ヴァンパイア・レッスン(5)
佐藤は叡司の胸の中を、文字通りに探りながら言う。
「本当に運の悪い子……封印を見つけ、あの女の首を差し出せば、その手柄で私も子が持てるようになる……そしたら貴方を、最初の仔にしてあげても良かったのに……」
ひとしきり叡司の体内の手触りを楽しんだあと、佐藤は言った。
「決めたわ、肺にしましょう」
叡司の胸の中に鋭い痛みが二度、走る。喉の奥から血なまぐさい匂いを感じた。急速に息苦しさが増す。
「両方の肺に穴を開けた、じきに貴方は息ができなくなる」
佐藤は叡司の胸から手を引き抜き、縛めを解いた。
叡司は音を立てて床に倒れる。
叡司は息を荒げ、必死で空気を吸い込もうとするが、息苦しさはひたすら増して行くばかりだった。
血に塗れた手を顔に当て、陶然とした表情で佐藤は言う。
「ああ……本当に素敵ね、貴方の苦しむ顔……いつまでも見ていたい……そろそろあの女が現れる頃合いかしら……」
「もう居るわ、ここに」
不意に背後から声がかかる。
佐藤が驚き、振り向くと、一陣の黒い影が猛然と突進してきた。
銃声のような音が響き、佐藤の顔面がひしゃげ、身体ごと吹き飛ばされる。
突進してきた美桜が、怒りに任せて佐藤の顔面に拳を叩き付けたのだ。
ヴァンパイアの怪力をまったく抑えること無く、相手の顔面に叩きつけた美桜の拳からは、骨が飛び出していた。が、見る見るうちに拳の傷は再生していく。
目に見えそうなほどの怒気と殺気を全身から放ちつつ、美桜は佐藤に言い放った。
「お前は私の逆鱗に触れた、この手で塵に返してやる」
(マズい……)
美桜の奇襲で粉砕された佐藤の顔面も再生しつつあったが、美桜のそれよりも速さで劣っていた。
正直、侮り過ぎていた。この状態で戦うのはまずい、いや、万全な状態でも一人では敵わないだろう、佐藤のヴァンパイアとしての本能がそう告げていた。
佐藤は身を翻し、窓へと向う。
窓は閉じられていたが、佐藤は構わす飛び込む。
空気のように窓をすり抜け、佐藤は姿を消した。
背後で控えていたセバスチャンが美桜に問いかける。
「追いますか?」
「だめ、こちらが先」
美桜は叡司のそばにかがみ込み、容態をうかがう。
「叡司!しっかりして!何をされたの!?」
薄れ行く意識の中、叡司は必死で声を絞り出す。
「肺に……穴を……」
「セバスチャン!」
セバスチャンも叡司の脇へとかがみ込み、制服のボタンを外し、胸をはだけさせる。
「皮膚に外傷はないようですが……」
セバスチャンは叡司の状態を確認しつつ、言う。
「正確な診断にはレントゲンなどの検査が必要ですが、肺に穴を開けられたというのが間違いなければ、外傷性の気胸が起きている可能性が高いと思われます、両方の肺をやられたとなりますと、至急の処置が必要ですが、ここでは……」
肺に穴を開けられたことにより、肺の中の空気が外へ抜け、胸の中に溜まる。溜まった空気により肺が押されて萎んでしまい、いくら横隔膜や腹筋を動かしても肺に空気を取り込めなくなる。
このまま放置すれば酸欠により、叡司が死に至るのは確実だった。
ほんの僅かの間、美桜は逡巡し、そして決断した。
「セバスチャン、ナイフを」
「お嬢様、それは……」
「貸しなさい!早く!」
セバスチャンは懐に仕込んだ鞘からナイフを取り出し、美桜に手渡す。
一般には所持することが禁じられている、ダガーと呼ばれる両刃のナイフだ。そして、その刃には銀がコーティングされていた。
ナイフを手にした美桜は、叡司に語りかける。
「叡司、よく聞いて、貴方には二つの選択肢がある、死を受け入れるか、私を受け入れるか」
ナイフを握っていない左手を叡司の頬に当て、言う。
「私を受け入れるなら、頷いて、それも無理なら、瞬きを二回」
叡司の瞼が、ゆっくりと二度、閉じられた。そしてそのまま開かなくなる。
美桜はナイフで左の手のひらに一直線の傷をつける。
銀のコーティングを施された刃で付けられた傷は、すぐには塞がることなく、傷から真紅の血が溢れ出た。
「お嬢様……」
「良いの、黙って」
美桜は切った手のひらを叡司の口元に持って行く。
「飲みなさい、私の血を」
だが、叡司の口は開かない。そして目も。
美桜の血は叡司の閉ざされた唇の上に垂れ落ちるばかりだ。
「駄目よ!口を開けて!開けなさい!馬鹿!」
「お嬢様……」
「うるさい!黙れ!!」
美桜は自らの傷に口をつけ、血を口に含む。
そして叡司の口へ自らの口をつけると、含んだ血を流し込んだ。
唇を離し、叡司の様子を覗う。
だが、叡司に反応はなかった。
「駄目!目を開けて!お願い!叡司郎!もう私を置いて行かないで!!」
暗黒。
暗黒の中に浮かんでいる。
遠くから何か聞こえる。
