第二話 真実と現実①
アップが遅れました。読んでくださっていた方、申し訳ありません。
第二章 真実と現実
1
砂漠での一夜は、想像以上に過酷だった。一息つこうとした矢先に〝星〟が降ってくる。
空き缶やペットボトルなどの小さいものから、テレビや冷蔵庫などの大型廃棄物まで。大型のものが降ってくると太刀打ちできない。何十メートルという巨大な怪物に変化するからだ。怪物は広大な砂地を這いまわり、やがてどこかに消えてしまう。
小夜はここにきて、あることを確信していた。空から降ってくるのは廃棄物だ。小夜たちの世界で捨てられたゴミが、なぜかヤーレスツァイトに降り注いでいる。
ティーガにくるまって、小夜たちは砂漠の中で仮眠をとった。ティーガは危険を回避する動物的勘が優れているうえに、防寒にもなる。
小夜は眠れなかった。空が気になって仕方がない。満点に輝く星を初めて怖いと思った。
ローエンも同じようだ。みんなから少し離れたとこで、一人空を見上げていた。
声をかけようとして、先を越された。
「寝とかねぇと、もたねぇぞ」
空に視線を向けたまま、ローエンはそっけなく言った。
「知ってたの? 空から降ってくるのがゴミだって」
声が震える。答えを聞くのが怖かった。
「知らなかった。魔導師に真実を見せられるまでは」
ローエンの口調は淡々としていた。
「ヤーレスツァイトの上には、もうひとつの世界がある。俺たちの世界とは全く違う世界だ。やつらは移動しながら、何かを地上に放り投げていた。地面に落ちたそれは、年月をかけてやがて地中へと潜り、俺たちの世界に降り注いでいた」
ローエンは肩を震わせた。
「やつら、笑ってやがった。何食わぬ顔して、笑って投げ捨ててやがったんだ!」
砂を蹴り飛ばして、ローエンは怒りを地面にぶつけた。
返す言葉が見つからない。自分も何食わぬ顔をして投げ捨てた一人だ。
「俺は、上のやつらを許さねぇ」
空に向かって吐き捨てられた言葉は、小夜の胸に鋭く突き刺さった。
仮眠しに戻るローエンは、一度として小夜に視線を向けなかった。
甘かった。彼らと仲良くなりたいなんておこがましい。償うことをしないで、心を開いてもらえるわけがない。
空を見上げると、星たちが剣呑な光を放って瞬いていた。
辺りが明るくなり始めると、小夜たちは移動を開始した。結局のところほとんど眠れていない。小夜はヴィントの腕の中で、今更ながらうとうとし始めた。
日が沈むころには、ゾンマー王国に着いていた。
ゾンマー王国の景色は、フリューリング王国で見たものとはまるで違う。四角い無骨な白い家屋が建ち並び、行き交う人々のほとんどが腰に剣をさしていた。ローエンのように立派なものではないにしろ、子供や女性以外の大多数が剣を常備しているのは、不思議というより物騒な感じがした。
地面は赤褐色の砂地で、緑の数が少ない。フリューリング王国のような豊かな色彩は見受けられず、殺風景に思える。
「最小の国ゾンマー王国は、もともとは十の都市からなる大国だったんだ」
ヴィントが言った。
「だけど、星が降ったせいで、九の都市が消えた」
「そんなに?」
「砂漠を通ってきたでしょ? あそこは、もともとゾンマー王国の領地だったんだよ」
ヴィントの言葉に小夜は絶句した。
かろうじて残っているこの都市も、いつ消えるかわからないという。人々が武装しているのは、怪物に襲われてもすぐに対応できるよう準備してのことだ。ゾンマー王国で降る星の頻度は、四国の中でも最も多いとヴィントは付け加えた。
しばらく行くと純白の宮殿が見えてきた。中央にある大きな丸天井を軸に、左右対称に一つずつ小ぶりの丸天井が並ぶ。巨大な尖頭アーチの正面門。左右にも上下一つずつ小さいアーチがあり、内側に窪んでいる。奥には窓らしき開き戸が見えた。
宮殿のシルエットは、シンメトリックな五角形を思わせる。直線と曲線が見事に使い分けられ、美しさの感動とともに癒しも与えてくれる造形だ。
白一色ということは、全てエルツで造られているのだろう。
