水面が灰色掛かっていた。が、潮の香りが懐かしく感じられる。山々から吹き降ろしてくる風は、春の精気を運んできていた。
舳先に立っていた冬康は、両手を目一杯に広げて大きく息をした。
港には、疾風が引かれてきていた。鞍に跨り、久方ぶりに漆黒の鬣を撫でてやる。
「元気にしておったか、疾風」
疾風の黒目が、気持ちよさそうに冬康を見上げていた。
「そうか、待っていてくれたか。では、城に戻ろう」
言い掛けるや否や、疾風は歩を進め出した。疾風は、冬康の呼吸を心得ている。
「殿。お帰りなされませ」
城門を潜ると、信子と女房たちが並んで出迎えていた。
信子は薄藍色の小袖から白い両腕を出し、赤子を胸に抱いている。甚太郎であろう。
疾風を門番に任せ、信子の前に立った。
「眠っておるのか」
甚太郎の顔は、一年前と比べて、かなり大きくなっていた。周囲の兵たちが、ざわざわと物音を立てていたが、少しも動じぬ。それどころか、すうすうと鼻を鳴らし、寝息を立てている。
「はい。久しぶりに、抱いてやってくださいませ」
信子から受け取った甚太郎を、両腕に乗せた。起こさぬように、そっと胸に引き寄せる。
「重たくなったな。うむ。本当に、重うなった」
出陣前は、片手で悠々と抱き上げることができた。が、今は両腕にすっぽりと収まるほどになっている。
信子が、袖で目頭を覆っていた。
「泣くな、信子。申したであろう、儂は必ず戻ってくる、と」
「泣いてなどおりませぬ。笑うておるのでございますよ」
上向いた信子の目尻には、もう滴はなかった。変わらぬ切れ長の目は美しく澄み、微笑んでいる。
――戻ってきた。
腕に掛かる甚太郎の重みと信子の笑顔が、淡路を思い出させてくれた。
6
「殿、此度はお呼びが掛かりそうもありませぬな。全く出番がないのも、どうも手持無沙汰な気が致します」
之正の巨体が、信子の顔に影を落としていた。にこやかな目で、甚太郎を眺めている。
「殿方はそうかもしれませぬ。が、妾は正直、ほっとしておりまする」
信子に抱かれた甚太郎が、「うー」と笑みを浮かべながら声を発していた。冬康は、甚太郎が伸ばした小さな手の指を、信子の肩越しにそっと握っている。
指を触られた甚太郎が、「きゃっ、きゃっ」と笑った。
本丸の居間から、信子と甚太郎、之正とで庭に出ていた。先ほどまで、居間に重臣を集めての会議をしていた。長慶からの使者が到着したからである。
文月に入り、京に不穏な気配を漂い出していた。
将軍義輝が坂本で軍勢を集結させつつある、との報であった。長慶の文には、父の無念を晴らそうとしておるやもしれぬ、と書いてあった。
というのも、前将軍の義晴が、皐月半ばに近江の穴太(後世の滋賀県大津市坂本穴太)で死去していた。今年に入り、義晴は銀閣寺の裏の中尾に城を築き、京を奪回しようと図っていた途中である。耳に入った噂では、今わの際まで京へ戻るのを夢見ていたらしい。
義晴の亡霊が枕元にでも立ったか。息子の義輝がすぐさま行動を開始した。元々、父より気が強い気性である。むしろ、自分より慎重な父を、重荷に感じていたのかもしれぬ。
「総介。まだ油断はならぬぞ。儂ら安宅勢は、いつ呼ばれても出陣できる状況でおらねばならぬ。とはいえ、信子の申すとおり、儂も正直、ほっとしてはいる。稲刈り前の出陣は、秋の刈り入れに響く恐れが大きいからのう」
信子は小袖、冬康と之正は、肩衣姿であった。秋に入ったとはいえ、強い陽射しが木綿の上に降り注いでいる。
