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三好四兄弟  作者: いつみともあき
1/7

第一章 四兄弟

   1

 東の遠く、摂津の海岸線が見えている。父の元長が命を落とした堺も、恐らくはあの辺りだ。

 阿波からの海路に比べ、摂津方面の波は、穏やかに見えた。幾重にも連なる波頭が、青と白の色彩を表現している。

 天文五年は、文月二十八日(一五三六年八月二十四日)であった。未の刻を少し過ぎたばかりである。

 先ほどまで、炬口城(後世の兵庫県洲本市炬口)で、久しぶりに兄の長慶と対面していた。冬康は一足先、昨日の昼に阿波から、此処、淡路に到着し、養父となる安宅治興との対面を終えていた。

 兄と会うのは、三年ぶりであった。兄は、僅か十歳で家督を継いだ。父が、享禄五年(一五三二年)に主君の細川晴元や一族の三好政長らの謀略により自死させられたためである。以来、本国の阿波、摂津など、畿内を目紛しく移動していた。

 冬康は、父の無念の死の際、四歳であった。堺から落ちてきた母が、涙を零しながら、父の最期を兄弟皆の前で語った状況を覚えている。

 兄は、冬康の養子の件で、養父の治興と城で話をしていた。内密の話でもあるのか、

「神太郎、しばらく城の周りでも見て来い」

 と、命じられた。

 城から、洲本川に沿って、河口まで歩いてきた。供は、阿波から同道してきた篠田之正が一人である。

 之正は、冬康より十五も上、齢二十三である。長慶より、冬康の側近として付けられている。文武に長け、しなやかで、引き締まった体躯をしている。冬康の文武の師でもあった。

「神太郎様、どこまで行きなさるか」

 之正が、河口から伸びる海に目をやった。

「安宅の水軍を見たい。炬口の港に行けば、船が見られるかと思うて」

 兄の長慶からは、行く行くは安宅の水軍を率いて、三好家のために働いて貰いたい、と言われていた。

長慶だけではない。次男で阿波の三好義賢、末弟で讃岐に養子に入った十河一存からも、冬康が水軍を掌握するように期待されている。兄弟四人で力を合わせて、父の無念を晴らし、三好家を盛り立てると、固く誓い合っていた。

 淡路は、三好家の本国である阿波と畿内を結ぶ重要な位置にあった。此処に強力な水軍を持つかどうかで、今後の三好家の畿内進出を決する。僅か八歳なれど、冬康は、己の肩に圧し掛かる責任の重さに、身震いしていた。

「焦らずとも、追々に見られますが。まっ、いいでしょう。神太郎様のお気持ちも、わかりますから」

 之正は、苦笑しながらも従いてきてくれる。優秀な兄弟たちに囲まれ、常に劣等感に悩んできた冬康を、幼い頃から見てきていた。

「儂には、水軍しかないんじゃ」

 水軍を指揮した経験はない。が、一存のように際立った武勇もなく、長慶や義賢ほどに、戦の指揮において天分に恵まれているとは思えなかった。だから、唯一の与えられた独自の道で、兄弟たちを支えようと決めていた。

 前髪が、海風で揺れた。風は気持ち良い。が、挑むような陽射しが、頬を焼いている。

 ――と、河口を一艘の船が上ってくるのが見えた。

   2

「小早にございますな。十四挺立ですかな」

 之正が、だんだん近づいてくる土色の船体を、じっと観察していた。

 静かな水の流れの上を、両肌脱ぎの漕手たちが艪を滑らせていた。

 鋭い船首に、冬康と同じく、前髪を残した男子が立っていた。大小を差し、着物に袴を着けている。後ろに、三人の侍らしき男たちが立っていた。

 小早は、冬康たちを目指しているようだ。やがて、岸辺すれすれに寄ってきた。水草の擦れ合う音が聞こえる。

 夏草の匂いが、生暖かい潮風に乗ってきた。鼻の奥が、心地良い。阿波と似た匂いがする、と感じた。

「其処の者たち、何者か。土地の者ではあるまい。何処に行く!」

 高く、鋭い声が飛んだ。前髪の、男子である。日に焼けた顔に、切れ長の両目が光っていた。

「港に、船を見に行くところだ。儂は、三好家から参った、神太郎と申す」

 小早の中が騒めいた。侍たちが、囁き合っている。

「お主が、三好の……。安宅家を乗っ取りに来たのであろう。早よう、阿波に帰れ! さもなければ、命を貰うぞ」

 男子の表情が険しくなり、叫んだ。慌てて、周囲の侍が止めようとしている。後の咎めを、恐れたのだろう。

 どことなく、違和感があった。男子の声、姿……。

「お主、男子の格好をしておるが、女子か! 危うく、見間違うところであった」

 男子にしては、顔の造りが怖いほど整っているし、声が女子のように高く、澄んでいた。

「黙れ! 儂が男子であったなら、三好などに家を乗っ取られる仕儀とはならなんだというに……」

「姫様、それ以上は、お止めくだされ。後で、どのようなお咎めを受けるやもしれませぬ」

 隣の侍が、船首に出てきた。

「神太郎様。ご無礼をお許しくだされ、この通りでござる」

 侍が、頭を下げた。

「姫、と申したな。安宅のか?」

 であれば、冬康の妻になるはずの女子であった。

「そうでございます。殿の一人娘、信子様にございます」

 之正と、目が合った。苦笑している。

 信子に目を向けた。敵意のある目を、冬康に返してくる。

「信子殿。儂は、安宅家を乗っ取りに来た訳ではない。安宅家と三好家が、天下に向かって共に栄えるために来た。そのために、安宅の水軍を強くする。いや、安宅水軍と一緒に、儂も強くなっていく所存だ。淡路に安宅水軍あり、と天下に誇れるようにして見せる。そのために、儂に力を貸してくれぬか。頼み申す」

 信子に向け、深く首を垂れた。嘘偽りのない気持ちを吐いたつもりであった。

 信子は、それまでの威勢が鳴りを潜め、黙り込んだ。まさか、力で安宅家を乗っ取りに来た養子に、頭を下げられるとは思うておらんかったのか。キョトンと、視線を一点に定めたままであった。

   3

「神太郎殿、信子がとんだ御無礼を致したようで」

 治興が、隣の長慶を気にしながら、冬康に謝罪した。

 城に戻ってからは、酒宴であった。兄と治興の話は、滞りなく済んだようだ。二人とも上機嫌だ。

 上座に長慶と治興、下座には冬康以下、三好・安宅の重臣たちが向かい合って膳を並べていた。宴が始まって半刻は過ぎているので、皆の言は弾み、騒がしい。

「いえ、気にしては居りませぬ」

「して神太郎。何故、河口まで足を伸ばした」

 長慶が、盃を含み、息を吐いた。

「はい。安宅の水軍を見に行きました」

 長慶の目を、じっと見詰めた。薄く、口元に笑みを浮かべている。聡い兄だ、意図はわかったはずだ。

「ほう、我が水軍を。是非とも、感想を聞きたいものですな」

 養父と雖も、長慶に気を使ってか、言葉は丁寧であった。兄は、家督を継いで間もない。が、軍事的な才能を、近隣から恐れられるほどになっている。

 チラと、長慶の顔を窺った。

「監物殿。弟が、忌憚ない意見を申してもよいか、気にしております」

「もちろん、宜しゅうござる。今後は、我が跡継ぎなれば、遠慮なく申されよ」

 治興の赤らんだ目が、瞬時、鋭くなった。が、直ぐに笑みに変わる。

「されば、申し上げます。あくまでも、港で調練を一望した程度にて、戯言としてお聞きください」

 それぞれの会話を楽しんでいた安宅の臣たちも、聞き耳を立てているのがわかった。

「操船と兵を見るに、さすがは勇猛で聞こえた安宅の水軍と、膝を叩き申した。個々の船は、確かに強そうです。が、憚りはあれど、統率に欠け、烏合の衆の観があり申す。陸地での戦闘のように、各船が陣を組み、大将の下知に忠実であれば、もっと強くなるかと存じます」

