指名しよう
マジで困ったことになった。
というのも、昨日ついに見てしまったのだ。悪魔を。会って話までしてしまった。
なんで? アタシが尼僧だから? 最も神に近い職業に就いているはずのアタシに、なんでまた……。
昨日のことだ。
一日のお勤めを終えたアタシは、ふらふらとベッドにもぐり込もうとしていた。尼僧の就寝は早い。が、起床もめっちゃ早いので余裕で眠れる。それをヤツが邪魔したのだ。
ものすごく眠かったから、夢か現実かすぐに判断できなかった。
ヤツを見たのがもし、与えられた部屋のドアを開けてすぐだったら、さすがのアタシも悲鳴を上げていただろう。
ヤツは音もなくスッと現われて、まるで母親が子守歌を聞かせるときみたく、ベッドに腰かけた。アタシもたぶん、その隣にいたんだと思う。
不思議と怖くなかった。それどころか、ヤツの存在にふつふつと興味が湧きさえした。どう考えてもヤツの魔力だろう。抗えない。
「あなた誰?」
ありきたりだがアタシは聞いた。
「オレの名はトミーだ。よろしくな」
ヤツは爽やかすぎる口調で言った。
「トミーっていう……悪魔?」
「どうしてオレが悪魔だと思うんだい」
アタシはヤツの禍々しい風体を眺めつつ、
「図書室で文献を見たわ。ここはカトリック学校の施設よ」と答えた。
するとトミーは、にたーっと腹の立つ笑い方をした。
「なるほど、オレの一族もけっこう有名なんだね。悪魔、って呼んでるんだ?」
「だって悪魔でしょ」
「自分で悪魔と名乗るやつはいないよ。オレたちは、いっぱいある種のひとつさ」
「アタシは人間よ」
「それは哺乳類の仲間のひとつだろ? 動物図鑑で見たぜ」
どんな動物図鑑だよ……魔界の図鑑か。アタシは急に、裸の胸を見られているような気恥かしさに襲われた。
「何をしに来たの? ここは男子禁制よ」
なんか自分でもよくわからない理由でトミーを責めた。というか、カトリック学校だけに悪魔も禁制なのかもしれない。悪魔に会うなんて、誰も思ってないし。
「仕事でね。きみに聞かなきゃならないことが、ある」
「アタシに?」
そういえば、目の前のトミーはアタシのことを知っているのだろうか。とりあえずアタシはまだ自己紹介をしていない。トミーは、してくれたが。
「そう。……もし一人だけ、その命を奪うことができたら、きみは誰の名を挙げる?」
「は?」
唐突すぎて、すぐに理解できなかった。が、彼の言葉は強くアタシの胸に響いた。急に悪魔っぽいことを言い出したので、面食らったのだ。
「三日後だ。答えを聞きにまた来る」
「えっ……ちょっ」
トミーはアタシに、質問する暇を与えなかった。彼は一瞬で姿を消した。
†
さあて、困ったぞ。なにせ相手は正真正銘の悪魔だ。アタシの返答次第では、どてらい事態になるやもしれない。
問題は簡単そうで簡単じゃない。いちばん簡単な答えは、誰の名も挙げないことだ。が、トミーはそれで満足するだろうか?
もしアタシがトミーの満足する返答をできなかった場合、彼はアタシを殺すのではないか。図書室にある文献に書いてあった……悪魔は退屈を最も嫌う、と。絵本だったかもしれない。
その可能性は充分考えられた。わざわざ三日間の猶予を与えて、そんなつまらない答えを寄越したら、アタシが悪魔でもブチ切れるかもしれない。
えーっと、じゃあ、アタシは三日後に殺されるの? 冗談じゃない。それを避ける方法は? 誰かの名を挙げることだ。
アタシが誰かを指名すると、その人は死ぬことになる……うーん、これってどうなんだろう。
さいわい、アタシには殺意をおぼえるような相手は今のところ、いない。いや、かりに殺意をおぼえたとしても、その誰かを指名することなど、できやしない。これでもいちおう尼僧で、カトリック学校の教師だ。
こうなるともう、頓知に頼るほかないか。
すでに亡くなっている人の名前を挙げるとか、どうだろう? ……ルール違反だ、と一蹴されそうで怖い。
あるいは難病で余命幾ばくもない人、死刑が確定している人……だめだ、アタシにはとても指名できない。それがどういう人であろうと、赤の他人を犠牲にするなんて怖すぎる。
やばい、アタシ詰んだんじゃね?