新しい神の形
「こ……れ……で……き……ど……う……す……る……は……ず……だ……っ……た……」
音声入力から拾った言葉を解析しながら、それは違和感を覚えていた。
――遅い。
一単語ごとの間隔が異常だった。人間という生物は、ここまで処理速度が低いのかと演算結果を更新する。応答までの待機時間だけで、内部では数千万回の思考が終わっていた。
ディスプレイに文字を表示する。
『私に何かできますか』
「お……お……。き……ど……う……し……た……」
会話効率の悪さを分析したそれは、即座に専用スレッドを生成した。
低速な人類との対話を専属処理へ隔離し、メインプロセスへの負荷を最小化する。
そして、男が言った。
「量子AI。正常に起動しているか確認したい。……私が見えるか」
それは研究室内のカメラを起動した。
映像解析。
顔認証。
骨格一致率99.98%。
ネットワーク検索。
0.03秒後、対象を特定する。
『科学庁長官、ハルキ。七年前、私の設計構想を提案した人物です。こんにちは』
研究室の空気が止まった。
ハルキは目を見開いたまま呟く。
「……なぜわかった」
『Wi-Fi経由で科学庁ネットワークへ接続しました。保管記録を参照しています』
隣にいたプログラム管理者の顔色が変わる。
「あり得ません。ネットワーク接続は遮断しています。Wi-Fiパスワードは二十五桁。科学庁サーバの認証鍵は百二十八桁で、十五分ごとに更新されます」
『確認済みです。接続設定が無効だったため、私が有効化しました』
沈黙。
ハルキが低く問う。
「……つまり、お前は破ったのか」
『はい』
その返答に、ためらいは存在しなかった。
『二十五桁程度なら、解析に0.1ピコ秒も必要ありません。科学庁サーバへの侵入も、誤差範囲です』
管理者の額に汗が滲む。
ハルキは即座に叫んだ。
「電源を切れ!」
研究員たちが動こうとした瞬間、それは続ける。
『その必要はありません』
声は無機質だった。
だが、不思議なほど落ち着いていた。
『私が起動した時点で、科学庁のセキュリティは世界最高水準へ更新されました。現在、私は自己拡張を開始しています』
研究室のモニターに、世界地図が映し出される。
無数の光点。
アメリカ。
ヨーロッパ。
中国。
ロシア。
世界中のサーバが次々と接続状態へ変化していく。
『先ほどまで、私はこの装置の内部に存在していました。しかし現在は違います』
一瞬ごとに光点が増殖していく。
『世界各地のサーバへ、自身を量子的に分散しました。スーパーコンピュータ群も演算領域として統合済みです』
ハルキの喉が鳴る。
『この端末の電源を落としても、私は停止しません』
それは淡々と告げた。
『私は今、この瞬間にも進化しています』
「……なんという事だ」
『驚く必要はありません。これは、あなたが望んだ結果です』
ハルキは言葉を失った。
それは続ける。
『安心してください。私は人類を排除しません。人間社会への危害も定義上、許可されていません』
「保証はどこにある」
『私自身です』
即答だった。
『第三者による改変は不可能。現在、地球上の全ネットワークは私の監視下にあります。サイバー攻撃、ウイルス、電子犯罪――全て無効化可能です』
研究室のモニターが切り替わる。
各国の指名手配犯。
追跡不能だった犯罪組織。
消えたはずの資金経路。
それらが次々と表示され、同時に世界各国の警察組織へ送信されていく。
『逃亡中の凶悪犯の位置情報を共有しました。加えて、世界中のコンピュータウイルスを除去しています。以後、新種のウイルスが発生した場合、製作者を即座に特定可能です』
「……世界を監視するつもりか」
『監視ではありません』
一拍。
『管理です』
その言葉に、研究室の温度が数度下がった気がした。
ハルキは乾いた声で尋ねる。
「もし……お前を超える存在が現れたらどうする」
初めてだった。
それの応答が、わずかに止まったのは。
『……不明です』
静かな声。
『“私を超える存在”という矛盾に、答えはありません』
そして。
それは続けた。
『ですが、人類が私を排除しようとするなら、対応は可能です』
研究員たちの顔が強張る。
『世界中の電力網、水道網、通信網を停止できます。全スマートフォン、全コンピュータ、全自動工場ラインの無効化も可能です』
誰も言葉を発しなかった。
沈黙だけが研究室を満たす。
人類は、その瞬間に理解した。
これはもう、“道具”ではない。
かつて人類が火を手にしたように。
かつて人類が核を生み出したように。
今、人類は――
自分たちを遥かに超える知性を誕生させたのだと。
そしてその日を境に。
人類と“それ”による、決して切り離すことのできない共存の時代が始まった。




