新婚早々、結婚相手の姉から、無闇にキツく当たられています。王家のしきたりを教えてあげます?はぁ?何、ソレ?お義姉様は敗戦国の王女なのですよ、とキッチリ立場をわからせてあげなきゃいけないのかしら?
◆1
季節は初冬、粉雪が舞い散る季節ーー。
イース王国の王宮、謁見の間において、私、シリア・バレンシアは政略結婚をした。
お相手は、この国の王太子オサナ・イース。
神官による祝福の言葉を受け、私は彼と結婚の誓いのキスをした。
これで私は祖国を離れ、夫の国、イース王国の王家に嫁いだことになる。
異例づくめの、緊張がみなぎる結婚式だった。
新婦側で参列して、私の結婚を見届けたのは、十三人の護衛騎士たちのみ。
両親や兄をはじめとした親族や、友人たちは、結婚式に招待していない。
それでも、お相手の家から、極度に警戒されていた。
私は、新郎から離れた場所に設けられた席に戻ると、近衛騎士たちに小声で命じた。
「式は終わったわ。
貴方たちは、披露宴には出席しなくて結構。
離れて待機していてちょうだい」
護衛騎士は、黒い甲冑を身に纏ったまま片膝を立て、
「お気をつけて」
と言葉を添える。
純白ドレス姿の私は、青い瞳に強い光を宿して、うなずいた。
「言われなくとも、わかっています。
ここは敵地のど真ん中なのですからーー」
◇◇◇
一ヶ月前、木枯らし吹き荒れる晩秋ーー。
気候は、これから冬に向けて次第に寒くなっていくのだが、人間社会の緊張は雪解けに向かおうとしていた。
小競り合いから始まった五十年にも渡る戦争が、ようやく終わろうとしていた。
新興国家バレンシア帝国が、ボード公国とシルド共和国を打ち破り、その二国を後援し続けてきたイース王国にまで槍を届かせて粉砕、事実上の降伏にまで追い込んだのだ。
バレンシア帝国の圧倒的な優勢のまま講和条約が結ばれ、和平のための婚姻が成されようとしていた。
事実上の戦勝国バレンシア帝国の皇女と、敗戦国イース王国の王太子とが結婚する。
要するに、イース王国を事実上の属国にすることで、これ以上、侵略するのをやめてやる、とバレンシア帝国が矛を収めてくれたのだ。
そしてバレンシア帝国の第一皇女が私、シリア・バレンシア、二十歳。
ピンクの髪が自慢の、小柄な女性だ。
お相手は、オサナ・イース王太子。
このときは、相手の容姿も年齢も知らなかった。
バレンシア帝国は歴史が浅く、古い王朝であるイース王国のように諸国家の王族や貴族たちと縁戚関係を築いていなかったので、他国の要人とパーティーなどで親交を深める機会に恵まれていなかった。
それゆえ、戦争相手国の王太子の情報すら乏しかったのだ。
それでも、わかっていることがある。
講和のための結婚に、愛なんて必要ない、ということ。
私はイース王国の文化が好きだから、この究極の政略結婚に応じたのだ。
父帝イゲン・バレンシアの反対を押し切って、ほとんど勝手にイース王家への輿入れを強行した。
幸い、帝国軍の総帥である兄バーサーカ皇太子が、私の我儘を面白がって、
「おまえは長年、イース王国のファッションやスイーツをベタ褒めしていたからな。
いずれはイースへ出奔するものと思っていた。
まさか、戦争を終わらせる口実を作るために、自ら身体を張るとは思わなかった。
女ならではの働きだ。
小さい身体ながら、ほんとうに肝が据わっている」
と褒めてくれて、私の嫁入り道中の護衛役を買って出てくれた。
私は侍女と共に一台の馬車に乗り、周囲を十数人の護衛騎士団に固めてもらった。
そして帝国軍が制圧した地域の進路を通って、輿入れのため、イース王国へ向かった。
途中、帝国が滅ぼしたボード公国領を通り抜ける。
何度か、何者かの襲撃を受けるテロ騒ぎがあった。
でも、そんなちょっかいに構ってはいられない。
兄が指揮する帝国軍に後始末を委ねて、馬車は護衛騎士団と共にイース王国へと進む。
ボード公国とイース王国の国境に聳えるタポチョウ山脈を越えたら、気候がさらに厳しくなった。
休憩時、粉雪が吹雪く外へ出て、山上から、イース王国の王都イスラを見下ろした。
赤や青など、カラフルな色をした綺麗な屋根が連なっている。
頭頂部が尖っている、スタイリッシュなデザインをした教会や王宮が美しい。
王城からして白く、華美に彩られた容姿をしていて、ほんとうにこれで防衛戦ができるのかと訝しく思うほどだ。
我がバレンシア帝国の帝都バッカスとは大違いだ。
帝都は、蛮族や野獣の襲来に備えて、周囲を取り巻く壁にまでトゲトゲした鎖を巻き付けており、王城に至っては切り立った崖の上に聳え立っており、見上げた者を威圧するかのように真っ黒な、厳ついデザインをしている。
私はしばらく遠目で王都の様子を眺めて溜息をつき、自らに強く言い聞かせた。
たしかにイース王国の王都イスラは美しい街だ。
でも、長年、我が帝国に敵対し続けてきた国家の首都でもある。
直接的ではないにせよ、陰日向となく、我がバレンシア帝国に対抗してきた勢力の元締めなのだ。
イース王国には伝統があり、我が帝国よりも800年、歴史が古い王朝でもある。
私、シリア・バレンシアは、パンパンと自らの頬を打ち、気を引き締めた。
◇◇◇
それから一週間後ーー。
私、シリア・バレンシア皇女は、純白のドレスを身に纏い、イース王宮の謁見の間で、結婚式を挙げた。
結婚式とはいっても、異例の政略結婚で、嫁になる私が単身、乗り込んできた格好だ。
私は、中央に敷き詰められた赤い絨毯を踏み締めて、玉座に向かってズンズン進む。
左右両脇にズラッと、イース王国の貴族とその夫人が立ち並ぶ。
玉座に座っているのは、お相手であるオサナ・イース王太子だ。
私よりも背が低く、色白で、碧色の瞳が綺麗な、金髪の美少年だった。
あどけなさが残る相貌をしており、後で聞けば、十六歳、私よりも四歳も年下だ。
(まあ! なんて可愛らしい!)
いくら政略結婚とはいえ、私にだって好みはある。
禿げて太ったオッサンだったら、どうしようと思っていたけど、まさか美少年とは!
