表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/16

第二話 真実と現実②

 けたたましく鐘の音が鳴り響き、小夜は慌ててベッドから飛び起きた。窓の外を見ると、まだ空は明るくなり始めたばかりだ。と同時に、おびただしい流星が雲の合間から走り落ちていくのが見えた。

(え、うそ!?)

 急いで制服に着替えると、小夜は部屋を飛び出した。見張りについていたあの兵士がいない。嫌な胸騒ぎがして、螺旋階段を駆け降りた。

 下は騒然となっていた。

兵士たちは小走りに廊下を行き交い、叫び合って情報を交換している。

「王子からの援軍要請だ! 西へ向かってくれ!」

「おい! 負傷者の手当てを頼む!」

「北でも降り始めた! 兵を回せるか?」

「救護班! 負傷者だ!」

 下まで降りてきたものの、小夜は立ちすくんでしまった。何をしていいのかわからない。鳴り続ける警鐘に煽られて、気持ちだけが焦ってしまう。

 王子たちはどうしているだろうか。ユラは?

 重い足を動かして、小夜は兵士たちの間を縫うように廊下を走った。

 途中で、「王子!」と誰かが叫んだ。声のした方へ駆けつけると、ローエンの姿が見えた。知った顔にやっと会えて、小夜は内心ホッとした。

「ローエン!」

 宮殿に入ってきたローエンは、二人の兵士に抱えられていた。歯を食いしばり、痛みに耐えているような表情をしている。

 怪我をしているのではないかと、小夜は咄嗟に察した。

「ローエン、大丈夫なの!?」

 駆け寄った小夜に、ローエンは何も答えなかった。左腕を抑えて、苦痛に顔を歪めている。引き裂かれた左袖の隙間から、紫色に変色した肌が見えた。

 小夜の脳裏に、昨日目にしたユラの傷跡が浮かぶ。体を汚染された状態。

 すぐに兵士の一人が、瓶を持ってきた。唐草模様が描かれた白いひょうたん型の瓶だ。兵士は瓶の蓋をはずすと、ローエンの左袖を引きちぎり、露わになった肌に瓶の中の液体をかけた。白く濁った液体だった。

「うっ」

 液体をかけられたローエンは、小さくうめいた。肌から湯気が噴き出している。厚い鉄板に水を落としたように蒸気が上がり、紫色の腕は徐々に元の肌の色を取り戻していった。

「これは……?」

「エルツの粉末を溶かした水です」

と、兵士が答えた。

「王子は運が良かった。あと少し処置が遅れていたら、腕が使い物にならなくなるところでした」

 小夜は言葉も出なかった。怪物との戦いは、まさに命がけなのだと痛感させられた。

 腕の痛みが治まると、ローエンはまたすぐに宮殿を出ようとする。小夜は咄嗟にローエンの腕を掴んでしまった。

「離せよ。おまえにかまってる暇はねぇんだ」

「無茶だよ。怪我したばっかりじゃない」

「うるせぇ!」

 小夜の手を振り払って、ローエンは怒鳴った。

「俺がいかないでどうする? みんな命がけで戦ってるんだよ!」

 ローエンの背中が遠退いていく。

取り残された小夜は、一人立ち尽くしていた。

 みんな命がけで戦っている。たくさんの人が傷つき運ばれてくる。自分は何もしないままでいいのか。全ての元凶は自分にあるのに、このまま黙って見ているだけでいいのか。

「あの!」

 小夜は近くにいた兵士の腕を掴んだ。

「私にも何か手伝わせてください!」

「しかし、救世主様……」

「何でもします! 手伝わせてください!」

 小夜が頭を下げると、兵士は戸惑いながらも救護という仕事を与えてくれた。

 宮殿内の広大な一室を治療用スペースとして、次々と負傷者が運ばれてくる。ほとんどが兵士だが、中には一般住民の姿もあった。

 簡易の毛布が敷かれた上に、負傷した人たちが寝かされている。何十人といる負傷者たちを、たった十人で介抱して回るのだ。

 体の一部を汚染された人は、エルツの粉末を溶かした水をかければ、なんとか回復に至った。しかし、大部分を汚染された人は、治療の施しようがない。徐々に広がっていく体内汚染を食い止めるために、エルツを調合した薬を飲ませるのが精いっぱいだ。汚染の進行を止められても、体から消えるわけでない。

