ヴァンパイア・レッスン(6)
「……人間じゃないって、どういう意味なんですか?」
「私が貴方の所に駆け付けたとき、貴方は両方の肺に穴を開けられて死にかけていた、病院へ運んでいたら間に合わなかった、だから私の血を貴方に飲ませたの」
美桜にそう言われ、叡司は美桜の左手に巻かれた包帯の理由を察した。
「それで手に包帯を……」
自分が置かれた状況にも関わらず、美桜の手を気づかう叡司に、美桜は微笑みながら言う。
「心配しないで、銀の刃で付けた傷だから、治るのは少々遅いけど、大した傷じゃない」
「でも、じゃあ、僕もヴァンパイアに……?」
美桜は無言で首を横にふる。
「私たちが人間を同族にするためには、二つの手順が必要、一つは相手の血を吸うこと、もう一つは吸った相手に自らの血を与えること」
美桜は一口、紅茶を飲み、話を続ける。
「私は貴方に血を与えたけど、私は貴方の血を吸っていない……つまり今の貴方は完全なヴァンパイアには成りきっていない」
「じゃあ、戻れるんですか……人間に?」
美桜は頷き、言った。
「その可能性は残っているわ、貴方の体を元に戻せそうな人物にも、ひとり、心当たりがある、少々面倒くさい男だけど」
「面倒くさい……?」
「そう、それに、貴方の体の件がなくても、どのみち彼には連絡を取ろうと思っていたの、彼だけじゃなく他の旧い友人にも」
「敵の……ヴァンパイアと戦うために、ですか?」
「そう、現状では戦力が足りない、屋敷を守るだけなら私とセバスチャンの二人だけでもなんとかなるけど、集めなければならない物もあるの、封印を再び強固なものとするために」
「敵のヴァンパイアって、何者なんですか?」
「今のところは不明、目的がこの私と、この館にある封印、ということ以外は……その戦力も、どこから来たのかも……可能性が高そうなのは欧州か北米の血族だけど、特定の血族には属さない、はぐれ者達かも」
「その人たち……この館の封印を狙ってるって……何のために?」
「おそらく、封印を解いてしまえば、自分たちが利用できるとでも思っているのね、そんなこと、不可能なのに」
「一体何が封印されてるんですか?」
「古代の邪神、七柱のうちの一柱、ここでその名を直接口にする事すら憚られる程の危険で邪悪なものよ、少なくとも封印を解いたぐらいで恩に着て力を貸してくれるようなものではないわ、ランプの魔神じゃあるまいし」
と、美桜は肩をすくめる。
「……そのへん、丁寧に説明すれば、分かってくれたりしませんかね……」
「無理ね」
「ですよね……あ、先生は!?佐藤先生は無事なんでしょうか?」
会話の最中に叡司は思い出した、自分を襲ったのが先生に化けたヴァンパイアなら、本物の先生はどうしたのだろうか?
「それも今のところは分からないわ……でも、甘い連中じゃないわ、最悪の覚悟はしておいた方が良い」
「そんな……」
落ち込む叡司の様子を見て、美桜は話題を切り替えた。
「……考えようによっては、貴方がそうなったのも悪いことばかりじやない、当面の間は、少なくとも自分の身を自分で守れるもの、でもそのためには――そうね」
美桜はセバスチャンに言った。
「セバスチャン、叡司を鍛えてあげて」
「畏まりました」
セバスチャンは恭しく頭を下げる。
「鍛えるって、いつからですか!?」
「奴らは今、こちらの隙を窺っている、いずれすぐにまたやってくるわ、だから今、この時からよ」
その前に一度、家に戻りたい、と叡司は美桜に申し出、とりあえずそれは許可された。
(セバスチャンさん、うちの親にはどういう言い訳をしたんだろう……)
叡司が家に帰ると、早速、母の今日子が話しかけて来た。
「セバスチャンさんから聞いたわ、美桜さん、大変だったみたいね」
「あ、ああ、うん、大変だった」
「あの歳で、事故てご両親とお兄さんを亡くされて……それで時々、ひどい不安やパニックの症状に襲われるなんて……PTSDって言うのかしら……本当に可哀想……」
と今日子は目元を押さえる。
「あーうん、ほんとに」
「叡司がそばにいると不安が和らぐんですって、どことなく亡くなったお兄さんに似てるから……」
「うんうん、そう言ってた」
「こないだ話した時には、歳の割にすごくしっかりしているように見えたけど……やっぱりまだ子供なのね、叡司、あなたもお兄さんになったつもりで、しっかり面倒を見てあげなさい」
「見る見る、実は今日もこれから、勉強を見てあげる約束をしたから」
「あら、そうなの、じゃあ頑張って来なさい」
自分の部屋に戻った叡司は、私服に着替えた。