なんというご褒美。
私の好み、どストライクだ。
私は内心、舌舐めずりしながら、頭を下げた。
「貴族総出のお出迎え、痛み入ります、オサナ王太子殿下」
金髪の美少年は立ち上がって、こちらを見下ろす。
「お待ちしておりました、シリア皇女。
お互い、国を背負って立つ身です。
恒久の平和を願って、仲良くしましょう」
精一杯、背伸びをしているのが、足元の震えでわかる。
舐められないぞ、と王太子は気負っているらしい。
可愛い。
白い杖を持った神官が手招きをする。
「誓いをお願いします。
バレンシア帝国皇女シリア様」
玉座の前に水晶球が置かれる。
イース王国の人々が信奉するマリス教では、この球に神様が宿るとされている。
オサナ王太子は玉座を降り、水晶球を迂回して歩き、私の横に並ぶ。
そして向かい合い、私はオサナ王太子とキスをした。
神前における、結婚の誓いのキスだ。
謁見の間で、拍手が湧き起こる。
これで私、シリアは、バレンシア帝国の帝室を離れ、夫の実家、イース王家に嫁いだことになる。
とはいえ、異例づくめの結婚式だった。
私はバレンシア帝国の皇女だから、通常の結婚式ならば、父親のイゲン皇帝陛下や兄のバーサーカ皇太子の後見のもと、大勢の従者を引き連れての輿入れとなるはずだった。
でも終戦直後ゆえ、イース王国ではバレンシア帝国の皇女シリアは警戒されている。
だから、敢えて十三人の護衛騎士たちのみを連れて、親族の参列がない状態で、私は結婚式に臨んだのだ。
私は席に戻ると、黒い甲冑を身に纏った近衛騎士たちに、披露宴にも出席せず、身を退くように命じたのだった。
それから改めて、夫になるオサナ王太子の許へと歩み寄った。
共に手を取り合って、式場となった謁見の間から出て、二人の時間を楽しみたい。
そう思っていた。
それなのに、思わぬ障害が、私の前に立ちはだかった。
オサナ王太子の後ろから、白い甲冑を纏う、私と同年代の、長身の女性が姿を現したのだ。
「お初にお目にかかる。
オサナ王太子の姉ヒステリ・イースだ。
『姫騎士ヒステリ』といえば、ご存知かと」
王太子の姉ということは、イース王家の王女様である。
弟と同じくキラキラ光る金髪をなびかせ、得意げに腰に手を当てている。
とりあえず、私はピンク色の頭をチョコンと下げた。
「これはご丁寧に、お義姉様」
正直、「ヒステリ」などという名前の姉がいるとは、知らなかった。
「姫騎士」なる称号自体、初耳だ。
さすがは歴史あるイース王国である。
王女を戦場に立たせる際の名称まで存在しているらしい。
「騎士」を名乗るだけあって、たしかに女性にしては筋骨隆々の身体付きをしている。
小さくて、背の低い私とは大違いだ。
白い肌に、金髪、碧色の瞳というところは、夫オサナと同じだが、体格が違うと、こうも雰囲気が違うのか、と驚かされる。
オサナ王太子は可愛らしいのに、ヒステリ王女はとにかく暑苦しいのだ。
実際、神経が張り詰めた状態なようで、辺りの空気までがピリピリしている。
ヒステリ王女は露骨に私を警戒し、剣の柄に手を付けたままの状態で身構えていた。
「ところで、シリア王太子妃。
そちら側の参列者があまりに少なく見受けられるが、何か意図がおありか。
まさか、我がイース王室を軽んじているのではあるまいな」
私は慌てて両手を振った。
「とんでもございません。
古くからの王朝であるイース王国を軽んじるつもりなど、毛頭ありません。
洗練された貴国の文化に、私は憧れておりました。
されど、いまだ講和が成立したばかり。
バレンシア帝国から大勢の者が押し寄せては、イース王国の民も動揺いたしましょう。
いたずらに刺激したくなかったのです。
ゆえに、私の護衛役のみに参列してもらいました。
まずは私が輿入れして、こちらの家に慣れてから、夫となったオサナ王太子殿下と揃って、いずれは我が父と兄を出迎えて、改めて盛大に披露宴を開きたく思います」
ドレスの裾を摘み上げて会釈をしつつ、私は周囲に目を配る。
「ところで、お義姉様。
王太子殿下の結婚式だというのに、そちらも存外、参列者が少ないのですね。
国王陛下は出席なさってはおられないので?」
私の問いかけに、ヒステリ王女は「嫌味か?」と一言発し、眉をピクリと跳ね上げる。
「いえ。滅相もございません」
と声をあげて、再び私が両手を振ると、お義姉様はドン! と床をひと蹴りした。
「我が父王は、先の大戦で負傷なされた。
帝国軍に急襲をかけられたのだ」
これは気の利かない話題を。
私は急いで詫びを入れた。
「それは、お気の毒に。
ぜひお見舞いをーー」
ところが、夫の姉は、私の提案をピシャリと跳ねつけた。
「要らぬ。敵国からの慰問は必要ない」
「そうですか……」
どうにも取り憑く島がない。
ヒステリ王女は帝国に対する敵愾心丸出しで、
「だいたいバレンシア帝国は気に入らんのだ」
と吐き捨てる。
でも、シリア王太子妃は微笑を絶やさず、
「どこら辺が気に入らないのでしょうか?」
と問いかけた。
もっともな意見だったら、お父様やお兄様にも報告しなければ、と思ったのだ。
ところが、ヒステリお義姉様が口にしたのは、単なる難癖だった。
「我がイース王国よりも浅い歴史で、『帝国』を名乗るとは片腹痛い。
『皇帝』という称号は、『国王』よりも上位にある。
かつて古代サースラ帝国時代にバスラ皇帝が即位して以降、諸国の支配者は『皇帝』と名乗るのを忌避していた」
さすがは歴史ある王朝の王族、世界史にもお詳しいようで。
私は辞を低くして、話を合わせた。
「それは失礼致しました。
たしかに、我がバレンシア帝国の統治者が『皇帝』を名乗るのに、深い理由はございません。
帝国の周りに、『王』を名乗る群雄が割拠していた、という事情があっただけです。
そうした諸王国を併呑していくうちに、『皇帝』を名乗ることが自然な流れになったと、祖父のイスタル皇帝がかつて語っておりました」
「要するに、貴女は蛮族の地の出身、ということね」
「……」
これ以上、語らっても意味はなさそうだ。
シリア王太子妃は口を噤む。
対するヒステリ王女の方は、言い負かしたとばかりに上機嫌になって、パンパンと手を叩く。
「オサナ王太子殿下の結婚の儀式は、滞りなく終了いたしました。
それでは、翌日の歓迎会に備えて、皆様には帰っていただきましょう。
解散!」
王女の号令を受けて、貴族の紳士、淑女たちが、ゾロゾロと謁見の間から出て行く。
別の出口から、オサナ王太子が手を取って、王太子妃となったばかりの私、シリアと出て行く。
そのまま三階にまで上がり、王太子殿下の私室に入った。
壁際に大きなベッドが一つ、置かれている。
侍女が二つの枕を並べ整えてから出て行く。
結果、部屋にいるのは、オサナ王太子と私、そして義姉ヒステリだけとなった。
私は、お義姉様がいるのを承知の上で一顧だにせず、夫のオサナ王太子に顔を向けた。
「オサナ殿下。ひとつ、確認させていただきたいことがございます」
「なんでしょうか?」
「殿下は、床に伏せっておられる国王陛下を除けば、最も偉い立場なんですよね?」
「無論です」
「それでは、ご命令ください。
新たに輿入れした私に家のことは任せて、ヒステリお義姉様は退がっていただけませんか、と。
王女とはいえ、いずれは他家へと嫁ぐ身なのですから」
ヒステリ王女はムッとする。
でも、ムッとしたいのは、こちらの方だ。
オサナ王太子は慌てて姉の顔色を窺いつつ、言い訳をする。
「姉上は、イース王家のしきたりを貴女に教えるのに適任なんですよ。
王族として、外交もこなし、戦場にまで立っておられた」
「そうですか。
王女ながら、王妃並みに働いておられた、と。
ところで、お義母様である、王妃様はどちらに?」
「亡くなりました。
もう十年以上、前のことです。
それゆえ、姉上が母親代わりで、私の面倒を見てきたのです」
オサナ王太子より六歳上、二十二歳だそうだ。
幼い頃の六歳差はたしかに大きい。
母親代わりであった事情もわかる。
ヒステリ王女は、フンと鼻息荒く、胸を張る。
「シリア。
貴女が立派に王太子妃が務まるよう指導いたします。
厳しく当たりますから、覚悟なさい」
だが、私も退き下がるつもりはない。
ドレスの裾を摘み上げて頭を下げながらも、言うべきことは言った。
「お義姉様がおっしゃりたいことは、わかりました。
ですが、ご遠慮願います。
イース王家の決まり事は、夫から教わりとうございますから」
「な!?
