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1章-⑦ 時が変えたものは

 トーカと喧嘩して四半刻が過ぎた。

 飛び込んだ先の室内で、オレとその女の間には沈黙が流れている。


「……………………」

「……………………」


 夕焼けの差し込む美術室に、男女二人きり。

 これ以上ないくらい甘酸っぱい青春の一時だったであろう、相手が「あの」郡山でさえなければ。


「……ねぇ、黙ったまま背中に立ち続けられると落ち着かないんだけど」

「この部屋に入った直後のオレに、「黙っているなら居ても良いわよ」と許可を出したのは、お前だろ」

「言った言った、言いましたよ……でもこんなの見ていても、飽きるでしょう? ……お帰り頂いたらどうかって、心遣いなんだけど」

「いえいえお構いなく。どうせ他に行くところもありませんで」

「……………………」


 郡山の目つきはほんの一分前とは比にならない程度には、冷え切っていた。右肩下がりに体感温度が低下しているような。おぉ、あと五分もあれば大寒にも匹敵するのではないか?

 なればこそ早急に建前を作ろうか。

 確実に郡山に許してもらえるような、そんな説得力のあるヤツを……!


「そうね、そうだな、こうしよう。オレは今この瞬間から、美術部に体験入部する。その活動の一端として、郡山センパイのスケッチを背後から見学させて頂く。これなら何も問題は──」

「いや、それで充分ジャマなのよアンタ! 直接言わなきゃ分からないかなぁ!?」

「……そうだったのか。気づかなかった」

「良かった、理解してくれて!!」

「でもなぁ、宛てがないのは本当なんだよなぁ……」

「……………………でしょうね。その辛気臭い面が何よりの証拠かしら」


 ここに来て、郡山の表情から毒気が抜け落ちた。

 僅かばかり逡巡していたようだが、結局は諦めたらしい。嘆息すると、大物ぶって振り返る。


「ハァ……5分だけだからね。一体全体、篠原冬香と何があったのよ」

「おぉ、ありがとう! 流石は美術部の若きエース様ッッ!! ……しかし、どういう風の吹き回し? 今の今まで「喋ったらコロす」とでも言わんばかりに圧をかけていた張本人のクセして」

「……ネチネチと鬱陶しいその喋り方、自覚が無いってまったく面倒ね。こんなのでも人に好かれるんだから、人間関係って分からないわ」

「呆れてるのか、それとも哀れまれてるのか。オレは?」

「両方」


 当然でしょ、と郡山花蓮は吐き捨てた。


 ※※※


「……つまり篠原冬香がアンタに告白した翌日から、あの子はアンタのことを自分の息子だと思い込んでいた、という事?」


 流石物分かりの良い女。郡山花蓮。

 簡単に一部始終を語ってみせただけで、すぐに顛末を理解してしまった。オレは受け入れるまでに結構苦労したのに。

 

「ま、にわかには信じられないだろうけど」

「いいえ。信じる──というか、私にはその前提以外いらないのよ。今回の件が解決するまで、あんたが私の身の回りをうろつきかねないからね。この世の何処にも、安息の地が存在しないとか言って……こちらの都合もガン無視してねえ!!」

「……う、うん。相変わらず拗らせてるなお前」

「そうさせたのはどこのどいつかしら……?」


 流石激情の女。郡山花蓮。

 額に青筋を立て、瞳孔を開いていやがる。これ以上は風向きが悪そうだ。

 早急に軌道修正をしなければ。


「オホン。それで問題なんだが──その思い込みを抱いているのは篠原だけではない。……いや、逆か。オレ以外の誰もが、アイツと同じ認識をしている」

「……どういう意味」


 伺っておきながら、郡山は額に汗をかいていた。

 察しは付いているのだろう。彼女が脳裏に描いているだろう仮説は、的の心中を得ているハズだ。

 オレは首を縦に振って、解答する。


「察しの通り、オレしか覚えていなかったんだよ。オレと冬香がただの友達だった、その程度の事をだ。……まったく、馬鹿げてる」


 ここ数日篠原から逃げ続けている間、オレは様々な場所に隠れ、少なくない友人らを頼った。故に、裏を取る時間は充分にあったのだ。

 そして、その誰もが──オレたちの元の関係を完全に忘却していた。

 オレはある種の確信をもって、吐き捨てる。


「ここは別世界だよ、文字通り。オレの元いた世界とは薄皮一枚隔てただけの、よーく酷似した世界って訳さ。同じガワを使用しているが、中身は不完全なコピーに過ぎない」


 ──よそ者扱いされている様で気色悪い。

 辛うじてその言葉だけは口にしなかったものの、それでも充分にオレの内心は郡山に伝わっていた。

 同情するような、悲痛そうな──何故か彼女こそ泣きそうな顔をしていた。

 張り手でもされるか。でも、その方が楽なのか? せめて甘んじて受け入れるべきか?

