連理
「助けてくれ!」
先に叫んだのはヨーフーイだった。目の前には墓所に投げ入れられた2体の死体。そして目を凝らせば、壁の上には司祭の格好をした男と、何人かの人間の影が見えた。俺たちは壁際に居て、丁度真上からは見えなかったのだろう。
「どうか! お願いだ」
ヨーフーイが張りのある声を上げる。壁の上では慌ただしい動きのあと、恐れるようにこちらを覗き込む影があった。
「お前たちは誰だ」
「俺たちは……」
「気がついたら墓所にいました! 3日前に誰かに投げ込まれたのだと思います。どうか助けてください!」
ヨーフーイを遮り咄嗟にそう叫べば、壁の上からざわめきが巻き起こる。小さく不吉だという声が聞こえる。墓所にいるなんて普通は考えられない。墓所というのは死が宿る場所だから。
「名と族名は」
「ニコライです。族名はありません。遠くから来ました。旅人です。こっちはヨーフーイ」
鳥の民などと答えれば、助かるものも助からなくなる。壁の向こうからは何事か相談するような声が聞こえる。
「どうか!」
ヨーフーイが再び叫ぶ。見下ろす人々の瞳は背後の青い空と比べて雨の降る前の雲のように陰って見えた。そうして壁の向こうから、何人もの人の動く気配がした。きっと葬儀の途中なのだ。
返事はなかった。更に声を上げようとするヨーフーイの手を引く。
「駄目だ。彼らは葬儀の最中だ。待つしか無い」
「……あいつらが助けてくれなかったら?」
その可能性はある。むしろ高い。この墓所の内側は死者の世界だ。死者は生者の世界に戻ったりはしないのだ。同時に生者も死者の国に降りたりしない。その禁を破ってわざわざ旅人を助けるだろうか。そもそも……彼らは俺が鳥の民だとわかれば助けないだろう。
「それでも駄目だ。待つしかない」
「待っていれば助かると思っているのか?」
「それでも、駄目だよ」
しばらく祈りの言葉が聞こえ続け、……そしてやがて何も聞こえなくなった。やはり駄目か。俺の手を握るニコライの手が震えている。
「ヨーフーイ、仕方がないんだ。ここは死んだ人の場所だから」
「お前はまだ生きている」
「でも、もうすぐ死ぬ。だから一緒に居てほしい」
ヨーフーイの腰を抱きしめる。なんだか懐かしい香りがした。人の国の民はもともと俺たちに冷たかった。人間よりヨーフーイのほうがよほど温かい。
「嫌、だ。また奪われるのは」
ヨーフーイの冷たい声に見上げれば、その顔には激しい怒りが浮かんでいた。
「ヨーフーイ?」
俺の視線に気がつき、俺を安心させるようにニコリと微笑み、俺の額にキスをした。そうして突然立ち上がり、鳥の姿に戻り何も言わず飛び立つ。
「待て、ヨーフーイ、駄目だ! 戻って!」
全身から血の気が引いていく。ヨーフーイが鳥人だということがバレれば、一巻の終わりだ。僕を助ける助けない以前に、ヨーフーイが追われることになる。そして鳥人だと叫ぶ悲鳴と、争う声が聞こえた。嗚呼。
なんだか力が抜ける気がした。そんなことは望んでいない。ヨーフーイだけは自由でいてもらいたかったのに。俺の代わりに俺を食べて、世界を巡ってほしかった。
「ヨーフーイ、どうして!」
しばらくして羽ばたきが聞こえ、1本のロープの端を掴んだヨーフーイが壁の上から姿を表し人の姿に代わりながら落下する。慌てて駆け寄れば、その下の骨が赤く染まっていた。
抱きしめればいつもはサラリと抜け落ちていく羽がどろりと赤く湿り、その皮膚に張り付いている。肩口には大きな傷があった。刀か何かで切られたのだろう。どう見ても、致命傷だ。そう思っていくうちにヨーフーイの顔色がどんどん白くなっていく。
「ニコライ、これで登れる。はやく登れ。あいつらが帰ってくる前に」
「嫌だ! そんな! 君を残していけるはずがない」
「駄目だ。今度は守らせてくれ」
「今度……?」
ニコライは苦痛に顔を歪めながら、それでもその評定は優しかった。ふいに兄を思い出す。
「思い出したんだ。君の兄を食べてからだんだんと、昔の記憶が。俺は昔、ジョサイアと呼ばれていた」
「鳥の……王? まさか」
ヨーフーイは小さく頷き、目を閉じる。
「そうして君は、君たちは俺の弟だ」
「俺が? でも俺は鳥人じゃない」
ただ、鳥に親しいだけの。ヨーフーイは俺に手を伸ばして頭をなでた。
「キスをして。そうすればきっと、わかるから」
「キスを?」
