第八話 佳奈様、お風邪ですか?
勘違いって怖いですね。
なぜだか、誰もおっしゃってくださいません。何か礼節を間違えたのでしょうか。
しかし、変わった風習です。男性が女性の家族に挨拶をするのがこれほどする大変な国もそうないでしょう。やはり、礼節を大切にするというのは本当だったようです。
顔を上げて、周りを見た途端、皆様が動き始めました。
「なっ!? あ、ああああ」
「あらっ!?」
「ヴルドさん!?」
三者三様という日本語が御座いました。おそらく、このような時に使うのではないでしょうか。直次様は立ち上がり、その際に机のお茶を零しそうになっておられました。
椎名様は驚くというよりも楽しそう、という表情だと判断できます。佳奈様に至っては立ち上がれず、こちらを向いてパクパクと口を開閉させるばかり。……あ、奥歯に虫歯がありました。後で、治療を薦めておきましょう。
「どどどどおどどどおおどど、どういうことだ! 佳奈、まさか、私が知らないうちに!? ホームステイさせる理由も!? もしや、家族になるって! そういう意味なのか!? 父さん、許しません! 絶対に許しません!」
「ちょ、ちょっと待って! 私も今混乱してるんだから!」
なんという慌てぶりでしょうか。……見てて楽しいです。二人とも先程までの敬語などがかけらも見当たりません。
マスターが慌てているときのようです。なるほど、吸血鬼も人間も、慌てるときは似たようなものなのですね。一つ学びました。
「ヴルドさん! その、何かと勘違いしていません!?」
「何か違いましたか? 男性が女性のお宅に上がり、ご両親に挨拶する際にはこうするものだと、雑誌に書いていたのですが」
「それ違う! 絶対に違うから!」
「雑誌が間違いを書いてたのですか?」
なんということでしょうか。今まで読んできた雑誌の情報への信憑性に疑問が浮かんできました。
「いや、雑誌は間違ってない、のかな? その使用場面が違うの」
「使用場面? それではこれはどのような際に使用されるのですか?」
「ええと、け、結婚を前提にお付き合いしている男女に限られます」
「なるほど。これは大変失礼をいたしました」
なぜか、照れたように頬を染めながら言われました。風邪でしょうか?
しかし、これにより雑誌への信用度は下げざるおえません。
数少ない、外の世界の情報だったのですが。
「それでは、入り婿という立場ながら――」
「おかしい! ヴルドさん、おかしいです!」
「ですが、自分が皆様方の家族になるということは、入り婿という形では?」
「そういう意味じゃないから!」
「佳奈様? 差し出がましいようですが、そう騒ぐものではありません。確か日本という国は女性は落ち着きがあり、男性の三歩後ろを付き従う、大和撫子というものだと聞いたのですが」
「なんで今それを言うんです!? それよりも入り婿が違うという話をですね!?」
「しかし、間違いはその場で正さなければ身につかないと申します」
「そんな正論、今聞きたくないです!」
「それでは、入り婿として精一杯頑張らせて」
「でーすーかーら! 入り婿というものは婚姻関係のある男女が女性側の姓を名乗る時に男性をそう呼ぶのです!」
「なるほど、つまり自分はまだ誰とも結婚しておりませんから、入り婿ではないのですね?」
「そうですか。分かりました」
「分かってくださって幸いです」
疲労困憊という言葉が似合いそうなほど、やつれきっています。ですが、お話はまだ終わっておりません。
「それでは落ち着きの話に戻させてもらいます」
「もう、勘弁してください!」
ついに土下座をなさってしまいました。まだまだお話は残っているのですが。
「あははは、ヴルド。それぐらいで許してやってくれ」
「かしこまりました」
直次様に言われたらここまででございます。
「佳奈、ヴルド君を部屋に案内してあげなさい」
「はい」
直次様の言葉に頷くと、疲れ切ってる佳奈様が立ち上がりました。
「それじゃあ、部屋に案内しますね」
「よろしくお願いいたします」
自分が住む場所はどういう場所なのでしょうか? 気になります。
応接室を出れば廊下があり、中庭が見えます。廊下が外にあるというのもおかしな感じがしますが、こちらでは当たり前なのでしょうか。
中庭を挟んで向こうにも建物が見えます。こちらとよく似た構造になっており、こちらで言うコの字という形でしょう。
「ヴルドさんが住むのは向こうの一番端ですよ」
「そうですか」
「私はその隣なので、何かあったらすぐに呼んで下さい」
先程までのお疲れはどこ行ったのでしょうか。気になるところではありますが、まずはお部屋の確認です。
「ここが、ヴルドさんの住むお部屋です」
「ずっと思っていたのですが変わった扉ですね。これが俗に言う障子というものでしょうか」
木の格子の上から白い紙を張り付けただけの板です。鍵もかけられそうにないです。
これでは、メンテナンスがしづらいですね。
そう思考しながら中に入ろうとくぼみてをかけて引きました。
パァァァン!
「きゃぁ! ヴルドさん! そんなに思いっきりしなくても障子は開きます」
ええ、失敗です。まさか、障子がここまで軽いものだとは思ってもみませんでした。
自分では軽くのつもりでも、過剰だったようです。障子は私の手を離れて横にすべり、そのまま柱に激突しました。
「失礼いたしました。次からは気をつけます」
部屋を眺めようと入りますと、植物、い草の匂いが充満しておりました。机の上には謎の物体。何でしょうか?
