第5話:一志とエイチアパートの秘密(後)
「おや?面食らってるなぁ、小石川」
「一志さんはいかにもエイチアパートの住人という感じですね。」
そう言うと一志さんは不思議そうな顔をした。
「ミンナいかにもって感じじゃん」
「いや、皆さん普通ですよ。エイチアパートというのは名前だけなのですかね。」
一志さんは少し考えてからニヤリと笑った。
「ミンナ猫かぶってんな?よし、小石川ついてこーい」
一志さんにぐいぐいと腕を引っ張られる。何事か僕は戸惑ってしまう。
「何処に行くんですか。外ですか。」
「んなわけねーだろっ!まずはみすずサンのとこかなぁ」
引っ張られすぎて腕が抜けそうだ。急いで部屋の外に出た。
「みーすずサーン!」
早くも七護さんの部屋の前にいる。この人は何をするつもりなんだろう。
「うるさいよ〜!…あら?一志くんに小石川くん。どーかした?」
七護さんはいきなりにもかかわらず笑顔で扉を開けてくれた。
「小石川を紹介みたいなー。入れてよ」
「はいはい☆」
「お、お邪魔します。」
部屋に入って驚いた。棚や机の上に置かれた沢山の写真立て。しかも写真は皆幼稚園児だ。
「…これはなんでしょう。」
「私、幼稚園の先生なの」
それならおかしくない。卒園した生徒の写真だろう。
「なーに澄ましてんの?お気に入りの子なんでしょ、ショタコンさん」
…しょたこん。
「クソ真面目くんにはわからないらしいぞ」
「じゃあ説明しようかなぁ」
苦笑いでみすずさん(と呼べと言われた)が説明してくれたのはこれだ。
ショタコン…正太郎コンプレックスを略したこの言葉は、
「お姉さんが幼い男の子を愛する」
ことを意味する。
これは鉄人28号に出てくる正太郎君に由来する。
「あ、幼稚園の先生になったのはそんな理由じゃないからね!みんな可愛いけどっ」
「でも33にもなって結婚しないのはそんな理由でしょー」
「一志くんはうるさいっ!」
「ええと…33歳には見えませんよ。」
「…あーもう小石川くんが気ぃ使ってんじゃん!」
部屋を出ると一志さんは肩を叩いて言った。
「なっ変だろ?」
「…まあ。」
みすずさんがあんな人だったなんて…。僕は手の甲で額の汗を拭った。
一志さんはそんな僕に見向きもせず、みすずさんの隣の部屋をノックした。
「早くしろー!次は京ちゃんだっ」
「九条さんも変なんですか。」
「当たり前だろうがっ!ここはエイチアパートだぞ!」
ぐったりしている僕を見て、一志さんは嬉しそうだった。
九条さんの部屋は綺麗で、良い匂いがした。見る限り奇妙なところはない。
「紅茶をどうぞ。クッキーもありますよ」
温かな紅茶は僕の気持ちを落ち着かせた。クッキーはどうやら手作りのようだ。
ふと、手付かずのカップがあることに気付いた。3人しかいないのに紅茶は4つあった。
「九条さんは料理がお上手なんですね。」
「まあ、ありがとうございます。それに小石川さん、京でいいですよ。名字では間違えやすいですから」
ふんわりと笑顔で返されたが、僕には意味が分からなかった。何故間違えやすいのだろう。
「ほら京ちゃん、紹介してないじゃん」
一志さんが言うと、九条さんは慌てて僕に頭を下げた。
「そうですね、ごめんなさい!紹介します。私の弟の京介です」
主のいない紅茶を示しながら、九条さんが笑った。
「弟の…京介さん…。」
僕は何もない空間を見つめて言った。京さんは嬉しそうに僕を見ている。
「仲良くしてあげてくださいね。あまり友達のいない子ですから」
「…はあ。」
呆然としている僕の背中を、一志さんが勢いよく叩いた。
「さあそろそろ行くか小石川。京ちゃんごちそーさま」
そのまま足早に部屋から連れ出された。京さんはのんびりと手を振っている。
「…どういうことですか。」
「こういうことだっ。京ちゃんには見えない弟がいるの!」
一志さんはにやにやしながら眼鏡を上げた。
「だから猫かぶってるって言ったろ?」
「はあ。…もしかして、管理人さんもですか。」
「ヨシコ?もちろん!明日の朝分かるさ」
一志さんとはそこで分かれた。鼻唄を歌いながら階段を下りている。
その姿を見ると妙に疲れてしまった。重い体を引きずりながら、僕は6号室に入った。
翌朝。
朝食を食べようと食堂に入る。味噌汁の香りと共に、それを配る管理人さんの姿が目に入った。
髪は立て巻き、服はきらびやかなドレス。ヨーロッパのお姫様のような扮装をしている。
これは、最近よく聞くコスプレというものか。管理人さんの変な所とはこれか。一瞬で理解してしまった。
先に来ていた一志さんと目があう。予想通りにやにやと嬉しそうだ。
やはりここはエイチアパートだ…。僕は溜め息をついた。