第二章 榎並・江口の戦い
1
鋭い陽射しと蒸し暑さが、男たちを余計にささくれ立たせていた。
越水城(後世の兵庫県西宮市越水町)の本丸で会議を催していた。重臣たちは軍議のつもりのようだが、今のところ長慶には、戦をするつもりはない。
目の前、両側に並ぶ重臣たちが、朝から喧々諤々の議論を続けているところた。
天文一七年(一五四八年)の水無月に入った。しとしとと降り続いた雨も止み、ここ数日の空は、からっと晴れ渡っている。その分、曇り空に慣れきっていたせいか、連日の陽の強さに辟易していた。
「御屋形様。儂も河内守様に賛成でござる。もはや、あの奸臣を野放しにはしておけません。討つのは、今を置いて他にないと存じます」
松永長頼が血気盛んな目を向けてきた。鋭く透き通るような目には少しの迷いもない。長慶も二六歳で、まだまだ若いが、十九歳の長頼の真っ直ぐさが眩しく感じられた。
齢が僅か十ほどで家督を継ぎ、長慶は謀略と戦場の中で生きてきた。己にない純粋さが何とも好ましくて、長頼に目を掛けてきたのかもしれぬ。
長頼は京都の寺で拾った。拾った、という表現は適切ではないかもしれぬ。が、長頼自身は長慶に拾われたと思っている。
連歌や風流を好む長慶は、寺社を巡るのを楽しみにしていた。たまたま立ち寄った寺の和尚から、僧ではなく侍に向いていそうな小僧がいる、と紹介された。それが、長頼だった。
長慶の前に連れられた小僧(当時の長頼)は、六尺の背丈を超え、見るからに膂力が逞しい様子が見てとれた。和尚が言うように、戦場での働きが期待できそうだ、と思った記憶がある。
それ以来、長慶の側近として鍛えた。かなり厳しく鍛えもしたが、長頼には天性があったらしい。メキメキと武将としての頭角を現した。数々の戦場で活躍し、今では若くして重臣の列に並んでいる。
「甚介。其方や河内守の申すも道理ではある。儂も越後守親子の存在は、右京大夫様にとって悪い影響しか及ぼさぬ、とも思い定めている。しかしな……」
これまで、政長の讒言により、父の元長を初めに、どれだけ煮え湯を飲まされてきたかわからぬ。
「御屋形様のお考えは重々承知しております。が、もう十分に我慢を重ねてきたのでありませぬか。元はと言えば、御屋形様が三好の嫡流でござる。それを越後守は、あたかも己が三好宗家と申さんばかりの振る舞い」
三好康長であった。元長の弟、長慶の叔父である。禿げ上がった頭皮に、じわりと汗を滲ませていた。
康長は、元長が亡き後、長慶をずっと支えてくれている。長身が多い一族の中で、五尺に満たず、小太りである。が、愛嬌があり、親しみ易い性質なので、一族の相談役になっていた。
――温厚な叔父までが、政長を攻めるべきと考えておる。
議論は煮詰まり、後は長慶の決断を仰ぐだけであった。皆の視線が一身に向けられている。
2
「皆の者、早まるでない。我慢が肝心だ。越後守に兵を挙げれば、右京大夫様を蔑ろにする仕儀となる。もし右京大夫様が越後守に加勢でもすれば、儂は謀反人となってしまうではないか。それだけは避けたい」
政長や晴元を軍事力で屈服させるのは、それほど難しくはない。これまでにも、機会は多々あった。が、長慶は踏み切れなかった。
長慶は秩序や身分の序列を崩すのを好まなかった。これまでの戦においても、決して将軍や管領を殺そうとはしていない。
自分でもなぜだろう、と、しばしば考える。しかし、明確な理由はなかった。強いて挙げるとすれば、父の影響だろうか。
父の元長も、軍事力では晴元らを凌駕していた。が、断じて謀反は起こさなかった。
幼き頃より父が敬っていた権威という存在を、知らず知らずの内に畏怖するようになったのか。
故に、戦において最後の詰めが甘くなる機会が度々起こっていた。今までは、長慶の戦巧者ぶりや家臣団の有能さで補ってきたが。
――儂が決断できねば、多くの家臣を殺す仕儀となる。
頭では、わかっていた。何度も割り切ろうとした。が、それができずに、しばしば連歌や茶に逃げる次第となっている。
「しかし、このまま手を拱いていては一族の不満は溜まる一方でござる。また、越後守らにどのような罠を仕掛けられるやもしれぬ。この辺りで手を打たぬと、御家のためにはなりませぬ」
珍しく康長が食い下がった。重臣たちから、長慶の説得を託されておるのやもしれぬ。
「御屋形様。こうしては如何でございましょう」
口を挟んだのは長教だった。太く貫録ある声に、皆が聞き耳を立てた。
長教は、細いが黒目部分が大きい目で、周囲を見渡した。面長の顔は色黒く、体躯は細く引き締まっている。
不思議なものである。つい先日まで干戈を交えていた男が、義父として重臣の列に加わっておるのだから。
長教の政や戦場での手腕は皆が認めていた。味方になれば、これほど頼りにできる男はおらぬ、と思う。だから、長教の意見には敬意を払っている。
それに、長教自身が少しも気後れする性質ではない。長慶の義父である状況を鼻にも掛けぬ。己の技量、才覚で生きておる男だ。長慶にも歯に衣を着せずに物を言う。
好かれようともしないが、疎まれようともしない。自然体である。皆に一目は置かれる、稀有な存在感を示していた。
「河内守。遠慮なく申してみよ」
興味深く、促した。
「されば、遠慮のう申し上げます。我ら一同、御屋形様が主君を思うお気持ちは重々承知しております。が、だからといって越後守は、野放しにはできませぬ。そこで、まずは右京大夫様自身で越後守を罰していただくか、遠ざけていただくようにお願いしては如何でしょうか。それも、右京大夫様に御屋形様が直訴しては話が拗れる恐れあり。奉行職などから、右京大夫様に言上させるのです」
「確かに、右京大夫様自身で罰して下されば、何も申すことはないが……」
康長が、見込みが薄い、と言わんばかりに眉を顰めた。
「奉行らに言上されたからといって、右京大夫様がお聞きになるとは、とても思えませぬ」
長頼の声が鋭く響いた。
「甚介殿。それで良いのだ。御屋形様は、有無を言わさず兵を挙げる訳ではない、という形が大事である。右京大夫様をお諫めして、止むを得なくなった仕儀とするが肝心」
長教の黒目に、策士の光が宿っていた。
3
重臣の顔が、長教の意見に賛同していた。長慶の考えを尊重し、兵を挙げざるを得ない形を大事にしてくれている。その気持ちは有難い、と思った。
「相分かった。河内守の言を入れよう。田井、高畠ら奉行職から、右京大夫様に越後守の処罰を言上してもらう。それがお聞き入れなければ、兵を動かさざる仕儀となるやもしれぬ」
長慶の言で、皆の表情に覇気に溢れた。尻込みをしていたのは、当主の自分だけかもしれぬ。
「これはちと、気が早いかもしれませぬが……」