ティーガを傍の小屋に入れて、小夜たちは宮殿の中へ足を踏み入れた。入ってすぐは完全な吹き抜けになっており、左右にある柱は連なってアーチを造っている。
装飾品の数はヴィントの別荘より少なく物足りない気もしたが、何より兵士の数が多かった。廊下を通るたびに、腰に剣をさした男たちが跪いた。
「お帰りなさいませ、ローエン王子」
「御苦労。留守中変わりないか?」
「は」
「奥さんは元気か? 確か、三歳になる子供がいたっけな」
「覚えていてくださったのですか」
「当たり前だろ。ちゃんと帰ってやれよ」
と、ローエンは笑顔を見せる。意外な光景だった。普段は仏頂面のローエンが、兵士の前では表情豊かに笑っている。兵士一人一人に声をかけ、家族の話や恋人の話をするのだ。
「ローエンは、兵士たち一人一人の名前と顔を把握してるんだ。ああやって自分から声をかけると、自然と覚えられるって。すごいよね」
ヴィントの話を聞くと、ますます意外だった。
途中で、「お兄様」と鈴の鳴るような可愛らしい声がした。見ると、腰まであるふわふわの赤毛をなびかせて、ドレスに身を包んだ色白の美少女が小走りにやってくる。自分と同い年くらいだろうか。長いまつげに覆われたつぶらな瞳は、ローエンと同じ透き通るようなルビー色だった。
「ユラ!」
愛おしそうに少女を抱きしめて、ローエンは頬に軽くキスをする。
「寝てなくて大丈夫なのか?」
「ええ。せっかくお兄様が帰ってきてくださったのに、寝てなどいられませんわ」
「ユラ……、おまえはなんて可愛いんだ!」
力の限りユラを抱きしめて、額や頬にキスをしまくるローエンの姿は、思いがけなさすぎて目が点になった。
「もうお兄様ったら。皆様に呆れられていますわよ」
恥ずかしそうにローエンの腕から離れて、ユラは王子たちに視線をやった。
「ご無沙汰しておりますわ、ヴィント様」
「元気だった? 体、調子良さそうだね」
「はい、おかげさまで」
と、ユラはにっこり笑った。確かに、抱きしめたくなるような愛らしさがある。
「あなたがお元気そうで何よりです。ですが、あまり無理をなさらずに。もしものことがあっては大変ですから」
ゼーンがユラの手をとり、そっとキスをする。ユラは恥ずかしそうに頬を染めた。
「ゼーン様……」
「ゼーン、俺の前ではそういうことすんなっつったろ」
ローエンが横で口を尖らせた。
「べつにかまわないでしょう。ユラは私の婚約者ですよ」
「その前に俺の大事な妹なんだよ」
「やれやれ。うるさい小舅ですね」
「なんだと?」
本気で食ってかかるローエンに、ゼーンは心底呆れた様子だった。ユラもまた苦笑する。
「エルデ様」
次にユラが声をかけたのは、エルデだった。
「あの、お変わりございませんか?」
「ああ」
気のせいだろうか。心なしかユラが緊張しているように見える。
二人は言葉もなく見つめ合った。
ゼーンが咳払いしなければ、ずっと見つめ合っていたかもしれない。
「ユラ、こちら救世主様です」
「まぁ、救世主様。こんな可愛らしい方だなんて。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ユラと申します」
「えっと、小夜です」
「サヨ様。お会いできて光栄ですわ」
と、ユラは握手を求めて手を差し出した。
小夜も手を伸ばそうとすると、ローエンに掴まれた。
「ユラ、話は後だ。父上に会わねぇとな」
「そうですわね。お邪魔してごめんなさい」
ユラと別れてすぐに、ローエンから聞かされたのはユラの病気のことだった。幼いころ怪物に襲われて、体の一部が汚染されているという。薬で進行を遅らせているが、いつ命に危険が及んでもおかしくない状態だと。
ユラは星の正体を知らない。彼女には、誰かを憎むような思いはさせたくないと、ローエンは言った。
「ユラには近づくな」
最後にローエンからそう告げられた。
2
「元気ないね」
ティーセットを持って、ヴィントが部屋に入ってきた。
ベッドの脇のテーブルに置くと、二つのカップにお茶を注ぐ。小夜はベッドの上で膝を抱えながら、一連の様子をじっと眺めていた。
