第一章 救世主③
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小夜は船に乗せられた。船といっても、小夜が想像するような船ではなかった。木造の船体は丸みを帯びたフォルムで、四本のマストを備えている。全長は三十メートルくらいだろうか。海賊船かと思わずつっこみたくなったほど、古典的な帆船だった。
促されるままに仕方なく乗り込んだ小夜は、船室に案内された。ドアの外では兵士が警戒している。完全に逃げ場はない。逃げたところで、こんな大海原じゃどこにも行きようがないのだが……。
(このまま七つの海を大航海……なんてならないわよね?)
船室には、豪華な家具が揃っていた。テーブルには熟れた果物が盛られ、金の燭台に乗せられたキャンドルの火が、そのすぐそばで揺れている。あちこちに目を泳がせながら、小夜は用意された席に着いた。
「先程は驚かれたでしょう。私たちは、あのような怪物と日夜戦っているのです」
正面のイスに腰かけながら、ゼーンは言った。他の王子たちもそれぞれ席に着く。
「あれはいったい何なんですか? それ以前に、ここはどこなんですか?」
小夜はゼーンを睨み据えながら畳みかけた。
「順を追って説明しましょう」
一切の動揺も見せずに、ゼーンはテーブルに地図を広げた。黄ばんだ地図には、インクで大きく二つの大陸が描かれている。その中に、四か所、文字が書かれている場所があった。
見たこともない記号文字だったが、小夜には不思議と読むことができた。いや、読むのとは若干違うのかもしれない。頭の中にすっと入ってきて勝手に理解できてしまうのだ。
それは妙な違和感だった。知らない言葉なのに、自然と理解ができる。
地図の文字を見つめて謎を解明しようと思ったが、頭痛がしそうになったので諦めた。
「我々が今いるところはここ。儀式の神殿からフリューリング王国へ向かう航路の上です」
と、ゼーンは地図を指でなぞる。
「我々の暮らす世界は今、四つの国で成り立っています」
「はぁ」
「最南の国フリューリング王国、熱帯の小国ゾンマー王国、世界最大国ヘルブスト王国、そして最北の国ヴィンター王国。総じてこの世界を〝ヤーレスツァイト〟と呼びます」
「ヤーレス……? え、何?」
小夜は顔をしかめた。さっぱり意味がわからない。とどのつまりここはどこなのか。
混乱していることを察したのか、ゼーンは断言する。
「あなたは、異世界からこの世界に召喚されたのです。ヤーレスツァイトを救うために」
「は? はぁぁぁ? 異世界? 嘘でしょ? だって普通に日本語しゃべってんじゃん!」
言って、小夜はハッと気づいた。見たこともない文字が、勝手に頭の中で翻訳されている事実に。ということは、話す言葉もいつの間にか脳内で訳されているのか。
(いつの間にそんな能力身につけたんだろ、私)
状況が理解できなさすぎて頭を抱えてしまう。
「驚くのも無理はありません。しかし、創世の書は伝えています。世界が未曽有の危機に瀕したとき、天上の世界から救世主が降臨すると」
「ちょ、ちょっと待ってよ! いきなりそんなこと言われも……」
「おっしゃりたいことはわかります。しかし、我々には一刻の猶予もないのです」
穏やかな口調ながら、ゼーンの表情は硬かった。小夜は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「先程、この世界は四つの世界で成り立っていると言いましたね。しかし、以前にはもっと多くの国が存在しました。それらはすべて消滅し、我々の国だけがかろうじて残ったのです」
「ど、どうして?」
「てめぇらが壊したんだろ!」
突然、ローエンがテーブルを蹴った。
「え?」
聞き返そうとしたが、誰もが口をつぐんでいる。わずかな沈黙の後、ゼーンが重い口を開いた。
「〝星が降った〟せいです」
「星?」
小夜はなんとなく隕石が落ちるのを想像した。地上に落ちて大爆発でもしたのだろうか。
「あなたも見たでしょう。あの異形の怪物たちを」
「あ」
紫色の化け物を思い出して、小夜は声を上げた。
「まさか、あれが?」
「そうです。地表に落ちるとあのような怪物となり、大地を枯らし、人々を襲うのです。多くの国が犠牲となりました。星は、一度に大量に降ってきます。しかし、いつ降ってくるかはわからない。手を打つ術もなく、ひとつ、またひとつと国が消えていったのです」
「そんな……」
「我々はできる限りの力を尽くしてきました。これを見てください」
と、ゼーンが懐から取り出したのは、三十センチほどの細い剣だった。金色の柄の部分には、奇麗な装飾が施されている。何の変哲もない短剣だが、刃が石灰のように白かった。鉄でできたものではないとわかる。
「〝エルツ〟という鉱石があります。星に対抗できる唯一の鉱物です。建物や武器武具にはエルツを使用し、被害を最小限に食い止めようと努力しています。しかし、エルツはヴィンター王国でしか採掘できない鉱物。圧倒的に数が足りないのです」
「それで、私にどうしろって言うの?」
「あなたには、結界を張る力があります」
「結界?」
「そうです。星が降ることは止められない。ですから、空に結界を張り、地上に落ちてくることを防ぐのです。それは救世主であるあなたにしかできません。あなたの力が、この世界を救うのです。協力していただけますね?」
小夜はテーブルに視線を落とした。いきなりそんなことを言われても困る。
「……嫌」
ぽつりと小夜は呟いた。反感を買うことは承知の上だ。
「なんで私がそんなことしなくちゃいけないの? 私はただの女子高生だよ。結界を張る力なんてないし、あんな怪物に襲われるなんて二度とごめんだわ! しかもこんなわけのわからない世界に連れてこられて……。世界を救う? そんなの知らないわ。私には関係ないもん。巻きこまないでよ!」
「てめぇ、いい加減にしろよ!」
ローエンがテーブルを蹴った。
「やめなさい、ローエン」
制するゼーンを振り切って、小夜の胸ぐらに手をかけた。
「関係ねぇだと?」
「離してよ。女の子に暴力振るうなんて最低!」
「ふざけんな! 俺たちがどんな思いで今まで暮らしてきたか、わかってんのか!」
「……あんたこそ、私が今どんな気持かわかんないくせに!」
ローエンを力いっぱい突き飛ばして、小夜は船室を飛び出した。
海上にあったはずの太陽が、半分水面につかっていた。潮風に優しく髪をなでられて、小夜はしゃがみこんだ。甲板の木目が、涙で滲んでいく。
兵士たちの囁き合う声が聞こえた。きっと小夜のことを話しているのだろう。だけど、そんなことはどうでも良かった。どうでもいいから、早く帰してほしい。
小夜はポケットから携帯電話を取り出した。友達と一緒に撮った写真を見つめる。
(なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないの?)