長教が言い澱んだ。口元を歪め、髭を震わしている。
「何だ。遠慮なく、と申したであろう」
「兵を挙げる際には、神輿が必要かと存じます。もし、右京大夫様が越後守を支援した場合、こちらには神輿があり申さぬ。公方様も、只今は右京大夫様の側です。然らば、摂津守様を担ぐのが必定かと存じまするが」
長慶の他、数人が驚いた。康長や長頼は平然と座っている。事前に聞かされておったのかもしれぬ。
長教は、晴元を見限って氏綱を担げ、と勧めていた。一昨年から、長慶軍と戦い続けてきた氏綱に仕えよ、という提言である。
「控えよ、河内守! 其方は何ということを申すか。儂に右京大夫様を裏切り、摂津守様を主と仰げなどと……」
扇子を板間に叩きつけ、思わず立ち上がった。首筋が怒りで震えている。
「申し訳ございませぬ。言が過ぎ申した。なれど万が一、右京大夫様が越後守と軍を合わせた状況も、想定しておかねばと存じます。万が一が現実となった際に、我らが後手に回ると、厄介な仕儀となるかもしれませぬ」
平伏した長教が、声を大きくした。恐れ入った体だが、なおも己の策を主張しようとしている。
「御屋形様。儂らも、河内守殿と同じ意見にござります」
康長と長頼も深く頭を垂れた。長教一人より、三人のほうが長慶を説得し易いと踏んだか。
長慶もわかっていた。ほぼ間違いなく、晴元は耳を貸さぬ次第となり、兵を挙げざるを得ない状況がやってくる。その際、晴元が政長に付くと状況が困難になることを……。
南の格子窓から瀬戸内の海が覗いていた。長慶は一つ、大きく息を吐いた。今まで議論が煮詰まっていたためか、今頃になって蝉の声が喧しい。
「とにかく、まずは奉行らに言上させる仕儀とする。河内守の言は心に留めておこう。皆の者、大儀であった」
4
「御屋形様。これで、右京大夫様の腹の内は読めました。いざ、出陣の御下知を!」
長頼が先頭を切って発言した。
長月に入っていた。夏の陽射しが徐々に鳴りを潜め、夕刻頃には涼しい海風が城下を騒がしている。
また、本丸に重臣たちが集まっていた。以前と同様、叔父の康長、義父の長教、長頼など側近たちである。
状況は芳しくない。
葉月の初めに、奉行職を通じて晴元に、政長の罪状を列挙した書状を届けさせた。むろん、政長親子に対しての処罰を求めている。が、何ら回答がない。
今や晴元旗下で第一の軍事力を誇り、晴元政権確立の功臣である長慶からの訴えを、丸っきり無視した形であった。
そればかりではない。長慶への回答にはだんまりを決め込んでおるにも拘わらず、晴元は、政長はもちろんのこと、密かに将軍家や六角定頼らへ『長慶に謀反の恐れあり』、と使者を送っていた。
それに応じた政長と政勝親子は露骨に軍備を整え始め、晴元や将軍家も秘かに兵を募っている。
長頼たち家臣の憤りが増すはずであった。さんざん晴元のために命懸けで働いてきて、あっさりと謀反人にされかけている。
「御屋形様は、右京大夫様に散々に忠義を尽くして参りました。たとえ謀反人と呼ばれようとも、もはや憚ることなど一切あり申さぬ」
康長は長慶と共に晴元の旗下で働き、苦労を重ねてきた。声色から、晴元を見限った心情が窺われる。
また、康長は畿内での勢力拡大に忙しい長慶に代わり、淡路や四国衆との間の繋ぎをよく務めてくれている。自領がある阿波にも、なかなか帰れていなかった。
「……皆の気持ちはわかっておる。恐らくは、兵を挙げざるを得ない仕儀となろう。が、儂は最後に、右京大夫様に越後守追討の認可を願い出る所存だ。最後通告のつもりでな。それも無視されたなら、間違いなく兵を挙げよう。それまで、待ってくれ」
「この期に及んで認可ですと……」
激し掛けた長頼を、長教が片手で制した。長教が首を振っている。
「御屋形様の御納得の行くように、なさりませ。なれど、御屋形様も申す通り、恐らくは挙兵となりましょう。手遅れにならぬよう、以前に申しました、摂津守様をお立てになる件を、進めさせて頂けませんでしょうか」
長教の視線が、強く感じられた。そこは譲れん、という表情である。
「よかろう。密かに摂津守様と好を通じ、ご意向を探ってくれ。河内守に一任する」
長教の視線に頷いた。申したい仕儀はわかっておる、という風に。
長教の意見を認めると、重臣たちの表情が少し和らいだ。認めなければ、不満を抱えたまま散会したであろう。
これが、今の三好軍の強さを支えていた。諸国に恐れられている長慶に対し、長教、康長、長頼など側近はもちろん、三人の弟たちも、はっきりと物を申す。長慶に非があらば正そうと、皆が必死になった。
長慶自身も家臣の意見に耳を傾けるように努めていた。父が死んだ時、兄弟や一族と力を合わせ、三好家を再び盛り返そうと誓ったからだ。
5
神無月は二十六日であった。先月半ばに、長慶は晴元に政長親子追討の認可を仰いだ。が、またしても返答はなかった。
さすがの長慶も、此処に至っては挙兵を決断せざるを得なくなった。三好家の棟梁としての面目を、丸潰れにされたからだ。放っておけば、一族が瓦解しかねぬ。
戦をする、と決めたら長慶の動きは素早い。氏綱との同盟を即座に纏め、摂津、四国、淡路勢に、すかさず激を飛ばした。
具足姿の諸将が、続々と越水に集まっていた。明日には、四国、淡路勢も海を渡って到着する。明日の夜に軍議を終え、明後日には兵を差し向ける算段だ。
風が、かなり冷たくなっていた。間もなく、陽が暮れる。
越水城は丘の上に建てられた平山城のため、周囲を遮るものが何もない。見晴が良いため、敵を防ぐに都合が良いが、雨風をもろに受ける造りであった。
本丸の奥間から、ぼんやりと外を眺めていた。頭の中では、戦の図面が広がっている。具足はまだ着けておらず、肩衣姿でいる。
「殿。此処にございましたか」
室の富美であった。長教の娘である。
肉付きのよい四肢に白い肌、両目はくるりと大きい。父とは似ても似つかぬ、と思っていたが、唯一、黒目部分が大きいのが共通点であろう。、長慶より十歳下だ。
正しく政略結婚であった。謀将の長教を味方にするためだけに、婚姻した。長教の手腕は大いに買っていた。が、未だ互いに信用をしておらぬ。そこで、人質がどうしても必要になる。
以前は波多野氏の娘を室に迎えていたが、長慶と晴元の関係が上手く行かなくなると、実家に戻っている。故に、長教との関係如何では、富美ともいつ別れる仕儀となるやもしれぬ。
長慶は生まれながらにして三好家の後継ぎであった。己の望む婚姻など、有り得べきものではない。三好家を強くし、跡継ぎを残すためだけに婚姻をする。
故に、女子への愛など持たぬ。弟の冬康は妻に愛情を注いでいた。が、長慶には許されなかった。