「我らを烏合の衆だと……」

 酒に酔った安宅の臣が、吐き捨てた。

「黙れ、惟元……」

 治興は一喝したまま、黙り込んだ。

 長慶が、場を取り成そうとしたのか。口を開き掛けた時、すうっと、障子が開いた。

 薄い紅葉柄の入った内掛姿の、女子であった。悠然と、板間を摺り足で進んで来る。

 長い髪を肩の下まで垂らし、整った顔は、日に焼けて黒かった。

 一目で、信子だとわかった。内掛姿だと、戸惑うほどに美しい。香を付けているのか、女子の匂いが漂っていた。

 信子は、長慶に向けて辞儀をし、治興に目を向けた。

「父上。神太郎殿は、『淡路に安宅水軍あり、と天下に誇れるようにして見せる』と約束してくださいました。どうせ、夫婦にならねばならぬ運命なら、その約束を守って頂きたいと存じます。そのための協力を、信子は惜しみませぬ。ですが、もし、神太郎殿が約束を違うようならば、信子は神太郎殿と刺し違えます」

 凛と高く、信子の声が響いた。

   4

本丸に用意された、長慶の寝所に、冬康は呼ばれていた。忙しい兄は、明日の朝には摂津に発つ。

 亥の刻を過ぎ、海から陸に吹く風が、障子を騒がせていた。潮の匂いが、部屋にいても鼻を擽る。

「神太郎。良い嫁に恵まれたようだな。監物殿や安宅の家臣たちが、度胆を抜かれておったぞ」 

 今宵のうちに、別れを惜しもうという。近隣に恐れられる長慶であったが、兄弟想いの一面があった。

「はっ。信子殿は、真に気の強い女子のようです」

 信子は、皆が恐れる長慶の前で、「神太郎と刺し違える」とまで言った。

 一瞬、周囲は長慶が無礼討ちにでもするのではないかと、冷や汗を流した。が、長慶は笑い飛ばし、信子のはっきりした物言いを褒めた。

「温厚なお主には、ぴったりの嫁だ。大事にせい。信子殿と、立派な水軍を作ってくれい。それが、兄の願いじゃ」

 長慶が、冬康の肩に手を置いた。凛々しい眉の下から、期待の眼差しを向けている。

「一刻も早く、兄者のお役に立てるように、尽力致します」

 長慶の目を、冬康は見つめ返した。

 長慶は、他の兄弟たちに、このような声は掛けない。義賢や一存に、何も言う必要がないからだ。

それぞれ、幼い頃より才気を迸らせていた。冬康以外の三人は、天分に恵まれており、他人の干渉を嫌がるところが似ている。

 その点、冬康は、己の能力が至らん面がわかっていた。人の話は素直に耳に入れる。だから、兄弟たちも話し易いのだろう。

 長慶もそうだが、義賢や一存も、何かと冬康には心を開いて話してくれる。

 兄弟の皆に気に掛けられて、嬉しい気持ちは、もちろんある。が、反面、冬康だけが、どこか不甲斐ない気がしていた。

「任せたぞ、神太郎。お主の温厚で篤実な性格なら、荒々しい海の男共と、きっと上手くやれる。あとは、場数を踏み、自信を付けるだけだ」

 翌朝、陽が昇ると同時に、長慶は港を出発した。

 その日から、冬康は毎日、海に出た。水軍を知るには、海と船を知る必要がある、と思ったからだ。

 阿波にいる時も、海は好きで、義賢などの船に乗せて貰う機会は多々あった。が、今度は冬康が、軍を掌握せねばならん。心構えが、全く違った。

 潮の流れ、満ち引き、昼夜の海の変化、風向きなど、あらゆるものを吸収しようと努めた。また、瀬戸内の島々や地形、摂津湾や播磨灘など、各々の海域の違いも学んだ。

 養父の治興はもちろん、安宅の重臣たちの後を従け、何でも聞き回った。

 最初は冬康に敵意を向けていた家臣たちも、冬康の真剣さに根負けして、次第に心を開くようになってきた。その陰には、冬康と安宅の家臣たちの間を取り持とうとした信子の存在が、常にあった。

 信子とは、養子に入って三年後の天文八年(一五三九年)の皐月に祝言を挙げた。未だ、子宝には恵まれていない。

 祝言の前に元服した。幼名の神太郎から安宅冬康と改名し、摂津守を称している。

 祝言には、義賢と一存、阿波の親族が幾人か駆け付けたが、長慶は出席できなかった。摂津や京で、戦が起こる直前だったからだ。

 天文八年水無月、長慶は、河内十七箇所の代官職を幕府に望んだ。亡父、元長の旧領である。それを、返して欲しいと願い出たのだ。

 しかし、管領の晴元や一族の三好政長は反対した。元長を謀殺した二人である。

 怒った長慶は、兵を挙げた。長慶の軍事力は、主君である晴元を既に凌駕していたのである。これに対し、晴元らは将軍足利義晴を動かし、近江の名門、六角定頼ら諸大名に軍を出させ、長慶を牽制した。

 結果として和睦が成立し、長慶は摂津半国の守護代に任じられた。形の上からは、長慶が屈服したように見える。が、長慶は実力を天下に誇示した格好となった。諸大名を動かさなければ、もはや幕府は長慶一人を抑えられぬ、と。

 冬康が淡路で燻っている間に、兄はどんどん強大になっていた。

   5

 右手に由良城が見えてきた。左には友ケ島、地ノ島などを挟んで、紀州の山並が聳えている。山頂は霞むが、山裾辺りの緑が映えていた。

 南向きの流れに乗っている。流れに正直なので、舳先が滑るように海面を切っていた。

 陽が、ちょうど真上辺りに来ている。

 天文十二年の弥生四日(一五四三年四月十七日)になっていた。

 冬康は、齢十五になった。大分、淡路の海に馴染んだと思う。

 炬口港から、小早五隻で調練に出ている。皆、実戦さながらに具足を着け、緊張した面持ちで乗船していた。漕手たちの掛け声が、勇ましい。

「なかなかでございますな」

 之正が、黒く面長の顔から、白い歯を見せた。六尺近い体躯を、むずと、動かしている。戦が待ち遠しいようだ。

「どこで仕掛けてくるやら。此の辺りとは踏んでいたが、見当たらぬ」

 と、その時、冬康の船隊の背後で、太鼓が鳴り響いた。すぐさま、小早数隻が、姿を見せる。

 小早は潮に乗り、間合いを詰めようとしている。流れに沿っての追撃であった。冬康らは、圧倒的不利な位置にいる。

「さすがだな、養父上は」

 治興は、冬康らの死角の島影で、じっと兵を伏せていた。淡路周辺の海域や島々の死角の隅々までを知り尽くしているから、できる芸当だ。

「どうされます、若」

「……壇の浦になるな。養父上も、半刻に掛けての指揮だ」

 南の海原に目をやった。

「半刻後に、変わりますか」

 潮の流れが、である。南向きの流れが、半刻後には北向きに変わるはずだ。此処の流れは、春と秋の昼間、三刻ほどで流れが変わる。

「ようし、このまま全速力で逃げる。手向かいは一切無用。背後に盾を備え、半刻、ひたすら艪を漕ぎ続けよ。急げ! 追いつかれれば、我らが負けよ。逆に、半刻を逃げ切れば、我らの勝ちだ」

