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第三章 裏切り③

 霧の中に浮かぶ街並みを見下ろして、小夜は感嘆の声を漏らした。

 洞窟の奥は山の反対側へ出る道だった。

「山を下れば、ヴィンター王国だ」

「ヴィンター王国……。これが……」

 標高数百メートルから見下ろす景色は、幻想的だった。周りを山で囲まれた小規模の国は、低い雲に覆われて、おぼろげに全容を映し出している。

 一望して、小夜はどこか懐かしい気持ちに駆られた。まるで日本史の教科書に載っていそうな建物や街並みが広がっていたからである。

 中央には、幾重にも重なった塔があり、天守閣のようだ。周りに城郭が設けられ、さらに外側に堀が備わっている。民家は、城を中心にして、四方に伸びていた。

 街へ下りる際に目を引かれたのは、山に出入りする人々の多さだった。山の斜面にはいくつもの洞窟があり、手ぬぐいらしき布を額に巻いて、砂袋やくわを持った人々が、ひっきりなしに通行している。

 傍を通りかかると、金物で岩を砕く甲高い音が、せわしなく聞こえてきた。

「我が国の民のほとんどが、鉱山採掘にかかわる職に就いている」

 と、エルデが教えてくれた。

「じゃあ、みんなエルツを採るために?」

「そうだ」

「こんな朝早くから……」

 採掘場に向かう人々を横目に、小夜は一人感心した。

 ヴィンター王国の街並みは、活気あふれるものだった。二階建てや三階建てなど高さの異なる家屋がひしめき合っている。どれも白亜の壁に、黒い瓦ぶきの屋根だ。全てが純度の高いエルツでできているという。

 早朝にもかかわらず、通りには買い物をする人や井戸端会議をしている人で、大いに賑わっていた。あちこちから話し声が聞こえて、うるさいくらいだった。

 黒いティーガに跨ったエルデが通ると、人々は割れるように端へ寄る。両手を合わせて拝む素振りをする者もいた。

(なに、この雰囲気?)

 王子というよりも神様扱いだ。

 さらにひそひそと囁き合う声も耳に入ってくる。

「あれが災いの巫女か……」

「ただの若い娘じゃないか……」

「いやいや、おかしな格好をしている。間違いないじゃろ」

「私らの豊かさを奪おうって腹かね」

 揶揄する声ばかり飛び交うのは、小夜にとって初めての感覚だった。救世主様と崇められ、有難がられた今までの様子とは真逆の反応だ。

(なんか、全然歓迎されてないんだけど)

 冷やかな視線を浴びながら、小夜は城へと連れて行かれた。

 堀を渡って城内に入ると、木々がうっそうと生い茂っていた。天守閣に続く道が複雑に入り組んでいて、エルデが先導してくれなければ、到底たどり着けないだろうと思った。

 天守は石垣の上に建ち、五層六階になっている。全ての屋根に黒褐色の瓦が敷かれ、壁は見事な純白だった。天守の横に連なって建っている矢倉にティーガを止めて、小夜たちは中へと足を踏み入れた。

 入ってすぐに出迎えたのは、長い二本の薙刀を背中にさし、羽織を着て股引をはいた兵士らしき数人の男たちだった。エルデの姿に跪き、恭しく頭を下げる。

「エルデ様、お帰りなさいませ」

 兵士に目をやることなく、エルデは上へと続く階段を上っていく。

 階段は折り返す形で延々と続いていた。大人が二人並んで少し狭いくらいの幅だ。

 最上階まで休むことなく上がった小夜は、さすがに息が切れて、脚もふらついていた。

「エルデ様、女王陛下がお待ちかねです」

 階段の終点に立っていた兵士が跪いた。

 エルデは、眼前にある襖を開ける。

 優美な風景画が描かれた襖が開かれると、眩いばかりの真っ白な部屋が広がっていた。

 天井が低く縦に長い部屋は、左右に白い柱が四本ずつ立っていて、奥行きのある造りになっている。 突き当りには御簾で区切られた部屋があり、中までは見えないようになっていた。