もちろん、閨では抱いた。富美の肉付き良い体を、幾度も堪能している。が、できるだけ情を通わせぬように配慮していた。
「風が冷とうございましょう。今、火を持ってこさせまする」
富美が、女房に指示を出した。
顔を向けると、富美が微笑んでいる。艶やかな朱色の打掛姿であった。
「富美。何か申したい仕儀があるのか」
下手な情を持たぬよう、会話も最小限にしようと決めていた。
「夫婦でございますれば。申したい話がなければ、御傍に来ては行けませぬか」
富美の黒目が、微かに潤んでいた。大きな両目に見詰められると、どうにも居心地が悪い。
父親といい、親子して長慶に、はっきりと物を言う。
先ほどの女房たちが、火鉢や行灯、茶を運んできた。
6
「左衛門尉。お主に先陣を申し渡す。明朝より東に向かい、榎並城の右衛門大夫を囲め。落とさずともよい。力攻めは無用だ。貝のように、閉じ込めておけ。補給や後詰の兵は、中島城(後世の大阪市淀川区)、三宅城(後世の大阪府茨木市)から受けよ」
二十七日の未の刻である。
越水に一番に駆け付けた一存を、居間に通していた。一番乗りを労った後、策を授けている。
先陣の名誉を与えられ、一存の黒い頬が紅潮していた。一存は喜びを表すのも素直だ。
――儂は感情の読めぬ、冷血漢と思われがちだが。
フッと、頬が緩んだ。素直な一存に、微かな嫉妬を感じたからだ。長慶は、いつ如何なる時も、三好家の当主を背負っている。
榎並城の政勝を孤立させる作戦であった。息子の政勝を囮に、政長を誘き出す。それと同時に、あくまで政長との戦という形にして晴元との戦闘は避けようとしていた。
故に、主戦場をなるべく南に想定し、京から離したかった。
「承りましてござる。なれど、伊丹や一庫城は放っておいても宜しいので」
一存の指摘は、ある意味、正しい。長慶が決戦のために越水城から榎並城に向かえば、背後を突かれるか、越水を襲われる可能性があった。
一存は、晴元との戦を避けようとする長慶の意図はわかっておらぬ。また、説明しても憤るであろう。一存は、父を見限った晴元を、できれば殺したい、と思っていた。
「良い。右京大夫様や将軍家、六角勢などが動き出す前に、越後守親子を討ってしまいたい。安心しろ。後顧の憂えなく、お主が働けるようにしておく」
「ははっ。御屋形様の策に、抜かりはないと存ずる。早速に、右衛門大夫を袋の鼠にしてやりますわい」
言葉通り、一存は電光石火で榎並まで兵を進め、政勝を城に閉じ込めた。
天文十八年(一五四九年)の年が明け、摂津の街道の梅も見頃を迎えていた。
囮の鼠は、徐々に効果を発揮していた。
息子の政勝が孤立させられた政長は焦り、京から摂津に駆け付けた。晴元方の伊丹や一庫城に姿を見せて味方を煽り、様子を窺っている。
長慶も、これらの動きを牽制するために、年始に伊丹城の伊丹親興を囲んだ。今のところ、膠着状態が続いていた。
弥生に入り、長慶は尼崎に陣を敷いた。じわりじわりと、榎並に近づく姿勢を見せている。
日を置かずに、淡路から冬康が到着した。昨年来から安宅兵は出陣していたが、決戦近しと睨んだ長慶が、冬康自らの出陣を命じたからだ。冬康が指揮すれば、安宅水軍はいつもの倍は強くなる。
「御屋形様。いよいよにございますか」
黒く焼けた顔から、並びのいい歯が覗いていた。細身な体躯は相変わらずだが、四肢に力が宿っているようだ。二十歳を越えたばかりであったが、冬康は頼もしい武将に育っている。
幕内の奥の床几に長慶が腰掛け、向かい合って冬康に床几を与えた。他には、小姓と長教しかいない。
「うむ。そろそろ、猫が仕掛けに乗ってくる頃と思うてな。それに、長引かせて、六角や将軍家が出しゃばって来ぬようにしたい」
冬康は、長慶の意図を一番明確に読んでいるはずだ。幼い頃から、冬康は人の考えを読むのに長けている。周囲の者の感情に敏感なのだろう。
「左様ですな。して、右京大夫様の動きは如何でしょう」
冬康は、すらりと伸びた両手を、腿の上で重ねた。切れ長の目に、穏やかな光を湛えている。
――久しぶりに会うた気がせぬ。
冬康は、周囲の人間を安堵させる雰囲気を持っていた。なかなか人に本音を漏らさぬ長慶が、なぜか冬康には正直に話す気になる。
「案の定、六角や将軍家を動かそうと、京周辺で暗躍しておる。六角の観音寺城にも、行ったらしいわ」
「あの御方には、御屋形様の忠義は、どうやっても理解できぬようですな。残念な仕儀です」
冬康の視線が地面に落ちた。哀しげである。主君の晴元に疎まれ、不本意な戦を選んだ長慶に、同情しておるのか。
7
決戦を挑む気であった。
弥生に入り、榎並城と淀川を挟んだ対岸にある細川晴賢の籠る柴島城(後世の大阪市東淀川区)を猛攻し、落城させた。政長が榎並の援軍に駆け付けるため、柴島城に援兵を入れようと図ったからである。
政長は伊丹に退却し、長慶は、そのまま榎並城包囲に加わった。
この頃には、摂津の国人衆のほとんどは長慶に従っていた。故に、榎並は完全に周囲とは孤立した形になっている。
榎並城は、北を淀川、西に安治川、南に大和川が流れ、豊富な水を引き込んだ水堀には、満々と水が蓄えられていた。水流に囲まれた地に聳える様は、小憎らしいほど美しい。
平城ながら、峻厳な山上に立つ山城の如く、難攻不落である。力攻めは、どだい無理であった。
「左衛門尉よ、長らくご苦労であった。しばし、気を休めておれ。儂が指揮を執る」
城の唯一の死角である東側の陣中から、本丸を眺めていた。傍らに一存が立っている。
「はっ。儂も、この城を見た途端、御屋形様の申す通りだと、合点がいき申した。あたら大事な兵を失うだけだと」
長慶は大きく頷いた。一存も戦人として一流の目を持っている。安心して一手の将を託せる弟の成長に、満足したからだ。
「しかし御屋形様。越後守は、再びやって来ましょうや。今回で懲りたのではありますまいか」
一存の褐色の腕が、陽に照らされて光っていた。盛り上がった二の腕に、筋が走っている。最近では讃岐勢だけでなく、一存の武勇を慕う者が多いと聞く。
「一度は来たのだ。必ず二度目も来る。儂も、越後守が榎並を窺う姿勢を見せねば、戦略の変更を考えるつもりであった。しかし今は、己の策が当たったと確信しておる。後の憂いは、六角勢の動きだ。六角勢が大軍で押し寄せると、厳しい戦いになる状況を覚悟せねばならぬ。それに、六角勢が本気で出てくるかどうかで、弾正少弼の野心のほども測れる」
近江守護の六角定頼は、これまで度々、幕府の権力争いに介入していた。晴元の義父でもある。
8
榎並から退却した政長らは尼崎に出陣し、長慶の居城である越水城を脅かす策に出た。また、摂津各地で反長慶軍を募り、反撃に出ている。各地で反乱を起こし、榎並の包囲を弱めようという算段だ。
