聖なるもの①
初投稿です。
目の前に立ち並ぶビル群は、まるで墓標のようだった。窓ガラスにはテナント募集の看板が永遠に展示されている。電話番号は今では無意味な数字の羅列だ。道路は張り裂けて、雑草が隙間から顔を出していた。
雨粒が容赦なく俺の体を打つ。三日前から断続的に振り続けるそれは、この世の罪を洗い流そうとしているかのようだった。だが俺はこれ以上、洗礼を受けるつもりはなかった。いくら罪を洗い流したところで、それは別なところへ行き着くだけだった。そして行き着く先は満杯になって、溢れだしていた。
俺は足早にこの世界同様、崩れかけている道路を歩いた。
「うおっ!」
三歩歩いたところで出っ張りに躓いて、俺は水たまりに頭から飛び込んだ。開始から六時間四十分しか経っていない今日という日はそれですっかり台無しになってしまった。
もうウンザリだった。俺は手近なビルのガラスを蹴破って、今日一日、服を乾かすことに決めた。
ビルの内部は埃とヒビだらけだったが、雨漏りもしていないし少なくとも今日一日は崩れる心配はなさそうだった。俺は服を抜いて階段の手すりにかけると、二階の窓から降りしきる雨を眺めはじめた。そしていつの間にか眠ってしまった。
今から百年以上前、日本では少子高齢化における人口減が本格化した。人口減は人手不足、税収の低下、地方の衰退をゆっくりと招いていた。政府は十年以上も前から予見されていたこの問題に対して二つの回答を出した。
一つは国民の非正規化を推し進めることで人材の流動化を推し進め、人手不足の業種に当てること。
もう一つは移民を招いて人口をかさ上げすることだった。
結論から述べると、この二つは失敗に終わった。国民の半数以上が非正規雇用となったため、多くは定期的な昇給も見込めないままに貧困化した。また技術と知識を持った有能な人材は、自身の市場価値を維持するために、技術と知識を他人や会社に継承することを拒んだ。これによって後の世代にノウハウを伝えないまま死んでいく技術者が続出し、多くのテクノロジーの消滅を招く結果となった。
次に移民である。政府は有能な移民を集めると標榜したが、他国が有能な人材を簡単に国外に輸出するわけがなく安価な人材ばかりがやってきて日本人と雇用のパイを奪う結果となった。これはまだいい方で、最悪、生活保護を申請したきり何もしないものも多かった。政府は早々に移民の募集を打ち切ったが、あまり意味はなかった。日本の労働環境の劣悪さはインターネットで光の早さで伝わって、すぐに誰も来なくなったからだ。
これらの問題は当初から予測されていたにも関わらず、何故か実行に移された。政治家ばかりを責めてもいられない。果たしてこれらの問題に何故、誰も抵抗しなかったのだろうか。羊の群れは先頭に立ったリーダーに従う。しかしリーダーが崖から飛び降りたからと言って、後を追って飛び込んだなら責任は羊にもあるのではないか? その崖はずっと前から見えていたというのに。
こんな調子で西暦2164年までに日本人口は2000万人程度に減少してしまった。凍傷で手足の指が腐り落ちるように、地方自治体が消滅していき、現在都市と呼べる自治体は東京都、大阪府、愛知県の三つしかなくなってしまった。この三つが都市と呼べるのは、電気とガス、水道のライフラインがかろうじて生きているためだ。
目を覚ますと雨は上がっていた。日差しがビルとビルの間から差し込んでいる。気温がじりじりと上がってきた。階段の手すりにかけておいたスーツはすっかり乾いていた。俺は服を着て水を少し飲み、道路を歩いた。東京を出て二週間が経ったが、ここまで一度も人間の姿は無かった。
この調子では仕事にならないな、と俺は脳天気に晴れ上がった空を見て思った。
俺の名前は久保新司、東京から派遣された国勢調査員、日本国最後の国家公務員だ。
続きは明日出します。