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鳥葬の国  作者: tempp
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墓所の青い空

 突然の強い衝撃に息が詰まり、体が硬直した。

 胸の痛みにげほげほと咳き込み、次に気づいたのは猛烈な悪臭で、染みた臭気にあふれる涙を拭ってなんとか目を開けた光景に呆然とする。目の前には無数の骨が転がり、というより何層にも敷き詰まれていた。土なんか見えそうにない。

 そして上を見上げれば、直径20メートル、高さ10メートルほどの高い壁に囲まれていた。血の気が引いた。ここは墓所だ。墓所に投げ込まれた。ケンケンといいう鳴き声を目で追えば、丸くぽかりと空いた青空に何羽かの黒い点が優雅に舞っている。その姿は気高く思え、そして墓所の底から見えた姿は何より恐ろしかった。

 あの鷹がどういう存在か知っていた。

 呆然としていればドサリと近くになにかが落下し、それが2つ年上の兄だと気づいた。そうして続いて、すぐ近くに落下したのが両親であることも。慌てて手を伸ばそうとしたが体は未だ動かなかった。兄は明らかに死んでいた。俺の方を向いて苦しそうに目を見開き、同時に背を向けていた。そうして俺の背後にまたドサリと重いものが落下する音がした。


 ようやく少し前の出来事、俺が意識を失う前と記憶が繋がった。

 俺たちの一族はこのあたりを当てどなく彷徨い、興行や占いで暮らしていた。そして昨夜町外れで野営をしていた時、野盗に襲われた。突然の怒号に目を覚ませば、パチパチとものが爆ぜる音とともにテントの外にはたくさんの赤く影がゆらめき、突然入口が開いて兄が現れた。

「ニコライ、すぐに逃げろ!」

 兄はそう叫び、兄を追うようにして現れた野盗に背後から襲いかかられ、床に倒れて揉み合いになった。

「逃げろ!」

 その声にテントの反対側から外に出た。兄を見捨てて。そうして俺も頭に衝撃を覚えて気を失った。結局、俺も助からなかったんだ。だから兄の死は無駄死にだ。俺は何もできなかった。

 優しい兄の姿が思い浮かぶ。俺なんかを助けに来なければ、兄だけでも逃げられたかもしれなかった。でも優しい兄はきっとそうはしなかっただろう。自分に対する怒りで強く握った指先がいつのまにか真っ白になっていた。

 ……そうしてきっと、みんな死んだ。何人もの人が投げ入れられるのをぼんやりと眺めた。見渡せば全員、簡素な肌着姿だ。おそらく身ぐるみを剥がされた。そうして町の人間が俺たちをこの墓所に投げ入れた。

 しばらくして上空から黒い何か、つまり鷲が降りてくるのを視界に収めた瞬間、なんとか手を伸ばして近くに兄の体を引き寄せた。せめて体だけでも。

 動く俺を見て、鷹は再び空に舞い戻る。

 節々の痛みを堪えて体を起こして見上げれば、青く晴れ渡る空に黒い影が増えていた。眩しさに思わず目を眇める。日差しが強く、遮るものはない。周囲に見えるのは空と壁と骨だけだ。


 この国では鳥葬が一般的だ。

 人が死ねば、その体は腐敗によって土を汚さないよう鳥が食べ、。剥がれた魂は空に浮かんで鳥とともに世界に帰る。そしてただ、清浄な骨だけがこの墓所に残される。墓所がいっぱいになれば壁を倒し土をかぶせ、骨はゆっくりと大地に帰り新たな土となる。だから……出口なんてない。

 気がつけば兄以外の家族とも呼べる一族のところにはすでに、何羽かの鷹が舞い降りていた。

 慌てて追い払おうと近づけば一瞬は鷹は離れるものの、俺が離れれば再び舞い戻る。そして兄の体を狙おうとする。兄を守りながら鷹を追い払うのは難しく、散らばる骨を投げても届かない。そうしていくうちに柔らかい部位に穴が開いていく。それでも動こうとしない家族の姿にその死を突きつけられて思わず目をそらす。

 せめて壁際まで移動しようと兄を抱きかかえれば、どうしようもなく冷たくなっていることに気がついた。知らずに目の端から涙がこぼれ出ていた。生まれてからずっと一緒だった。二つ上の兄だから、何をするにも俺と一緒だった。