そんな最中、敵を勢い付ける報が届いた。
卯月末に、晴元が一庫城に入ったという知らせである。一庫城と長慶の居城である越水城の距離は、数里ほどであった。主君から喉元に匕首を突き付けられた格好になった。
榎並の三方を囲む川の水流は、燦々たる陽光にも動じていない。水鳥たちが羽音を立てて、飛沫を散らす姿が涼を感じさせてくれる。
陸地は、茹だるような暑さの続く毎日だ。川沿いの草木が木陰を作り、川風が熱を和らげてはくれるが、具足を着けての長期の滞陣は、兵たちを疲れさせていた。
晴元を戴いた政長の動きが、活発になっていた。皐月一日に、政長が富松城(後世の兵庫県尼崎市富松)を急襲したとの知らせが入った。越水城から一里半の場所にある館城である。
結果的に、政長は城を落とせずに退却した。が、背後を脅かされた状態で榎並城攻めを続ける状況に、重臣たちが苛立っている。
また、晴元旗下の香西元成が芥川城を攻撃した、との知らせも入っていた。元成とは、舎利寺の戦で共に戦った仲である。芥川城は義弟の芥川孫十郎が守っているので、まず、しばらくは大事ない。
幕内で軍議の最中である。重臣たちが両側に控えていた。
「芥川城の救援は、日向守に任せる仕儀とする。急ぎ、使者を出せ」
三宅城(後世の大阪府茨木市)を任せている三好長逸であった。父の元長の従弟に当たる。叔父の康長と共に、若くして家督を継いだ長慶を、ずっと支えてきてくれている。最も信頼している重臣の一人であった。
「では、我らは此処を引き払い、右京大夫様や越後守と雌雄を決する仕儀ですな」
長頼が鋭い視線で勇み立った。体に力が入ったのか、具足が擦れ合っている。
「いや、囲みは解かぬ。儂が一旦は中島城に戻り、冬康らと図って右京大夫様らの様子を見る。此処は、左衛門尉と甚介に任せる」
血の家の多い二人を連れて戻れば、晴元らとの決戦を望むのは明らかだった。故に、抑えにする。
「御屋形様。背後の主力を討ち果たさば、目の前の鼠など、物の数ではないのではありますまいか。この際、全軍でもって右京大夫様と越後守を一気に討つ機会かと存じまする」
やはり一存も、長頼と同じ考えだった。長慶に向けられた目が、不満を訴えている。
「各々方、御屋形様はあくまで右京大夫様との戦闘は避けようとされておるのだ。我らは、その忠義の御心に従いましょうぞ」
長教が場を鎮めようと口を挟んだ。長教は旗下に入ったのが最近だからか、長慶に合わせようとの気遣いを見せる。
いや、それほど甘い男でもない。長教の見方も、長慶と同じなのだろう。
「河内守殿。今更になって忠義でもあるまい。敵なのだ。敵は殺すか、殺されるか、だ」
一存が吐き捨てた。口元が、薬湯でも飲んだように苦々しげである。
「当初からの作戦通り、越後守を誘き出す方針に、変更はない。其方らは、これまで通り右衛門大夫を閉じ込めておけ。状況次第では、また指示を出す」
有無を言わさず、判断を下した。
去り際の一存の表情は、寂し気だった。
9
「申し上げます。三宅城が越後守に落とされました」
傍に控えていた冬康と長教が、「ええっ」と呻きを漏らした。
皐月三日に中島城に入った長慶は、摂津諸将の動揺を抑えるため、晴元や六角、将軍家の動きに注意を向けていた。
晴元は一庫城に入ったまま、なかなか動こうとはしなかった。長慶の読みでは、六角か将軍の動きを待ち、呼応しようと画策している。
長慶の放った間者の報告によれば、六角や将軍家は動く準備を整えていた。が、どうやら長慶軍の形成が不利になるのを待ってから、摂津に進軍しようと目論んでおるらしい。
――日和見者など、恐るるに足らぬ。
戦闘意欲に乏しい六角や将軍らが出てきたとしても、精強な三好軍の敵ではない、と思っていた。が、侮れぬのは、援軍が来て勢いづく晴元や政長の武将たちだ。
故に、長慶は中島城で睨みを効かせて牽制していた。長慶ら主力が無傷でおる以上、晴元に援軍は来ないはずだ。
しかし、このままでは長期の膠着状態になる可能性が出てきた。そんな折に、三宅城落城の早馬が駆け込んできた。
亥の刻を過ぎていた。そろそろ寝床に入るため、書見を終えようとしていたところだ。
奥座敷に寝衣のまま座し、使者を通した。傍らには、急ぎ伺候した冬康と長教が侍り、康長が後から駆け付ける。
「詳しく申せ」
冬康が先を促した。
「はっ。本日未明より、我が主の日向守は芥川城救援のために兵を向け申した。しかし、芥川城の手前に差し掛かった頃、三宅城に越後守の軍が攻め寄せたとの報がありました。主人は、急ぎ兵を返しました。が、駆け付けた時には、既に三宅城は敵の手に落ちていました。日向守は御屋形様に顔向けできぬ、と申しながら、すぐに拙者を使者に立て申した。この上は、恥を忍んで一刻でも早くご報告申し上げねばならぬ、と仰せでした。憚りながら、御屋方様に意見を申し上げます。儂には、城の中で手引きした者があるとしか思えませぬ。敵の手際が、あまりにも鮮やかに過ぎました故」
使者は主人の長逸を庇うため、命を懸けて弁明しようと努めた。一息も入れずに馬を飛ばしてきたと見える。
男の具足には雨水が染み込み、床に滴り落ちていた。髪の毛も同様だ。摂津は、梅雨の季節に入っている。
「ご苦労であった。心配せずともよい。日向守に芥川城の救援を任せたのは、儂だ。急な準備で出兵した隙を、上手く敵に突かれた。日向守に責めはない。それに、お主の申す通り、裏切った者がおる可能性が高かろう。越後守は、前もって手筈を整えておったやもしれぬ」
使者は、泥水が撥ねた黒い顔を安堵させ、立ち去った。
「越後守は、かなり焦っておりますな」
冬康の目に笑みが浮かんでいた。目を向けると、長教の表情も緩んでいる。
三宅城が落ちたと聞いた時は、二人とも驚いていた。が、長慶と同じ考えに至ったと見える。
「向こうの足並は、乱れておるな」
旗頭の晴元と政長との間の、戦に臨む気力に差があった。二人が感じているように、政長の焦りは相当だ。戦場において焦りは、隙を生む。
「さて、我らは隙ができる状況を待つべきか、敵に隙ができるように罠を仕掛けるべきか……」
湿った風が戸や障子を撫でていた。夕刻頃から霧雨が空を覆っていたが、夜になって風が出てきたようだ。
10
水無月に入り、晴元が動いたとの知らせが入った。皐月の末に、亀のように縮こまっていた一庫城から密かに抜け出し、三宅城に入っている。
その結果、俄然と三宅城内の兵の気勢が上がっていた。
ここ数日、灰がふつふつと舞っているような空が続いていた。が、今朝からは久方ぶりに澄み渡った青色の空が広がっている。流れる白雲が、陽光で金色がかっていた。梅雨が、もうそろそろ明けるかもしれぬ。
