ヴァンパイア・レッスン(3)
美桜の話は続く。
「基本的なことから教えておいた方が良いわね」
美桜は立ち上がると、部屋の傍らに置かれた物入れへ行き、引き出しから何かを取り出して戻って来た。
手にしたそれを顔にかける。
それは眼鏡だった。金色のチェーンが付いた、黒の古風なフォックスフレームだ。
「眼鏡、必要なんですか?」
「雰囲気は大切よ」
と美桜は眼鏡に手を添えながら言う。
「さて、ヴァンパイアの強さは、概ねヴァンパイアとして生きた年数で決まるの、だから私たちは、同族の年数をすごく気にかける……年数に応じた呼び方もあるわ、ヴァンパイアとして百年以上の年月を経た者を長生者と呼び、十年未満の者を新参と呼ぶ、それから十年以上から百年未満の者は中間者」
「わりと、ざっくりしてますね」
「そうね、それというのも、長生者とそれ以外の力の差は、あまりにも大きいからなの、ヴァンパイアの能力は、グラフで言えば、新参から中間までは概ね線形的に上昇する、つまり右肩上がりの直線ね」
美桜は指先でテーブルに直線を描きながら話を続ける。
「ところがある一定の年代を超えると、そこから能力は指数関数的に上昇する」
緩やかな上り坂の直線を描いていた美桜の指が、そこから急カーブの上り坂を描く。
「それが、ヴァンパイア化してだいたい百年目を迎える頃、もちろんいくつかの例外はあるけれど」
「長生者って、そんなに強いんですか?」
美桜はうなずき、また話し出す。
「力の強さ、速さ、反射神経、身体的な能力もさることながら、変身や魅了、身体の再生などの様々な能力、そして魔力も」
「魔力って、魔法が使えるってことですか!?」
「そうよ」
美桜は事も無げに言う。
「貴方が知らなかっただけで、この世界には魔法が存在する……その辺はおいおい教えてあげる」
「長生者っていう人たちが、その話通りなら……無敵じゃないですか」
「そうね、ただ、そうなるまで生きられる者はごくわずか、過去には人類による大規模な狩りが行われた事が何度もあったし、それに強くなると言っても、問題もあるわ」
「何ですか?」
「人間性の喪失」
「人間性……?」
「そう、強大な力に溺れ、その力を無思慮に際限なく使っていると、徐々に人間性が蝕まれて行く、そして人間性を完全に失えば、行き着くところは知性もなく、抑制もなく、欲望の赴くままにただひたすらに人を殺し血を貪るだけの怪物、そうなった結果、同族や人間の手で葬られた者も多い」
美桜は立ち上がる。
「私が少女の姿にとどまっているのも――」
言いながらくるり、とその場で一回転して見せた。
「一つは、自分の力を抑制するため」
美桜は再び着席すると、髪をかき上げ、首に巻かれたチョーカーを叡司に示す。
「このチョーカーも、ただの飾りじゃない、魔法を用いて、私の能力の制限装置の役割りをさせているの」
美桜はかき上げた髪を戻し、手で整えると話しを続ける。
「そういったわけで、長生者と呼ばれる存在は、強大ではあるけれど、数は多くない、おそらくは十人以上二十人未満、といったとこ」
「えらく幅があるんですね」
「中には生死不明だったり、人里離れて隠棲していたり、死を装っていたりするのもいる、だから正確な数は私にもわからない」
「なるほど……」
「とにかく、そうした長生者は世界の各地に散らばり、それぞれが独自に縄張りを築いているの」
「……日本にも?」
「ふふ、この国の長生者はただ一人、それが私、つまりこの国は全部私の縄張り、過去に侵略を試みたヴァンパイアもいたけど、全て撃退してきた、でも今再び」
「……狙われているんですか?」
美桜は肯いた。
不意に美桜の表情が硬くなる、窓の方に顔を向け、何かに耳をそばだてているようだった。
「セバスチャン」
「はいお嬢様」
「屋敷の壁を乗り越えた者がいるわ、おそらく数名」
「確認して参ります」
それまで隅で控えていたセバスチャンが、早足で部屋を出る。
「それってまさか……」
「友好的な訪問者は、いきなり壁を乗り越えたりしないわね」
「で、ても、招かれざる者は家に入れない、というのは」
「それは俗説、まあ確かに長生者には、その手の礼儀を気にかける者もいるけど、大概は気にしない、特に新参者ならなおさら」
美桜は眼鏡を外し、たたみながら言った。
「夜伽先生のヴァンパイア講座はまた後で、ここからは戦いのお時間、貴方はここでじっとしていて」
「お嬢様」
足早に戻ってきたセバスチャンが美桜に告げた。
「侵入者は六名、屋敷の正面に三名、裏手に三名でございます」
「まず正面から片付ける、セバスチャン、裏の三人を相手に時を稼いで」
「承知いたしました、では得物を」
「好きなものを使って」
セバスチャンは部屋の隅にあるアンティークの飾り棚へ行き、扉を開ける。
彼がキャビネットから取り出したのは、日本刀だった。
「こちらを使わせて頂きます、でほ、お先に」