「おう!」

 冬康の下知を受けて、五隻の艪の動きが速くなった。

 背後の治興の船隊の動きも、迅速だ。

 首筋や頬を、鋭く風が過ぎた。艪が水を掻く音が、耳に心地良い。

 二つの船隊が、水面を滑り、風と一体になっていくような気がした。

   6

 井戸で汗を拭い、肩衣と袴を着けた。

柄杓で軽く口に水を含み、大広間に向かう。大広間で、酒宴が催されるからだ。

 由良沖での調練を終え、城に戻っていた。そろそろ、酉の刻である。

 城の北側を塞ぐ山の木々の緑が、喧しい。東や南に目を転じれば、大海原がどこまでも続いていた。遠くの波頭の向こうを、商船が行き交っている。

 淡路島の中央部には山々が、周囲には瀬戸内の交通の要衝である海々が広がっていた。長く島で暮すと、海と山に生かされている、と常々に感じさせられる。

「負けた、負けた。婿殿に、上手く躱されてしもうた。それにしても、天晴な逃げっぷりであったわい」

 治興が海苔のような眉を緩ませ、肥った体躯を揺らせた。グッと、水のように盃を続ける。

「いえいえ。実戦であれば、我らの負けでござるよ。背後に養父上の姿が見えた時は、正直、冷や汗を掻きました。さすがは養父上、潮の流れの変わる前の一刻を、狙い澄ましておられた」

 調練では逃げ切った。が、御世辞ではなく、実戦で火矢や火薬などを使われていたら、負けていただろう。

「狙い澄ましていた儂の追撃を躱したのが、凄いのよ。瞬時の判断が良かった。余計な手向かいをせず、逃げる方法に徹しなければ、追いついていたからな。凡将には、なかなかできん決断だ」

「フフフ。父上、逃げっぷりを褒められても、殿御としては複雑なのでは」

 信子が治興に酌をし、打掛の袂で口を覆った。本当に可笑しそうである。

「ハッハッ。それもそうだ。が、戦は駆け引きが大事。押すも引くも、大将の果敢な決断に懸っている。将の決断如何で、戦の流れは大きく変わるでな。勝乃助。お主は、婿殿の采配をどう見た」

 田村元常は、治興の片腕である。齢四十を過ぎたくらいで、武将として脂が乗り切っていた。船の指揮に掛けては果敢なものがあり、周囲が一目を置いている。

 彫の浅い顔付きだが、切れ長の目に宿る光は鋭い。陽に焼けた頬を下へ辿ると、黒く茂った髭が、顎の下三寸ほどまで垂れていた。

「お見事であったと思います。ついこの間まで前髪を残しておいでだと思っておりましたが……。この勝乃助、ほとほと感服致しました。真に、立派な大将になられた」

 元常の細い目に笑みが浮かんだ。

「勝乃助も、そう思うたか。儂もだ。これで、安心して安宅の家を任せられる、と感じたわい」

 治興の眼差しが、じっと冬康に注がれた。酒が入り、顔や首筋は赤くなっている。が、視線は鋭かった。

「えっ、父上。それでは……」

 信子が、見開いた目を、治興の横顔に向けた。

「そうだ。儂は隠居し、婿殿に家督を譲ろうと思う」

「と、殿! それは。いくら何でも、まだ早うはございませぬか。殿はまだ、齢四十も半ば。まだまだ、御活躍はこれからでござる」

 元常の声が、上擦っていた。それほど、皆には青天の霹靂だった。

 いつの間にやら、重臣たちの騒めきが止んでいた。皆が静かに治興の言を窺っている。

 開いた戸の隙間から入る陽が、だんだんと弱くなっていた。あちこちで行灯と篝火の用意がされている。

 弥生と雖も、北側の背に山を抱え、海からの風が上がってくる。夕刻には戸を閉め切らねば、肌寒かった。

   7

「完全に隠居するわけではない。此処、淡路で戦が起これば、獅子奮迅の働きをして見せる。ただ、安宅家の行く末については、婿殿にお任せしようと思う」

「父上、なぜ、それほどお急ぎになられます」

 信子が、怪訝な声を出した。

「志の大きさだ。儂には、せいぜい淡路をしっかりと守っていくくらいしか、望みはない。が、婿殿には、筑前守殿という天下に比類なき武将である兄が居られる。その筑前守殿は、正に今、畿内で天下の覇権を争うておる途中だ。阿波の豊前守殿、讃岐の又四郎殿ら兄弟も、かなりの器量であると耳にしている。ああ、又四郎殿は元服されたんだったかの」

 治興が、声を投げて来た。

「はっ。昨年に元服し、左衛門尉を名乗っております」

 一存は、十河家で、齢十にして武勇を轟かせていた。

「婿殿は、此処に養子に来た時から、兄の筑前守殿を助け、安宅水軍の名を天下に轟かせる、と豪語しておった。三好家と安宅家が共に栄えるように、とな。今が、ちょうど良い頃合いだと思うのだ。畿内の情勢からして、筑前守殿も、安宅水軍が動かせれば、心強いだろう。まして、婿殿自らが駆け付ければ、なおさらだ。もちろん、婿殿の器量が、儂が認めるくらいに達したから、というのが一番の理由だがな」

 畿内では、昨年末から、管領の細川晴元の打倒を掲げ、細川氏綱が兵を挙げていた。

氏綱は、実父と養父を晴元に殺されている。養父の細川高国が奪われた管領職を、晴元から取り戻そうとしていた。

 長慶は晴元の臣として、氏綱軍と各地で転戦していた。

 冬康からすれば、父を謀殺した晴元の臣で長慶がい続けておる状況には納得がいかぬ。

が、身分の秩序を重んじ、深謀遠慮に長けた兄の考えだ。まず、間違いはあるまい、と思っていた。

 ――兄者は、いつまでも晴元の走狗では終わらぬはず。

 兄の長慶に対して、絶対的な信頼を置いていた。

「どうだ、婿殿。受けるか」

 ハッと、我に返った。幼かったとはいえ、父を殺された恨みは、腹の奥に眠り続けている。

 治興に視線を向けた。が、どう答えてよいかを思案した。冬康は、己の未熟さを知り過ぎているからだ。正直、自信が湧いてこなかった。

 と、信子の顔が視界に入った。にっこりと、頷いている。

 之正、元常とも目で語り合った。順に、重臣たちに顔を向ける。

「おやりなされ。我らが支えます」

 皆の声が、聞こえたような気がした。

 眼前、治興が声を立てて笑った。

「儂も含めて、皆が婿殿に期待しておるのよ。少なくとも、此処に居る皆が、安宅家のために、婿殿を命懸けで支えていく。何より、心強かろうが。婿殿、我らの期待を無駄にせず、約束通り、安宅水軍の名を、天下に示してくれ。のう、信子」