人の声だ。
虚ろな暗黒の中で声は何度も反響し、何と言っているのか判然としない。
どくん。
心臓が一つ、鼓動を刻んだ。
胸の中で小さな爆発が起きた、と思うほどの激しい鼓動だ。
そのまま心臓は激しく動き出す。
全身に力が漲るのを感じる。
視界が光に包まれた。
雷に打たれたかのように、叡司の体が大きく痙攣する。
「がはっ!!」
叡司は咳き込み、口から血の塊を吐き出した。
叡司の目が開く。
「……美桜……さん?」
「叡司郎!」
服が汚れるのも構わずに、美桜は叡司を抱きしめる。
ほんの束の間そうした後、美桜は体を離し、叡司の様子を覗う。
叡司は再び気を失った。
セバスチャンは叡司の胸にしばし手を当てた後、言った。
「呼吸と脈拍は安定しております」
叡司を軽々と抱き上げた。
「私はこの子を屋敷に運ぶ、セバスチャン、貴方は後片付けを」
「承知いたしました」
叡司をいわゆるお姫様抱っこ呼ばれる形に抱き上げ、図書室の出入り口まで歩んだところで美桜は足を止めた。そして振り返り、声をかける。
「セバスチャン」
「はい」
「ごめんなさい、取り乱してしまったわ」
「それもまた、“人間らしさ”というものでございましょう――誰かが来るやも知れません、お急ぎください」
次に叡司が目覚めた時、そこは見知らぬベッドの中だった。
古風で落ち着いた部屋の調度が目に入ってくる。
なぜこんな所にいるのだろう、そう思った。
徐々に記憶が戻って来る。
(……そうだ、佐藤先生に、肺を……)
自分の胸に手を当ててみるが、痛みも息苦しさも、もう感じなかった。それどころか全身に活力が漲っている、そんな気分だ。
「目が覚めたのね」
ドアを開けて美桜が入ってきた。
「ここは……」
「私の家の客間の一つよ」
上体を起こしながら叡司は美桜に訊ねる。
「僕はどうなったんですか?確か先生に襲われて……」
「あれは貴方の先生じゃない、おそらくは変身する能力を持った敵のヴァンパイア」
「美桜さんが……助けてくれたんですね?」
「ある意味では、そう……色々と説明しなければならないことが増えたわ、でも今は身体を休めて……詳しい話は明日にしましょう」
「家に連絡しないと」
「ふふ、セバスチャンが何か適当な理由をでっち上げて、ご両親には言っておいてくれるわ、だから心配しないで」
美桜は手を添えて叡司を再び横たわらせ、布団をかけてやる。
「眠れやしないですよ、なんだかすごく気分が高揚していて……」
美桜は叡司の額に優しく手を当てると、言った。
「お眠りなさい」
一瞬で叡司は深い眠りへと落ちた。
再び目を覚ますと、窓から朝日が差し込んでいた。
叡司はゆっくりと起き上がる。
昨夜とは打って変わって、全身にひどい倦怠感を感じていた。
(どうなっちゃったんだ……僕の身体)
戸惑っていると、ドアが開き、美桜が入ってきた。
「起きたのね、朝食にしましょう」
と、部屋に入ってきた美桜は言った。
「あの……学校……」
美桜は無言で叡司に彼のスマートフォンを渡した。
叡司はスマートフォンで日付を確認する。
「……なるほどSUNDAYじゃねーの」
朝食のテーブルについた美桜に、セバスチャンが紅茶を注ぐ。
美桜の前には紅茶の入ったカップしかなかった。
「私はこれだけで良い、でも貴方は食べなきゃ駄目」
セバスチャンが銀のクロッシュ――映画の豪華な晩餐のシーンでよく見る、料理の皿にかぶせるドーム状の金属のあれだ――をかぶせた料理を運んできた。
叡司の前に置き、クロッシュを取る。
皿に乗っていたのは、分厚いステーキだった。
「食事を用意していただいて、こんなこと言うのも何ですが……朝から重すぎますよ、これ」
「大丈夫、いいから食べなさい」
叡司は不承不承、といったていでナイフとフォークを取り、ステーキを切る。
断面はすごく赤い、レアというよりは、表面を軽く炙っただけの、ほぼ生肉だった。
まったく叡司の好みの焼き加減ではなかった、はずだったが、その断面の赤さには、ひどく惹きつけられた。
恐る恐る一口分を口に入れる。
味付けは胡椒すら振っていない、おそらくは少量の塩だけで、血の味すら感じられそうなその肉は、たまらなく美味だった。
叡司は猛然と肉を切り、次々と口へ運んだ。
美桜の目が無かったら、手づかみでがつがつと貪っていたかも知れない、それほどの勢いだった。
我に帰った時には、皿の上の肉は消え失せていた。
「信じられない……肉とか、そんなに好きな方じゃなかったのに……ましてやこんな生みたいな肉……」
戸惑う叡司に、美桜は言った。
「やはり食事の嗜好も変化したようね……」
「どういう意味ですか……?」
「ごめんなさい、貴方はもう人間じゃない」