「あれは?」
「卓上ライトですよ」
「蝋燭の代わりなのですね?」
「ええ」
「最近の科学は凄いですね」
自分を作ったマスターはこういうものを一切用いずに自分をどうやって作ったのでしょうか。不思議です。
「ここは基本的に客間なのでお好きなようにお使いください」
「ありがとうございます。ですが、宜しいのですか? 物置など、人が入ってこない場所のほうが落ち着くのですから、そちらの方が」
メンテナンスや、情報の整理。そして報告書作成中に人が入ってこられるのは嫌なので、人が通るかもしれない場所は遠慮させていただきたいのです。
特に自分がロボットであることはマスターから言われないように命令されております。一応、面倒なことに巻き込まれないための措置だそうです。マリー様からも頼まれては絶対遵守です。
「ヴルドさん……」
しかしなぜでしょうか、非常に可哀想という感情が佳奈様から伝わってきます。本日はこんな事ばかりです。
「良いんです! 今日からヴルドさんは私達の家族です! ですからこうして普通に暮らしていいんです!」
「いえ、ですが」
「お願いです!」
「……かしこまりました」
なんとも非常に頑固な御方のようです。しかし、佳奈様のお願いときましたら出来る限りのことはしないといけません。私は記録係です。
出来る限り彼女の行動を阻害する真似はしてはいけません。彼女が決めたことを自分の意見によって変えるのは記録係として失格です。
「ヴルドさん、今までは確かに大変だったと思います。だけど、ここにいる間くらいは羽を伸ばしていいんです」
「生憎自分には羽は搭載されておりません」
「そういう意味じゃなくて! 自分が好きなことをしていいんです!」
「好きなこと?」
好きなこと? 何でしょう。好きなこと。……考えたことがありません。私はすべきことが決まっていたのですから、そのすべきことをするのが一番です。それ以上、考えることなどありません。雑誌を読むことぐらいでしょうか。しかし、それも知識を得るという目的のため。困りました。マスターに嫌がらせするには離れすぎております。
「佳奈様。申し訳ありませんが、好きなことが見つからないので遠慮させていただきます」
「そ、そんな……」
もう泣きそうな顔です。ロボットとは知らないとはいえ、よくこのように感情を表せるものです。人間はみんなこのような方なのでしょうか。だとすると……非常に面倒そうです。
「佳奈様。お気になさらないで下さい。自分の存在意義はご主人様にあるのですから」
「そ、そんなのって可哀想です」
「いえ、ですからそれが自分にとっては普通なのです」
どういってこの方を納得させましょうか。――そうです。ならば、お願いをいたしましょう。そうすれば佳奈様も納得していただけるのではないでしょうか。メンテナンス中に入ってこないように頼めば良いと判断します。
「なら、お願いがございました」
「何です!? 出来る限りのことはします!」
「夜に出来れば自分の部屋に入らないでほしいのです」
「夜に、ですか?」
「はい。そして」
「そして?」
「決して変な物音がしても、覗かないでほしいのです。出来れば聞かれるのも恥ずかしいので」
メンテナンス中は基本的に無防備でございますので、その際に人が入ってこられましては困ってしまいます。
「え……!? そ、それって、その、あの男の子がっ!!!!!??????」
どうしたのでしょうか、顔を真っ赤に染めて、あたふたとし始めてしまいました。もう真っ赤でございます。
「あ、あああの! その、ヴルドさんもその、お年頃だと思いますののので! そのおおここここ心はりり理解できます! 大丈夫です! 安心なさってください! けけっけけ決して覗きません! きききき聞き耳もたったたてませんのので! た、ったたただ! お願いがあります!」
顔を真っ赤にしたまま、こちらを見ずに下を向いて喋っています。風邪でしょうか? 風邪にかかったことがございませんので、詳しいことが分かりませんが。
マスターが一度でも風邪を引いて下されば少しは対処の方法を知っているはずなのですが。執事思いじゃない、役に立たないマスターです。
「何でしょうか?」
「その、あの、する前に何かしらのああああ合図があったりしますと、そそそのありがたいのですが!!! そうしましたらへへへ部屋にいないようにしますので!」
「合図、でございますか? ……分かりました。ならば、お声をおかけ致しますので。終わりましたらまた、お声かけいたします。それでよろしいでしょうか?」
「こここ、声!? わ、分かりました! ここここえですね! 家族の誰もここに来ないように言いますから! ゆっくりとなさってください!」
「大丈夫ですか? 顔が真っ赤でございますが。熱があるのでは……。少々失礼いたします」
ここまで顔を真っ赤に染めてしまっていますと風邪の疑いが濃厚です。額に手を当てて、体温を計らせてもらいます。…………三六度七分。平熱です。
「ひゃいっ!? だだだだ大丈夫です! ちょ、ちょっと落ち着かないだけです! 大丈夫です!」
「そう、でございますか。もし、体の調子が悪いようでしたら、お休みになられたほうが良いと思います」
「はいっ! お気遣いありがとうございます! そそそ、それではお荷物を置いたのなら参りましょう! 家の場所を案内いたします!」
カクカクと同じ方の手と足を同時に出しながら動くさまは、まるでロボットのようです。
案外マスターが欲しがっていたロボットの動きはあのようなものではないでしょうか。カクカクと動くさまは人らしくなく、非常におかしいです。そのおかしい姿を背後から観察をして結果が出ました。
マスターのロマンは分かりません。
こういうのも勘違い系っていうんでしょうか?