長慶は憂鬱になっていた。三宅城に晴元が入り、主君に兵を向けざるを得ない状況になったからだ。
一存や長頼なら、「容赦など無用、攻め殺すのみ」と断ずるだろう。
三宅城の士気の高揚のほどを聞けば、大将の覇気が戦にどれほど影響するかはわかる。故に、憂鬱な姿を他人には見せないようにしていた。恐らく気づいておるのは、冬康、長教、富美くらいだ。
厠に出ていた。一人で考えたい時や気分が鬱いでおる時には、用を足さなくても厠に入る。
幅三間四方くらいだ。窓からは、中嶋城の南に面した中津川が、滔滔と流れている姿が見られる。
「保士か。何かあったか」
厠の天井に気配を感じた。
シュン、と風が鳴ったような音がして、板壁越しの地面に人が降り立った。
「御意。今、宜しゅうございますか」
長慶が使っている伊賀忍であった。腕利きだが、己の出自は一切、語らない。堺の今井宗久から信用できる忍びだと、紹介された。以来、他の忍とは違って群れでの行動はさせず、長慶が直に使っている。
「よい、申せ。此処まで来たは、急を要する事柄であろう」
用は、とうに済んでいた。着物の裾を直し、板間に腰掛けた。壁の向こうに耳を澄ませる。
「はっ。右京大夫様が三宅城に入り、六角勢としても捨て置けぬ仕儀にござる。近々に弾正少弼の子四郎が、兵を率いて攝津に寄せます」
「なにっ! 今になって動きを見せたか……。弾正少弼も娘婿の右京大夫様を助けなんだと言われては、寝覚めが悪いのかもしれぬ。または、公方から圧力が掛かったか。して、どのくらいの兵で来る」
「詳しい状況は、これからにございますが。凡そ、数千から一万」
「一万だと……、それは真か。いや、これから明らかになるな。相わかった。お主は、なお詳しく探りを入れよ。わかり次第、すぐの知らせを怠るではないぞ」
現在までに長慶が動員しておる兵力は、諸将を合わせて数千であった。対して、政長らの兵は、三千程度である。
六角勢の到着次第では、さらなる兵力の増強や作戦の変更を余儀なくされる。摂津の国人衆も、いつ寝返りを打つやもしれぬ。いずれにしろ、不味い状況になるだろう。
急ぎ厠を後にした。保士の姿は、既に煙のように消えている。
保士が忍んできても、長慶の護衛で気付けるのは数えるほどだ。いつも、保士が敵の忍であったらと思うと、背筋が寒くなる。
「急ぎ、重臣たちを本丸に集めよ」
憂鬱になっておる場合ではなかった。目前の危難を乗り越えねば、一族が滅亡に追い込まれる。
長慶の頭の中に次々と戦の光景が浮かび始めた。こうなると、もう誰にも負ける気はせぬ。
11
「今しがた、六角勢が出兵する気配を見せておるとの報が入った。その数、凡そ数千~一万である」
見渡した重臣たちの表情が、驚きに変わった。息を吐いた音が、そこかしこで聞こえる。
「故に、何としても六角勢が来る前に決着をつけたい。何か思案の浮かんだ者はおらぬか。忌憚なく申せ」
場はざわめいていたが、発言はなかった。
ふと冬康と目が合った。微笑している。
「既に、御屋形様にはご思案があるのではありますまいか。是非に御聞かせ下さいませ」
見通されていた。小憎らしいと思うたが、冬康の勘の良さに頬が緩む。
「儂は、越後守を誘い出す所存だ。手始めに、多少の犠牲には目を瞑りつつ、榎並城を力押しにする。また、榎並城の周囲では、昼夜を問わず鬨の声を上げさせるのだ」
「右衛門大夫に音を上げさせるのですな。焦って救いの手を差し伸べた越後守を、我らが待ち構えて討ち果たす」
冬康が手刀を目の前に掲げ、上から下に斬る真似をした。
諸将は、冬康の言を頭に刻み込むように頷いていた。
「そうだ。そのためには榎並の包囲を厚くせねばならぬ。河内守。お主に榎並攻めに加わってもらう」
「ははっ。仰せの通りに」
長教が両手を床に着け、平伏しようとした。
「お待ち下され。そのお役目は、儂に頂きとう存ずる。三宅城の名誉挽回をして見せまする」
長逸であった。目に真剣な光を帯び、口髭まで覇気で震えているようだ。目元の下に広がった隈が、長逸の失われた誇りの高さを感じさせた。
長慶が罪に問わねども、長逸自身が己を許せんのだろう。気持ちに応えてやらねば、と思った。
「河内守。日向守はこう申しておるが、どうだ」
「もちろん、日向守殿にお譲り致しまする。家中でも強兵揃いと名高い日向守殿の軍勢ならば、右衛門大夫が震え上がる次第になるは必定」
場の雰囲気を読んだ長教が、長逸ににこやかな視線を向けた。長逸の表情に安堵の色が浮かぶ。長逸は最前線で働こうと、端から決めておったのだろう。
「では、日向守は即刻、榎並に向こうてくれ。また、河内守には後詰を命ずる」
驚いた二人と共に、重臣たちの視線も長慶に集まった。三好軍でも屈指の軍勢を二つも投入する決断に、目を剥いている。
「お主ら二人まで差し向ける状況にしたほうが、越後守が乗ってくる可能性が高い。だからだ。左衛門尉や甚介と、よく力を合わせてくれ」
翌日から、榎並城への猛攻が開始された。
難攻不落の城を相手にしていた。派手に攻める姿勢を見せながら、犠牲は最小限に抑える。我ながら、難しい命を出したものだ。
しかし、一存、長頼、長教、長逸らの攻撃の激しさは、すぐ近隣に伝わっていた。榎並を囲んだ軍勢は、長慶の命に十分に応えてくれている。
――後は、政長が焦れて隙を見せるが先か、六角が来るが先か……。
昨年来からの滞陣は、我慢比べの様相を呈していた。
12
「御屋形様、猫が誘いに応じましたぞ」
勇んだ足音が廊下に木霊し、長教が顔を出した。両の黒目に自信が漲っている。板間が弾むように、どかっと腰を落とした。
何も聞かずとも、政長が動いたと確信した。
「うむ、続けよ」
「昨日は十一日の午後、越後守の軍勢は三宅城から出陣致しましてござる。南の神崎川を押し渡り、江口(後世の大阪市東淀川区)に陣を敷いた様子」
「ほう……」
思わず感嘆の声をあげた。政長の動きが意外だったからだ。
江口の地は、中島城の北東二里ほどの位置であった。神崎川、淀川に三方を囲まれた要害の地には違いなかった。が、反面、攻められた際に川が邪魔をして逃げ場がなくなる。まして、榎並城のように堅固な城がある訳ではない。急場凌ぎに廃村を、砦程度に作り変えただけだ。
「我、勝てり……。急ぎ、淡路守を呼び寄せよ」
傍らの小姓に命じ、冬康に使いを出した。江口の地形を想像し、閃いた策がある。
長教が目で頷いていた。長慶の意図を、幾らか読んだと見える。
「だが河内守。越後守が動いた理由は、焦りだけではあるまい。何かを期待してだと、儂は思う。追って間者どもの報告も入ろうが、其方も探ってくれぬか」
「ははっ。さすがは御屋形様。儂も、それを危惧しており申した。が、儂如きが心配せずとも、全てお見通しの御様子ですな」