 全身が紫色に変色してしまった人は、どんな手を尽くしても助からなかった。体中がただれ、もがき苦しみながら最後に息を引き取るのだ。

 最期を看取るのは、吐き気をもよおすほど辛かった。

 それでも泣いてなどいられない。患者はひっきりなしに運び込まれるのだ。小夜が手を止めれば、救える命を救えなくなる。

「大丈夫ですから、大丈夫ですからね!」

 苦痛に悶える患者を前に、小夜は必死で励ました。

 自分にできることはちっぽけだ。だけど、それが一人でも多くの人のためになるなら、ちっぽけなことを全力でやろう。

 どれだけ時間が経っただろうか。気がつけば、窓から紅い夕日が差し込んでいた。

 騒然としていた宮殿内は落ち着きを取り戻し、運ばれてきた負傷者の数も徐々に減っていった。

 壁にもたれかかって、小夜はふうと息つく。ひと段落すると、どっと疲れが体を襲った。

「王子!」

 兵士の一人が叫んだので、小夜は顔を上げた。目の前に、ローエンが立っていた。

「ローエン、無事でよかった」

 安堵のあまりつい腕を掴んでしまった後で、小夜は後悔した。また怒鳴られると思ったのだ。全ての人を救うことはできなかった。目の前で息絶えた人もいた。〝星〟という名のゴミが降ったせいで。

「ごめん……なさい」

 小夜はゆっくりと手を離した。謝ってもどうしようもないことはわかっている。

「なんで謝る?」

 意外な言葉が返ってきて、小夜は面食らった。

「だって、いっぱい人が傷ついて……」

「確かに、多くの犠牲者が出た。予想以上に大量の星が降ってきやがったからな」

 小夜の胸が痛んだ。

「けど、おまえがいなければ、もっと多くの死者が出ただろう。おまえの看護に救われたと、兵士たちが感謝していた」

「え……」

「一国の王子として礼を言う。ありがとな」

 そう言うと、ローエンは微かに笑った。笑ってくれたのだ。

 初めて見たかもしれない。ローエンが自分に笑ってくれたところを。

「今、笑った……」

「は?」

「もう一回……」

「な、なんだよ?」

「もう一回笑って」

「はぁ? なんで俺がおまえに笑わなきゃなんねぇんだよ」

「でも、今笑ってくれたじゃん」

「笑ってねぇよ」

「笑った」

「笑ってねぇ」

「笑ったってば」

「笑ってねぇったら笑ってねぇ」

 なぜか「笑った」「笑ってない」の言い合いになった。

 ヴィントが来て止めるまで、数分くらいやっていた気がする。

「なんか、二人とも仲良くなった?」

 ヴィントに言われて、小夜はローエンの顔色をうかがった。目と目が合って、思わずそらしてしまう。

「ばっ、んなわけねぇだろ」

 先に言葉を発したのは、ローエンだった。ヴィントの頭にげんこつを一発食らわせる。

「いたっ。なんで殴るのさ?」

「変なこと言い出すからだろ! つぅか、おまえは何しに来たんだよ?」

「ようやくひと段落ついたから、夕食にしようって。みんな待ってるよ」

「そういうことは早く言え。こちとらひと仕事して腹ペコなんだよ」

 と、ローエンはさっさと歩いていく。ヴィントも後を追いかけた。

 たわいもない会話をしながら歩いて行く二人を、小夜は呆然と眺めていた。ついて行っていいのか迷ったのだ。自分は数に入れてもらっているのだろうかと。

 ローエンが立ち止まって、振り返った。

「何、ボーっとしてやがる? さっさと行くぞ、サヨ」

「え、あ、うん」

 小夜は慌てて駆け寄る。

(あれ? 今……、名前呼んでくれた?)

 遥か彼方にあった背中が、ぐっと近くなった気がした。



 木々が風に揺られてざわめいた。

 そのたびに大きく深呼吸をする。

 夜の庭園で、ユラは一人ある人を待っていた。

 心臓の音がうるさく鳴り響いている。周りの静けさが余計に音を大きくさせているような気がした。

 小夜にかけてもらったおまじないを何度も見つめながら、ユラは長い時を待っていた。

 背後に人の足音がして、ビクッと体を震わせたユラは、声をかけられる前に振り向く。

「エルデ様」

 漆黒の長い髪を風になびかせた、眉目秀麗な男が立っていた。

 夜のように深い色をした瞳でもって、ユラを見下ろしている。

「話とは何だ?」

 楽器を奏でるような低く澄んだ声は、ユラの心を優しく包み込んでいく。

「あの……」

 言いかけて、ユラは言葉に詰まった。

「あの……よい天気ですね」

 全く意味のないことを口走ってしまう。

「今は夜だがな」

 フッと、エルデの硬かった表情が緩んだ。

 ユラは思わず口を開けたまま惚けてしまった。

 ふとした瞬間に見せる穏やかな表情が好きだと思う。

「そうですわよね。今は夜ですもの。お天気なんて、わかりませんわよね」

 まともに顔が見られなくて、ユラは伏し目がちになった。

 二人の間に沈黙が流れる。

 何か話さなくてはと思っても、言葉が浮かんでこなかった。

(ダメですわ、サヨ様。想いを告げるなんて、私……)

