聖なるもの④
昨日はとてもお腹が痛かったので初投稿です。
朝起きると、竹村市長は俺に朝食を振る舞ってくれた。白米と味噌汁と漬物だけだが、朝に食べる食事としては上等だろう。味も栄養錠剤よりははるかにまともだった。食事の席には竹村市長と俺以外に誰もいなかった。訪ねてみると、奥さんはだいぶ前に他界してしまったという。
朝食を食べ終えると、俺は外に出て朝食に使われた材料の出処を探すことにした。産業調査も俺の仕事の一環だった。竹村市長に案内されて、俺は一通り田畑を見回った。田んぼも畑も見事だったが、一から切り開いたわけではなく元々田んぼや畑だったところを元通りにしたのだという。
「それでも最初は全然うまく行きませんでした。うまく作れるようになったのはここ最近のことです。それもライブラリが無ければ失敗するところまで行かなかったでしょう」
「ライブラリとは何です?」
次に案内されたのは市立図書館だった。確かにその点ではライブラリだ。知の宝庫は半分焼けただれていた。
「別に、元々はここにあったものではありません。しかし、仕舞っておくならここがしっくりくるかな、というのがみんなの意見でしてね」
この世界の図書館にも受付嬢は存在した。十代後半から二十歳の若い女だった。
「おはようごいます市長。ライブラリは今、洋子ちゃんが使ってますけど……」
「おはよう多恵ちゃん。今日は違うんだ。こちらは東京からいらっしゃった久保新司さんだ。調査のためにこちらにいらっしゃった。うちのライブラリを見せたくてね」
「そうですか。はじめまして、飯島多恵です」
多恵は頭を下げた。
「ご丁寧にどうも」
と、こちも頭を下げる。昨日の奴らとは大違いだ。そういえばあのものものしい武装は、何だか引っかかった。竹村市長に訪ねてみようかと思ったが、市長は先頭にたって本の山の脇をすり抜けていった。今はライブラリだ。話の腰を折ることも無いだろう。
予想されたことだが、図書館の本には実用書の類は一切見られなかった。専門書は技術者によって全て焚書にされ、出版は止められ、独占されたのだ。当初、自身の特殊な専門技術だけを守ってきた技術者たちは、次第に集まって○○会や、○○機構のような組織を作り、市場に出回る技術書に書かれるような知識でさえ独占していくようになった。やがて図書館や本屋には小説などの文芸書ばかりになり、それでも技術的な描写には検閲がかかった。特にSF小説は絶滅寸前の窮地に立たされた。ただタイムトラベルをテーマにした本だけはあまり検閲を受けずに書くことが出来た。時計の針を戻すことは誰にも出来ないのだ。
「あれがライブラリです」
竹村市長が小声で言った。
ライブラリは小さなノートパソコンだった。それを前に、受付と同じ年頃の女が必死にノートに何かを書き綴っていた。
「ここに来たばかりの頃に、物資を求めてビルを漁っていた時に、電子書籍のデータファイルを見つけたんです。一テラバイトのハードディスクにぎっしりと詰まっていました。おそらく個人が違法に作ったものだと思いますが、役に立っております」
「それより電気は一体どこから?」
俺としてはそちらの方が気になった。
「図書館の裏に蒸気タービンが有ります。木を燃やして水を蒸気に変えてタービンを動かしております」
竹村市長は説明する。
「私は元々、原発の勉強しておりましてな。燃料がウランから木に変わっただけですわ。しかし発電量はたかがしれています。一週間に三十分を目安に、予約制で使っています。検索したデータはノートに書き取って、二度と検索しません。時間の無駄ですから。電子書籍は不便なものですわ。電気がなきゃ使えませんから。どうして最後の最後まで紙で残さなかったのか……」
女がペンを置いて、ノートパソコンの電源を消すと
「ありがとうございました」
と手を合わせて深々と頭を下げた。ノートパソコンとハードディスクは甲州市民にとって聖遺物と化していた。
末期には技術者たちは組織内で争うようになった。技術開発よりも、相手の技術を盗む方に注力していったのだ。その有り様はスパイ合戦の有り様を呈していた。この惨状に優秀な人間たちは次第に海外へ亡命していったらしい。現状を見る限りその判断は間違っていないだろう。
技術立国日本、と言われていた時代があった。確かに技術はあったかもしれない。しかし技術とは、それ単体で成立するものではない。どんな風に使うか、どうやって残していくかも重要だったはずだ。
図書館を竹村市長と後にする。半分焼け落ちた図書館は、甲州の技術を狙った襲撃によるものらしい。当時、図書館で残された蔵書の整理をしていた竹村老人の妻は、その時に命を落としたそうだ。
図書館を襲撃した集落は十年以上前に飢饉で壊滅した。
東京では甲州の住民が一週間に三十分しか覗くことの出来ない知識を二十四時間、無料で閲覧できた。作物の育て方を見る人間はほとんどいないだろう。いつだって必要なものは、必要とする人間に届かないものだ。
「市長大変です!」
図書館を出た俺達に、手を降って叫ぶ若者が見えた。
「杉山の奴らが襲撃をしかけてきました!」
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聖なるものを犬に與ふな。また眞珠を豚の前に投ぐな。
恐らくは足にて踏みつけ、向き反りて汝らを噛みやぶらん。
”新約聖書・マタイによる福音書第7章”
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明日投稿します。