「はい。さもないと、妾は、殿と刺し違えねばいけませぬ」

 信子が、ホホと声を上げた。

「ううっ。真に、安宅家に養子に入って、幸せにござる。こんなに、良い方々に囲まれて……」

 不覚にも、人前で涙が込み上げた。

 行灯の火が、揺れていた。いや、冬康の視界が、揺れている。

 兄弟の中で最も出来が悪かった冬康を、安宅衆は認めてくれている。

 ――皆の期待は、命に代えても裏切らぬ、と心に誓った。

   8

 炬口港に四十挺立の関船が一艘、入った。旗印は、三階菱に釘貫紋を五つ配している。

 冬康は、注進を受けた時、即座に兄の長慶からの援軍要請だと思った。

 小笠原家の象徴である三階菱が靡いたから、ではない。畿内の情勢が、抜き差しならぬところまで来ていたからだ。

 天文一五年(一五四六年)は葉月の終わりを迎えていた。

 秋も半ばを過ぎた頃合いだが、淡路の日常は、夏と変わりがなかった。半裸の水主が港を闊歩し、そこかしこで色黒い女子たちが魚を運び、海苔を干していた。

 島の山々はもちろん、遠く、播磨や摂津、紀伊の山脈に至るまで、まだまだ緑が眩しい。

 葉月の中頃、長慶は、晴元から氏綱に寝返った謀将・遊佐長教を討つべく、堺に兵を向けた。が、急遽に晴元に命じられたため、十分に準備を行わなずに出兵を行った。そのため、待ち構えていた長教と氏綱らによって、堺で包囲される仕儀となった。

窮地に陥った長慶は、堺の町に逃げ込んだ。堺の町衆に、長教らとの斡旋を依頼したのだ。

堺は、この頃には既に、中立的な自治都市として栄えていた。異国や国内での交易で富み、経済力には将軍を始め、諸大名が一目を置いている。そのため、堺の自治は侵さぬ、との不文律ができていた。故に、堺にいる限り、敵に攻められる状況にはならない。

葉月二十日に、両者の和睦が成立し、双方が撤兵する次第と決した。堺の力は、幕府の権力争いすら調停するほどである。

長慶は堺に救われた格好になる。三好家が畿内に進出して以降、父祖の代から、堺との交流を深めていたのが、役に立った。町衆たちは、概ね長慶に好意的である。むろん、町衆たちは利に聡い。後々、それなりの便宜を図る必要があるだろう。

長慶から冬康に、何とか危急を脱したと、つい先日に使者があった。

冬康は、兄が負けたまま引き下がるとは思っていなかった。故に、長慶からの出兵命令だと読んだ。

長慶は、自ら攻め勝った戦闘においては、降将や捕虜などに対して、過剰に慈悲深い一面があった。周囲が、甘すぎるのでは、と危ぶむ機会があるほどだ。

一方、長慶は負けた雪辱は、必ず晴らす性格であった。

――兄者は、戦で負けるのが何よりも嫌いだ。

長慶は、領土や権勢欲にそれほどの関心を持っておらぬ。戦の駆け引きや読みに天分を持つ長慶は、何より、戦に負けるのが許せんのだと、冬康は考えていた。

「申し上げます。殿より、摂津守様は直ちに兵を率い、大塚城の救援に馳せ参じるように、との命にございます」

 使者は、三間向こうの板間で、深々と頭を下げていた。長慶に、急ぐように命じられたのだろう。港からも馬を駆ったようで、まだ呼吸が荒い。

 長慶を撤退させた長教と氏綱らの軍は、晴元方の大塚城(後世の大阪市天王寺区茶臼山町)を囲んでいるという。長慶は形勢を挽回するため、淡路、四国の軍を急いで集めていた。

「心得申した、と兄者に伝えよ。安宅水軍は、摂津に一番に駆け付けまする、とな」

 重臣たちの顔を窺った。養父・治興、信子、之正、元常らが、緊張した面持ちで頷いている。

 ――いよいよ、畿内の戦に加わる。

 知らぬ間に、冬康の手に力が入っていた。心ノ臓が波打っている。

 心地良い昂揚感が、居間に集まった安宅衆を包んでいた。

   9

「漕ぎ方、始め!」

 冬康の合図で、之正が叫んだ。勇ましい掛け声と共に一斉に艪が動き出し、船隊が岸から離れていく。

 港まで見送りに来た治興と信子の姿が、次第に小さくなっていく。

治興は微動だにせず、じっと腕を組んだままであった。が、信子はしきりに手を振っている。男勝りな一面がある女子だが、根は心配性なところもある。不安を覆い隠そうとしての仕儀だろう。

 百五十挺立の艪が巻き上げる飛沫は、圧巻であった。矢倉の上から見下ろしていても、船体の周囲に水霧が舞っているのが見える。

 千石船が三隻、残りを関船と小早で率いていた。漕手とは別に、二千の兵を乗せている。

急場にしては、よく揃えたほうだ。全て、常々からの準備のおかげであった。

 摂津湾までの海路は、半日も掛からぬ。昼過ぎには堺に上陸し、大塚城に向けて北上する算段であった。

「間に合いますかな」

 之正が、隣に並んだ。具足の上に、羅紗の陣羽織といった形である。

 冬康も同様で、具足に陣羽織、手には軍扇を握っていた。

「わからぬ。が、我らは命に従うのみだ」

 使者が去ってから、三日目の朝だった。

 大塚城は、平坦地に築かれた砦ほどの規模だと聞いていた。冬康らが到着する前に落城する状況も、十分に予想される。

 少し雲が懸かった空のせいで、海原は深く、濃い青色をしていた。波は落ち着いているので、漕手たちの艪が、よく水を掴んでいる。

 やがて、摂津湾に沿って、北上を始めた。海図から推測するに、右手はちょうど和泉の辺りである。

真上の雲間から薄弱い陽が顔を出した頃、前方に堺の港が見えた。自治都市らしく、周囲に堀を穿っているようだ。

 ――父が命を落とした堺の町並みだった。

 父が無念の最期を遂げた町に降り立つと思うと、どこか複雑な心境となった。

堺に、到着を知らせる使者を出した。危急時とは雖も、無断で軍勢を堺に入れる訳にはいかん。堺の町衆に睨まれ、敵に回したくはなかった。

 先日、長慶が助けられたように、冬康も今後のため、堺の町衆とは好を通じておきたかった。

「御屋方様からの使者が、既に町に到着しておるようです」

 港の責任者らしき水主が出て来て、冬康らの船隊を港に誘導した。船が舫われた頃、先に出した使者が戻って来た。

「そうか、何か動きがあったのやもしれぬ。町衆への挨拶を済ませ、すぐに使者と会う。案内せい」

 吉凶かどうかにせよ、まずは長慶からの命を聞かねばならぬ。

   10

 船を降り、堺の町衆たちと挨拶を交わした。天王寺屋、魚屋といった豪商の主たちは、さすがに威風堂々としている。淡路の田舎侍に過ぎぬ安宅衆とは、身に着けている物から違った。物腰も、洗練されているように思う。

 そればかりではない。港には、西班牙や明国など、異国の、煌びやかな装飾が施された船が多く舫われていた。髪や肌の色、顔付き、衣服の異なる人々が、商いをしている様子が目に入る。