電波は届いていない。それはそうだ。異世界にいるのだから。それでも小夜は、自宅のアドレス帳を開いて通話のボタンを押した。かかるはずもなくて、また涙があふれる。
「救世主様」
声を掛けられて、小夜は顔を上げた。立っていたのは、愛らしい顔立ちの少年だ。ブロンドの柔らかい髪を潮風になびかせて、心配そうにこちらを見ている。猫のように大きい瞳は、きれいなエメラルドグリーンだった。
確か、名前はヴィントといったか。王子の一人である。
緑の羽根のついた平たい丸形の帽子と詰襟の制服にマントは、白馬に乗っていそうな印象を与える。
「突然、こんなことになってごめんね」
ヴィントは小夜の頬に触れ、そっと涙をぬぐった。
「気易く触らないでよ!」
「ごめん」
手を振り払ったことが堪えたのか、ヴィントは黙ってしまった。
小夜は再びうずくまった。
「私、一生この世界で暮らしていかなきゃならないの?」
「そんなことはありませんよ」
そう言ってやってきたのは、ゼーンだった。
「結界さえ張っていただければ、すぐにでも帰して差し上げます」
「ホント?」
柔和な笑みを浮かべながらゼーンは頷く。横でヴィントが何か言いたそうにしていたが、この際そんなことはどうでもいい。
「帰れるなら、今すぐにでも結界を張ってあげるわ」
「その言葉に二言はありませんね?」
「ないわよ! だから、どうしたらいいか教えてよ!」
「わかりました。結界を張るには、『世界の最果て』と呼ばれる場所へ行かねばなりません」
「世界の最果て? どこにあるの?」
「ここからずっと北へ向かいます。フリューリング王国、ゾンマー王国、ヘルブスト王国、ヴィンター王国を通って、さらに北の地へ」
「え……」
嫌な予感がする。船室で見せられた地図を思い出して、小夜は頭の中で位置を確認してみた。なんだかものすごく遠かったような気がするのだが。
「それって、どれくらいかかるの?」
「そうですね。何事もなければ、四十日くらいで行けるでしょう」
「四十? 一か月以上かかるじゃない! 冗談じゃないわ!」
「ですが、結界を張るとあなたは言いました。その言葉に二言はないと」
「そ、それは、そんなにかかるなんて思わなかったから……」
言い返してやろうと思ったが、小夜は途中で口をつぐんでしまった。ゼーンの笑顔は、ただならぬ威圧感を放っていたのだ。
この男、優しそうに見えて一番恐ろしいのかもしれない。
「四十日などたかが知れています。私たちが苦しみ続けた年月に比べればね」
静かにそう告げると、ゼーンは船室に戻っていく。
小夜は大きくため息をついた。一か月以上もこんなところにいなければならないのか。右も左もわからない。空からは化け物が降ってくる。そんな世界を旅しなければならないのか。それに、ここに小夜の味方はいない。先のこと思うと、また悲しくなった。
うずくまって泣いていると、誰かが指で肩をつついてきた。どうせヴィントだろう。うっとうしいと振り払ったが、顔を上げるまでやめない気なのか、何度もつついてくる。
「あんた、いい加減に……。ぶっ、あはははは。何それ!」
顔を上げた小夜は、思わず吹き出してしまった。ヴィントが変な顔をしていたのだ。美少年の顔が、影も形もないくらいおかしく歪んでいる。小夜はお腹を抱えた。
「あははは。チョーウケる」
「やった。大成功だね。笑ってくれた」
「その顔だよ? 笑うって」
「これね、僕が落ち込んだりふさぎ込んだりすると、よくローエンがしてくれたんだ」
「ローエンってあの態度悪いやつ? あいつが?」
人を睨みつける憎たらしいローエンの顔を思い出して、小夜は眉をひそめた。
「うん。ローエンはよく遊んでくれるし、いいやつだよ。ゼーンは怒ると怖いけど、勉強教えてくれるし。エルデは嫌いなもの食べてくれるんだ。好き嫌い多いからね、僕」
「へぇ。みんなヴィントには優しいんだ。私には冷たいのに」
「それは、君が天上の世界の人だからだよ」
「どういうこと?」
小夜の問いかけに、ヴィントは答えなかった。ただ、彼は去り際に言う。
「みんな、本当はすごくいいやつなんだ。だから、みんなのこと嫌いにならないで」
少し泣きそうな顔をしていた。頑張って笑顔を作っていたけれど、彼の口角はひきつっていた。
太陽が沈んでいく。暗闇がゆっくりと顔を出し始めた。