長教が黒い頬に笑みを浮かべ、膝を打った。
梅雨の灰色雲を完全に追い払った空が、白雲を棚引かせていた。見渡す限りの景色が、全て湿って見える梅雨もうっとうしいものだが、こう暑い毎日が続くと、どんよりと濁った空が恋しくもなる。
ただ、雨がなくなり、夏草の香りが心地良く感じられるようになった。城の庭先や厠の周囲には、秋の七草の一つである女郎花が、黄色い花弁を披露している。
「御屋形様。お呼びでございましょうや」
冬康が向かい合って辞儀をした。長教と違い、足音が静かである。船上で平衡を保つ機会が多いためかもしれぬ。
「既に聞いたやもしれぬが、越後守が動いた。それで、其方には急ぎ、動いてもらわねばならぬ」
長教からの報告を伝えた。冬康は、ぴくんと眉を動かしただけで、澄まして聞いている。
「我が水軍の出番という次第ですな」
顔を上げた冬康が、白い歯を見せていた。
冬康自身は気づいておらぬようだが、長慶の家臣の中では、かなり頭が切れる。長教と同様、長慶の意図を察する勘が鋭い。
「うむ。情報の真偽を確かめ、越後守が江口におるのが間違いなければ、其方は水軍を率いて北の別府の地を占拠せよ。三宅城と政長の一切の連絡を断つようにな。恐らく越後守は、儂が容易に榎並に向かえぬようにしようと神崎川を渡ったのであろう。が、逆に彼奴めを孤立させてくれる。急ぎ、支度に懸かれ」
「ははっ。仰せの通りに」
冬康が平伏した。
「途中で左衛門尉と合流せよ。彼奴は、以前から越後守を討ちたがっておったからな。連れて行ってやれ」
冬康に微笑んだ。
父の元長の無念を、一時も忘れはしなかった。ようやく、政長を討つ機会が訪れた。二人の弟も、それぞれの思いを秘めているだろう。
冬康は細い目に笑みを浮かべ、顎を引いた。廊下を静かに去っていく。
13
十六日の夜半。長慶は、城門の前に出ていた。
暗がりから、川のせせらぎが聞こえてくる。安宅勢は大半が船に乗り込んでいた。整然と川に沿って並んだ船群が、静かに冬康の下知を待っている。
「では御屋形様、参りまする」
冬康が、長慶の前で膝を着いた。朱色の陣羽織が、月明かりに照らされて闇に浮いている。
「よし、頼んだぞ。左衛門尉にも、兄が働きを楽しみにしておった、と伝えてくれ」
冬康の肩に、ぽんと手を置いた。本当に、背が逞しくなった。
翌朝は川霧が晴れて明るんだ頃、背後に突如姿を現した大軍に、政長は腰を抜かしたと聞いた。間者の報告では、政長の軍勢は初め、味方の後詰が来たのか、とも思うたらしい。
しかし、翻った三階菱に五つ釘抜の旗、安宅水軍の船群、屈強な讃岐衆の具足姿を見て、状況を悟った。政長軍の退路を断たれた状況を。
敵に悟られずに陣を敷けたのは、安宅水軍の手際が見事だったからだ。冬康を呼び寄せたのが良かったと思う。
どうやら、政長軍は兵糧にも乏しいようだ。明らかに、後詰を期待した兵の出し方であった。すぐさま、諸方に放った間者を増やした。
後詰や伏兵がなければ、政長軍を殲滅することは容易であった。故に、慎重に情勢を探っている。
冬康らが別府に陣を敷いた二日後の夕刻、待ち望んだ報告があった。
まず最初に、厠の外で保士が待っていた。
言葉は掛けぬ。無言で顎を揺すった。保士は心得たとばかりに、口を開き始めた。
「六角勢、凡そ一万が、二十四日には山崎を出る様子。それから、京の公方家も武装しており申す」
保士は余計な挨拶はなるべく嫌う。長慶も、急の際は許していた。
「公方家が! 公方までが、儂を敵視しておるか。下手に動かねば、何も手出しをするつもりはないものを……。なれど、二十四日と申さば、もうすぐだ。急がねばならぬ」
政長は討つが、将軍家と事を構える意思はなかった。京を通ってくる六角勢は、将軍と好を通じての出兵に間違いない。とすれば、六角勢と干戈を交える状況も、なるべくなら避けたい。
その夜、長教が得た情報の報告に来た。保士とほぼ同様の内容である。これで、情報の真偽は、ほぼ明らかになった。
「御屋形様。急ぎ、淡路守様らへ総攻撃をお命じくだされ。もはや一刻の猶予もございませぬ」
「わかっておる。追って、命を下す所存だ」
長教が不可解な表情で口を結んだ。長慶の考えが読めぬからであろう。言うべき言葉を尽くした長教は、もう一度、総攻撃の命を念押ししてから下がった。
長教が押す通り、今すぐに攻め掛かれば、我が軍の有利は間違いない。それを十分に理解しながら、長慶は命を出せずにいた。
なぜなら。江口の陣を偵察した間者から、政長の軍に混じって晴元の直属軍が混じっていた、との報告を得ていたからだ。
――今更ながら、主君に刃を向けるを躊躇っていた。
長慶は茶や連歌といった伝統文化を好み、敬意を払っていた。
同様に、室町幕府の将軍や管領といった権威にも、畏怖する気持ちがあるのに気づいた。権威など、実力の前には何の役にも立たぬ。頭ではわかっていながら、迷いが生じている。
――いったい、儂は後世にどのように名を残す仕儀となるのであろうか。
考えると、空恐ろしくなる時があった。こればかりは、誰にも言えぬ。
14
「御屋形様。もう一度、お考え直し下され。淡路守様から、催促の使者が再三に参っておる様子。重臣一同、それだけは承服致しかねまする」
長教が頬を紅潮させながら、居間中に声を響き亘らせた。
並んだ康長らも同調した様子で、懇願するような視線を、長慶に向けてきていた。
「皆の考えは、ようわかっておる。元々は儂が指示した策だからな。策が上手く嵌ったのは良かった。が、そこでふと、儂は考えたのだ。今なら、謀反人と名を汚される状態にならずに、和平が成るのではないか、とな」
考えた末に長慶は、政長の隠居を条件に、晴元に和睦を提案しようとした。晴元が条件を呑めば、互いに兵を退く。となれば、六角や将軍家も出兵の名目を失い、兵を収めざるを得なかった。
が、冬康や一存、重臣たちからは、こぞって反対された。温厚な冬康も、攻撃を望む文を、何通も使者に持たせてきていた。一存からの文が檄文であったのは、申すまでもない。
二十二日は辰の刻であった。
続々と入る報告によれば、政長軍は兵糧が尽き、飢え始めていた。三宅城から出て来ぬ晴元や、なかなか姿を見せぬ六角勢を、恨めしく思うておる頃だろう。
議論は平行線のまま、一先ずは散会した、いつもの如く長慶が決断すれば、有無を言わさぬ。
が、此度は戦略的にも戦術的にも、重臣たちに言い分があった。故に、独断で押し切るまでの気力は沸いてこぬ。悶々と、ただ悩み続けるのみである。
「殿。少しお休みになられては如何でしょうか。ここ数日、あまりお眠りになられておらぬ御様子。奥に、床を敷かせましょう」