 壁にも天井にも絢爛たる装飾がなされ、国の豊かさがうかがえる。

 御簾の前に片膝をつくと、エルデは深々と頭を下げた。

「女王陛下、救世主を連れてまいりました」

「よくぞ参った。苦しゅうない、顔を上げよ」

 艶のある女性の声が、奥から響いてくる。

 はっきりと見えないが、しなやかな女性の仕草がうかがい知れた。

 エルデが顔を上げると、垂らされていた簾がゆっくりと上がっていく。

 三日月を寝かせたような大きく横に張り出させた独特の髪形をして、きらびやかな着物を身に纏った美しい女性が姿を現した。長いまつげに覆われた切れ長の目は、エルデのそれとよく似ている。

 手にした扇子を深紅の唇にかざして、女王は小夜に向かって微笑んだ。

 エルデの後ろに正座していた小夜は、金縛りにあったかのように動けなくなった。

「そなたが救世主か?」

「は、はい」

「近こうよれ」

 扇子を仰いで手招きされて、小夜は恐る恐る御簾の手前まで近づいた。

 女王の傍によると、甘い香りが漂ってくる。香水だろうか。

「天上の娘か。なかなか麗しいではないか。のう、エルデ?」

 エルデの反応は何もなかった。

 とりあえず褒められているらしい。

「我が国はそなたを歓迎する。ゆるりとくつろがれよ」

 扇子で優雅に仰ぎながら、女王は目を細めて笑う。

「エルデ、救世主様にそそうのないよう、くれぐれも丁重にもてなすようにのう」

「御意」

 小夜は苦笑いするしかなかった。女王の目は、にこやかなようで笑っていない。ただならぬ威圧感が小夜にのしかかる。

(苦手だわ、この人……)

 女王の仰せの通り、小夜は丁重にもてなされた。

 豪勢な食事が出され、温泉にも入れてもらい、目を奪われるような美しい着物にも着替えさせられた。

「まぁまぁ、お麗しいですわ」

 着替えさせてくれた使いの女性が、小夜を姿見の前に立たせて、ホホホと笑った。

 黄緑色の上衣に、ピンクの丈の長いスカートを巻かれ、青い薄手の衣をさらに羽織らされた。髪も結い直されて、まるで天女のような姿になった。

「さぁさ、エルデ様にお披露目に参りましょう」

「え? いや、それは恥ずかしい……」

「何をおっしゃりますやら。こんなに美しいお姿を殿方に見せずしてどうするのです」

「で、でも」

「エルデ様もきっとお喜びになられますわ」

「そうかな?」

「ええ、もちろん」

 女性に背中を押されて、小夜は戸惑いながらも足を進めた。

(こんなことしてる場合じゃないんだけど……)

 あまりにも周りが世話を焼いてくれるので、断るに断れなくなっていた。


 小夜が案内されたのは、天守から離れた森の中にある屋敷だった。三層の楼閣が重なり、階毎に形の異なる屋根を持っている。一風変わった様式にも見えるが、うまく調和がとれていて、見事な造形美の建物だ。周りを池に囲まれ、屋敷に入るために簡単な石橋を渡る。

「お足もとにお気をつけくださいませ」

 言われて、小夜はスカートの裾をまくりあげながら、慎重に歩いた。

 石橋を渡り終えると、もう屋敷の玄関だ。木の戸を横に滑らせて、中へ入っていく。

 廊下というものはなく、すぐに部屋の中に入った。黒褐色に塗られた天井は、低く冷やかな雰囲気を漂わせる。襖で仕切られた四角い部屋を奥へと進んでいき、白黒の花の絵が描かれた襖に行き当たった。