幾何学的文様の入った絨毯が敷かれた部屋は、立派な家具を置いてもまだ物足りないくらい広々としている。
テーブルからお茶の香ばしい匂いが漂ってきた。
「ローエンの言ったこと気にしてる?」
二つのカップを器用に持ったヴィントは、ベッドに上がって小夜の隣に座った。二人並んでも寂しいくらいにベッドは広い。
取っ手のない丸く底深いカップには、ミルクが混ざって茶褐色になった液体が入っていた。一口飲んでみると、ミルクの甘さが口の中に広がった。
「ヴィントはどうして私に優しくしてくれるの?」
人々を悩ませている原因は小夜のいた世界にある。ローエンもゼーンもその事実を知っているから、小夜にはよそよそしい。
「僕の中には、上の人の血が流れてるんだ」
手に持ったカップを見つめながら、ヴィントは口を開いた。
小夜は目を見張って、ヴィントの顔を覗き込んだ。
「どういうこと?」
カップに視線を落したまま、ヴィントはゆっくりと語り始めた。
「昔、昔。まだヤーレスツァイトが平和だったころの話。フリューリング王国には、一人の美しい姫がいました。彼女が浜辺を散歩していると、見知らぬ男が倒れています。とてもやつれていて今にも死にそうだったので、姫は彼を必死で介抱しました。男は元気を取り戻すと、自分は空から落ちてきたと説明しました。人生に疲れて川に身を投げたところ、見知らぬ世界に来てしまったというのです」
まるで絵本を読むように、ヴィントは淡々と続けた。
「最初は死後の世界かと思ったそうです。しかし、姫や他の人々に触れて、自分が生きていることを知ったと言います。男は助けてもらったお礼にと、一生懸命働きました。やがて男と姫は恋に落ち、二人の時間が流れました。日が経つにつれ、男はよく空を見上げるようになりました。残してきた家族が恋しいと、男は一人涙していたのです。姫は、男のために帰れる方法を必死に探しました。ようやくのことで見つけて、二人は別れることになったのです。男が帰った後、姫はお腹に子供を授かったことを知りました。男を思いながら、姫はその子を産み育てたのでした」
ヴィントは一通り語ると、「おしまい」と言ってにっこり笑った。
「王家に代々語り継がれてきた伝説だよ。今は誰も語ろうとしないけど。僕も魔導師に聞かされるまで知らなかったからね」
そう言うとお茶を一口飲んで、天井を見上げた。
「興味があったんだ。天上の世界の住人に。だからこそ、君に同情した。でも今は違うよ」
ヴィントは右手の小指を立てた。小夜が巻いてあげた絆創膏が目に入る。
「おまじない、本当にうれしかった」
人懐こい笑みが、小夜を包み込む。
「君のために、僕はずっと笑顔でいる。だから、サヨも僕のためにずっと笑顔でいてくれるとうれしいな」
小夜はぐっと涙をこらえて頷いた。こらえるあまり、頬が痙攣する。
きっとわかってもらえる。償える。だから、頑張ろう。
カップに残ったお茶を、小夜はぐいっと飲みほした。
いつの間にか、小夜はうとうとしてしまっていた。
窓の外では月が雲を出たり入ったりしている。
日中の暑さとは打って変わって、夜は身震いするほど冷え込む。大きなくしゃみをひとつして、小夜はトイレに立った。
部屋のドアをそっと開けると、すぐそばに兵士が一人厳かに立っていた。小夜が前を通り過ぎると、何も言わずついてくる。
「あの、ただのトイレなんですけど」
「目を離すなと仰せつかっておりますので」
抑揚もなく兵士は答えた。
小夜は大きくため息をついた。よほどローエンに信用されていないらしい。
螺旋になった階段を下りて、庭に面した廊下を歩いていく。整然と並んだ柱の間から、よく手入れされた観賞用植物の森が見える。幻想的な森の中には、人工的に造られた細い川が流れていた。
ふと庭園に人影を見て、小夜は足を止めた。話し声も聞こえる。
「こんな遅くに、誰?」
「救世主様、お待ちください」
「しっ」
兵士が止めるのも押し切って、小夜は木の陰から様子をうかがった。
人影の正体は、ゼーンとユラだった。確か二人は婚約していたはずだ。
(これはまさか、深夜デート!?)
