ヴァンパイア・レッスン(8)
スマートフォンのアラームの音で、叡司は目をさました。
「……夢か」
昨日はセバスチャンとの訓練で疲労が限界に達し、訓練後、美桜とは顔を合わせずに、引きずるような足取りで家に帰り、風呂と食事を済ますとそのまま崩れ落ちるように眠りについてしまったんだっけな、と叡司は思い出した。
(それにしても、生々しい夢だったな……)
昨日の訓練の疲れだけではない、なんとも言えない気怠さが全身を覆っていたが、学校を休むわけにもいかない、叡司は起き上がった。
休日明けの叡司のクラスはひどくざわついていた。
教師の中でも無欠勤記録の保持者として知られる佐藤が欠勤、それも無断欠勤らしい、という噂がクラスで流れていた。
「佐藤先生、何かあったのかな?……って罟弖、おま……ひっでー顔色してるぞ、大丈夫か?」
友人の岡が問いかけて来る。
アミティは岡が付けた叡司のあだ名だ。
叡司は内心の動揺を押さえ、曖昧に答えてどうにかやり過ごした。
放課後、叡司は岡に、しばらく都合で同好会の活動は欠席する旨を伝えると、学校を後にした。
日が傾いてくるとともに、叡司の全身から気怠さが消え、気力がみなぎってくる。
ヴァンパイアの時間のはじまりだった。
自宅に帰るとすぐさまトレーニング用の着替えを持って隣の洋館へと向かう。
館の中へ通されると、居るのは美桜だけだった。
「えーと、セバスチャンさんは……」
「外出してるわ、ちょっとしたお使いを頼んだの、帰って来るまでここで待ちなさい」
美桜は立ち上がり、用意されていた客用のカップに自らの手で紅茶を注ぐ。
部屋で美桜と二人きりという状況で、叡司の脳内に昨夜の生々しい夢が思い出され、顔が熱くなる。
顔色の変化を悟られないように、叡司は美桜に質問をした。
「あー、そういえば、どうやって僕が危険な目に遭っているのが分かったんですか?」
「私の精神と貴方の精神を“繋いだ"の、初めて会った時に」
「繋いだ?」
「そう、ヴァンパイアが持つ特殊な能力の一つ、他者の精神と繋がりを作る事によって、心を読んだり、支配したりできる……貴方を守ると言っても、常に見張ってる訳にはいかないから、貴方の感情が……例えば恐怖心が一定の閾値に達したとき、私にもそれが感じられるようにしたの」
「ええっ!?」
「もちろん貴方のプライバシーは尊重してるから、勝手に頭の中を覗き見したりはしないけど……」
「……けど?」
「血を分け与えた所為で繋がりが強くなったのかしら……たまに貴方の考えてることが、勝手に流れ込んで来てしまうことはあるわ……貴方には、随分と私が魅力的に見えているみたいね……まあ思春期だから仕方がないとは思うけど……夕べの……」
「うわあぁぁぁぁあ!」
叡司は叫びながら部屋を飛び出した。
入れ替わりにちょうど帰って来たセバスチャンが美桜をたしなめる。
「聞くともなしに聴いてしまいましたが、お嬢様、今のご説明は、思春期の男子には些か言い過ぎ気味ではないかと……」
美桜はため息をつき、言った。
「秘密にしておいても意味がないでしょ?それに、早めに言っておかないと、これから先、何を見せられるか分からないもの……叡司はまだ敷地の何処かに居るわ……セバスチャン、探して来て」
「かしこまりました」
部屋を出ていこうとするセバスチャンを美桜は呼び止める。
「待って」
「何でございましょう」
「……ついでに少し、なぐさめてあげて」
数分後、庭の片隅で膝を抱えてうずくまる叡司を見つけ、セバスチャンは声をかけた。
「……まあその……なんだ……あんまり気にするな」
「セバさん……そうは言っても」
「見た目は若い娘でも、中身は二百歳……あるいはそれ以上だ、だからお前くらいの年頃にありがちな、ちょっとした妄想くらい、どうってことはないさ」
「どうってことありますよ……僕には……」