庭の草木は、手入れが行き届いているので、青々と茂っていた。が、背後の北の山に目を転じると、水気を失った葉々が、干乾びた哀れな姿を晒しているのが見られる。
北東方向の炬口の浜辺に目をやれば、陸地に沿って白い波飛沫が上がっていた。港の入口から沖にかけて、無数の船が出入りを繰り返している。
炬口港は、三好家の勢力が拡大するにつれて、賑わいが大きくなっていた。今をときめく長慶の実弟である冬康に、面会を求めてくる者も増えている。また、瀬戸内の海賊衆から航海中に襲われぬように、名高い安宅水軍の庇護を求めてくる商人などもいた。
「いいえ、妾は稲を心配した訳ではありませぬ」
信子が甚太郎を抱いたまま、体を揺らした。
「端から、わかっておるわ」
「やはり……。お分かりでしたか」
信子が頬に皺寄せ、声を立てて笑った。
「とても、初めて会うた時に、殿のお命を貰う、とまで申された御方とは思えませぬな」
之正が、年を経て蓄えた髭を擦った。
穏やかな秋の夕暮れが、間もなくやってくる。
7
霜月に入り、安宅勢に出陣の命が下った。といっても、京の戦闘に加わる訳ではない。後詰で堺に入り、畿内が乱れぬように待機する算段である。
水面を這うようにして甲板まで昇ってくる風は、肌をひりつかせるほど冷たかった。天を覆わんばかりの雲群は幾層にも連なっている。
まだ午の刻に入ったばかりというに、暗い。昨日までの景色に、灰色の煙を塗したようである。
波が大きくうねり、船を左右に揺らす。渡海するに適した日和ではなかった。
それでも、冬康の心は急いていた。堺で、どうしても見たい物がある。
『鉄砲』と呼ばれる武器であった。
文月の洛中市街で、晴元の軍勢と一存・長逸軍の間で小競り合いがあった。
その戦闘の最中、突如に轟音が天空に木霊したかと思うと、一存旗下の讃岐勢の足軽たちがバタバタと辻に倒れた。具足の上から体に穴が空いて血を噴き出す者、運悪く直接に頭や首をやられて二度と動かなくなった者などがいた。
一瞬、味方は何が起こったかわからんかったそうだ。が、そのうちに、晴元の足軽が持つ長筒のような物が音を立て、何かを飛ばしている状況に気づいた。味方は、急いで家々や壁の物陰に潜んだ。
しばらく睨み合いが続いた後、双方は兵を退いた。元々、双方とも決戦を挑むつもりはなく、出遭い頭にぶつかっただけである。
しかし、一瞬にして味方を数人も殺し、それ以上の人数を傷つけた新しい武器は、長慶陣営を驚愕させた。後に武器の名を調べさせたところ『鉄砲』と申し、将軍家が堺から密かに買い付けていた事実が判明した。
長慶や一存からの文でも、鉄砲の威力と今後の戦での使用に強い関心を示しているのがわかった。
二人は京を離れられぬ状況である。が、二人が身動きできぬ分、冬康は逸速く堺で鉄砲を吟味しようと思っていた。
今井宗久にも、その旨を文で知らせ、屋敷への滞在を願った。先日やって来た返事によれば、宗久も大変に鉄砲商いに力を入れる所存のようである。お抱えの鍛冶屋に、既に作らせ始めている。屋敷の庭に、試し打ちができる場所も拵えた、とあった。
「殿。何やら嬉しそうなお顔にござりますな。そんなに、鉄砲とか申す武器に、関心がおありか」
之正が陣羽織を風に靡かせながら、背後に控えた。港を出て直ぐ船酔いになり、船室に引っ込んでいたはずだ。いつもなら船酔いなどせぬ之正だが、昨夜は酒が過ぎたらしい。
それもそのはず。之正の家には、二日前に次男が誕生していた。祝い酒が続いたのであろう。
「総介、もういいのか。まだ寝ておってもよいぞ」