見てはいけないような……と思いつつ、小夜は聞き耳を立ててしまった。
「私は国のために言っているのではありませんよ、ユラ」
華奢な少女の頬を愛おしそうになでて、ゼーンは囁いた。
「心からあなたを愛おしいと想うからこそ、あなたの本当の気持ちが知りたいのです」
「ゼーン様は、私にはもったいないくらい素敵なお方ですわ。そんなお方と婚約できて、私は幸せです」
「愛している……とは口にしてくれないのですね」
「そんなことは……」
戸惑いがちに、ユラはゼーンを見上げた。
「あなたには、私だけを見てほしい」
ゼーンはゆっくりとユラに顔を近づけた。そのときだ。
「はっくしゅん! ……あ」
あわや唇が触れるというところで、小夜は思いっきりくしゃみをしてしまったのである。
ゼーンとユラの二人と目が合ってしまった。気まずい。
「ご、ごめん! 別に盗み見てたわけじゃなくて。この兵士の人が……」
「なんてことを! 私の首を飛ばす気ですか!」
「だ、だって~」
「冗談じゃありませんよ! そもそもあのタイミングでくしゃみをしますか」
「しょうがないでしょ。寒かったんだもん。てか、自分もしっかり見てるんじゃん」
「いえ、これはそういう……」
会ったばかりの兵士と小競り合いをしていると、かすかに笑い声が聞こえてきた。見れば、ユラが必死に笑いをこらえている。
その笑顔で、一瞬にして空気が和んだ。鋭く睨みつけていたゼーンも、呆れたように息をひとつ吐いて微笑を浮かべる。
「惜しいところでした。もう少しであなたの唇に触れられると思ったのに」
冗談っぽく言うと、ゼーンはユラの額に軽くキスをした。
「今日のところはこれで我慢するとしましょう」
そう言うと、ゼーンは去ってしまった。
ゼーンの背中を見送って、小夜はユラに向けてバツの悪い顔をして見せる。
「ごめん、なんか邪魔しちゃった」
「いいえ、お気になさらないでください。正直なところ、少し助かりましたわ」
ユラは恥ずかしそうに笑った。
「まだ婚約者らしいことを何一つしたことがなくて……」
「じゃあ、キスもまだ……」
耳まで赤くして、ユラはうつむいた。
「ゼーン様は私にとって本当に大切な方です。だけど、まだ思いきることができなくて……」
(かわいい~)
あまりにもうぶなユラの姿を見て、小夜の胸はキュンとなった。
「親同士が決めた結婚とは言え、ゼーン様は私のことを心から愛してくださっています。病気のことも承知で、何もかも受け止めてくださると……。こんな幸せなことはないはずですのに」
「病気、そんなにひどいの?」
小夜は、恐る恐る聞いてみた。怪物に襲われて汚染されたという。
悲しげな笑みを浮かべて、ユラはドレスの胸元を広げた。紫色の皮膚がのぞいて、小夜は思わず目をそむけた。左胸全体が変色し、火傷の跡のようにただれている。
「これが、腰のあたりまでありますの」
ユラの一言に、小夜は何も返すことができなかった。
「こんな体の私でも、ゼーン様はいいとおっしゃってくださるんです。なのに……」
言葉を詰まらせて、ユラは目を伏せた。
(もしかしたら……)
小夜の脳裏に、あることがよぎった。女同士だからこそピンと来たのだ。
「ユラ、他に好きな人がいるんじゃない?」
ハッと顔をあげて、ユラは頬を染めた。
「もしかして、エルデとか?」
図星だったようだ。ユラの顔が耳まで赤くなった。
「あの、こ、このことは内密に……」
「どうして? エルデもきっと、ユラのこと好きだと思うよ?」
二人で見つめ合っていたときのことを思い出して、小夜は軽い気持ちで言った。
だが、当のユラは浮かない顔でうつむく。
「いいえ。私のことなんて……」
「そんなことないよ。ユラは可愛いんだし。ちゃんと気持ちを伝えたら、エルデだって」
ユラは強く首を横に振った。
「こんな醜い体の私に慕われても、エルデ様はご迷惑だとお思いになりますわ」
「ユラ……」
ユラの切ない気持ちが、痛いほど伝わってきた。目をそむけたくなるほどのひどい傷を抱えて、恋など成就できるはずもないと諦めているのだ。
好きな人に、好きと言えないなんて――。ユラに悲しい運命を与えてしまった責任は、自分にもある。
「ユラ、ちょっと来て」
強引にユラの手を引っ張ると、小夜は自分の部屋に向かった。
部屋に戻ってくると、小夜はポーチの中から絆創膏を出した。花柄のデザインが可愛いピンクの絆創膏だ。ユラのイメージにぴったりだと思った。
「ユラ、左手出して」
「こうですか?」
首をかしげながら、ユラは手を差し出した。小指に、小夜は絆創膏を巻く。
「ユラの恋が叶いますように」
「え?」
「もし、今のままゼーンと結婚したら、きっと後悔するよ」
ユラの目が微かに潤む。
「気持ちを伝えてもいいのでしょうか?」
「伝えなきゃダメ。だって、好きなんでしょ? どうしようもないくらい」
ユラは静かに頷く。
「だったら、ね」
小夜はにっこり笑って見せた。
小指に巻かれた絆創膏をしばらく見つめた後、ユラは笑顔で頷いた。