 小さな一都市に過ぎない堺の町は富み、活気に溢れていた。

 冬康は改めて、商都である堺の経済力に目を瞠った。喉の奥から、呻くような溜息が出る。

 之正など供の者たちも、呆気に取られたように、周囲を眺めていた。

「儂の屋敷で、筑前守様の御使者を待たせており申す。ささっ、御案内致しますので、従いてきてください」

 町衆の一人、納屋の主である今井宗久が、先に立った。

宗久は、近江の佐々木氏の末裔である。どんな因果か、堺に出て商人となったと聞く。

長慶からの使者を屋敷に通したのは、宗久の舅の武野紹鴎が、長慶と連歌や茶で親しい間柄だからだ。

紹鴎は連歌や茶で一流の腕前を持つ。堺の豪商の一人でもあり、武器を扱っている。その点でも、長慶と話が合うのだろう。むろん、宗久も武器商人だ。

「堺の活力には、真に圧倒されました。この冬康、正直、舌を巻いてござる」

 宗久の小さな背に、声を投げた。上背はないが、着物の下は引き締まった体躯だと思われた。足取りもしっかりとして、軽い。一代で上り詰めた大商人、といった態である。

 薄柿色の頭巾が、振り返った。細いが嫌らしさのない、澄んだ目をしている。齢三十には届かんだろう。精悍な横顔だ。

「町衆が皆で、堺の反映を守っております。そのためには、今後とも三好様と好を通じていきたい、と思っています」

「なるほど。こちらこそ、以後も、よしなにお頼み申す」

 宗久の柔らかな物腰の中に、一筋の強さが感じられた。商人だけで諸大名と渡り合っている自負が、そうさせるのか。いずれにせよ、好感の持てる男だ。

 宗久の屋敷は、港から数町を陸地に入った宿院にあった。幅、奥行とも、とうてい淡路にはない規模である。

しかし、それほど際立っていない。周囲の屋敷も皆、豪邸だからだ。此処、宿院には、堺の町衆の屋敷が、軒を連ねていた。

「河内守が摂津の諸将を煽り、情勢が著しく不穏にございます。池田、野間は、既に遊佐と同心した様子。御屋形様より、摂津守様はしばらく堺で待機されるように、との命を預かって参りました。大塚城の救援は断念し、御屋形様も一旦は越水城に退き、態勢を立て直す所存です」

 長慶からの使者は、冬康が促すと、間髪入れずに話し出した。実直な男なのだろう。肩に力が入っている。

 長教は、調略に長けた武将であった。利を持って、摂津の大名たちを、次々と誘っておるのだろう。

「分かった。此処で、四国衆を待とう」

 態勢を立て直すには、阿波や讃岐の軍勢が必要であった。

   11

 長月の半ばを過ぎると、情勢は厳しさを増していた。

氏綱と長教らの軍は大塚城を落とした勢いで、長慶の妹婿が籠る芥川城(後世の大阪府高槻市)を開城させた。

 晴元は、将軍の義晴に、氏綱らとの間を斡旋させるように手を打とうとした。が、義晴は応じなかった。この機に、管領晴元の、傀儡から抜け出ようと目論んだのかもしれぬ。焦った晴元は、仕方なく丹波に逃亡した。

 冬康は、三好軍の劣勢を聞くにつれ、じっと動かぬ自分がやるせなかった。が、平和を謳歌している堺では、日がな一日、のんびりと過ごす他ない。

 冬康の退屈ぶりを見てか、宗久が、茶や連歌の手解きをしてくれるようになった。宗久は、舅の紹鴎を唸らせるほどの腕前になっていると聞く。

「摂津守様も、筑前守様に劣らず、筋が宜しゅうございます。やはり、御兄弟にございますな。後々は、いずれおとらぬ腕前になられましょう」

 長慶は、京の大徳寺の大僧正である大林宗套に、深く心酔していた。茶や連歌なども、宗套の教えを受け、才を認められている。

 ちなみに、紹鴎も宗套の門人の一人であった。その縁で、長慶と親密になっている。

宗久が、立てた茶を冬康の前に置いた。土色の湯飲みが、障子越しに伸びた陽光で、独特の陰影を醸し出している。

 屋敷の庭に設けられた、二間四方の庵にいた。周囲を、梅と松の木々に囲まれている。商いに騒々しい納屋の屋敷内で唯一、静かな趣を感じさせる場所だ。

「はは。有難い仰せだが、兄弟と雖も、兄と儂では比べものになりませぬ。兄の筑前守は、幼き頃より、何をやっても秀でており申した。儂などがどんなに精進しても、とても及ぶものではない」

「いやいや。幼き頃は、兄上や目上の者の背中は、思うよりずっと大きく見えるもの。今や摂津守様は、筑前守様に負けず劣らず、才を発揮し始めておるのではありませんか。それを証拠に、安宅衆は皆、摂津守様に心服しております」

「馬鹿なことを! 冗談でも、二度と申さんでくれ。幼き頃より、兄の背中を追い続けてきた。これからも、ずっと追い続ける所存だ。追いつく状況など、断じてありえぬ」

 思わず、声を荒げた。長慶は、冬康の憧れである。兄の背中は、誰にも汚させぬ。

「申し訳ありませぬ。出過ぎた話を、してしまいました。この通り、お許しくだされ。ただ、お解り頂きたいのは、儂は摂津守様のお人柄が好きなのです。故に、今後のご活躍に、期待しており申す」