「面目ありませぬ。もう大丈夫ですので、お気遣いなく」
之正が、照れたように呟いた。視線を合わせたくないのか、暗い波間に目を向けている。
「儂はな、総介。鉄砲と申す新兵器の威力を己の目で確かめたい。弓よりもさらに強い威力で、遠くから敵を倒す、と兄者たちの文にはあった。何かわからぬ強力な武器と、戦場で初めて遭う状況はなるべく避けたい。故に、此度の出陣が決まった時から、一刻も早く鉄砲を見ておこう、と思うていた。また、それほどの威力を持つ武器だ。今後の戦にどう使えるのかを、見極める必要がある」
8
「百聞は何とやら、と申しまする。まずは儂が撃ちますので、こちらで見物してください」
宗久は土を盛り上げた射場に立ち、鉄砲を構えた。墨で書かれた的板の中心円に狙いをつけている。先ほど来からの説明の通り、縄の先には火が点されていた。
筒の先の見当と、手元近くの筋割で狙いを付けると聞いた。宗久が、じっと覗き込んでいる。
冬康は、本当にあんなもので狙いが付けられるのか、と疑問に思っていた。
堺に到着したのは夕刻近くであった。が、冬康の文から関心の高さが窺い知れたのであろう。港に着いてすぐに、試し撃ちの用意ができている、と宗久に耳打ちされた。
宿院の今井屋敷の門を潜り、挨拶もそこそこに庭に出ていた。
鉄砲鍛冶と宗久自らが鉄砲の仕組みについて説明した。が、冬康と之正の表情から理解できておらぬと悟ったのであろう。まずは試射を見物してから、話の続きを聞く仕儀となった。
「耳をお塞ぎ下され。音が強うござる」
鍛冶屋が言葉を発して、頭を下げた。
先ほど説明を受けていたところだが、もう忘れていた。急ぎ、之正と共に耳に手を当てた。
一瞬、宗久がこちらの気配を気にして頬を歪めた。が、再び的に集中したかと思うと、引き金に手を掛けた。
乾いた畳を棒で叩いたような音が、曇り渡った空に響いた。と同時に、離れた場所で唐竹が割れるような音がする。
音の方向に目をやると、的板にぽっかりと穴が空いていた。
冬康は口から呻きを発しながら、的板に近づいた。
板の背後には、砂が詰められた俵を置いてある。空いた穴に指を差し込むと、砂を抉るように弾丸がめり込んでいた。
「ふむ、威力は弓矢と同等か、弓が勝るくらいか……。だが宗久、この鉄砲は、戦を変えるかもしれぬぞ」
「同感にございます。お気づきになられましたか」
宗久がにこやかに、近寄ってきた。鉄砲からは、煙の残滓が立ち昇っておる。
「気づかいでか。お主のような商人でも、引き金を引けば人を殺せるのだぞ。さらに申さば、年寄や童、女子でも、引き金さえ引ければ戦に出られる。弓と違うて、射手の熟練をを、さほど要さぬと見た」
弓を引くには力が必要であった。また、射手によっての腕に、差が大きい。が、鉄砲は並べて撃てば、まずは当たりそうだ。
――鉄砲さえ数が揃えば、すぐに熟練した弓隊と変わらぬ部隊ができるやもしれぬ。
「武勇が役に立たぬ時代が来るのでしょうか」
之正が、硝煙の匂いの漂う中で呟いた。
侍に生まれた者は、幼き頃より剣術や槍、弓などの鍛錬を欠かさぬ。が、鉄砲を使った戦なら、武勇に優れた侍が、簡単に足軽に殺される状況となる。
「如何にございましょうや。お気に召しましたか」
「商人としての、お主の意見も聞いておきたい」
「確かに、恐ろしき可能性を秘めた武器には間違いございませぬ。が、戦場で用いるには、なかなかに不便」
「ほう、正直に申すな。なぜ、そう思う」