 奥からは何やら美しい音色が聞こえてくる。

「エルデ様、救世主様のお着替えが整いましてにございます」

 女性は、襖を両手で丁寧に開けた。

 エルデが黒い柱に膝を立ててもたれながら、外の池に向かって草笛を吹く姿が目に入った。

 静寂に包まれた四角い部屋に、高くて細い音が広がる。緩やかな曲調は、ひっそり佇む家具や調度品と相まって、物悲しく響いていた。

「では、ごゆるりと」

 女性は深くお辞儀をして、そそくさと部屋を去ってしまった。

 取り残された小夜は、どうしていいのかわからなくて、襖の前で立ち往生するしかない。

 エルデはいったん演奏をやめて小夜を一瞥したかと思うと、また池に視線を戻して吹き始める。

「ちょっと、これ見て何か言うことないの?」

 少し期待していただけに、完全に無視をされて、小夜はムッとした。

 エルデは池に目を向けたまま、こちらを見ようとしない。

「着ろって言われたから、着たのに……。ちょっとくらい反応してくれたって……あ」

 口を尖らせていると、草笛を吹くエルデのもとに、小鳥たちが一羽二羽と集まり始めたのだ。まるで音色に誘われるようにやって来て、肩や手に自然ととまる。

「わ、わ。すごい……」

 小夜は心底感動していた。

 エルデは草笛をやめると、小鳥たちと戯れ始めた。小さな体を指で優しくなでるのだ。その横顔は、穏やかで思いやりにあふれていた。

(きっとユラは、この横顔を好きになったんだろうな……)

 ふと思って、小夜の心が温まった。

「何を突っ立っている? 来い」

 エルデに言われて、小夜は小鳥たちを驚かさないようにそっと近づいた。

 小鳥たちは、小夜がエルデの隣に座っても、気にしていないのか、小首を傾げながらエルデの腕を行ったり来たりしている。

 あまりの可愛らしさに、触ってみたくなって手を伸ばすと、小鳥たちは一瞬にして羽ばたいていってしまった。

「ごめん、小鳥たちを驚かせちゃった」

「草笛を吹けば、またやって来る」

「きれいな曲だよね」

「幼い頃、ゼーンとともに作った曲だ」

「ゼーンと? 作曲したの? すごい!」

「ああ。ローエンの誕生日に贈るためにな」

 エルデはそう言うと、思い出したように口元を緩めた。

「互いに意見を出し合いながら、寝るのも忘れて没頭した。上下二つの旋律が合わさって、初めて完璧な曲になる」

「じゃあ、本来はもっと違う雰囲気の曲なの?」

「炎のような曲だ」

 手に持った葉をしばらく見つめた後、エルデは池にそれを浮かせた。

 わずかな風と共に、小さな葉は池の中心へと流れていく。

「ねぇ、今度ゼーンと二人で演奏して見せてよ」

 二つの旋律が合わさって完成した曲を聞いてみたくなった。きっと真っ赤に燃える炎のように情熱的な曲なのだろうと想像する。

「断る」

 エルデから返ってきた意外な言葉に、小夜は目を見開いた。

「なんで?」

「所詮は子供の頃の戯れだ。くだらん」

 穏やかだった表情を消して、エルデは立ち上がり踵を返す。小夜は追いかけようと慌てて腰を上げた。

「ちょっと待って……、あ!」

 うかつだった。着なれていなかったからとはいえ、長いスカートの裾を踏んでしまったのだ。前につんのめって、小夜は顔から床に勢いよく転んでしまった。

「きゃっ!」

 ビタンッと床に張り付く不細工な音が部屋に響く。

「最悪……」

 じんじんとしびれる顔を上げて、小夜はエルデを見上げた。

 エルデの口元が微かに緩んでいる。

「おもしろい女だ」

 起き上がる小夜に、エルデは手を差し伸べる。

 小夜は手を掴んだものの、あまりの恥ずかしさに、まともに彼の顔を見られなかった。

 強く手を引っ張られて、体をぐっと引き寄せられた。

(え?)