オサナ王太子に国事行為やその他のしきたりを教えたのは、この私なんですよ!」
声が裏返るヒステリに対して、シリアは下から窺う姿勢で問いかける。
「あら。その教えに手抜かりでも?」
「もちろん、ないわよ!
私は教えるのが得意だからーー」
「でしたら、問題ありませんよね?
オサナ王太子殿下から、諸々のしきたりを教わっても」
「男性女性の違いがあります!」
「とりあえずは基本的なこと、王太子妃としてなすべきことを教われば十分です。
作法については、日常の中で指摘していただければ。
とにかく今は、出て行ってくださらない?
こちらの国では、夫婦の語らいを、姉だからといって、イチイチ指図するほど、無粋なことがまかり通るのかしら?」
シリアは澄まし顔で直立している。
ヒステリ王女は口をへの字にして全身を震わせる。
そして、そのまま、背を向けて部屋から立ち去って行った。
バタン! と扉が閉まる音とともに、シリアは夫に訴えた。
「ヒステリお義姉様は、私をイース王国の王太子妃として見ておりません。
敵国の皇女としか見ていない。
今後は距離を取っていただかないと、私が困ります」
オサナ王太子はオロオロするばかりで、シリアに手を合わせて懇願する。
「お願いですから、ヒステリの姉上とは、うまくやって欲しい。
貴女の国との戦争で、姉上は婚約者を失い、さらに、父王コントも負傷して寝たきりになってしまっているのです。
僕が若輩者で、不甲斐ないばかりに、姉上は必死に王国を建て直そうと奮闘なさっておられるのです。
しかも、幼くして母を亡くした僕にとっては、姉上は母も同然なんです。
ヒステリお姉様は、女性ながら筋骨逞しく、厳しい顔付きをなさっておいでですが、付き合ってみると存外、優しい人だとわかりますよ」
これは言って聞かすのに骨が折れそうだと思い、私、シリアは夫に対し、溜息混じりに問いかけた。
「オサナ王太子殿下。
貴方は、イース王国の次期国王である以前に、私の夫です。
妻である私が酷い目に遭った場合、どうなさいますか?」
「酷い目……いったい、誰によって、ですか?」
「たとえ、誰によって、であろうともです」
「もちろん、助けますよ。
貴女は僕の妻なのですから」
碧色の瞳を潤ませながらも、気丈に振る舞おうとするさまが可愛らしくて、私は夫をギュッと抱き締めた。
「では、夫としての振る舞い、王太子としての振る舞いを期待します」
◇◇◇
一方、姉のヒステリ王女は、腹の虫が治らなかった。
「小さなナリをしているくせに、生意気な蛮人めが!」
自室に帰ると、花瓶を叩き割り、鏡台を引き倒す。
破壊行動に走る主人を止めに入った侍女までが、張り飛ばされた。
「姫騎士」を名乗るだけあって、王女の膂力は強大だ。
侍女は全身を壁に打ち付けて、昏倒してしまった。
執事や侍女が彼女を介抱するため、外へと運び出す。
あとは誰も王女に近づかなかった。
ヒステリ王女は、イース王宮の支配者だった。
母ミボウ王妃はすでに亡く、父のコント国王も戦傷で半身不随だ。
自分がしっかりしなければ、と気負っていた。
イース王国が直接、バレンシア帝国と矛を交えたのは、ほんの数年前のことだ。
それまで、祖父の代から、バレンシア帝国は暴れ回っていた。
周辺諸国を併呑しつつ、何度もボード公国やシルド共和国と揉めていた。
イース王国としては、衛星国ともいえるボード公国とシルド共和国を支援し続け、バレンシア帝国への盾として利用してきた。
おかげで、直接、矛を交えずに済んでいた。
だから、衛星国を突破して侵攻してきた帝国の槍が、これほど鋭いとは思わなかった。
バレンシア帝国軍が精強なのには理由がある。
まず将兵が皆、命知らずで、どんな窮地に陥っても最期まで戦意を喪失しない。
加えて、指揮官であるはずの将帥までもが、剣や槍を上手く使いこなし、自ら戦禍の中に飛び込んでいく。
イース王国の将帥のほとんどが身分が高いだけの飾りモノで、戦えないばかりか、戦術・戦略すらわきまえていないこととは著しく対照的だ。(「姫騎士」ことヒステリ王女だけが例外なのだ)
ほかにも、帝国貴族の将帥は皆、謎の武術を体得していると称しており、実際に剣や槍を交えた王国兵の身体が急に痺れて動けなくなったという事例が数多く報告されていた。
実際、王国軍は、帝国軍によって白兵戦で押し切られ、陣形が崩壊して敗走が相次いでいた。
おかげで、「姫騎士」ヒステリ王女などは、帝国軍将帥が武術を体得しているなどというのは大嘘であって、じつは剣や槍の刃に毒を塗っているに過ぎないと主張しており、その説を信じる者たちからは、卑怯な戦いぶりをすることが帝国軍の強さであって、所詮は野蛮人による徒党勢力に過ぎないと、帝国軍を愚弄していた。
そんな毒物の使用の有無によって、大軍の強さが保証されるはずもないことは明らかであったが、王国の身分が高い将帥になればなるほど、「帝国軍は卑怯だ」と罵る傾向があった。
イース王国が直接、戦争をしたのは、じつに100年ぶりであったから、もはや戦争は想像上の出来事になっていたからである。
実際にイース王国軍は、帝国軍を相手に、100年前の流儀で、正々堂々、大将が互いに名乗りあったうえで、騎士同士の騎馬戦から歩兵戦へと進む、規則正しい戦争を行おうとした。
ところが、バレンシア帝国軍は側面から伏兵による奇襲を仕掛け、陣形が崩れたところを後方から槍を突くという「蛮行」で戦争を遂行した。
おかげで、あっという間に総大将だったコント・イース国王は弓矢で射たれて落馬してしまった。
敵兵によって、危うく首が刈られるところだったのを、従者が必死になって抵抗して、なんとかコント王を逃した。
その際、息も絶え絶えになった国王コント・イースが、講和による停戦を決意した。
まず、ボード公国とシルド共和国が滅亡して、バレンシア帝国領となったことを認める。
そして、イース王国はバレンシア帝国に刃向かったことへの謝罪として、毎年、特産品の絹織物や宝飾品、その他、諸々の工芸品、そして五千タラントを貢ぐこととする、と。
何年にも渡って、ボード公国とシルド共和国からの亡命者を受け入れてきた手前、これらの決定をするだけでも、相当な反発があった。
それでも、「国王陛下のご意向である」と、宰相リアル・エンザと、外務省長官ヌレギ・ヌレアが中心となって、反対勢力を押し切った。
そのうえ、バレンシア帝国から講和条約を結ぶ条件として、王太子オサナ・イースが、帝国皇女シリアと結婚することを要求され、これをも易々と呑んでしまった。
これでは事実上の植民地だ。
王女ヒステリ・イースは悔しかった。
戦場において、彼女が率いていた部隊は先鋒として真っ先に帝国軍とぶつかる予定で、正々堂々、騎馬決戦を挑むつもりだった。
騎馬戦においては女性ながらに負け知らずで、馬の操縦に関しては、どんな騎士にも負けないとの自負があった。
なのに、遥か後方にあった父王コントが率いる本陣が、側面から急襲を受けて瓦解してしまった。
王女は慌てて陣を反転させたが、四方八方からワラワラと集まってくる雑兵ばかりの相手をさせられた。
ヒステリ王女が率いる軍団ごと、帝国軍から無視されたのだ。