書院に、一人で籠っていた。床の間の掛け軸をぼんやりと眺めながら、ぽつんと佇んでいた。
障子を開け、富美が入ってきた。斑模様の打掛を、板間に引き摺っている。
「考え事をしておるところだ。しばし、下がっておれ」
長慶の邪険な物言いを気にも掛けず、富美は傍で茶を淹れ始めた。鼻唄混じりに湯飲みに茶を注ぎ、長慶に差し出す。
長慶は、富美の人を食ったような態度を少し不快に感じた。が、何か物言いたげな様子を察し、喉を潤した。
「そのように眉間に皺を刻んでお考えあそばされても、息が詰まるばかり。少しは、気晴らしなさいませ。殿は考え始めると、いつも根を詰め過ぎまする」
富美は口元に微笑を浮かべ、長慶の顔色を窺った。
「河内守から、なんぞ聞いてきたか。不甲斐無い男と、思うておるだろう」
「いいえ、父からは何も聞かされてはおりませぬ。が、女房たちが軍議の噂をしておるのは耳にしました。十中八九も勝ちを手にしながら、殿は和平を望まれておるとか。妾は、それを聞いて、何とも殿らしい、と思いましてございまする」
「儂らしい……、とな。どういう意味だ」
「諸国に恐れられる殿ですが、妾にはわかっております。本当はものすごくお優しくて、秩序を重んじる方です。管領様や公方様などとの争いなど、決して望んではおりませぬ。三好家の当主としてお生まれにならなければ、きっと風流を友として生涯を終えられたでしょう。殿、妾の前では、あまり無理をなさいますな」
富美の黒目が、じっと見詰めてきた。白い頬が仄かに赤らみ、色付き始めた桃のようだ。
「そうか。其方だけは、わかってくれるか。そうか……」
富美の肩を抱き寄せた。ほんの僅かな間だが、富美のぬくもりが、戦を忘れさせてくれるように感じた。
15
重臣たちとの意見が纏まらず、かといって決断できぬまま、時だけが刻まれていった。
二十四日の夜が明けた。昨夜も眠れなかったのは、今日にも六角勢が山崎を出陣する状況だからだ。
最終決断のため、卯の刻半ばには重臣たちが集まってくる。
長慶は庭に出て、江口の方角を眺めていた。もちろん、政長の陣が見える訳ではない。
幾つかの民家の塊、緑の林が見渡せる。北の神崎川、東の淀川の流れが、絶え間なかった。昇り始めた陽が、銀色の鏃のような光を水面に突き刺している。
一首、歌が浮かびそうだと思った。束の間、頭から戦が離れ、歌の文句を探し始める。早朝の少し湿った風を吸い込んだ。吐く際には、上の句を読もうと考えた。
そんな時であった。
「御屋形様。急ぎ、居間にお出でくださりませ。淡路守様からの早馬でござる」
胸騒ぎがした。晴元が出てきたか、今日の夜か明日と思うていた六角勢の先鋒が、早や到着したか。
本丸の居間の上座に着いた。目前に控えた使者の息遣いが聞こえる。傍らに椀が置かれているところを見ると、急ぎ駆け付けてきた状況がわかる。
「何があった。手短に申せ」
挨拶を仕掛けた使者の口上を制止し、要件を促した。急ぎの際に挨拶から聞くは、もどかしい。伝統や仕来りを重んじる長慶だが、このような火急の際には人が変わり、無駄はなるたけ省く。
「ははっ。主、淡路守よりの口上を、そのまま申し上げます。本日の夜明け前より、左衛門尉様の率いる讃岐勢が神崎川の渡河を開始しました。讃岐勢を孤立させぬため、安宅勢は後詰に入っております。卯の刻には、戦の火蓋が切られるものと思われまする。この上は御屋形様にも至急、江口に軍勢を差し向けて頂くようにお願いせよ、と承って参りました」
「なっ、何ぃ! 早まったことを……」
長慶は脇息を倒し、黙り込んだ。唇を噛み、しばし宙を仰いだ後、目を閉じた。
恐らくは、煮え切らぬ長慶に腹を立てた一存が、待ちきれずに出陣したのであろう。
冬康は制止しようとしたか、または、此度に限っては強くは留めなんだかもしれぬ。なぜなら、冬康も政長を討ちたかったはずだからだ。
大きく息を吐いた後、すうっと立ち上がった。四方に、高らかな声を放つ。
「急ぎ、軍議を開く。重臣たちを集めよ」
――一存たちを責められるものではない。全ては、己の不甲斐なさが招いた状況だ。
小姓に持たせていた太刀を抜き放ち、ひんやりとした刀身に指を這わせた。
「えいっ」
一振りと共に、己の迷いを断ち切った。
16
「皆の者、聞いての通りだ。これより我らも、江口の陣に総攻撃を開始する。急ぎ、仕度せよ」
鋭く声を飛ばした。戦に臨む長慶の覇気に、皆が平伏している。
讃岐勢と安宅勢が攻撃を開始した旨を伝えて、直ぐであった。議論をしている時ではない。今は、総大将の速やかな決断だけが必要であった。
「ははっ」
久方ぶりに、諸将の気持ちの良い返事が居間に響いた。これで三好軍は、一丸となるだろう。
「河内守と日向守に伝令。榎並は捨て置き、淀川を渡ってきた敵勢を対岸で待ち伏せ、皆殺しにせよ、と伝えよ。ただし、背後には気を付けよとな」
榎並城など、所詮は囮に過ぎなかった。本隊の政長を完膚なきまでに叩けば、雲散霧消する仕儀となるは間違いない。
榎並に向かって早馬が飛んでいった。諸将は、各々の隊を整えている。
「城門を開け。順次に出陣せよ」
法螺貝が城の内外に鳴り響き、武者たちが掛け声を上げた。飛び出した騎馬武者たちの後を、足軽たちが小走りに追うていく。
長慶も頭形兜と頬当を着け、鐙に足を掛けた。
「行くぞ!」
馬腹を蹴り、城門を潜った。後から、側近衆が従いてくる。
淀川沿いの道を東に急いでいた。
やがて、柴島城の前に通りかかった。先に城兵たちに戦に加わるようにと指示を与えていたので、城から出てきた兵たちが競って合流した。
総勢三千余、政長を襲う後詰には十分な数であった。
続々と物見の報告が入ってきている。此処から江口までは半里強だ。風に揺られて、戦場の音が聞こえてもおかしくはなかった。
一存らは神崎川の渡河を終え、政長の陣の攻撃に懸かっていた。讃岐勢の士気は高く、政長側は恐れて陣に閉じ籠もっておると聞く。
此処で、軍勢を二手に分けた。政長を討ち漏らさぬためだ。このまま川沿いを行く隊と、善隆寺のすぐ南を通って江口に向かう隊にである。
一存らの軍勢と合わせて、三方からの攻撃態勢で臨む。
馬上で太刀を抜き、切っ先を江口に向けた。東から顔を出した陽光が刃先を照らす。
「敵陣は、もうすぐだ。これよりは一気に駆け、敵陣に攻め懸かる。讃岐勢や安宅勢に劣らぬ働きをせよ。続け!」
太刀を掲げたまま、街道を疾駆した。二手に分かれた街道が、黒の具足姿で埋め尽くされていく。
街道の砂が舞い、草々が揺れていた。江口に一歩近づくに連れ、だんだんと戦場からの熱気が伝わってくる気がする。
なぜか心は弾み、体に力が漲ってきた。戦場の匂いや雄叫びは、長慶を元気にする。
