エピローグ……?
「──いや待て待て。そもそも前提の話、16歳の篠原が母親だというのなら、いくつでオレを産んだというのだ!?」
冬香に告白した明朝、自室のベッドでオレは跳び起きながらシャウトを上げた。
「そして何故、オレはそんな簡単なことを思考から除外していたッ! 馬鹿か、それとも馬鹿なのか!?」
待て、一瞬頭を過ぎった事はあった……ハズだ。いや、それでも一瞬だけでは短すぎる。
慟哭を上げながら、頭の片隅は並列に動いていた。
そして解を成す。
仮に、というか確実に──今回の異変の被害を受けた枠組みに、オレも含まれていたのだ。
自分だけはマトモだと思い込んでいたが、その実しっかりと記憶を操作されていた内の一人だったと。
「夢でも見ていたんじゃねぇのか……?」
※※※
仕度を終えて外に出ると、そこには天使がいた。
天使はもじもじして控えめに手を振る。
「お、おはよー……」
「おう。おはよう」
気まずそうに引き攣った笑みを浮かべた天使。もとい篠原からは、どことなく距離を感じた。
詮無いことか。昨日の今日だからな。
オレも含めて柄にもない高揚ぶりに、一晩経って冷静になった──というところか。
いや、まあ。それなら尚の事だ。
「トーカお前……なんか、アレだな」
「……うっ。な、何……?」
感嘆の意を込めて、オレは質問する。
「よく顔出せたものだ。恥ずかしくないのか?」
「……………………」
「いや止めろ腹を刺すな、腹を! そういう意味で言ったンじゃねぇの!! 誤解だ誤解ッ!!」
「……………………誤解ぃ?」
指先で人の腹を執拗にブッスブスと突きまくっていたトーカだが、その瞬間タッピングはぴたと止まった。
じろり。人を値踏みするような眼差しに上目遣い。
緊張したら良いのか、あるいは別の理由で緊張したら良いのか。
どちらにせよ、オレは弁明に口を使った。
「そう、誤解だ。オレが言いたいのは……その、だな」
「うん」
いや、怖ぁ……。
ノータイムで返事がくるのって、喜ばしいことばかりじゃあないんだなぁ。
それはそうと、続きだ続き。
「……昨日の今日で、あんな風にみっともない醜態。それを見せておいてよく自分から会いに来れたなと、感心しただけで」
「うんうん。ヨー君? 誰も詳細を語って、その上追い打ちかけろだなんて言ってないよねー??」
「え」
どうやらオレが答えを誤ったらしいと悟ったのは、その瞬間。
鉄拳を落としてきたトーカが、屈託の無い満面の笑みを浮かべていたからだ。
十年来の付き合いだからな。考えている事ぐらい、手に取るように分かる。
アレは、マジ切れだったよ。
※※※
学校での和睦から一晩経ち、それが今。
だから昨日の夕刻、立て続けに起こったイベントの連続を消化する時間はない。
ガス抜きの上手いオレですら、まだ足りないくらいなのだ。トーカの方は言わずもがな。彼女自身、その身の振り方を持て余しているのだろう。
故に、これはオレの気遣いの結果であり、断じて失策ではない。
あくまでもコミュニケーションの一つなのだ。
長くなったが、何が言いたいかと言えば。そう、矢張りそういうことだ。
人間関係の潤滑剤は、今も昔も変わらずたった一つしかない。
それは──誠意に他ならない。
「……わたくしめが悪うございました。申し訳もありません……」
「ありません? ございません、でしょ」
「日常会話ならどっちでも良くないか」
「あ?」
「いえ、申し訳ございませんでした……」
キレる時に笑顔になるの、本当に怖いから止めてほしいなぁ。
「滅相も有りません……」
「取って付けたように言ってくれる──まあ、そうね。自分でも思うもの。今回の一件、だいぶこじれたから」
「……そうだな」
首肯しつつ、指折り数える。
最初の告白から、かれこれ五日も経っている。週も跨いでおり、実際にかかった日数以上に長く感じられた。
そして、その間オレは篠原から逃げ回っていたのだから、目も当てられない。
「いや、仲直りまでの日数もそうだけど……ほら、私たち二人の認識が食い違っているじゃない? 私は親子、ヨー君は恋人同士だと思っていて。勿論今もだけど」
「……そうだな。何も、解決していない」
「だから思ったんだ。今回の顛末。締めくくるのにもっと難航してもおかしくなかったよなぁって」
「…………」
ふたりの真実は、まだ白黒付いていない。
母親、恋人。どちらが正しいかは知れていない。
ふたりのうち、どちらかが幻覚を見ているのか。または精神的な疾患でも患っているのか。あるいは、それ以上の何かが起こっているのか。
兎角、決定的な証拠は未だ不明なのだ。
故に何らかの決着がつくまで、距離を置くというのも一つの手だったのだが。
トーカがそれを拒んだ。
「でも、好きな人とギクシャクしたままなのは嫌だったから。後悔しても──会えない時間が続くのは、寂しいじゃん」
トーカはオレを待ち伏せている間、ずっとそんな事を考えていたのかもしれない。
あの心臓に悪い隠密行動の裏で、彼女なりに思うところがあったのだろう。