冬康は、宗久のこういう所を好んでいた。商いや己の利のみを求めていれば、今から売り出す新兵器の弱点など、なるべく客には申さぬようにするはずだ。宗久は客に役に立ち、自分も儲けられる品物を勧める、誠実な商いを信条としていた。故に、安心して商談に臨める相手である。
「まず、弾込めに時間が掛かり過ぎます。一度撃てば、次に撃つまでに敵が接近して参りましょう。次に、鉄砲を持って戦場を走っておっては、槍や刀を存分には振るえませぬ。この通り、重うございますからな」
宗久は、鉄砲の重みを確かめるように、手の平の上で撥ねさせた。
9
「雨の日も、使い物にはならんな。梅雨時の戦なら、無用の長物になろう」
「はい。仰る通りにございます。ご興味が、薄れてきましたかな」
宗久の澄ました目が、意地悪な光を帯びている。試しておる、と感じた。
「此処で興味がなくなった、と申さば、お主は、儂を軽く見るつもりであろう」
笑みを浮かべ、宗久の目を見返した。
「バレておりましたか。摂津守様の目は、欺けませぬな。お訪ねするまでもなく、間違いなく鉄砲をお気に召される、と思うておりました。お許しくだされ」
宗久が、ぺこんと頭を下げた。少しも悪びれてはおらぬ。
「弱点はいずれ克服されていくものでござる。殊に、我が堺の鍛冶屋衆は、優秀な者が揃うております。追々に、武器自体の不備は改善されていきましょう。あとは……」
「用い方であるな。用い方を工夫すれば、かならず威力を発揮する武器だ」
「仰る通りにございます。刀も槍も、古来よりさまざまな改善や工夫がなされてきておりまする」
「相分かった。急ぎ、数を集めてくれ。御屋形様には、儂から直に申し上げる。来年の春には、鉄砲隊を作れるようにな。総介! 我らの船でも、即刻に導入するぞ」
「ははっ」と、之正が応じた。
「それはまた、難題でございますな。しかし、できる限り、お役に立たせて頂きましょう」
宗久は、困ったように頬を歪めた。いつもの、澄ました目をしている。
「嘘を申すな。こうなる次第を先読みし、儂を真っ先に此処へ案内したであろう。さあ、商談は成立した。儂らにも、鉄砲を撃たせてくれい」
日暮れまで思う存分に鉄砲を撃ち続けた。後に外から聞いた話だが、その日の今井屋敷は硝煙で、灰色の空が落ちてきたと見紛うほどであったらしい。
安宅勢が堺に滞在して後、畿内で反長慶の動きは起こらなかった。寒空の商都で、平和な日々を過ごしている。
そんな最中の十九日、長慶が仕掛けた。摂津の長逸、丹波の長頼、河内の長教ら重臣を初めに、畿内の旗下の諸将およそ四万と共に、京に雪崩込んだ。
長慶軍の主力は、すぐさま中島城周辺に展開し、義輝の勢力下の村々を荒らした。
一方、別働隊の長頼は近江に入り、琵琶湖岸の松本(後世の滋賀県大津市浜大津)にまで進軍した。義輝らの退路を塞ぎ、待ち構えるためである。
此度の長慶は、義輝を捕らえる算段であったらしい。離れておればさまざまな暗躍をするが、籠で飼えば飾り物にできる。将軍との敵対関係を望まぬ長慶が考えた、苦肉の策であった。
が、その意図を敏感に感じ取ったか、はたまた命の危険を感じたか。義輝は、長頼の今以上の進軍を恐れ、一戦も交えずに中尾城に火を放って坂本まで逃れた。二十一日は早朝のことである。
その後、長頼の追撃を恐れた義輝は、堅田まで逃げたらしい。気性の強い将軍と聞いていた。が、形勢が不利になると、案外に脆い面があるのやもしれぬ。
ともかくも、この戦闘で、京の全域が長慶の勢力圏に入った。
冬康の元には、翌二十二日に長慶から使者が入り、淡路への帰還を命じた。