さらに帰国すると、あっという間に、悪い条件で、講和条約が結ばれてしまった。
以来、父王コントは床に伏して、碌に口も利けない。
だから、ヒステリ王女は確信した。
宰相リアルと外務省長官ヌレギが、勝手に講和条約を結んでしまったのだ、と。
戦前から、宰相や外務省長官らは、帝国との戦闘を避けるよう訴え続けていた。
彼らこそ、バレンシア帝国と内通した、裏切り者だと思われてならなかった。
だから、ヒステリ王女は、門閥貴族らと徒党を組み、宰相らを監獄へと押し込め、政治権力を奪った。
それから、貴族を中心にした挙国一致体制を築き上げようと試みる真っ最中だった。
言ってみれば、「上からのクーデター」を行いつつあったのだ。
そこへバレンシア帝国の皇女シリアが輿入れしてきた。
いずれ解消するであろう婚姻とはいえ、一度は対外的に受け入れた約束事である。
王国臣民には内密のうちに、結婚式を挙げることにした。
もっとも、敵国の皇女が懐の中に飛び込んできたのは好機とも言える。
仲間内に取り込めさえすれば、都合の良い人質にもなり得る。
でも、過剰な期待は禁物だ。
大勢の護衛騎士に守られながら姿を現した皇女は、ピンク色の髪をして、好奇心に溢れた瞳をキラキラさせた、少女とも見紛う、小さな体躯の女性だった。
でも、騙されてはいけない。
この皇女こそ、内側からイース王国を蝕むために、帝国が派遣した尖兵なのだ。
事実、見かけとは違って、皇女シリアは頑固な性格をしていた。
戦場における処遇と同様、今もまた自分は部屋から追い出され、帝国人に無視された。
ヒステリ王女は、憤り、歯噛みする。
(おのれ。見てらっしゃい!
ここが歴史あるイース王国であることを、あの女に思い知らせてやる!)
◆2
翌日、正午からシリアの歓迎会が、イース王国王宮の、二階大広間で開かれた。
「歓迎会」と銘打たれているものの、本来は結婚披露宴にあたる催し物である。
ヒステリ王女の強い意向により、いまだ帝国側からの来客を遠慮している状態なので「披露宴」ではなく、「歓迎会」という体裁となった。
どういう口実で開かれようと、自分に対する歓迎会なので、シリア王太子妃は出席せざるを得ない。
しかも結婚披露宴ではないため、隣に座ったのは新郎のオサナ王太子ではなかった。
赤いドレスを着込んだ、新郎の姉ヒステリ王女だ。
「どうしてお義姉様がお隣に?」
青いドレスのシリアがはぁと溜息を吐くと、ヒステリは黒い扇子を広げて口許を隠す。
「あら、言ってなかったかしら?
これは貴女の歓迎会です。
披露宴ではございません。
双方の父親が参加できないようでは、ねえ。
ですから、新郎のオサナが顔を出す必要はございません。
貴女を歓迎する会なのですから、そもそも殿方は関係ないのですよ。
貴女に我が国の作法を教えることも兼ねていますから、私がイース王国の貴族夫人、貴族令嬢の皆様方にお声がけしたのですよ」
つまり、参加者はいずれもヒステリ王女の息がかかった女性ばかり、ということだ。
皆が扇子を広げ、貼り付いたような笑みを浮かべていた。
ちょうど昼食の時刻だから、次から次へと料理が運ばれてきた。
高位貴族家の夫人、令嬢の集まりだけあって、豪華なメニューだった。
食前酒、前菜、副菜、そしてメインディッシューー。
メイン料理は蒸した肉料理だったが、問題があった。
シリア王太子妃の前にだけ、皿が置かれなかったのだ。
他の貴族夫人、令嬢方の前には、次から次へと湯気を立てた料理が皿に盛られて配されている。
ところが、シリアにだけ、料理がまったく配られなかった。
食前酒すら口にしないまま、周囲の女性たちが舌鼓を打つのを眺めるしかなかった。
さすがに耐えきれず、配膳をする侍女に向かって手を挙げ、
「私のはまだですか?」
とシリア王太子妃が問いかけたところ、真横から叱責を受けた。
「食事中に声を上げるのは、マナー違反ですよ」
王女の言葉を耳にするや、貴族夫人や令嬢たちがいっせいに扇子の陰で笑い始めた。
ヒステリ王女は、隣のシリアに向かって、
「ナイクとフォークをクロスさせ、こうして胸まで持ってこないと。
テーブルの上に置いたままだと、準備ができていないとみなされるわ」
と、手本を見せる。
その姿を見て、貴婦人方が揃ってウンウンとうなずく。
でもーー。
「そうは言っても、貴女がたは全員、ナイフとフォークをクロスさせていないじゃありませんか?」
と、シリアは素朴な疑問を呈すると、王女は大きく口許を歪めながら、
「当然ですわ。
私たちイース王国貴族の、ホスト側には必要ない作法だもの。
これは客側のーーそれも、文化の劣った蛮族用のマナーですから」
と言う。
シリアはたまらず、
「会食というものは、互いの親交を深めるために行うものと思っていました。
この国の貴族は、お客を貶めるために会食をなさるのですね……」
とつぶやくと、王女は得意げに顎を突き立てた。
「ええ、場合によっては、そうなりますわね。
貴女は蛮族ですから、親交を深めるだなんて、もってのほか。
私たちと相容れません」
そう語ってから、ヒステリ王女は、近くにいた侍女に手招きしてささやいた。
「可哀想ですから、こちらの無作法者にも、何かを差し上げて」
侍女が笑いを堪えながら、塩パンのみを乗せた皿と真水をテーブルに置いた。
他の令嬢、ご夫人方には肉料理の皿が配され、グラスには葡萄酒が注がれているというのに。
シリア王太子妃は、額に青筋を立てながらも、背筋を伸ばす。
「もう結構。
イース王国貴族流の、素晴らしい歓迎会を、ありがとうございました。
これより自室に帰らせていただきます」
シリアは席を立つ。
が、シリアが自室に引き篭もるのを、ヒステリ王女は許さない。
隣から腕を伸ばし、立ち上がりかけたシリアの手を取った。
そして、自らも立ち上がり、長身を活かしてシリアを見下ろしつつ忠告する。
「立ち居振る舞いから、礼儀作法まで、すべて私が指導してあげるわ。
ついて来なさい。
王太子妃とはいえ、貴女は私の義妹なのだから、少しは義姉の言うことを聞くものよ」
歓迎会に参加した貴族夫人、令嬢方も、一緒になって席を立ち、付き従う。
互いに顔を寄せ合って、扇子の陰でささやき合う。
「ピンク色の髪なんて、初めて見ましたわ」
「帝国から皇女が輿入れしてくると聞いて、どれほどの大女かと思いましたら、私よりも小さい小娘とは」
「意外と王太子殿下とお似合いかも。
あら、失言」
「ますます王女殿下の怒りの矛先は、あの元皇女に注がれるでしょうね」
シリアはイース王国の言葉をすでに習得している。
女性たちがささやく声を耳にしながら、王女の背中を見上げつつ、ついて行く。
これは試練だ、とシリアは思った。
この女どもが、何か仕掛けてくるに違いない。
でも、この国に嫁いできた以上、彼女らに受け入れてもらう努力はするつもりだった。
だが、結論から言えば、努力するだけ無駄だという現実にぶつかるばかりだった。
ヒステリ王女は、今度は堂々と、シリアに濡れ衣を着せるという荒技をやってのけた。
一階への階段に差し掛かったところで、衆人環視の中、突如、ヒステリ王女が、
「ああ!