「こちらこそ、すまぬ。大人気なく、取り乱した。許せ」

 宗久に向かって、頭を垂れた。

 すると、庵の外で、砂利を踏む音がした。

「申し上げます。阿波・讃岐勢の姿が、沖に見えました。間もなく、港に到着します」

 之正の弾んだ声がした。 

   12

「兄者に、又四郎、よう来られた。永らくでござったな」

 港で義賢と一存を出迎えた。二人が安宅船から降りてきたところ、声を投げた。宗久は隣に並んでいる。

 風が少し強い。港の縁に押し寄せた波が泡になって、いくつも撥ねていた。

 申の刻を過ぎた頃だが、夕刻から夜に掛けて海が荒れそうな天候である。

 雲が西から東に、追い立てられるように動いていた。確かに、朝方に見た雲より、灰色が掛かったものが多くなっている。

「おう、神太郎。息災そうで、何よりだ」

 義賢が、存在感のある眉と口髭を靡かせた。凛々しい目は、長慶そっくりである。具足に羽織といった形は、冬康が堺に来た時と同じである。

「兄者。少し見ぬ間に、海賊らしくなったな」

 一存の羽織から覗いた二ノ腕は、丸太のようだった。幼かった顔付きは色黒く、精悍な大将の顔になっている。

「その通り、すっかり海賊に染まっておるわ」

 兄弟三人が各々の顔を見渡し、微笑んだ。

「それにしても兄者。我らは既に一角の武将だ。いつまでも幼名のままでは、家臣に示しがつかぬぞ」

「ハッハッ。相済まんかった、左衛門尉殿。が、それを申すなら、儂も久しぶりに神太郎、と呼ばれたぞ」

「これは……。儂も、摂津守殿に謝らねばならんのう」

 義賢が弾けるように大笑した。怪し気な雲行きを、吹き飛ばすような明るさだ。

「ささっ。御兄弟で積もるお話は尽きぬと存じますが、当屋敷に御案内致しましょう」

 話が尽きそうにない、と察したか。宗久が口を開き、二人に挨拶を始めた。

 夜は当然の如く、屋敷で酒宴が開かれた。

 義賢を上座に、冬康と一存が脇を固めた。居間には、各々の重臣たちがぎっしりと場を占めた。

 酉の刻から始まった宴会は、三刻にも及んだ。酒の回った重臣たちが舞いを踊り終え、落ち着いたところで、宴を終えた。

 先ほどから、ようやく兄弟三人で静かに飲んでいる。

 漆塗の膳には、鮎の焼き物、貝の煮物が肴として置かれていた。それぞれが酌を交わし合っている。

 夜も更けると、いかに堺とはいえ、往来は物静かになる。戸の隙間からは、冬を感じさせる冷気が、肌を擦っていた。火鉢の炭が、微かな音を立てている。

「ううう……。兄者たち、儂は嬉しい。やっと、兄弟皆で戦えるのだ」

 一存が盃を傾け、肩を震わせた。骨太の赤らんだ頬に、滴が伝っている。

 冬康も義賢も、思いは同じであった。

 父の元長は、此処、堺の顕本寺で無念の死を遂げた。元長は、晴元旗下の権力争いから策に嵌められ、一向一揆に寺を囲まれた。逃げ場がなく、自害する以外に方法はなかった。

 雪辱を晴らし、三好家を再び盛り返す、と兄弟四人で誓ってから、十四年の歳月が流れている。 

「左衛門尉の申す通り。今こそ、兄弟四人で力を合わせて、三好の力を天下に示しましょうぞ」

 冬康は、震える一存の背を見つめ、力強く声を出した。盃を持つ手に、自然と力が入っている。

「おう。早く御屋形様の前で、思う存分に槍を奮って見せたいものだ」

 一存が、すっくと顔を上げた。もう笑みを浮かべている。昔から、感情を顕にする性格だ。

「我ら兄弟が支え合っていけば、恐れるものなど、何もない。兄者に従いていけば、間違いない」

 義賢が低く呟いた。兄弟皆が、長慶に信を置いている。

 もっとも、一存の望みが叶うまでには、年を越して夏まで待つ仕儀となった。

   13

 天文十六年(一五四七年)に入り、三好軍は畿内で巻き返しを始めた。

 如月二十日には、長慶と義賢が原田城(後世の大阪府豊中市原田)を落とし、弥生二二日には三宅城(後世の大阪府摂津市)も落城させた。

 水無月には、敵に奪われていた芥川城を取戻し、池田城(後世の大阪府池田市)も落とした。

 長慶軍を擁する細川晴元側は、連戦連勝の勢いであった。

 対して、昨年の勢いはどこ吹く風。氏綱側は、真に不甲斐無い。芥川や池田城の戦いにおいては、氏綱の旗下の武将たちは抵抗らしい抵抗もしなかった。三好の大軍が寄せると、あっさり開城や降伏する始末である。

 このような状況の中で珍事が起こった。前将軍の義晴と、昨年末に急遽、将軍職を譲り受けた義輝が突如、氏綱に味方した。ちなみに義輝、この時、十一歳である。

 夏頃には、畿内の大半は晴元軍が制圧した。ちょうどこの頃、以前から足利将軍家を支援していた近江の六角定頼が晴元側に付いた。これで、管領職を巡っての争いの態勢は、決したといえよう。

 残るは、事の元凶である氏綱と長教であった。

 文月は二十一日になった。

 摂津の夏は、淡路と違って蒸し暑かった。

 陽が、具足の上から容赦なく照り付けた。乾いた土から立ち上る熱気に包まれると、眩暈を生じそうになる。具足下の上衣や脚絆は、少し動いただけで汗を多量に吸う。

 熱いのは、それだけではなかった。

 榎並城下(後世の大阪市城東区)に集った約二万の三好軍の熱気が、天をも焦がさんばかりだからだ。

 間もなく、遊佐長教の高尾城(後世の大阪府羽曳野市古市)を目指して南進を始めるのだ。

 長慶、義賢、冬康、一存の四兄弟はもちろん、三好政長、三好政勝など、晴元軍の主力が顔を揃えて、進軍の時を静かに待っていた。

「やっと、四人で戦えるな」

 長慶の陣所に呼ばれていた。中央の床几に長慶と向かい合う形で、弟たち三人が並んでいる。

 長慶はきりりと上げた眉を緩め、口元にも笑みを浮かべた。

「兄者、いや、御屋方様。今日の儂の働きを、とくと御覧くだされ」

 一存が意気込んだ。目にも、凄まじい気魄が宿っていた。

「おう。成長した弟たちの活躍を、楽しみにしておるぞ」

「はっ」

 三人の弟は、合わせるでもなく、同時に頭を垂れた。

   14

「出陣じゃ、出陣じゃ」

 法螺貝と太鼓の音が、雲一つない青空に鳴り響いた。

 騎馬隊を先頭に、一斉に諸将の軍勢が進み始めた。

 冬康と一存は右翼を担い、背後に畠山が控えている。左翼は義賢を中心に、香西、松浦が受け持つ。最後尾からは、長慶と政長の軍勢が全体を指揮していた。

「気に食わん! 腸が煮えくり返りそうじゃ。なぜ、御屋形様は何も申されんのだ」

 一存が馬上で吐き捨てた。

目に砂埃が入ってきた。そこらじゅうで騎馬の蹄が、乾いた土を舞い上げている。

一存と轡を並べていた。果敢な一存と慎重な冬康を、組み合わせたのは長慶だろう。

「仕方あるまい。あれでも、右京大夫様のお気に入りだ。実際の指揮は御屋形様が行うが、形式的には立てねばならん。それが政だ」

 一存が怒っているのは、軍議での政長の態度であった。実際の戦闘のほとんどは長慶たちに任せるくせに、晴元の懐刀なのを自負し、不遜に振舞っている。つまらぬ口を挟み、長慶を蔑んだ素振りすら見せる。出陣の下知も、政長が最初に出した。

 それだけではなかった。政長は、父の元長の仇である。元長が一向一揆に攻められた原因は、政長が晴元に讒言したからだ。

「御屋形様を蔑にした振舞の数々、何度も斬り捨ててやろうと思うたわ」

「そう言うな、左衛門尉。御屋形様がじっと耐えておるには、必ず何か理由がある。いつか、越後守を討つ機会も訪れよう。その時まで、我らも我慢が肝心だ。それに、当面の敵を誰か忘れてはおらぬか。御屋形様に、手柄を見せるのであろう」

 冬康は、一存に笑みを向けた。

「わかった。越後守の首は、後の楽しみに取っておく次第としよう」

 一存が黒ずんだ目尻に皺を刻み、笑みを返した。激しても、すぐに切り替えられる弟である。

 今里の手前に差し掛かった頃だった。

「申し上げます。高屋城付近に集結した遊佐、細川、畠山、筒井らの軍勢、およそ一万五千、北進してこちらに向こうており申す。このまま行けば、舎利寺付近(後世の大阪市生野区舎利寺町)でぶつかると思われます」

 長慶からの伝令であった。物見の報告が、続々と入っているのだろう。

「出てきおったか。いよいよだな。腕が鳴ってきたわい」

 一存が掴んでいた槍を扱いた。三間近い槍を、軽々と手に馴染ませている。

「皆の者! 敵が近づいておるぞ。心して進め」

 声を張り上げると、大音声の叫びが戻ってきた。安宅、十河軍の士気は高い。一存も、よく軍を纏めているのがわかる。

 一存は感情を顕にする面はあるが、立て板を割ったように気持ちのいい男ぶりであった。何よりも、他に比類がないほど戦においては勇猛果敢である。荒武者揃いの讃岐勢に、命を投げ出しても惜しくない大将、と慕われている。

 一存の盛り上がった肩に、覇気が籠もっていた。具足がはち切れんばかりである。

   15

 御勝山の麓の高台から、南を見渡していた。小さな林が点在している他は、田畑と民家ばかりである。平地が多く、大軍が身を隠せぬ場所だ。決戦に、最も適した場所と言えよう。