「ニコライ、どうした。そんなに嫌そうな顔して」

 そんな声が聞こえた気がした。兄の突然の死を、心は認めることができなかった。この冷たい無表情が、もういちど微笑めばいいのに。


 重い体を引きずりながらなんとか壁際にたどり着き、散らばる骨片の上にゆっくりと兄を横たえた。もう、生きてはいない。白や茶色の骨は兄の体をまるでシクラメンの華のように兄を包む。

「何故」

 声は虚しく拡散する。

「なんで誰も助けにこなかった!」

 そう息を吐くのと引き換えに肺に吸い込まれた腐臭は兄や、家族の死が現実であることを次第に悟らせる。そうして自分がもう一人ぼっちになってしまったということを。

 野営地は町の近くだった。だからきっと、すぐに衛兵が来ることだってできたはずだ。火が付けばすぐに気がついたはずだ。けれども誰も助けにこなかった。

 理由はわかっていた。俺たちが彷徨う鳥の民だからだ。かつて神話の時代に鳥の王と人の王が戦った時、鳥の側についた民だ。だから俺たちは今も人の町に入ることができない。いつも危険な町の外で野営する。今も荒野に彷徨っている。


 けれど、たった一人になってしまった。見回しても俺以外は誰も立ち上がらない。全てを失った。家族も、家財も。そして俺の運命も。

 俺はまだ生きている。けれどただ、生きているだけだ。

 目の前には高い壁がそびえ立っている。足をかけるようなところなんて無い。ここから出ることなんてできない。そう悟って、急に力が抜けた。兄の冷たい手を握った。俺もここで死ぬ。ただちょっと遅いか早いかの違いだけだ。

 フーイと鳴く鳥の声が聞こえた。

 見上げるとひときわ大きな鷹が美しく舞っていた。思わず目を見張った。その鷹はまるで寝物語に聞いた鳥の王のように堂々と羽を広げ、俺の前に降り立った。とっさに兄の前で手を広げる。他に、俺にできることはない。

「どうか、兄を食べないで」

 俺を必死にかばった兄が無惨に食い散らかされるなんて、耐えられなかった。

「俺を食べてもいいから、どうか」

 鳥に言葉が通じるなんて思わなかった。けど、どうせ俺はここで死ぬ。だからなるべく、少しでも長く兄に傷ついて欲しくなかった。

 鷹は俺をじっと見て、僅かに頷いた、気がした。

 しばらく警戒しながら鷹の様子を伺っていたが、何故だか鷹は俺たちにそれ以上近づこうとはしなかった。未だに心は許せなかったけれど、そのことにほっと胸をなでおろした。

 俺達の一族には不思議な力があったことを思い出す。鳥と仲が良いということだ。俺達の頭上には時折守護するように鳥が舞う。水を探している時は、水場まで誘ってくれる。だからいつまでも鳥の民と呼ばれ、区別され、いつまでも荒野を彷徨い続ける。その恵みは同時に呪いと同義だ。

 けれど今は鳥に襲われることはない。……俺が生きている間は。見ていると、生きている俺を狙う鷹はいなかったが、兄をめがけて降りてくる鷹はいた。兄を守ろうと立ち上がった時、大きな鷹が声を上げた。そうすると他の鷹は逃げていく。

 堂々と鷹に命じるようなその姿は、やはり王を思わせた。このあたりの鷹の王なのかもしれない。

「ひょっとして守ってくれたのか?」

 その問いに返事はなく、鷹はふわりと羽を広げ、飛び立った。

 見上げれば、空が少しだけ薄暗くなっていた。鳥は夜目が効かない。だから夜の間、襲われることはない。周囲を見渡せば、すでに他の鷹の姿はなかった。そうして家族のほつれた姿を見て、嘔吐した。

 胃の腑が重い。そうして次第に空は段々と色合いをかえていく。朱に、藍に。壁に持たれて見上げた藍色に近くなった空を優雅に舞う大きな鷹のシルエットは、やはり鳥の王のように思われた。

「お前はいいな。どこにでも飛んでいける」

 胸のうちに無力感が広がっていく。やがて体の重さに眼の前が暗くなり、いつしか気を失っていた。

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