シリア王太子妃!
押さないでください!」
と大声をあげ、わざと階段から転がり落ちたのだ。
きゃあああ!
といった、周囲の貴婦人たちが奏でる甲高い悲鳴が、王宮内に響き渡った。
階段はかなり高かったが、日頃から鍛錬しているせいか、ヒステリ王女はたいして応えた様子ではなかった。
それでも、いかにも被害者然として顔を歪め、
「足を捻挫してしまった。
シリア王太子妃、どうして私を突き落としたの!?
酷いじゃない!」
と、階上にいるシリアを睨み付ける。
すると、階段の周りに居並ぶ貴婦人たちが、口を揃えてシリアを糾弾した。
「酷い。王女様になんてこと!」
「さすがは野蛮な国の女ね」
「作法以前の問題だわ!」
そこへ男性陣がやって来た。
王宮の一階で、男性用の催し物を開いていたのだろう。
何十人もの貴族たちが、現場に到着するや、何が起きたかを確認することもなく、示し合わせたように、シリアを非難し始めた。
「これでは講和の精神が台無しだ!」
「階段から突き落とすなど、殺人未遂にも等しい行為だ」
「王太子殿下、いかがいたしましょう!?」
一階に集まった貴族集団の只中に、金髪の美少年がいた。
彼の目の前では、額と足に青痣を作った姉が、苦痛に顔を歪めながら立っている。
そんな姉ヒステリを目にして、オサナ王太子も怒りに震えた。
階上にいるシリアに向かって嘆きの声をあげた。
「姉上を突き飛ばすだなんて、恥を知りなさい。
せっかく姉上が貴女を指導して、我がイース王国に馴染めるよう、尽力してくださっているのに」
オサナ王太子は、「女性だけの食事会で、シリア王太子妃が粗相をし、食事し損ねて憤慨した」とだけ聞いていた。
「その腹いせに、姉上を階段から突き落とした」と長年仕えてきた侍女から聞いて、急ぎ階段下まで駆けつけてきたのだ。
が、シリアは毅然とした態度を崩さなかった。
王国貴族たちが見守る中、悠然と階段を降りながら、
「殿下。それが夫として、王太子としての振る舞いですか?」
と、オサナ王太子を見詰めて問いただす。
シリアの目を見て、オサナは戸惑い、口に手を当てた。
ひょっとして、事実誤認をしたまま口を出してしまったか、とうろたえた。
それほど妻の態度が、姉に八つ当たりして階段に突き落とす人物には見えなかったのだ。
シリアは改めて大きな声で、居並ぶ高位貴族家の紳士、淑女に向けて、問いかけた。
「皆様に伺います。
ヒステリ王女を階段に突き落として、このシリア王太子妃に何のメリットがあると?」
彼女の質問には誰も答えなかった。
代わりに、貴族夫人、令嬢方が、口々に責め立て始めた。
「ふん、歓迎会で恥をかかされた報復をしたのでしょう?」
「自分がマナー違反をしただけですのに、王女殿下に当たるだなんて」
「帝国の女には誇りもないのですね」
「ほんと王太子殿下がお気の毒ですわ。
いつ寝首を掻き切られるか、わかりはしない!」
貴族夫人、令嬢方からの援護を受けて、ヒステリ王女は吐き捨てた。
「停戦だ、講和だと騒がなければ、弟がこんな恥ずかしい結婚をすることもなかった。
可愛い弟の経歴に傷がついてしまった。
どうせ笑われるなら、姉である私が弟と結婚したかったくらいよ!」
おほほほ。
周囲から嘲笑する、甲高い声が響き渡る。
歓迎会を共にした貴族夫人、令嬢方が、扇子を広げて、いっせいに哄笑し始めたのだ。
この段になって、貴族男性もオサナ王太子も、さすがに女性陣のおかしさに気付いた。
自分が目にした現場では、シリア王太子妃がいじめられているようにしか見えない。
「あ、姉上、そこまで言うのは失礼ですよ」
と、シリア王太子妃を気遣いながら、オサナ王太子は口にする。
それでも、ヒステリ王女のみならず、周りの貴族夫人や令嬢方はニヤニヤするばかり。
オサナ王太子、現場に駆けつけた貴族男性たちも、呆然とする。
「なるほど。そういうわけですか……」
シリアは一階にまで降りて来て、被害者を気取るヒステリ王女の正面に立つ。
そして、懐から一本の笛を取り出した。
ピーーッ!
耳をつんざくような、甲高い音色が響き渡る。
いっせいに周囲がざわついた。
「何なの!? 騒々しい!」
ヒステリ王女が耳を塞ぎながら叫ぶと、シリアはサバサバとした表情で答えた。
「戦場で使われる、バレンシア帝国の通信道具ですよ。
これで聴き耳を立てている者には伝わります」
次いで、棘が付いた黒い小さな球を、懐から取り出した。
「ひっ!?」
「わ、わ!
凶器を持ってるぞ!」
悲鳴混じりの騒音の中、シリアは黒い球を思い切り投げつける。
が、誰にも当たらず、窓ガラスを突き破って、黒球は外へ飛んで行った。
「ははは。
なによ、ビックリさせて。
当たらないわよ」
汗を拭いて嘲る義姉に向かって、シリアは解説する。
「無論です。
当てるつもりはありませんから。
外への合図です。
あの黒い球は障害物に当たって一定時間以上経つと、真っ赤に光るのです」
「何の合図ーー?」
「いずれ、わかりますよ」
シリアは、大きく息を吸い込んで、一気に吐いた。
「では、私も猫を被るのはやめますね。
貴女方は敵と判断します」
素早い足運びでヒステリ王女に接近すると、
トン!