「それに……何だ……お嬢さんがヴァンパイアと分かった上で、そういう感じの夢をみたんだろ?……まあ、一種の好意の表れだと、大目に見てくれるだろうよ」
「このまま消えてしまいたい……」
「ああもう、面倒くせえな……この際だ、言っておくか」
「……?」
「お前さんのご先祖とお嬢さんの関係だ」
「友人だったって……」
「いくら親しい友人でも、百年も経ってから律儀に約束を果たしにくるか?事情はもう少し込み入っててな……これは、俺の推測も含まれるが……お嬢さんがお前のご先祖に抱いていた感情は、友情よりももっと強い」
「それって……」
「ああ、つまりは惚れてたんだよ、お嬢さんは、お前のひいひい爺さんにな……同族になってくれないかと、話を持ちかけた事もあったほどらしい」
「そんな事があったんですか……」
「しかも俺の見た所じゃ、まだ惚れてるな、ありゃ」
「惚れてるって……もう死んでるんですよ」
「だから尚更なんだよ、生きてる人間なら、付き合ううちに色々と欠点も見えてくる、愛想を尽かされることだってあるかもしれんが……故人となるともう無敵だ、綺麗な思い出だけが残り、そいつが時を経て、なお磨かれていく……ピカピカに……まるで宝石みてえにな」
「それほどまで、好意を寄せられるほどの人物だったんでしょうか……僕のひいひいお爺さんは」
「俺もお嬢さんから話に聞いただけで、直接知ってるわけじゃないが、中々に大した人だったみたいだな、何度も危険な目に遭いながら、人知れずこの国を危機から救ってきた……らしい」
「そうなんですか……」
「そしてお嬢さんは、そんなご先祖の姿をお前さんに重ねて見てる……だから、失望させるな」
しゃんとしろ、小僧、つまりはそういうことだった。
「すっかり長話しちまったな……いつまた次の襲撃があるかは分からんが、それまでにできることはやっておこう、トレーニングを始めるぞ、それが済んだら手伝ってもらいたい事もある」
「何ですか?」
セバスチャンは不敵な笑みを浮かべ、言った。
「セキュリティの強化さ」
それから数日は何事もなく過ぎた。
叡司は毎日、学校が終わると美桜の屋敷に向かい、セバスチャンの指導の元、格闘の訓練を受けた。
訓練の後はセバスチャンと共に、“セキュリティの強化"を行う。
セバスチャンの言う“セキュリティの強化"とはつまり、侵入者を迎え撃つ為の仕掛けを屋敷のあちこちに施すことだった。
「……少しエグ過ぎないですか?これ」
罠の一つを仕掛けながら、叡司はセバスチャンに言った。
「相手が相手だ、これぐらいはやらないとな、それに……」
「何ですか?」
「正直な所、お前さんには直接手を下してほしくないんだ……たとえ相手がヴァンパイアでもな」
「……何故ですか?」
「たとえ人間でなくとも、人の形をした生物を殺せば、それはお前の心の傷になる、永遠に残る傷にな……お嬢さんもそれは望んでないんじゃないかって、そんな気がする」
「心の傷……」
「人間もヴァンパイアも大勢手に掛けた俺が言うんだ、間違いない」
「戦うなってことですか」
「最終的にはお前さんが決めろ、土壇場で、たとえ一切手を出さずにじっとしていても、俺は文句は言わん……よしと」
罠を一つ、仕掛け終わったセバスチャンは手をはたきながら立ち上がる。
「これであらかたの準備はできたな……後でこいつをテストしてみよう」
叡司とセバスチャンが屋敷のセキュリティの強化を終えた次の夜、深夜も最も深まる午前二時、古い言葉で言えば丑三つ時に、複数の人影が美桜の屋敷を取り囲んだ。
黒い作業服に身を包んだ屈強そうな男たちだ。
屋敷を囲む高い塀、登るための手がかり一つないそれにヤモリのように貼り付き、一人、また一人と、するする登って行く。
壁を乗り越えた男たちは、広い庭の片隅にしゃがみ込み、邸内の様子を窺う。
辺りはひどく静まりかえっていた。
屈強そうな男たちの中でも、ひときわ厳つい体格の男が、岩を擦り合わせるような声で囁く。
「始めるぞ」




