1章-⑧ 決意の朝、帯を締め直し
「篠原! 昨日はすまない。オレが全面的に悪かった!!」
「うん。気にしてないよー」
「…………」
「…………」
「だよな、お前の言い分はもっとも──って、え。怒ってないのか?」
「そう言ってるじゃん。怒ってないってばー」
因縁の相手、郡山花蓮との作戦会議を経て明朝。
オレが篠原家の玄関前で彼女に頭を下げ、それが許されたのは僅か十五秒にも満たない時間だった。
さながら一夜漬けで期末試験に挑むような心持ちで、謝罪方式をざっと二百通りは練ってきたオレの労力は──この一瞬でパアになった訳である。
「おい、でも──」
「はいはい、この話はこれで終わり! ほら、学校行くよ!!」
「いやオレにとってはまだ──って、速……」
言葉通り、オレの謝罪に興味など無いとでも言うように、篠原は此方の声も聞かず風となって駆けていった。
その場に放置されたオレは、行き場の無くなった腕を篠原の背に伸ばしたまま、静止する。
「えっ、マジで許されたの? これで?」
やけにすんなりと謝罪を受け入れられてしまい、却って拍子抜けしてしまう。何か裏があるのでは、と勘繰る訳ではないが。
裏があるのは、むしろオレの方なのに。
「──そうだ。絶対、元に戻してやるからな」
篠原の後を追いながら、片手を学ランの衣嚢に突っ込む。
そこに有る物を掴み、掌上から伝ってくる感触を確かめる。ざらついた本体とボタンと思わしき滑らかな質感のコントラストだ。
いつかの日、使用したのと同じ手触りに違いない。
篠原と初めてマトモに会話したあの日。
オレが声を入れた──あの盗聴器だ。
※※※
「個人的にね、唐揚げは冷めている方が美味しいと思うのだよ」
「…………………………そうか」
昼休みが始まってすぐ、弁当箱を開くなり、篠原は箸先の唐揚げを室内灯に照らしながら呟いた。
食べ物で遊んでいる──という程でもないのでオレは注意したものか逡巡していたのだが、どうやら勘違いさせてしまったらしい。
「まぁ、まぁまぁ私の言い分を聞いてくれたまえよ。ワトソン君」
「誰がワトソン君だ。お前の助手になった覚えはねーぞ。……ま、弁論の余地があるなら言ってみろ。聞くだけ聞いてやる」
「おーありがとう。そうだなぁ…………」
篠原は顎に手をやると幸せそうな顔で唐揚げをモグモグ咀嚼し始めた。見てる此方が羨ましくなる程の食いっぷりで、やがて嚥下する。
嚥下が終わったタイミングで、篠原の顔貌は一変する。
カッと見開いた双眸を煌めかせ、音が鳴る速度で腕を振り上げた。
「よし、考えはまとめ終わったよ。『冷やし派』としての意見をッ! 冷えているということは、作ってから時間が経っているということ。味は染みこんでいるし、過剰な油は引いていてあっさりしている。そして何より──」
彼女とはガキの頃からの付き合いだが、ここまで深刻な彫りのある表情を見たのはいつぶりだろう。
それこそ中学時代、あいつの誕生日を祝い損ねた時以来だ。あれは怖かった。
「何より──スーパーの値引きシールの味なのだよ。困った時のッ家庭の味方ッッ!!」
「そ、そうか……いえ、わたくしめもそう思います…………」
有無を言わせぬ迫力。
……ほんと懐かしい響きだねコリャ──なんて具合に怯んでいるオレを差し置き、篠原は覗うように言う。
「ねーねー喋ってばかりでお箸あんまり進んでないけど。食べさせてあげよっか」
「た、食べさせ……?」
……何すか、エェ?
それってつまり、『はい、ヨー君どうぞ。あ~~ん(はあと)』ってサービスをして下さるってことですかァ!?
幾ら……否。一体ウン十万払えば良いんだッッ……!!?
(──と、落ち着け。相当気色悪いぞ、今のオレ……!)
自制心という名の矯正ギプスでどうにか欲望を押さえつけると、今度は深呼吸して精神の沈静化を図る。
彼女に動揺を悟られてはいけない。後の作戦の成否に関わってくるのも理由の一つだが、何より──オレの沽券に関わる為だ。
ポーカーフェイスを顔面に嵌め込み、冷徹に応じる。
「いいや、良いって。一人で食える」
「嫌なの?」
「いやいやそんなハズはない。むしろ金を払いたいぐらい──ハッ」
訂正。冷徹に応じた「つもり」だった。
気づけばオレは本心を吐露してしまっていたのだから。結構マジで2万までなら払えるかと、脳内で家計簿を作り直していた。
八割方、本気で。
「アハハ、相変わらず冗談ばっかりなんだから。ヨー君ったら」
「冗談なんかじゃあ──いや、冗談。そう、すごく冗談なのだよ」
「大丈夫? 日本語おかしいよ?」
しまった、つい本音が──とオレが自戒するも、しかし。慌てたオレが口を塞ぐのは、コンマ数秒遅かった。
もう既に、篠原はオレの口先に箸を伸ばしていたのだから。
「じゃあ──コレね。口を開けて……アーーン」
箸先におかずを一品摘まみ、篠原はそれを眼前に突き付けていた。
突き付けているのは確か、カレー風味の卵焼きだったか? ……そこは唐揚げじゃあないのね。
どうやってカレーの香りを卵焼きに乗っけているかは知れないが、篠原の言った通り、確かに香ばしい香りが漂ってくる。食欲を煽る、本能を暴力的に揺さぶるような破壊力だ。
「アーーーン」
ついに目鼻の先まで卵焼きを差し出すと、篠原はより強く迫ってきた。
ゴクン──と、オレは生唾を飲み込む。
葛藤こそあった。良いトシして、大の男にそのような軟派な真似ができようものかと。
尤も、一度肯定したのは他でもないオレ自身。……それなのに、手前で吐いたツバを飲み込んでも良いのか?
「ほーら。はい、あ~~ン!!」
「ええい、ままよ!!」
急かす篠原の箸先を目がけて、オレは手前のプライドを投げ打つ覚悟を再三その胸に刻み込むと、大口開けて齧り付いた──。
かくして、物語はプロローグに回帰するのだが、全てが終わった後に振り返ってみれば、なんだ。
この時はオレも理解が及ばない場面も少なからずあるのだろうが、些かオーバー気味な現実逃避ではないか。
馬鹿やって楽しむ為の建前。この後に控える一大イベントの重圧を薄れさせるため、という本音の為に。
我がことながら、存外ナイーブなものだ。
いや、でも──好いた女からの手作り弁当とは、「楽しかった」な。
どんなにその経緯が破綻していたとしても。
道程が滅茶苦茶でも、夢が一つ叶ったのならそれはもう本望以外の何でもないのだから。
そうだろう? 篠原。