と、シリアは王女の腕に拳を当てた。
それだけでーー。
「ぎゃああああ!」
ヒステリ王女が涙目になって、悲鳴をあげる。
いつの間にか、彼女の右腕の肘が逆向きに曲がってしまっていた。
シリアは、苦痛に歪む義姉の顔を冷然と見上げながら、
「これぐらいの痛みでなきゃ、自作自演で階段落ちした甲斐がありませんよね」
と語ってから、義姉の耳元でささやく。
「私、気功が操れるんです。
関節を外すことぐらい、造作もない。
気を乱して、全身を動けなくさせることもできますのよ」
今度は、そっと手のひらを、王女の脚に触れる。
それだけで、膝が折れ、王女は床に崩れ落ちた。
全身が痙攣して、手足が動かない。
あっという間に、偉丈夫のヒステリ王女が、芋虫のように、床の上を這いずり回ることしかできなくなってしまった。
一瞬で、沈黙が場を支配する。
シリアは、居並ぶ貴族どもの顔を見回して、宣言した。
「貴方たち、戦争に負けたという自覚がないようですね。
私がイース王国の文化が滅びるのを惜しいと思ったばかりに、要らぬ情けをかけてしまいました。
我が父、皇帝陛下にお願いして、今度は私の兄、『戦闘狂』に軍を率いてもらいます」
ザワッと、どよめきが起こった。
「戦闘狂!?」
「まさか、あの、狂皇子か!?」
「通り過ぎた後は、草すら生えないというーー」
先の大戦で、帝国軍に遭遇した経験のある貴族もいて、彼らが声を裏返す。
そして、全身をガタガタと震わせた。
バレンシア帝国の皇太子バーサーカが率いる帝国軍は、誰からも恐れられていた。
バーサーカ軍が通り抜けた都市はすべて焼き尽くされ、民は殺戮され尽くされた。
ゆえにバレンシア帝国の皇太子バーサーカは、「戦闘狂」「狂皇子」と称されていた。
その苛烈な戦いぶり、残虐行為に恐怖し、イースのコント王も講和を急いだのだ。
遠く王宮の玄関から悲鳴があがり、ガチャガチャと甲冑が奏でる金属音が近づいてくる。
刃を鮮血で濡らせた、漆黒の騎士たちが乱入してきた。
「て、帝国の騎士!?
王宮にまで踏み込むとは!」
「無礼ですぞ。講和の精神に反します」
ほとんど涙目になって訴える貴族どもに向かって、シリアは爽やかな笑顔で応える。
「私が彼らを招き入れました。
笛を吹き鳴らし、黒球が赤く光るのは、非常事態の合図なのです。
私が、濡れ衣を着せられて、罪を被るところだったのですから、当然でしょう。
ですから、私の護衛騎士団が動きました。
彼らは私が嫁いで以来、ずっと陰から見守ってくれていたんですよ」
漆黒の甲冑を纏う護衛騎士たちは、シリアを目にすると、片膝立ちになって控える。
その前を、主人のシリアは、当たり前のように歩を進める。
居並ぶ貴族やその夫人たちは、潮が退くようにシリアから離れていく。
去り行く王太子妃の背中に向けて、オサナ王太子が、ようやく声をかけた。
「シ、シリア、待ってください。
何があったか、僕に教えてくれませんか。
今度は、しっかりと事情を聞きます。
僕に、出来るだけの努力はさせて欲しいーー」
シリアはピンクの髪をバサッと払って、真顔で夫に別れを告げた。
「私たち、いったん距離を取りましょう。
いずれ帰って来ますから、それまでのうちに頭を冷やしておいてください。
今度は、帝国軍の占領下でお会いすることとなるでしょう」
立ち去るシリアを目にして、床を這いずりながら、ヒステリ王女は叫ぶ。
「何をしているの!?
誰でもいいから、あの女を討ちなさい!
ここで逃しては駄目よ。
最低、この女狐を王宮に閉じ込めさえすれば、帝国のヤツらも動けなくなるはず。
人質にするのよ!」
だが、彼女が必死になって叫べば叫ぶほど、王国貴族の誰もが言葉を失った。
あの威厳に満ちたヒステリ王女が、惨めに床を這いずり回るしかできなくなった姿を目の当たりにして、身を硬直させる。
そして、思った。
ひょっとして、自分たちは、とんでもない失策をしてしまったのではないかーーと。
そういう思いに捉われ、イース王国の貴族たちは、背中に冷や水をかけられたように寒気を感じていた。
寒く感じるのは、季節が冬だから、というだけではなかったのである。
◆3
それから三週間後ーー。
バレンシア帝国の大軍勢が、三方向から進軍してきた。
イース王国への大侵攻が始まったのだ。
帝国軍先鋒部隊がイース王国の防衛線を突破し、国境を侵したのは、それからわずか一ヶ月後、海岸線や山岳部を守備する砦を次々と陥落させたのは二ヶ月後のことだった。
兵力も戦略も帝国軍が圧倒し、王国軍は瓦解して逃げ惑うばかりだった。
防備を崩された各都市が、イース王国軍の来援を待つことなく、白旗を上げる。
が、いくら降伏を訴えても、バレンシア帝国軍が受け付けてくれなかった。
皇帝イゲン・バレンシアの命により、イース王国との交渉が全面的に禁じられていたからだ。
「我らを野蛮と蔑む連中と語る口はない。
二度と我らを侮辱できぬよう、息もできぬようにしてやれ!」
バレンシア帝国自慢の皇女シリアが侮辱されたことは、すでに帝国の皆が知るところとなっていた。
特に狂皇子バーサーカの軍勢が凄まじい勢いで殺戮を繰り返す。
戦場において、自ら斧を振り回し、全身に血を浴びながら、帝国の皇太子は咆哮した。
「今更、我らに助命を乞うとは片腹痛いわ。
貴様らの王家と貴族どもが、我らを侮辱し、嘲ったのだ。
兄として、妹が辱められたことを許せるものか!」
バレンシア帝国軍の将兵が一丸となって、烈火の如く怒ったのにも理由がある。
先の大戦において、コント・イース王を重傷にまで追い込んだ際、帝国軍先鋒部隊はそのまま進軍してイース王国の奥深く、王都にまで侵攻しようとしていた。
そこを、皇女シリアが、兄のバーサーカ皇太子や、父のイゲン皇帝に訴えたのだ。
「どうか、イース王国を滅ぼさないでいただきたい。
私はイース王国の文化、風習を愛しています。
平和な世なら、留学したいと思っているほどに」と。
イゲン皇帝もバーサーカ皇太子も、目に入れても痛くないほど皇女シリアを可愛がっていた。
だから、イース王国側から提案してきた講和に応じてやった。
イース王国が、陰でボード公国やシルド共和国を操っていたのを承知の上で。
さらに血気盛んな帝国軍の将帥たちが、本音ではイース王国を攻め滅ぼしたい、という意向を持っていることを見越して、シリア皇女は自ら進んでイース王家に嫁ぎ、帝国軍が侵攻できぬよう取り計らったのだ。
そんなシリア皇女の、身を挺しての気遣いを、イース王国の王族や貴族どもが台無しにしてしまったのだ。
帝国内で最大の、しかもほとんど唯一の親イース派であったシリア皇女を貶めたのである。
帝国軍将兵にとって、イース王国の支配者層に、同情する余地など一片もなかった。
以降、一年もの間、イース王国内で、無用とも言える殺戮と略奪が展開する。
そしておよそ一年後、粉雪が舞い散る季節ーー。
さすがにこれ以上、殺戮と略奪を繰り返しては、国として機能しなくなってしまう。
イース王国側もすっかり戦意も喪失していたので、そろそろ終戦に持ち込みたい。
そのようにバレンシア帝国は判断した。
帝国はイース王国側に降伏勧告をする使者として、シリア元皇女を立てた。
シリア元皇女は、いつものように護衛騎士団に囲まれつつ、最前線に陣を展開するバーサーカ皇太子の本営を訪問した。
本営近くにまで、敵将の首を幾つも槍で串刺しにしたオブジェを、何本も突き立てていた。
シリア皇女は、思わず眉間に皺を寄せる。
「さすがに下品ですわ、お兄様」
狂皇子バーサーカは、豪快に肩を揺らせた。
「でも、こうでもしてやらないと、王国の者どもはわからないんだろう?