早足ではあるが、優雅さすら感じさせる足運びでセバスチャンは部屋を出ていった。
「さて、私も行くわ、念を押して置くけど、貴方はここを動かないで、少なくとも私かセバスチャンが戻って来て、大丈夫と声をかけるまでは」
「あっ、あのっ、もしも二人とも戻って来ない時は……」
「そうなったら貴方も逃げ場はない、お祈りでもしてて」
「そんな……」
美桜は悪戯っぽい笑みを浮かべ、言った。
「心配しないで、セバスチャンはああ見えてけっこう強いのよ、そして私はもっと強いの」
セバスチャンは屋敷の横にある隠し扉の一つから外に出た。
辺りは既に日が落ちている。
屋敷の周囲にはまだ常夜灯の類は設置されておらず、都会の一角とは思えぬほど暗い。
低く身を沈め、暗がりに目を凝らすと、侵入者達の姿を捉えた。
館の裏口の中でも、最も目立つ場所にある一つに、侵入者達は忍び足で向かっている。
そのぎこちない足運びを見たセバスチャンは、即座に侵入者達の正体を見抜いた。
(奴らヴァンパイアじゃない……人間だな……)
物取りや強盗の類か、それとも誰かに金で雇われたか、いずれにせよ、捕らえて吐かせればはっきりするだろう。
(刀まで持ち出した俺がバカみてえじゃねえか……)
苦笑いを浮かべたセバスチャンは、流れるような動きで侵入者達に近づいた。
屋敷の正面側からの侵入者達は、玄関を避け、窓の一つへと向かった。
窓ガラスを割って侵入する気なのだろう、一人が手にしたバールのような物を振り上げる。
「窓を割るのは、やめてくれないかしら?」
庭園の暗がりから不意に声がかかり、三人の侵入者達はぎょっとして振り返る。
「まあ業者を呼べば新しいガラスを入れてくれるだろうけど、その窓は当時からのもので、それなりの思い入れがあるの」
美桜は話しながらゆっくりと侵入者達の前へ進み出る。
目出し帽で顔を隠した侵入者達は、無言で顔を見合わせた。
声の主が少女だと分かり、力ずくで黙らせようとでも考えたのだろう、三人の侵入者達は美桜を取り囲む。
侵入者達は三人ともバールやバットなど、棒状の武器を手にしていた。
(この中にヴァンパイアは居ない、侵入者は三人とも男性の温血者……)
温血者とは、ヴァンパイアが普通の人間を指すときに使う言葉の一つだ。
美桜はヴァンパイア特有の鋭敏な感覚で、侵入者たちの呼吸音や体温、心臓の鼓動までも感じ取り、判断を下した。
侵入者にヴァンパイアが居ないことに、少しばかり拍子抜けした気分だった。
小さくため息をつくと、侵入者達に告げた。
「今すぐ武器を捨てて、大人しく出ていくなら、見逃してあげる」
侵入者達は、無言で視線を交わし、互いに頷きあうと、三方から一斉に美桜へ襲いかかった。
だが、意識を集中した美桜の目にうつるそれは、スローモーションも同然の動きだった。
美桜は前方へと足を運び、正面からかかって来た男に向かって素早く距離を詰める。
相手にぶつかるか、という寸前で、美桜は男の側面へ回り込み、斜め下から掌底、すなわち開いた手のひらを使った打撃を放つ。
ボクシングで言うところのアッパーとフックの中間の軌道で下顎に綺麗に命中した掌打が、男の脳を激しく揺らし、意識を刈り取った。
相手が地面に倒れ込むのすら待たず、美桜は素早く踵を返し、左右から襲いかかろうとした男たちへ向う。
美桜の左右から襲いかかろうとしていた男達の視点で見れば、目標の少女が一瞬消えてしまったように感じられたことだろう。
呆然としている男の一人に、美桜は飛びかかりつつ拳を振るった。
相手めがけて飛びかかりながら繰り出すパンチ、俗にスーパーマンパンチなどと呼称される打撃を頬に受けた男は、口から折れた歯を吹き出しながら倒れる。
美桜は着地しつつ、返す刀でもう一人の男に後ろ回し蹴りを見舞った。
鳩尾に美桜の足を深々とめり込まされた男は、うめきながら崩れ落ちた。
美桜にはじっとしているように言われたものの、叡司は外の様子が気になって仕方がなかった。
なにせ自分の命もかかっているのだ。
叡司は恐る恐る、窓から外を覗いてみる。
侵入者達に囲まれた黒い服の少女の姿が見えた。
おそらくはあれが美桜だ。
次の瞬間、少女の姿が一陣の黒い風のように、あちらからこちらへと動いた。
そして、侵入者と思しき三人は地面に倒れ伏していた。
「動きが……全然見えなかった……!何が起こったんだ……!?」
三人の侵入者を片付けた美桜が屋敷の裏手へ向かおうとしたその時、セバスチャンが屋敷の向こうから姿を現した。
セバスチャンは美桜の元まで歩み寄ると、済まなそうに言った。
「申し訳ございません、お嬢様」
「取り逃がしたの?らしくないわね」
「いえ、時を稼ぐつもりが……連中の言動がいささか癇に障りましたもので……つまりは、三人とも……倒してしまいました」
美桜は微笑むと言った。
「お見事、では裏手の奴らもこちらへ運んで」
「承知いたしました」




