第一章 救世主⑤
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ヴィントの別荘を翌朝早くに出発して、夕方にはフリューリング王国を出た。これからゾンマー王国を目指して、砂漠の中を走るという。
砂漠と言えば黄色い砂の山を思い描いていた小夜は、目に映る景色に驚愕した。淀んだ灰色をしている砂の山は、まるで墓場のようだった。風に物悲しく巻き上げられる砂には、温かさなど何もない。これが〝星の降った跡〟だと聞かされたとき、小夜はぞっとした。
その中をひたすらティーガで走り続けていると、いつの間にか辺りはすっかり暗闇に包まれていた。太陽の光が消えると、よりいっそう冷たく寂しい景色になる。
冷たい風にさらされて、小夜の肌に鳥肌が立ち始めた。
「大丈夫?」
小夜の震えを感じてか、ヴィントが声をかけてくれた。
「ちょっと寒い」
「もうすぐでオアシスに着くから、それまで頑張って」
「もうすぐってどれくらい?」
「あ、見えたよ!」
砂漠のど真ん中に、森らしき黒い影が見える。木々が息づいている姿を見ると、心が温かくなった。
小夜たちはオアシスに着くと、泉のほとりで火をたいた。背の低い木がそれぞれに集まって、泉のそばに小さな森を作っている。何の植物か小夜には見当もつかなかったが、赤茶けたこぶし大の実をつけた木だ。耳をすませば、森から昆虫のささやかな合唱が聞こえる。
「こんなところがあるんだぁ」
「ここが最後だよ」
火をくべながら、ヴィントが言った。
ローエンとエルデは薪を取りに、ゼーンは食事の用意をしている。四頭のティーガは、それぞれに水を飲んでいた。
「他は全部、星が降って消えた」
「そんな……」
小夜は数十メートル四方に広がる小さなオアシスを見渡した。もしここにも星が降ってきたら、すべてが淀んだ砂に変わってしまうのか。想像すると、恐ろしくて余計に寒くなる。
小夜は鞄の中からカーディガンを出した。冷房対策のために入れていたものだが、まさかこんなところで役立つとは思わなかった。そう考えると、鞄を持ってきたのは正解だった。メイクポーチに食べかけのグミ、絆創膏に頭痛薬。
小夜は絆創膏の入ったポーチを取り出すと、首から下げた。今後、いの一番に必要になりそうなのは絆創膏だ。怪我なんてしたくないが、可能性が最も高いのはいなめない。ただ、絵入りの可愛い絆創膏が、ちゃんと本来の機能を全うしてくれるかは疑問である。が、ないよりはあったほうがいいに決まっている。
ローエンたちが戻ってきて、遅めの夕食をとる。硬めの白い生地のパンと果物だ。辺りになっているこぶし大の実もある。
「ねぇ、これ何? 美味しいの?」
小夜は木の実を指した。ヴィントは少し苦い顔をする。
「ブブカの実だけど、僕はあんまり好きじゃないんだよね」
「好き嫌いはいけませんよ、ヴィント。ブブカの実は、水分が豊富で疲労した体に効果的と言われています。こういう状況だからこそ、しっかり食べておかなくては」
と、ゼーンが口を出す。ヴィントは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「え~、だってすっぱいんだもん。エルデ食べてよ」
「おまえな、そうやってエルデに嫌いなモン押しつけるの、いい加減にやめろ」
「じゃあ、ローエンが食べてよ」
「ふざけんな。自分で食べろ。俺が食わせてやる」
そう言いながら、ローエンはヴィントの口の中に無理やり実を入れようとする。歯を食いしばって必死の抵抗を見せるヴィント。王子たちのやり取りがおもしろくて、小夜は笑った。
四人の王子とともに旅を始めて数日。少しずつだが彼らのことがわかってきたかもしれない。今はまだ壁があるが、旅を続けていけば仲良くなれそうな気がした。
空に広がる満天の星を眺めて、小夜は頑張ろうと思う。
「きれいな星……」
何げなく呟いた小夜の言葉に、王子たちは顔色を変えた。まるで恐ろしいもの見たかのように、表情が強ばっている。
「きれいだと……?」
ようやく口を開いたローエンの声は、かすかに震えていた。
「てめぇが救世主じゃなけりゃ、今すぐぶっ殺してやる!」
「ローエン!」
小夜に掴みかかろうとするローエンを、ゼーンが止めた。普段の乱暴さとはまるで違う。明らかに憎しみのこもった瞳だった。ローエンは荒々しく砂を蹴り上げると、苛立たしげにどこかへ行ってしまった。ゼーンが後を追いかける。
食べかけのパンを持ったまま、小夜は呆然としていた。何が彼の逆鱗に触れたのかわからない。