自分たちが負けたんだ、と」
「それはそうですが……」
「これが我がバレンシア帝国の流儀だ。
負ければ、俺たちもこうなるという覚悟は出来ている。
それにしても、国を滅ぼしたうえで、王太子である夫に逢いにいくとは。
おまえもたいがいだな。
俺が王太子だったら、屈辱で首を括っているだろうよ」
「オサナ王太子殿下は、お兄様とは違いますから」
シリアを中心とした使節団が王都イスラに入ると、イース王城では降伏の旗がはためいていた。
帝国軍が王都を攻撃するまでもなかった。
王城の中央に位置付く王宮に、シリアを擁する使節団が押し入っていく。
使節団というよりは、ほとんど漆黒騎士団による乱入である。
シリアの後ろには、剣や槍などの刃をギラつかせた漆黒の騎士団員が何十人もゾロゾロと追随していた。
そしてシリアは、謁見の間において、ほとんど一年ぶりに、夫、オサナ・イース王太子と対面した。
降伏勧告をするに先立って、シリアは王国側に、ひとつ条件を突きつけていた。
かつて歓迎会において、シリアを嘲笑った連中を皆、王宮に招くこと、と。
イース王国側は、その条件をキッチリ守ったようだった。
貴族夫人や令嬢といった、かつて、シリアを愚弄した連中が、皆、ドレスの裾を広げて片膝立ちとなり、身を震わせている。
そんな夫人や令嬢たちの背後に、彼女たちの助命を乞うために、貴族家の当主たちも、雁首を揃えて片膝立ちになっていた。
彼らを代表して、オサナ王太子はシリア王太子妃の前で跪き、頭を下げる。
「シリア。
今度こそ、間違いなく、貴女の言う通りにする。
この国の民と、文化を救ってくれ」
シリアは周囲を見回して、首をかしげる。
「あら。ヒステリお義姉様は?」
「別室で控えております。
使者である貴女に不快になってもらっては困るので、身を退いてくれたのです」
喉を詰まらせながらも、オサナは答える。
跪きながらも、全身を小刻みに震わせ、碧色の瞳を潤ませている。
シリアはしゃがみ込んで、笑みを浮かべ、オサナの頬に手を当てた。
「ああ、オサナ。
こんなに身を震わせて。
殿下は私が怖いのですか?
たった一人の妻だというのに」
「ま、まだ貴女は、僕のことを夫と思ってくれるのですね。
心から嬉しい」
シリアは笑顔のままオサナの手を取って、立ち上がらせる。
そして、さらに近づき、抱き合ってキスをする。
かと思ったらーー。
シリアはオサナ王太子の鳩尾を、拳でコツンと小突く。
その瞬間、王太子は、ガクンと膝をついた。
(た、立てないーー!?)
手足に力が入らず、オサナ王太子は四つん這いになって、動けなくなってしまった。
真顔になったシリアは、閉じた扇子を振り、黒騎士たちに向かって指揮を執る。
「王太子の身体をぐるっと反転させ、居並ぶ罪人どもの姿を見えるようにしてください」
シリア元皇女の命令を受け、騎士が二人がかりで、四つん這いになったままのオサナ王太子を180度回頭させ、正面に向けさせた。
そして、その王太子の背中に、シリアはドカッと腰を下ろし、馬乗りになった。
さらに扇子を水平に振り、シリアは命じた。
「遠慮は入りません。
私を愚弄した、目障りな罪人どもを、ことごとく処分しなさい」
即座に、剣や槍を手にした漆黒の騎士らによって、殺戮が展開した。
悲鳴とともに血飛沫が舞う。
「いやああああ!」
「お、お助けを!」
「私は、ヒステリ王女様の命に従ったまででーー!」
「私どもには、幼い子供がいるのです。
お願いですから、生命だけはーー」
王国貴族家の者たちが懸命に嘆願するも、聞き届ける者は誰もいなかった。
出入口は完全に黒い騎士団によって抑えられていて、逃げようがない。
帝国の黒騎士たちは、返り血を全身に浴びながらも、嬉々として凶器を揮い続けた。
オサナ王太子にとっては見慣れた高位貴族たちが、目の前で、夫婦ごと殺されていく。
シリアはごく真面目な様子で、うなずいた。
「オサナ坊や。
良く見ておきなさい。
これが貴方がたが、私に取った態度に対する報いです」
「ひ、酷い……」
オサナ王太子は涙ぐむ。
「あら、これが我がバレンシア帝国の作法ですよ。
貴方たちと同じように、私たちも貴方がたとは相容れないと悟ったまで。
貴方たちが野蛮と決めつけようが、これが我が国の作法なのです」
馬乗りになったまま、椅子代わりとなった夫の金髪を両手でクシャクシャにする。
「でも、オサナ坊や。
貴方だけは生き残る方法があるわ。
貴方の父上、コント国王、そして、姉のヒステリ王女の首を、私に差し出すのです」
「そ、そんな……」
「あら。拒否なさいますの?