 だらりと両手を下げて目を閉じると、郡山の気配がこちらに迫る。


「……ひとつ、いいかしら」

「あぁ、どうぞ?」


 声は震えていなかっただろうか。

 自問するもやがて、オレはまた「信じ難い台詞」を聞いた。


「アンタだけじゃない。私も覚えてる」

「──……………………………………え」


 今、何と言った。

 誰が、どうしていると?

 目を見開く。開けた視界──目と鼻の先には、磨かれた珠よりも耀く黒の瞳があった。吸い込まれそうなその瞳の持ち主は、ぷっくりと膨らみを帯びた唇をまた震わせる。

 オレの額を指先で弾くと、少女は言った。


「聞いてる? 私はアンタたちがいつだって仲良しこよしやってたの、ちゃんと覚えてんだってば。毎朝飽きもせず一緒に登校して、アンタが手を繋ぎたがってたのも。休息時間にはたまに会いに行っているのも知ってるし。なんならこの前、お昼ご飯も──」

「ちょちょちょっと待て待てちょ、ちょちょっとストップストップ」


 思わず止めに入ってしまったが、オレが止めねばこの女は何を口走ったのか? 知れたものじゃあない。

 郡山め、日頃は如何にも俗世には興味ない風を装っておきながら、存外に耳をそばたてていたものだ。

 ……いや其処は重要じゃあない。思考を逸らすな。


「郡山、お前どうして──」

「理由なんか知らないわよ。こっちが聞きたいくらい……といっても、そんなもの今はどうでも良いじゃないの。大事なのはこれからどうするか、でしょう?」

「……あぁ、そうだな」


 嘘だ。そんな簡単に割り切れるものではない。ただでさえこの頃問題が天然ガスのように際限なく、湧き出てくるのだから。

 けれど郡山の仰る通り、気にしている余裕はないのだ。


「どうする? 私があの女との仲介をしようか? 現状を正しく把握している第三者って、他にいないし」

「仲介って、具体的にどうするんだ」

「アンタと篠原が偶然を装って鉢合わせるような状況をセッテイングしてあげる。ベタな所でいくと、体育館倉庫とか? 男女二人きりで密室にしてあげれば、それなりに雰囲気が──」

「馬鹿。お前が考えているようなピンク色の事柄は起きねーよ。そもそも、優先するべきは記憶の復元であって、デートじゃあない」

「なんだ、つまんないの……」


 郡山はがっくりと肩を落とすと、オレの頭をべしっと叩いてきた。

 痛みこそないが、シームレスに暴力を振るわれると吃驚するから止めてほしい。


「しかし記憶の復元ねぇ……それこそどうするのさ」

「……それを今から考えるんだ」

「ノープランってこと? ま、別に良いけど」


 郡山はしばし無言だったが、俯いていた顔を上げて此方を見返した。

 愉しそうに口端を上げた、挑戦的な笑みで。


「どんな作戦をとるにせよ、やっぱり私も付いていく? 失われた記憶を取り戻すなんて、人数いればできるって訳でもないだろうけど。いないよりはマシなんじゃない」

「あぁ、うん。そうだな……」


 顔を上げる。

 あの日と同様に、窓から夕焼けが差し込んでいた。

 ……確か、予報では明日も快晴だったか。


「いや、やっぱり要らないわ。実行するのはオレ一人で充分だ」

「そっか」


 影になっていたせいでその表情はよく見えなかったけれど、一瞬寂しそうに見えたのは恐らくオレの勘違いだったのだろう。

 郡山花蓮という女が、そんな風に弱さをみせるハズはないからだ。まして、オレという憎き相手に。

 ただ、眼前の光景こそ不変の事実であり、全てなのだ。


「なら、むちゃくちゃ頑張んなさいよ」


 少女は、満開の笑みを浮かべていた。

 頼もしく、ただ僅かばかりの胸痛を伴う笑みを。

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