聖なるもの②
この章はあと二話続くので初投稿です。
「国家公務員ですか? 地方公務員ではなく?」
俺が訪ねると、腹の出っ張った初老の男――東京都福祉保健局長は「ああ、そうだ」と言った。まるでそれ以上、説明は要らないとばかりにパソコンのモニターを睨んだ。しかしそれで納得するほど俺の頭脳は上等ではない。
「現在、大阪と愛知からの通信は途絶した状態です。それ以前も東京を含めた三都市はそれぞれ独自に行政を行ってきました。つまり実質、日本国は消滅しています。それにも関わらず私が国家公務員と名乗ることは、今回の仕事は三都市が合議して暫定的な日本政府を立ち上げたということですか?」
男はこちらを面倒くさそうに一瞥すると
「愛知、大阪との通信は未だ途絶えている。通信中継基地の修理も君の仕事だろう?」
「はい、ですから自分が国家公務員を名乗るということは大阪、愛知からずれば東京の独走と取られかねません」
「だったらどうだというのだ。戦争にでもなるのか? ありえんよ。とにかく誰かがイニシアチブを取らねばならんのだ」
「最後に一つ」
「なんだ」
「何故、俺は福祉保健局所属なんです?」
「住民の聞き取り調査には慣れてそうだからとさ」
一通り質問を終えた俺は、局長室を後にした。
「君はもっと簡単な奴だと思っていたんだがな」
俺の背中に局長はそんなセリフを投げた。
いいえ、あなたより仕事をのことを考えているだけです。
俺はドアを閉めた。
好き勝手言ってくれる。結局俺は使い捨てのコマのようなものなのだ。
俺はめくれ上がって土のむき出しになった道路を歩いた。丈の短い雑草が生えた土は、砕けた道路よりも歩きやすかった。踏みつけられた草が恨めしげに凹んだ。いつの時代も弱いものは踏みつけられて行くものだ。弱いものが絶滅すれば、強いものの足の踏み場が無くなってしまう。こうしてこの世界は奈落の底へ落ちていった。
「止まれ!」
迂闊だった。右のビル、二階の窓から、女がこちらに銃口を向けていた。左にのビルには男がこちらに銃を向けている。俺は古来の伝統に則って両手を頭の位置に上げて
「待て、撃つな、怪しいの者じゃない」
と抗弁した。
ふと、ビルの1階にはガラスに反射して俺の姿が映っていた。ネクタイを締めた黒のリクルートスーツにリュックサックを背負った格好は、荒れ果てた街の中でどう見ても浮いていた。対して銃口を向ける彼らの格好はくたびれて目立たない色をしたTシャツにジーンズという出で立ちだ。
クールビズで行くべきだったか、と反省したがもはや後の祭だった。瓦礫から二人の男が現れる。初老の男と、若者だった。初老の男の手には鉄パイプが握られていて、血痕が付いているところを見るとそれなりに実績もあるらしい。
「膝を着け」
初老の男が言った。
言われるがままに膝を着くと、若い男が俺のリュックサックを取り上げて中を調べた。
「バカ! まずは武器を持ってないか調べろよ!」
初老の男が怒鳴ると、
「あ、すいません」
と若い男は謝りリュックサックを置いて俺の体を調べた。俺の体を調べるとき、若い男は小声で「失礼します」と言ってから調べた。もしかしたら事態は思ったよりも悪くないかもしれない。
「武器、ありません!」
若い男が報告すると、初老の男は
「本当かよ。お前、これ持ってろ」
鉄パイプが若い男の手に渡り、初老の男が改めて俺の体を調べる。だったら最初からお前が調べろよ、という顔を若者がする。
俺はその間にチラリとビルの二階からこちらに突きつけられた銃を盗み見た。見たことのあるタイプだった。プラスチック製の空気銃だ。表面の細かいヒダは3Dプリンタ特有のものだった。補修の後がいくつか見られることから、製造されたのはかなり前らしい。有効射程距離は十メートルに満たない。ここから銃までは直線距離にして二十メートル程度だが、ビルの高さを加味しても命中する確率は十パーセント以下だろう。
「確かに武器は持ってねぇようだが……」
初老の男は首を傾げて
「おめぇ、どこから来た? 杉山んトコのモンじゃあるめぇ」
「東京から来ました」
と、俺は答えた。
「国勢調査に……」
「亡命か?」
国勢調査はものの見事に無視された。期待していたわけではなかったが、失望感が無いわけではなかった。
「亡命じゃありません」
俺はなおも抗弁を続けた。
「国勢調査に来たんです」
「東京から来たんだろ?」
「はい」
「なら亡命じゃねぇか」
「いや、だから国勢――」
「だから亡命だろ!」
俺は説明を止めた。都市外の人間が皆こうなのかと考えると、東京に帰りたくなった。
「とりあえず、『甲州』に連れて行こう」
そう若い男が言って、とりあえずその場がまとまった。俺はリュックサックを取り上げられたが、どこも縛られることもないまま『甲州』に連れて行かれることとなった。一体、『甲州』とはなんなのだろうか。今の日本地図には東京、大阪、愛知しかない。後は全て、文字通りの空白だった。
明日出します。