着替える途中で気づいたが、大量にではないとは言え血のついたTシャツとワイシャツはいつの間にか新品に取り替えられ、制服の上着もクリーニングが施されていた。
(セバスチャンさんの仕事だろうか……?恐るべき手回しの良さだな……)
普段使いしているコンドル・アウトドアのツーウェイバッグに、教科書の類と筆記用具を放り込み、ジャージの運動着も入れる。
「行ってきまーす」
と、家族に一声かけて、叡司は家を出た。
再び美桜の屋敷を訪れた叡司は、セバスチャンに案内され、一階の奥にある広い部屋へと通された。
時刻は正午を少し過ぎた当たりだが、全てのカーテンが閉め切られたその部屋は薄暗かった。
「あの、この部屋は……」
「いわゆるボールルーム、本来は来客を招いての宴会などに使われる部屋でございます、現在は調度品もなく、広々としておりますので、室内でのトレーニングには丁度よろしいかと」
「なるほど」
「まずはお着替えを」
叡司は持参した運動着に着替えた。
セバスチャンは上着を脱ぐと近くにあった椅子に掛け、蝶ネクタイを外し、シャツの袖をまくった。
「さてと、お嬢さんの前じゃなければ、別に堅苦しい言葉遣いはしなくて良いぜ、ざっくばらんに行こうか」
「いきなりキャラ変しましたね」
「ってか、本来の俺がこっちなんだよ、お嬢さんとのあれは、一種のごっこ遊びみてえなもんだな」
「ごっこ遊び……」
「だいぶ昔の話だ、お嬢さんに仕えるようになってしばらくした頃、何を思ったかある日突然、『あなた、執事にお成りなさい』とかいい出してな、多分、趣味でよく見てる色んな映画の影響だな、アルフレッドとかジャービスとか、時々呼び方も変わるし」
「セバスチャンさんて、本名じゃなかったんですか!?」
「んなわけあるか、この顔、どう見ても日本人だろうが」
「いやだって、わりと彫りの深い顔立ちだし、日系の人なのかなと……」
「まあ、俺自身、自分の生まれすらよく分からねえからな、もしかしたら外国の血が混じってるのかもしれねえが……」
「セバスチャンさんって、昔は何をされてたんですか?」
「それを話すとちょっと長くなるぜ、長い上に平山夢明の小説みたいな話に……」
「あー、可能な限り要約してお願いします」
「早い話が始末屋だ、人間のな」
セバスチャンの顔に、わずかに暗い影が射すが、そのまま話し続ける。
「血塗れ糞塗れの生き方で、一生そこから抜け出せねえと思っていた、そこにある日突然、あのお嬢さんが現れて救ってくれた、それだけでも十分な借りだ、だから俺の残りの一生をかけて仕える事にした、ごっこ遊びに付き合うのもその一つだ」
そこで一度言葉を切ると、セバスチャンは腕組みをしつつ言った。
「しかしいちいち『セバスチャンさん』ってのも長ったるいし、こそばゆくっていけねえな、二人の時はもっとこう、くだけた感じで良いぜ」
「じゃあ……『セバさん』はどうですか?」
「うん、まあそんなもんで良いや……ほれ」
不意にセバスチャンが何かを放って寄こす。
叡司はそれを受け止めた。
いったいどこに隠し持っていたのか、それは林檎だった。
「ぎゅっと握ってみな」
「え……?」
「いいから」
叡司は言われた通りに、林檎を強く握る。
林檎は叡司の手の中で、いとも簡単にぐしゃりと潰れてしまった。
驚く叡司にセバスチャンが告げる。
「それが日光が当たってない所でのお前さんの握力だ、その気になれば人間の頭もその林檎みたいにできる……握力だけじやねえ、全身の筋力が上がってると思いな」
叡司にタオルを渡し、潰れた林檎を始末したセバスチャンは話を続ける。
「日光を浴びてる間は普通の人間並みの力しか出せねえから心配はしなくて良い、ただし日没が近づいたら用心しろ、日光の当たらない場所でもだ、日が落ちた後は、お前さんの身の回りの物、全てがメレンゲでできているつもりで扱え」
「ヴァンパイアが太陽の光で塵になるっていうのは、間違いだったんですね……」
「あー、厳密には半分だけ間違ってる、多くのヴァンパイアは日光を浴びてもダメージは無い、日光の元では力も俊敏性も普通の人間並みになり、特殊な能力も使えなくなるだけだ、ただし北米の連中は例外だ、あいつらは日光でダメージを受ける」
「そうなんですか?」
「そうだ、北米の連中は総じて力も素早さも、他の地域のヴァンパイアより上だが、太陽光を浴びると肉体が焼け始める、おそらくは最初に北米にヴァンパイアの血を持ち込んだ奴が、そういう体質だったんだろうな」
「じゃあ、映画のヴァンパイアは……」
「ハリウッドで最初に吸血鬼映画の脚本を書いたやつは、もしかしたら本当に見たのかもしれんな、日光で塵に帰るヴァンパイアを」