 地面を埋めるほどの軍勢が、ひたひたと進んできている。先鋒同士の距離は、もう一里もない。

 巳の刻も半ばであった。

相変わらず陽が強い。が、暑さを気にしておる兵は一人も見当たらぬ。皆が緊張して、士気が充実していた。必殺の間合いに入りつつもある。

二町の距離。敵の旗印も鮮明になっていた。黒円に横線……、畠山の軍か。

「射手用意」「射手用意」

 横一列に楯を並べ、弓隊を前に出した。長慶の伝令が、馬で走り回っている。

 敵の弓隊も出てきた。じりじりと、双方が距離を詰めている。

 背後で、陣太鼓が打ち鳴らされた。

「射方、始めい!」

 冬康が下知を飛ばすと同時に、味方の矢が天空を掴まんばかりに飛び出した。

 敵の矢も飛び始め、幾万本の矢が虚空で交錯し始めた。照らされた鏃の光が、ときおり目に入る。

 突き刺さった矢が、楯を松の木のように変えた。鎧に矢が突き立った者や、首筋に矢が刺さり、血飛沫を飛ばしている者もいる。冬康も飛んできた矢を数本、刀で払った。

 敵陣も同じ惨状であろう。バタバタと、倒れる兵が見えている。

 矢合わせは、五分五分であった。が、三好軍は兵数が多い分、弓隊も多く連れてきている。徐々に、差が出始めてくるはずだ。

 犠牲が多くなり出した敵は、白兵戦に出てくるか、退くかだ。

しかし、籠城をせずにここまで出張ってきたところを見ると、決戦を望んでいる。また、退けば追撃を受け、被害が大きくなる。十中八九は、攻め懸かってくるはずだ。

「槍隊、じきに出番が来るぞ。思う存分に働く準備をしておけ。安宅勢が水の上だけではない仕儀を、御屋形様にお見せするのだ」

「おう」

 冬康の予想通りの展開となった。双方の距離が近づき、犠牲が増え始めた敵は、槍隊で前面に押し出してきた。

 並んだ穂先が、鋭い牙で向かってくる。敵の士気は、考えていたほど低くなかった。

「ようし、槍隊行け!」

 と、冬康が下知を飛ばそうとしたその時、隣の十河勢が駆け出した。すさまじい勢いである。

「殿。左衛門尉様、自ら出てござる」

 十河勢に目を向けた。間違いなく、先頭から数人の位置の馬上に、槍を手にした一存の姿があった。

 十河勢は大将を守るために、必死に駆けていく。まるで、槍を持った猪の群れが、敵に角を向けて猛進するようだ。

「我が弟ながら、左衛門尉の戦ぶりは、すさまじいものがあるな……」

 冬康は、ぽかんと呆気に取られていた。安宅勢は、ひた走る十河勢の後詰になった形である。

 ――どうやら、一存に手柄を全て攫われそうだ。

 高々と槍を掲げた一存の背を見て、苦笑した。

   16

 一存の率いる讃岐勢が、猛烈な勢いで敵の畠山勢に襲い掛かった。

 馬上の一存が棒切れのように槍を振り回すと、周囲の敵が血飛沫を上げ、バタバタと倒れた。

 一存の働きばかりではない。讃岐勢の色黒な猛者たちが、京のぬるま湯で育った畠山の腕白武者たちを薙ぎ倒していく。室町幕府の管領家の一つであり、かつては栄華を誇った畠山家も、戦国の水は泳ぎづらいと見える。

