1話 地獄の大繁盛
今日も、カジノの前には蛇のような列が延々と続いていた。
異世界じゅうから、欲望と絶望を背負った連中が、まるで蛾が炎に向かうように集まってくる。
夜も昼もない、光と音と人間の熱狂が渦巻く"地獄の繁華街"――ここでは時間という概念すら、コインの音に飲み込まれて消えていく。
店先では、怪しい商人が「ラッキーコイン! 一枚買えば夢の人生!」と血管を浮き上がらせて叫んでいる。
空中には魔法仕掛けのホログラム広告、運命のルーレットが狂ったようにぐるぐると回り続ける。
「伝説の台"カルマシンカー"は本日も稼働中! 奇跡か破滅か、運命を決めるのは貴方次第!」
噂は、もう町中に広がっていた。コインが舞うたび、私は思い出す。あの日のパチンコ屋も、同じだった――人間の欲望の匂いも、絶望の味も、何もかもが。
その熱狂は、ただ遠い。私は音だけを聞いている。
金色のリールが回転し、台の奥で異質な機械音が響く。
ガチャーン、キュルキュル、ヒュイーン――
コインの嵐が、人間の理性を洗い流していく。
勝った者は「これで人生逆転だ! 神が俺を選んだんだ!」と両手を天に突き上げ、
次の瞬間には、すべてを失った者が床に崩れ落ちる。
勝利の絶頂から地獄の底まで、わずか数分の出来事だ。
歯を剥いて叫ぶ女――「まだよ! まだ終わってない!」
涙を流しながらレバーにすがる男――「頼む、頼むから一回だけ」
コインをかき集めて膝をつく老人――「孫の薬代が...薬代が...」
子供を連れた母親が「これが最後、本当に最後」と祈るようにベットする――
隣では、「借金のために来たんじゃねえ、夢を買いに来たんだ」と
ぶつぶつ繰り返す若者がいる。
その瞳は既に焦点を失い、現実と幻想の境界が曖昧になっている。
そのすぐ後ろで、財布の小銭をすべて突っ込み、負けを認められず、台に頭を打ちつける男がいる。
額から血が流れても、彼の手はレバーを離さない。
叫び声、うめき声、コインのぶつかる音――
欲に溺れ、泣き叫び、誰もが"救い"を信じたふりをしながら、地獄の底へ落ちていく。
そして恐ろしいことに、この地獄には底がない。
カジノの片隅では、負け組同士が愚痴を垂れ流し合い、
「俺たちは騙されてるんじゃないか」
「でも、やめられねえんだよ」
「全部持っていかれた!」「運営だけが勝つのよ…」
勝ち組が一瞬で次の地獄に飲まれる。
「もう一回、もう一回だけ」
「今度こそ、今度こそ大当たりを」
誰もが欲深く、誰もが孤独で、
それでも"自分だけは違う"と信じてやまない。
「俺には運がある」
「私は特別だから」
「きっと神様が見ていてくれる」
今日も、金と夢と後悔だけが、カジノの空気を満たしていた。
そして明日も、明後日も、この地獄は続いていく。
昔も同じように、誰かが"これが最後"とつぶやきながらサンドに札を吸い込ませていた。現世も異世界も、人間の欲望は変わらない。変わるのは舞台だけで、本質は同じ――金と夢という名の毒に溺れ、自分だけは例外だと信じ続ける愚かな生き物。
ステージマスター(元マネージャー)は、 新調した制服で人混みをかき分け、 満足げに行列を見回している。
彼の表情には、かつての人間らしさは微塵も残っていない。
「さあさあ、伝説のカルマシンカーに挑む猛者はいるか!? 貴方の運命を変える、最後のチャンスだ!」 ステージマスターの声が魔法拡声器で響く。
冒険者風の男――「俺の剣の腕を信じろ」
元・貴族――「家名を取り戻すために」
魔法師――「魔力で運命を操れるはず」
商人――「投資と同じだ、必ず勝てる」
異世界じゅうのあらゆる人種と地獄の亡者が、 列を作って順番を待っている。
みんな、自分だけは違うと信じている。みんな、自分だけは勝てると確信している。
美津子(台)の内部では、また新たな"塚"が溜まり、冷たく光る。"塚"と呼ばれるデータは、負けた者の欲望と絶望の残骸。台の奥に溜まるたび、私は重くなっていく。
今日も誰かが破滅し、今日も誰かが夢を見て、その全てが台の中に流れ込んでいく。誰かに必要とされる感覚は、ここではもう手に入らない。ただ回されるだけ。それでも、今日だけは“存在している”と信じたかった。
あの時"ただの主婦"だった私が、なぜここでこんな業を背負っている?
でも、この業こそが私の存在証明なのかもしれない。
「ここが、異世界一の地獄カジノだ」
誰かがため息混じりに呟く。
「でも、やめられねえんだよな」
別の誰かが答える。
「やめたら、今までの負けが無駄になる」
そして、また新しい地獄の住人が誕生する。
叫び声、うめき声、コインのぶつかる音――
欲に溺れ、泣き叫び、誰もが"救い"を信じたふりをしながら、地獄の底へ落ちていく。
そして恐ろしいことに、この地獄には終わりがない。
(――現世のパチンコ屋も、同じだった。誰も幸せになどなれなかったのに、みんな「今度こそ」と信じていた。あの時も今も、人間は変わらない。私はその中で一度も例外になれなかった)
カジノの片隅では、負け組同士が愚痴を垂れ流し合い、勝ち組が一瞬で次の地獄に飲まれる。
だが、地獄の大繁盛は、 まだほんの序章に過ぎなかった――。
真の地獄は、これから始まる。思えば現世も同じだった。熱狂も、賞賛も、いつも私だけが蚊帳の外。
今日の絶望も、明日の希望も、すべては更なる深い闇への入り口でしかない。
そして私は、その全てを見届けなければならない。
すべての音が遠ざかり、私だけが、静かに闇に沈んでいく気がした。これが、私の業だから。