 たくましい腕が、いつの間にかしっかりと小夜の背中を覆っている。

 突然のことに、小夜は戸惑った。エルデの胸から穏やかな鼓動が聞こえる。

 自然と目を閉じて耳を澄ましていた。一定の速さで刻むメトロノームのような心音。不安が音に吸い込まれて、心が安らいだ。

 エルデの温かい手が、小夜の髪に伸び、頬に触れた。

 互いに顔を近づける。

「!」

 唇に触れるというところで、小夜はエルデを突き放した。

(私……なにやってるの? 今、キスしようとした? ユラの好きな人なのに……)

「こんなことしてる場合じゃない……」

 エルデの傍にいると、何もかも忘れてしまいそうになる。

 小夜は立ち上がって、踵を返した。

「サヨ?」

「危うく自分の目的を見失うところだったわ。一刻も早く、結界を張らないと!」

「行かせはしない」

「え?」

 強く腕を掴まれて、小夜はエルデの胸に引き寄せられた。

「おまえは、この国から出られない」

「エルデ?」

 エルデの瞳から優しい光が消えた。

 胸騒ぎがして、小夜はエルデの腕の中でもがいた。

「離して! 何考えてるの?」

 一瞬解けた腕に、再び捕えられる。

 強く押されて、床に倒された。エルデの重みが、抑えつけられた手首から伝わって、小夜は動けなくなる。

「どうして? どうしちゃったのよ?」

 初めて、彼を怖いと思った。

「『世界の最果て』には行かせない」

「何言ってるの?」

「結界は張らせない」

「意味がわかんないよ! 結界を張るための旅でしょ?」

「国を守るためだ」

「国を守るため?」

 顔をしかめながら、小夜は反復した。エルデの強い力が手首に痛みを与える。

「結界を張れば、我が国の民は職を失う」

「そんな……」

「おまえも見ただろう。我が国はエルツの採掘が全てを支えている。民が笑って豊かに暮らしていけるのは、エルツの需要があるからだ。星が降らなくなれば、エルツは必要なくなり、国は破たんする」

 ようやく気付いた。エルデに感じた何か。ユラが不安に思っていたことは、このことだったのだ。最初から小夜を足止めしようとしていたのだ。仲間を裏切ることになっても。

「だけど、星が降り続けたら、ユラみたいに一生苦しみ続ける人が出てくるのよ! ヴィントみたいに、命を落とす人だって……!」

 言った後に、小夜は悟った。

 エルデはそんなこと百も承知なのだ。承知の上で、今の選択を下したのだ。

 どれほど辛かっただろう。大切な仲間や愛する人を切り捨てなければいけない現実――。

 エルデの力が、わずかに緩んだ。

「それでも俺は、守らなければならない」

「エルデ……」

 小夜の中に、迷いが生じた。

 どちらが正しいのかわからなかった。みんな国を守るために必死なのだ。

(私は……私の守りたいものって何?)

 出会ってきた人たち、見てきた景色。

 辛くて恐ろしくて、怯える日々。

 空に瞬く星に恐怖しながら生きていく現実。

 全ては、自分たちが捨てたゴミから始まっているのだ。

「離して……」

 小夜はエルデの瞳を真っ直ぐ見据えた。

「やっぱり『世界の最果て』に行かなくちゃ。私がここにいるのは、そのためだから」

「サヨ……」

 小夜の手首に加わっていた力が、徐々に和らいでいく。

 エルデの手が離れたとき、小夜は起き上がった。

「死ぬことになってもか?」

「え?」

 小夜は耳を疑った。

「死ぬって?」

「おまえ自身に、結界を張る力が備わっているわけではない。俺たちが必要としているのは、おまえの命そのものだ」

「何……それ……?」

「異世界の人間の命こそ、結界の源なんだ」

 小夜の思考が、一瞬停止した。

「待って、どういうこと?」

「おまえは救世主などではない。結界を張るための、単なる生贄だ」

 目の前が真っ白になった。耳鳴りのように、エルデの言葉が何度も響く。

 信じていたものが、音を立てて崩れ始めた――。 



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