 踏み出せないジレンマに、ユラは泣きそうになった。

 胸が苦しい。立っているのも辛いほどに。

 不意に目眩がして、ユラはよろめいた。

 受け止めてくれたのは、エルデのたくましい腕だった。

「発作か?」

 心配して、エルデが尋ねてくれる。

 ユラの目に涙が浮かんだ。

 胸に感じる鈍痛が、だんだん激しさを増してくる。発作だった。

 体をむしばむ紫色の毒が、前触れもなく暴れ出したのだ。

「ユラ、すぐに部屋に……」

「待って、待ってください」

 ユラは声を絞り出した。

「もう少しだけ……傍に居させてください……」

 エルデの瞳を見つめる。見つめているだけで、心が安らぐ。

 願わくは、ずっとこうしていたい。

 だが、叶わぬ望みだったようだ。エルデは、ユラから視線をそらした。

 わかっていたはずなのに、ユラの心は針で突かれたように痛んだ。

「俺は、おまえの傍にいる資格のない男だ」

 予想もしなかった言葉に、ユラは目を見張った。

「自分の国のために、大切なものを捨てようとしている」

「え?」

 何を言わんとしているのか、ユラにはわからなかった。

「ゼーンは、優秀な男だ。きっとおまえを幸せにしてくれるだろう」

「エルデ様?」

「おまえには、誰よりも幸せになってほしい」

 エルデの手が、そっとユラの頬に伸びた。指先は流れるように頬を滑り、唇に触れる。

 胸が激しく高鳴って、ユラはうまく息を吸えなくなった。

「だから、もう俺のことは忘れろ」

 エルデの一言が、ユラの心に突き刺さった。涙にエルデの姿がにじんでいく。

 胸が張り裂けるように痛い。

「どうしてそんな……。まるで、もうお会いできなくなってしまうようなこと……」

 言いようもない不安が、ユラの体を駆け巡る。

「あなたにもしものことがあったら、私は幸せになどなれません……」

 エルデの頬に、ユラは両手を伸ばした。ゆっくりと彼の顔を引き寄せる。唇が触れんばかりに近づいて、ほんの一瞬だけ重ね合った。

 エルデの腕に力が入るのを感じた。抱き寄せられて、再び唇が触れ合う。そのとき。

「私の妻に触れるな!」

 凛とした声が庭園に響いたかと思うと、ユラの前で鈍い音がした。

 もう次の瞬間には、エルデが地面に腰をついて倒れていた。

「エルデ様!」

 駆け寄ろうとしたユラは、男に腕を掴まれて引き戻された。ユラを見つめる紺碧の瞳には、エルデに対する侮蔑の光が宿っていた。

 月明かりに照らされて、男の水色の髪がきらめきを放つ。

「ゼーン……」

 男の名を呼んだのは、倒れたエルデだった。殴られた左頬を抑えて、目の前に立つ美麗な男を睨み据える。

「他人の婚約者に手を出すなど、何を考えているのです」

「ゼーン様、違います! これは私が……!」

「ユラ、可哀そうに」

 ユラを抱き寄せて、ゼーンは強引に口づけた。エルデとのひとときをかき消すように。

「ゼーン様」

 泣いてはいけないと、ユラは涙をこらえた。

 エルデは黙って立ち上がり、背を向ける。

「逃げるのですか?」

 闇に消え入ろうとする黒装束の背中に向かって、ゼーンは鋭く言った。

「言いたいことがあるなら、はっきり言えばよいではないですか!」

 エルデからの反応はない。

「ユラを愛しいと思うなら、はっきりそう口にすればいいでしょう!」

 背を向けたまま、エルデは何も返そうとしない。

「あなたが正面から闘いを挑むなら、私はいつでも迎え討ちます」

「いずれそのときが来たらな」

 静かにそう言うと、エルデは暗がりの中に去っていった。

 不安な気持ちが晴れない。

(エルデ様、何をなさろうとしているの?)

 ユラはエルデの去った方を見つめていた。ゼーンに抱き寄せられてもなお、エルデの面影を追っていたのである。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