「讃岐勢に後れを取るな。懸かれ、懸かれい!」

 冬康も安宅勢を叱咤しながら、槍を持って畠山勢に突き入った。もはや、乱戦である。

 前面の足軽を笹穂で足払いし、横から来た敵の喉元に石突を押し込んだ。

 喉を突かれた男は、血を吐いて息ができなくなっている。その隙に、倒れた前面の敵の首筋に穂を突き立てた。

 之正ら側近も、視界に入る敵を始末していく。

 先を行く讃岐勢に畳み掛けるように、安宅勢が攻め込んだので、敵は混乱し始めた。

 が、敵もさる者。すぐに、遊佐勢たちが後詰に入ってきた。まだまだ、連携が取れている。

 いつの間にやら、三好軍と遊佐・細川軍は、中央に舎利寺を挟んで、対峙する形になっていた。

 左翼では、義賢らの軍勢が、細川・遊佐と交戦している。

掛け声、叫び声、馬の嘶き、蹄が砂を噛む音、陣太鼓、槍が交わる音。全ての音が、戦場を包み込んでいた。

両軍の勢力が、拮抗していた。

一刻も槍を奮い続けたであろうか。右翼は一存が敵深くに入り込もうとし、敵は後詰を繰り出し、必死に防ごうとしていた。破られると、全体に波及して崩れるからだ。

ふと、冬康は左翼を見た。徐々にだが、三階菱に五つ釘抜の旗が南に進んでいる。義賢らが押し始めていた。

 ――義賢が押し続ければ、敵の後詰は一切できなくなる。

 均衡が崩れるのは時間の問題だ、と思った。全体を見渡している長慶は、とっくに気づいておるだろう。恐らくは、総攻撃の時機を窺っている。

 陽が真上から西に、進路を取っていた。先ほどまでと異なり、乾いた砂が混じった風が、戦場を駆け巡っている。

 と、――。左翼の義賢を待つまでもなく、一存の讃岐勢が右翼を崩し始めた。

 冬康ら安宅勢も、ここぞとばかりに敵陣に殺到していく。

「崩せ」「一兵たりとも逃がすな」

 味方が口々に叫んだ。

 右翼が崩れたのを見て、左翼も勢いを増した。敵が、雪崩のように退却を始めている。

 法螺貝の音。長慶から、全軍による追撃の命であった。怒涛の如く、三好軍が摂津の地面を南進し始めた。地響きが、だんだんと大きくなっている。

 勝ち戦間違いなしと見て、政長の軍勢が素早く前進してきた。今まで、一兵たりとも義賢の後詰には出さなかったのに、である。

「呆れるほど、分かり易い御仁ですな」

 並んだ之正が、政長軍を見ながら息を吐いた。

「また後で、左衛門尉の怒り狂う姿が目に浮かぶわ」

   17

 陣中で、先勝の小宴が催されていた。小宴なのは仕方がない。戦には勝ったが、長教や氏綱は退却し、高屋城に籠城したからだ。

 長慶と義賢は、このままの勢いで、高屋城を囲むつもりである。

 冬康と一存には、帰国命令が下っていた。

 床几に掛けた諸将が、有り合わせの陣中膳を肴に、盃を呷っていた。

「本日の一番手柄は、間違いなく左衛門尉殿ですな」

 機嫌よく述べたのは、右翼の後詰であった畠山尚誠だ。一存のすさまじい働きを、後方からずっと見ておったので、さもありなん、と思った。

「いやいや。たまたま、敵が崩れたのでござるよ」

 一存はまんざらでもない様子で、照れていた。厚い胸板を張り、荒々しく酒を胃の奥に流し込んでいる。空いたほうの手が、腿を擦っているのが見えていた。

「御謙遜を。某、左衛門尉殿の武勇に、ほとほと感服致し申した。のう、皆様方」

 皆がにこやかになった。あえて言葉には出さぬが、一番手柄が誰かはわかっている。

「一人の武将の武勇などで、戦は決せぬ。勝てる戦になるように仕向けた者が、一番の手柄であろう。その点で申さば、我が父の越後守と、父に助言した筑前守殿でござろう」

 目を剥き場の雰囲気を壊したのは、政勝だった。政長の子である。

「何を! 百歩譲ってお主の言が正しいとしても、一番手柄は兄の筑前守様だ。越後守殿など、ただの日和見でござろうが」

 一存が肩を怒らせた。戦場で気が立ち、酒で余計に激している。

「左衛門尉。儂を愚弄するつもりか」

 政長が、一存を睨め付けた。

「やめよ、左衛門尉。越後守殿も、せっかくの戦勝祝の席でござる。御控えくだされ。この通り、儂が、左衛門尉の代わりに謝ります」

 静かに飲んでいた長慶が低く声を出し、場を収めた。長慶には、さすがに威厳がある。

 座が白けたのを見て、政長親子が席を立った。その後、宴は続いたが、どこか浮ついたものになった。

 一存は不機嫌に盃を呷り続け、長慶は沈思黙考していた。

 この舎利寺の合戦での損害は、三好軍がおよそ三百、遊佐・氏綱軍はおよそ千五百にも及んだ。三好軍の圧勝である。

 これを機に、長慶の武名は一気に諸国に知れ渡った。もちろん、長慶の後ろには恐るべき弟たちが控えていることも。

 舎利寺の戦後、晴元と敵対していた将軍家も和を望み、京に戻った。勝ち目なし、と悟ったのだろう。

 長慶と義賢は八か月の長期に亘り高屋城を囲んだ。が、双方が決め手に欠け、戦に膿んだ状況になったので、和睦した。

 天文十七年(一五四八年)皐月、長慶は長教の娘を娶り、同盟した。敵にすれば厄介な男だが、味方にすれば心強いと思うたか。

 どうしても討てなかった長教の武力と謀略には、長慶も一目を置いていたようだ。長教と敵対して益なし、と判断したのだろう。

   18

 蹄が砂に食い込み、疾風の足並みが遅くなっていた。まして、供の者たちの乗る馬では、従いてこられぬ。さすが疾風、格の違いを見せている。冬康ばかりでなく、信子も乗せての遠駆けだからだ。

 天文十七年(一五四八年)の弥生の節句が過ぎていた。春の陽気であったが、信子は袷に花模様の入った腰巻まで、着込んでいる。いつもは薄着の信子にしては、珍しい。

 炬口城から東に炬口港まで下り、白砂の浜を北向きに走っていた。役目ではない。信子と散歩に来ただけだ。

 巳の刻に入る頃であった。朝餉の後、日課である遠駆けに出ようとしていたところ、信子が同道したい、と申し出た。

「殿。今年はもう、戦はございませぬか」

 冬康の胸板に凭れ掛かった信子が、不安げな目を向けてきた。

 東、摂津の方向に目を向けた。

 長慶らは未だに畿内で滞陣中ではあったが、淡路に戻れば日々が平和であった。戦などとは無縁の毎日を過ごしている。

群青色の水面が本州の陸地の黒い影に向かって、どこまでも続いていた。沖に点在する岩にぶつかった波が、白い飛沫を湧き立たせている。その上から、朝日が惜しみなく、光を振り撒いていた。

 水際の透明な波が規則正しく砂浜を削り、その都度、波音が心地よい響きを作り出していた。この季節、潮の香りまでさわやかだ。吸い込んだ香りが鼻の奥まで届くと、波と同化したように感じられる。

「わからぬ。畿内の状況によるし、御屋形様はまだ滞陣中である。なぜだ?」

 安宅水軍の活躍を、誰よりも楽しみにしている信子である。口ぶりからして、戦を好んでおらぬように聞こえた。

「実は……」

 誰に対しても物怖じしない信子が、言い澱んでいた。切れ長の目を、俯き加減に逸らしている。垂れた髪がふわりと、潮風で靡いていた。

「なんじゃ、申してみよ。凶事の類か」

 俯いた信子が、いつもと違い、変だと思った。

「此処に、殿のややこが居ります」

 信子が腰巻の上から、お腹を擦った。ぱっと見上げた切れ長の目は微笑み、頬が薄紅色に染まっている。

「……やや。儂の、儂の赤子ができたか!」

 えも言われぬ力の昂りが、体中を駆け巡った。訳もなく、ぴんと背筋が伸びている。

 主人の体に力が入ったのを感じて、疾風も四肢を緊張させた。

「はい。医師から、間違いないと告げられましたので、お伝えしようと」

「でかしたぞ、信子。ようやった、ようやった」

 夫婦になって九年の年月が過ぎていた。二人の間の子種は、もう半ば諦めていた。

 側近や親族たちから、執拗に側女を勧められていた矢先である。

 信子の目から見るみるうちに涙が溢れた。袂で目元を押さえている。

「男子なら、安宅の家は安泰じゃ。女子でも、儂のように婿が取れる。まずは、体を大事にせい。のう、信子」

 信子を抱き寄せた。肩が小刻みに震え、嗚咽の声が風に乗っている。子ができぬ体の自分を、幾度も責め続けてきたのであろう。

「すまぬ、疾風。お主まで力まんでいい。吉事だ、力を抜いて、楽にせよ」

 疾風の鬣も、優しく撫でてやった。

   19

「申し訳ありませぬ。少し弱気になりました。この子が生まれてくる時に、殿に側に居ってほしいなどと考えてしまい……」

 泣き止んだ信子は、不安な気持ちを覆い隠していた。凜とした表情に戻っている。

「案ずるな、信子。儂は死なん。たとえ、多くの敵に囲まれた戦場に居っても、必ず囲みを破って、赤子に会いに戻ってくる。だから、お主は安心して産むのだ」

「はい、殿。信子はこれより先、もう泣き言は申し上げませぬ。殿は必ず戻ってくる、と信じて待つように致します」

 信子の整った眉が、いたずらっぽく上がった。

初めて会うた時は男子の格好をし、黒々としていた肌も、今ではすっかり、透き通るほど白くなっている。

「それに、御屋形様は、戦の天才だ。豊前守殿も、それに次ぐ戦ぶりをする。左衛門尉の武勇は、天下に鳴り響いておる。手前味噌ではあるが、安宅水軍も、今やどこよりも精強な水軍に育った。我ら兄弟が御屋形様の手足となり、しっかりと支えて行けば、三好軍の強さは、天下に比類がないであろうよ」

 舎利寺の戦を経た冬康は三好軍の強さを確信していた。それに、二人の兄と弟に絶対の信頼を寄せてもいる。

「真に仲の良い御兄弟でありますこと。信子は少し悔しくなってしまうほどですわ。ややが生まれてきても、殿は、兄弟、兄弟、と仰って、可愛がっては下さらないのでございましょうか」

 信子がホホ、と袂を口に寄せた。意地悪な目で冬康を見上げている。信子は冬康の兄弟好きを時折、からかって遊ぶ。

「馬鹿者。兄弟と赤子は別だわ。待ち望んだ己の分身だぞ。可愛がらぬ訳があるまい」

 だが、信子の案じていた通り、畿内の情勢は再び緊張に包まれようとしていた。

 長慶と長教が同盟した後、摂津池田城主の池田信政が、晴元に切腹させられた。

 信政は先の戦で晴元に叛いた。故に、罪を受けても止むなし、とも思える。事実、そういう見方をした晴元旗下の武将もいた。

しかし、切腹させられた理由が諸将を驚かせた。先の戦で長教と通じたから、という理由だったからだ。

 長教は長慶と和睦し、既に晴元と敵対しておらぬ。それに、先の陣の際、長教に通じていた者は、他にもたくさんいた。

 何かがおかしい、と諸将の多くが感じた。

 浮かび上がったのが、どうやら政長であった。長慶の情報網を駆使して集めた内容によると、信政の切腹は、政長の讒言にほぼ間違いない。

 長慶から冬康の下に、摂津の不穏な様子が続々と寄せられていた。



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