――儂は戦が好きだ。戦では、誰にも負けたくない。
17
雄叫び、悲鳴、断末魔の叫び、弦の鳴る音、槍が交わる音。敵陣の周囲では、兵たちが走り、組み伏せ合っていた。そこかしこで、血飛沫が地面を染め、骸になった兵が転がっている。
敵陣の木柵は所々で引き倒され、槍を手にした味方の軍勢が殺到していく。
圧倒的に味方が優勢な状況になりつつあった。
敵陣の中では、敵味方入り混じっての乱戦が展開し始めた。
槍と槍、力と力がぶつかった。個々の肉体の全て、己の生命の全てを燃やした戦いだ。殺さなければ、殺される。
いかにも当たり前の理が、戦場では激しく展開される。
味方の先頭が、敵の奥深くに入り込んでいた。赤備えの甲冑に、同じく赤の具足姿の一団だ。
――一存と側近衆に、間違いなかった。
遠目でも、恐らくは一存であろう、赤柄の槍を振り回している武者姿が見えた。武者の槍が振られると、敵方の黒の甲冑共が蟻の子を散らすように後退りしている。
長慶は敵陣から数町の場所にある丘に、本陣を構えていた。戦の全体を見渡し、必要な指示を出している。
「さすが左衛門尉ですな。戦場で最も敵に回したくない男の一人でござる」
康長が陣幕に入ってきた。味方の勝利間違いなしと見てか、丸い目が、にこやかであった。
喚声が、一際ぐんと大きくなった。再び、敵陣に目を向ける。
一存の讃岐勢が、敵の陣形を割った。敵が四方に散り、退却を始めている。
安宅勢が讃岐勢の後から、逃げる敵兵を追撃し始めた。続々と、味方の兵が層を作りながら、敵兵を囲んでいる。
「御屋形様、儂も出ても宜しいか」
康長も、兄の元長を討たれた屈辱を忘れていない。
「叔父御。気持ちはわかり申すが、大人気ありませぬぞ。追って、越後守の首が届きましょう」
父の無念を偲んでいる康長に、親しみを込めた。が、完勝である。此の上に新手を出しても、意味がなかった。
「で、ございまするな。もはや左衛門尉だけでも、十分やもしれまぬ」
淀川を背にした敵兵たちの中には、長慶軍に恐れをなして川に逃げ込む者までもが出てきた。
むろん、対岸には長逸と長教の軍勢が、槍を扱いて待ち構えている。
逃げ惑う敵兵の背から、容赦ない味方の槍が繰り出されていた。次々と倒れ、動かなくなる敵兵たち。
敵の数が減り、少なくなってきた。河原のほとんどを、味方が占めるようになっている。
「申し上げます。越後守は川に沈んだ由にござる。また、高畠、田井、波々伯部らは討ち取り、後から首が届く次第」
「何と、川に沈んだ……。間違いはないのか」
康長が、興奮して声を荒げた。
18
政長の敗死が伝わると、晴元旗下の武将たちは、たちまちに瓦解した。
子の政勝は、長慶軍が残敵を掃討しておる間に榎並城を捨てて、何処かに落ちた。晴元は江口での戦いの翌日に、三宅城を捨てて京へ逃亡した。
一存や長教らは晴元の追撃を主張したが、長慶は許さなかった。一存らも抜け駆けた負い目を感じておるのか、政長を討って満足したか、重ねては望まなかった。
京に逃げ戻った晴元は、すぐさま六角勢や将軍家と合流して近江の坂本まで落ちた。
現将軍の義輝は齢十三ながら、剣術に非凡な才を示し、足利家の興隆を期している。一戦もせずに坂本まで落ちる軍議に、唯一だけ反対して決戦を主張したようだ。意外にも骨のある将軍、という印象を持った。
長慶たちは、空っぽになった京に入る途中であった。
晴元らが坂本に落ちるまで、芥川城に入って様子を窺っていた。また、京に入る前に氏綱と合流して、戦勝報告をする予定であった。飾りでも、新しい主君である。入京には、神輿が必要であった。
天文十八年(一五四九年)の文月は二日になった。
芥川城は、三好山の山頂に本丸を備えた山城であった。東を除いた三方を切り立った崖に囲まれ、遥か下には芥川の流れが見えている。摂津でも、一、二を争う天然の要害だ。
京からも数里に位置し、畿内を制するためには抑えておくべき城であった。故に、一族の芥川孫十郎を置いている。
暑さは日毎に増していた。昼間の茹だるような熱気は、対処のしようがない。
が、夕刻になると、北の高ケ尾、竜王などの山々から吹き降ろしてくる風が涼を齎してくれた。芥川の川岸には一日中、水気を求める人だかりが切れなかった。
戦勝の宴は、長慶から氏綱への「おめでとうござりまする」の祝いの言葉で始まった。
上座に氏綱、脇から順に、長慶ら三好家重臣が並んでいた。
諸将の誰もが真の覇者を理解していた。それ故に、皆が長慶に向けて挨拶をしようと待ち構えていた。が、それを察した長慶は自ら氏綱を立てる次第を見せ、主君の存在を皆に思い出させた。
長慶に続き、重臣たちが氏綱に言葉を投げ始めた。氏綱は満足そうである。晴元を京から追い出し、念願の京入りを果たすのだから。小さくて丸い目の端が緩んでいた。薄い眉の上には、酒で赤らんだ額が広がっている。
氏綱と長慶への挨拶が終わり、ようやく膳と酒を楽しめるようになった。
芥川の上流で獲れた鮎の甘露煮と塩焼き、山菜の煮つけ、吸い物、白飯などに箸を入れながら、次々に注がれる盃も飲み干している。
座が和んできた頃、康長の楽しげな声が響いた。
「筑前守様。何と言っても、此度の大勝利の立役者は左衛門尉でございますな。のう、日向守殿や河内守殿は、どう思われる」
「全くその通りでござる。対岸で見て居っても、赤鬼が槍を奮うておる、と思うたくらいでした。いや、讃岐勢は真に強い」
長教が受けた。長逸も盃を手に持ちながら、頷いている。
一存と冬康が黙り込んだまま、ちらと視線を向けていた。
二人の抜け駆けを、重臣たちが咎めぬように、と訴えていた。此処で長慶が褒めれば、全てが水に流れる。
が、改めて軍功を調べる時には、軍記違反が問題になりかねん。真面目で忠実な軍目付であれば、問題にして当然だからだ。
「うむ、此度の戦功第一は左衛門尉である。勝機を逃さぬ獅子奮迅の働き、真に天晴であった。讃岐勢は、真に三好軍の宝である」
皆を見渡しながら、高らかに宣言した。居並んだ諸将から、「おお」などと、声が洩れる。
「御屋形様。後ほど、左衛門尉に褒美を取らせてやってくださいませ」
氏綱の方へ体を向け、頭を下げた。
「うむ。左衛門尉の働き、真に見事であったと聞いておる。追って、儂から褒美を取らせよう」
応じた氏綱が、一存に言葉を投げた。一存が大きな肩を縮めて、畏まっている。
いや、それだけではなかった。一存の肩から太い二の腕に掛けて、震えが走っている。黒い頬からは滴が流れ落ち、くっくっ、と嗚咽を堪えていた。
「良かったな、左衛門尉。御屋形様と兄者の二人から、過分なお褒めを頂いて」
冬康が一存の肩に手を置き、長慶に微笑んだ。長慶も応じ、頷いた。