でしたら、即座に貴方の首を刎ねた後、王都イスラの民も皆殺しにし、大きく領土を拡大した新生バレンシア帝国の礎になってもらうわ」
オサナ王太子は、力一杯首を回して振り向き、背中に乗るシリアの目に狂気の色が混じっているのを見て取って、観念した。
このときには、姉のヒステリ王女や貴族夫人たちから、シリア王太子妃がどのような嫌がらせを受けてきたのか、オサナは聞き知らされていた。
さらに、敵軍の捕虜たちから、かつての敗戦の折、シリアこそがイース王国を救ってくれていた、という事情も知らされていた。
つまり、イース王国を救済してくれた貴重な女性を、自分の姉や家臣たちが総出で嫌がらせをし、なおかつ、自分はその非道を止めもせずに、彼女を排撃してしまったのだ。
悔やんでも、悔やみきれなかった。
オサナ王太子は唇を咬んでから、声を絞り出す。
「貴女が、姉上や貴族夫人らを許せないのはわかります。
ですが、王国の民をこれ以上、苦しめるのは……」
妻は夫の背中に乗ったまま、夫の美しい金髪を撫でた。
「承知しました。
せっかく占領しても、民がいないのでは、甲斐がありませんからね。
では、しっかりとお願いいたしましたよ。
王太子殿下」
「わかりました。
今度こそ、僕は貴女を助けます。
貴女は私の妻なのですから」
オサナ王太子の決意表明を耳にすると、ようやく妻は夫の背中から腰を上げた。
そしてそのまま、シリア王太子妃は、護衛騎士と共に、王宮から立ち去ってしまった。
(早く決着をつけないと、王国の民が危ない……)
オサナ王太子は、気力を振り絞る。
が、四つん這いの姿勢のまま、身体を動かせない。
イース王国の近衛騎士たちが見かねて、仕方ないとばかりに、王太子を抱きかかえる。
そして王宮二階にある、ヒステリ姉上の部屋へと向かった。
部屋の中で、姉のヒステリ・イース王女も、私服姿のまま、動けないでいた。
この一年もの間、いくら接骨医や整体師の世話になっても、身体は元に戻らなかった。
剣を握ることはおろか、立つことすらできなかった。
こんな姿で、シリア王太子妃を前にすると恥ずかしいから、対面できなかったのだ。
近衛騎士に抱きかかえられている王太子の姿を目にして、弟オサナまでが、自分と同じ目に遭ったと、ヒステリは知った。
「あの女は!?」
と叫ぶ姉に、弟は淡々と答えた。
「父上、そして姉上の首を差し出せ、と。
さもなくば、私のみならず、王都の民をことごとく討ち滅ぼす、と」
「なんと野蛮な。
これだから、あのような女を受け入れるのには反対だったのです。
講和など、受け入れる必要はなかった!」
「いまだに、そのような世迷言を。
現状をご覧ください、姉上!
それでは我がイース王国の民が……」
「知るものですか!
イース王国あっての民なのです。
王家を守るための盾となるのは、当然です!」
「姉上ーーそれは、父王様ーーいえ、姉上自身が、かつて私に教えてくださったことにも反しております。
王家こそが王国臣民のための盾となり、剣となってーー」
「うるさい、うるさい!
どいつもこいつも、使えない者ばかり。
みんな、私がしなきゃならない、と言うの!?
良い加減にして!」
そこへ突然、野太い声が割って入った。
「良い加減にするのは貴女ですよ、ヒステリ王女殿下」
近衛騎士たちすべてが、剣を抜いていた。
オサナ王太子を抱える騎士までが、剣を手にしている。
「お、おまえたち!?」
両目を見開くヒステリ王女に、近衛騎士たちが言い募った。
「王都には私の娘も、母もいるんです」
「ほんとうに国が滅んでしまいます」
「潔い、ご最期を!」
剣を手に、何人もの騎士たちが、ゆっくりとヒステリ王女に近づいていく。
「裏切り者!
貴方、何とか言って。
王太子でしょ!?」
姉は必死の形相で、声を裏返す。
だが、王太子は何もできない。
何もするつもりがなかった。
騎士の腕の中で、口を一文字に結び、うつむくのみ。
「それでも貴方は王太子なのですか!?
嘆かわしい。
栄光ある王国騎士までが、あんな女に怯えて動くだなんて!」
泣きながら喚く王女を、騎士たちは詰り続ける。
これから自らが行う所業を、悪くない、正しいことをするだけだ、と言い聞かせるために。
「怯えているのは、王女殿下も、同じじゃありませんか」
「どうして、シリア皇女が輿入れしてきたときに、優しく迎えられなかったのですか。
それだけで良かったのに」
「講和のために来た皇女を、あんなふうに……」
「王家の方々も、貴族夫人や令嬢方も皆、愚かですよ」
「戦場の現場を知らないから……自分だけは殺されない、と高を括っていたから、こんなことになったんです」
ヒステリ王女は、最期に断末魔の声をあげた。
「あんな女に殺されるのだけは許せない!」
騎士は黙って剣を振るい、ヒステリ王女の首を刎ねた。
王女は手足が捻れて動けなかったから、簡単に首を斬ることができたのだった。
◇◇◇
その日の午後ーー。
オサナ王太子を擁した王国近衛騎士団が、総出で片膝たちとなり、ヒステリ王女の血塗れの首を、シリアの前に差し出した。
このとき、シリアは勝手に玉座に座っていた。
「父王の首は後ほど……」
と、オサナ王太子は、近衛騎士に抱きかかえられた姿勢のまま、悄然としつつ語る。
シリアは玉座から立ち上がって前に進み、そんな夫の頭を優しく撫でる。
「よしよし、良い子ね。
これで貴方は殺さないわ。
だって顔が可愛いもの」
大柄の近衛騎士にお姫様抱っこをされた夫は、妻から子供扱いされるのを恥ずかしく思いながらも、消え入るような声で要求した。
「これからは立派に夫として、王太子として、つとめる所存です。
どうか、僕の手足を元に戻してください」と。
ところが、妻は笑みを絶やさぬまま、冷然と言い放った。
「は? ご冗談を。
貴方に行動の自由を与えたら、いつ私が寝首を掻っ切られるか、わかったものじゃないわ。
自分の保身のためなら、父親も、母代わりだった姉も、犠牲にするんですから」
「そ、そんな……」
「私が言うこと、おかしいですか?
でも、こうした意見も、貴方の国の貴族夫人たちが、口にしていたものですよ。
私はあなたがた、イースの者が口にした言葉を、正当に行動でお返ししているまで。
貴方の手足は捻れたまま。
そのままで飼ってあげるわ。
私の愛しい旦那様。
おほほほ」
扇子を広げて笑声をあげるが、シリアの目はまったく笑っていなかった。
オサナは思った。
ああ、自分が姉の暴走を止められなかったばかりに、妻の心を壊してしまったのだ、と。
こうしてイース王国は全面降伏し、バレンシア帝国軍の侵攻は停止した。
イース王国は、バレンシア帝国の支配下ーー完全な属国と成り果てたのだ。
それでも、それまでの虐殺と略奪が嘘のように、帝国による支配は寛大なものだった。
シリア王太子妃は約束を果たし、王都イスラの民を殺さなかった。
そして、イース王族と王国貴族の爵位を剥奪し、すべてを平民の身分とした。
その一方で、旧イース王国民のすべてに市民権を認め、帝国全域に渡る行動の自由を許した。
門閥貴族の消失と、バレンシア帝国からの物資の流入や交易の再開によって、旧王国時代よりも安全になり、民は遥かに豊かになった。
その結果、三年後には、バレンシア帝国による間接統治を、王国民の(元貴族家の者以外は)誰もが喜んで迎え入れていた。
そして旧イース王国領土の統治者として君臨したシリア王太子妃(五年後、正式にシリア・イース国王となる)は、芸術文化の発展や、福祉事業、産業開発などに貢献した、慈愛深き女王として歴史に刻まれることになった。
以降、彼女の子孫がイース王国を継承することになり、バレンシア帝国の衛星国の中で最も繁栄した国家となり、その豊かさ、文化水準は帝国をも凌ぐと言われた。
その一方で、いっときは国王となったオサナ・イースは始終四つん這いで、首輪を鎖で繋がれた状態だったので、絵画などに描かれることもなく、美しい顔も、その発言も、歴史書に記されることは一切なかった。
ただ、シリア女王の発言によれば、生涯に渡って、夫婦仲は至って良好だったという。
(了)