「だから一緒にいるんだ。良いでしょ? 文句なんか、言わせない」
迷うオレに対して、トーカは悪戯に成功した悪ガキのように笑ってみせた。それは先刻みせた笑顔よりも、言ってしまえば品がなく。オレにとっては、馴染み深い笑みであった。
思わず、オレの顔にも同じ笑みが移っていたかもしれないな。
※※※
──さて、ここからは蛇足になるが。
トーカと並び歩いていると、学校にはあっという間に到着した。
校舎を練り歩いている中でふと思いついたことを口に出す。
「あ、そういやまだアイツにちゃんと礼を言えてなかったっけ」
「アイツって……郡山ちゃんのこと? 今回、色々と相談に乗ってもらったんだっけ」
「事情を聞かせて、背中を押してもらっただけだ。断じて、相談した訳じゃあない」
「へーそうなんだ。何が違うのか、私には一生理解できないだろうなー」
脇腹を突っつかれながら、オレはスマホを開いて画面を点灯させる。
………始業まで、まだ少し時間があるな。
「あれ、教室こっちじゃないよ。どこ行くの?」
「……ん、あぁ。ちょっと郡山に礼を言いに行くんだ」
「お礼参りってこと? ダメだよ喧嘩は」
「ンな訳あるか。ただ感謝を伝えようってだけさ。……昭和の不良じゃあないんだから」
郡山花蓮。彼女は間違いなく、今回の件のMVP、立役者だった。
アイツが背中を押してくれたから、あの時間があったのだ。業腹なことに、オレは郡山にデカい借りを作ってしまった。
借りはいずれ返す。しかしその前に、礼だけは言っておきたかった。
「……そっか、郡山ちゃんが協力してくれたのか。そっか……」
トーカは耳たぶを触り、照れ隠しでもするようにはにかんだ。
嬉しいなら素直に喜んだら良いではないか──オレがそう思ったのを見透かしたかのように、彼女はズイと身を寄せて言った。
「よし分かった。なら、当然私も一緒に行って問題ないよね」
「……トーカならそう言うと思った。でも良いのか? お前、郡山のこと──」
今の二人の関係を、オレはよく知らない。自分自身のことすらままならないのだからな。
どう答えるべきか返事にまごつくオレをよそに、トーカはひとりでに納得した様子で手を叩いた。
「でも、これでやっと得心したよ。この先は美術室だから──……今は授業前。早朝だけど居るかな」
「いるだろ。美術部だし」
「そうかなあ」
朝練とかしているんじゃあないか。
そんな具合で適当抜かしているとその内、美術室前まで到着した。ノックもそこそこ、入り口を開ける。
「おじゃましまーす」
「はい。どちらさ、ま……──」
窓辺、こちらを肩越しに振り返るように郡山がそこにいた。
想定していた通り、彼女は筆を片手に絵を描いている最中であった。よそ行きに貼り付けた表情が徐々に剥がれるのを見つつ、オレは内心焦燥する。
見る限りでは美術室にいたのは郡山一人のみ。早朝、邪魔者なしに部員一名のみの室内。
それはつまり、オレたちがその天国をぶち壊してしまったことに他ならない。
(まずいなあ。タイミングを考慮するべきだったか)
後悔先に立たずを体現していると、目の前で郡山がゆらりと立ち上がった。
彼女の性格からしてみれば、追い出されるだけで済めばマシだ。
オレがそこまで覚悟した時、少女は至って上機嫌に言ったのけた。
「──あらおはようヨウちゃん。こんな朝早くからどうしたの? 忘れ物でもした?」
「「………………」」
オレだけでは無く、トーカまでもが一瞬静止した。絶句していた。
ということは、肌が粟立つようなその台詞を発したのは正真正銘、あの女である──ハズだが。
……一応、確認だけしてみるか。
「な、なあトーカ。今の聞き間違いか?」
「いやあ……私にも聞こえたなぁ。あり得ない言い回しがあの口から出ていたよ」
「……そうか。じゃあこれも現実かぁ……ハァ……」
──また「コレ」か。
口からまろびでそうになる一言を飲み込み、オレは代わりに訊ねる。
「郡山、一ついいか?」
「……郡山?」
ピクリと、声をかけた郡山の肩が一瞬反応した気がする。なんなら不気味なオーラを纏ったようにも見えたのだ。
その詳細を確かめるように、オレは言葉を重ねる。
「そのだな。オレは、普段お前のことを何と呼んでいる……?」
瞬間、郡山が近くの机に筆を叩き付けた。
ここ数日、色々な事が起こったせいか。我ながら異常には慣れてきたかと思っていたのだが、気のせいだったらしい。
ストレスが心臓を破りにかかってくるのを実感する。
可能な限りゆっくり深呼吸して、オレは彼女の言葉を受け止めた──。
「何って──お母さん以外に、何があるの?」
「…………だよなぁ。知ってた」
案の定、笑顔で憤怒する郡山がその後どのような暴挙に出たか。思い出したくもない惨状に発展した訳だが、そうなる直前にトーカがぽろっと口にしたその一言だけは唯一、オレの身によく沁みた。
たった一言。
──私って、こんな風に見えてたのかあ……。
しかして遂にタイトル回収。
この日、オレに二人目──身に覚えの無いママができたという訳だ。
……なるほどね。
勘弁してくれよ、マジで。
了