そっと口づけをした。すると目の奥に光景が浮かび上がってきた。見渡すとても広い空。そして眼下にもこもこと広がるたくさんの雲。そうして更にその下に薄っすらと見える美しい山嶺や光を反射する湖。
ふと下を見れば、ロープで繋がった籠から見上げるヨーフーイそっくりの人間がいた。
『グレイス、もうすぐ見えてくる』
自分の口からヨーフーイの声が聞こえた。
『ええ、ジョサイア。あの山の向こうです』
そうして青々とした山を超えれば一つの湖が見えてきた。まるで鏡のようだ。そうして視界は次第に低くなり、その畔に降り立てば、爽やかな風が吹き上がる。グレイスは気持ちよさそうにその髪を撫でる風に目を細めた。そうして畔に近づき、ヨーフーイの姿を見て驚いた。それは黒い鷹の姿のヨーフーイと同じ姿だった。
「ニコライ、俺達は奇形だったんだ。俺は鳥の姿、グレイスは人の姿で生まれた」
そうしてグレイスは鷹の俺を抱きしめて、口づけをした。
「俺たちは2人で1人だった」
「2人で?」
「そう、そしてこの湖は俺達のお気に入りの場所だった」
ふいにざわりと不吉な音が聞こえ、グレイスの背中に矢が突き刺さる。ロープの付いた矢に引きずられてグレイスは湖に引きずり込まれ、そうして湖面に映ったジョサイアにも何本もの矢が突き立てられていた。
「俺はグレイスを助けようとしたが奪われた。そして傷が癒ないままグレイスを取り戻そうとしたが、グレイスを人質に取られた。第一、俺達は二人でいなければうまく力を操れなかった」
力。それがなにか、わかる。ジョサイアは風を吹かせて世界を巡らせ、グレイスはジョサイアの風にのって世界を癒やした。鳥の王たちの力。グレイスがいなければ、ジョサイアはその傷を回復できなかった。
「俺はやがて力尽き、力と記憶を失い、ただの鷹になった。そしてニコライ、君がおそらく、グレイスの子孫なのだろう」
「俺たちが……? 俺たちはただの人間だ。魔法なんて使えない」
目の前のヨーフーイはゆっくりと首を振る。
「ニコライ、気づいていなさそうだけど、俺が人の姿になれるのは君が俺を読んだ時だけなんだよ。きっとそれは、俺が君の兄さんを食べてグレイスの力が宿ったからだ。グレイス。いや、グレイスの魂。俺は君を守りたかった。それができれば、俺はいい」
ヨーフーイはそう呟き目を閉じた。その顔は真っ白だった。
「嫌だ、嫌だ、死なないで、ヨーフーイ! グレイスもそんなことは望んでいないはずだ」
ヨーフーイは眩しそうに俺を眺める。
「ニコライ、最後に俺の本当の名前を呼んで」
「名前……ジョサイア……?」
その瞬間、旨の内側からグレイスの魂の欠片と、その思い出が溢れ出した。ジョサイアを助けたかったこと。自分がいるからジョサイアが苦しんでいること。だから自分の力と記憶を封印した。そしてそれは同時に、魂を分けた双子のジョサイアのちからと記憶も封印してしまったのだろう。そうして王たちを失った鳥人は滅ぼされた。
自然と涙が溢れた。
「ジョサイア、君が記憶と力を失ったのはグレイスのせいだ。グレイスは君を、君こそを助けたかったんだなのに。最後なんて言わないで」
そして涙がジョサイアの体にぽたりと触れた時、薄っすらとジョサイアの体が光り始め、大きく開いていた傷口を満たし始めた。ジョサイアは薄っすらと瞳をあけ、驚いたように俺を見上げた。
「これは……? グレイスの力?」
「わからない」
そうしていつのまにか、ジョサイアの傷は癒えていた。ジョサイアは再び俺を抱きしめ、そうしてまたキスをした。何故だかそうするのが当然のように、昔からそうしていたように思えた。
「ニコライ、早く壁を登ろう」
「うん」
ロープに足をかけたけれどふらつた。力が全く入らない。俺に壁を登る体力はもはや残っていなかった。
「ジョサイアだけでも逃げて」
「嫌だと言っているだろう。それにグレイスを持ち上げるのは慣れている」
ジョサイアはロープを俺の体に巻き付けて鳥の姿になり、大きな翼を広げる。途端に強い風が吹き始め、体がふわりと持ち上がる。気がつけば空を飛んでいた。どんどん上がる高度に目眩がした。
「ジョサイア、もっとゆっくり。俺は飛ぶのは初めてなんだ」
「そうだな、とりあえず遠くに行こう。鳥人のことを誰もしらないような場所で飯を食うんだ」
「ああ、本当にお腹が空いた」
Fin