「ねぇ、なんかマズイこと言った?」
ヴィントは黙っている。エルデも素知らぬ顔だ。おもむろに立ち上がり、小夜を一瞥してどこかへ行ってしまう。
仲良くなれるかもしれないと思ったのは、間違いだったのだろうか。
「星はきれいなんかじゃない」
ヴィントが呟いた。絞り出すように言葉を紡いでいく。
「あの一つ一つが、いつか地上に降ってくる。今日かもしれない、明日かもしれない。でも、
いつか必ず降ってくる。そして、大切なものを何もかも奪っていくんだ」
空に輝く星は、彼らにとって恐怖と憎悪の対象でしかない。ヴィントの沈痛な面持ちは、小夜の胸に重たい石を乗せた。自分の言動が浅はかだったと後悔する。彼の明るい笑顔を曇らせてしまった。いつも無理して笑ってくれていたのかもしれないのに。
「ごめん」
それしか言えなかった。かける言葉を他にも探したが、見つからなかった。
重苦しい沈黙の中で、焚火の炎がゆらゆらと揺れる。
ふと、小夜は首に下げたポーチを見やった。中から絆創膏を取り出して、そっとヴィントの右手小指に巻いた。
「何?」
「おまじない。これしてるとね、幸運が訪れるの」
「へぇ」
「ヴィントが、ずっと笑顔でいられますように」
心からそう思った。
「ありがとう、救世主様」
絆創膏を物珍しそうに見つめてから、ヴィントはいつものように笑い返してくれた。眩いばかりの満面の笑みだ。
「さ、小夜でいいよ」
「うん。サヨ」
自分の顔が熱くなっていくのに気づいて、小夜は咄嗟にうつむいた。左手の小指にしていた絆創膏が目に入る。ラブハプニングが起きるおまじない。その効力なのだろうか。
「サヨ」
ヴィントに呼ばれる名前がくすぐったい。
「サヨ!」
真剣な表情をしたかと思うと、急に小夜は押し倒された。
(え、え、ちょっと待って! この展開は早すぎ……)
慌てふためく小夜に、ヴィントはいつになく真剣だ。
「星が降ってきた!」
「へ?」
間抜けな声を出してしまった小夜は、ヴィントの肩越しに空を凝視する。
確かに、何か降ってくるのが見えた。それは二人の間を縫うように、周りに落ちてくる。小夜を守るために、ヴィントは体を盾にしてくれたのだ。
一つ、二つと、出し惜しむかのように降ってきたかと思うと、一瞬にして弾丸のように降り注ぎ始めた。地上に落ちた〝星〟を見て、小夜は言葉を失った。
「これは……!」
カランと音を立てて地面に落ちたのは、空き缶だった。真ん中のひしゃげたアルミ缶が、すぐそこに転がっている。何かのジュースの缶だったのだろう。少しだがラベルが見えた。落ちてきた空き缶は、すぐに融解し始めた。紫色に変色しながら、どんどん増殖していく。気がつけば、一メートルほどの怪物になっていたのである。
(どういうこと?)
戸惑う小夜の手を引いて、ヴィントが叫んだ。
「ここは危ない!」
指笛を吹いて、ティーガを呼び寄せる。勢いよくヴィントの前に飛び出したティーガは、変化して間もない怪物に襲いかかった。
こうしている間にも、次々に〝星〟は降り注ぐ。小夜は目を凝らした。沸き起こる疑念を確かめたかった。そして錯覚だと思いたかったのだ。
煙草の吸殻、ペットボトル、お菓子の袋、壊れたビニール傘。なじみの深いものが、次々と地上に降り注ぐ。どうしてこんなものが空から降ってくるのか。小夜は混乱のあまり倒れ込みそうだった。
「サヨ、走って!」
切羽詰まったヴィントの言葉で、小夜は我に返った。
いつの間にか怪物に囲まれ、ヴィントが弓を引いて必死に応戦している。放った矢が命中すると、怪物は蒸気を噴き出して空気に溶け込むように消えていく。怪物はあえて人を襲っているのではないようだ。縦横無尽に這いまわり、たまたまいた人間に襲いかかる。
「ローエン、サヨを!」
呆然と立ち尽くしていた小夜は、横からティーガに乗って現れたローエンによって、強引に抱きかかえられた。
「ヴィント、おまえも退け! これ以上は無理だ!」
ローエンの言葉に頷いたヴィントは、タイミングを見計らってティーガに飛び乗った。
四人の王子たちは、一斉にオアシスを脱出した。今もなお、怪物たちはオアシスを食い荒らしている。
「くそ。最後のオアシスが……」
去り際に、ローエンが悔しそうに唇を噛んだ。
小夜の胸が、ズキンと痛む。
(まさか……、まさか……)
言葉では言い表せない不安が、小夜の心に渦巻いた。突然、記憶がフラッシュバックした。川が怪物のようになり、幼い小夜に襲いかかる光景――。
(まさか……そんなことって……)
遠く離れていくオアシスを、小夜はまともに見ることができなかった。




