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風和物語

姉の代わりに結婚~瑠璃色の瞳に恋をしました~

作者: ムキムキゴリラ

 風が和やかに吹きますように。そのような願いで名がつけられたこの風和国(フウワコク)で和やかとは決して言えない声をあげている者がいた。

「絶対嫌よ!!!」

 熙子(ヒロコ)の二歳上の姉・淑子(ヨシコ)が幼子のように喚き散らしていた。その様を見て、またかと呆れ果てていた。姉はいつもあのように自分の気に食わないことがあると大声を上げ続けるのだ。綺麗な顔が台無しの振る舞いである。

「どうした?かわいい淑子」

「淑子さん泣かないで」

 両親は地団駄を踏んでいる姉を慰め、優しく撫でている。この家ではよくある光景だ。わがまま放題な姉に対して両親は砂糖が裸足で逃げ出すくらいどろどろに甘やかしていた。両親は美しい顔立ちの姉をひどく可愛がっている。一方、熙子は地味でパッとしないと邪険にされていた。熙子は自分の方に火の粉が飛んでこないように身を潜めた。時々、熙子ずるい、熙子がやればいいのに!と火の玉が飛んでくることがあるのだ。

「あんな糸目男と結婚なんてしたくないわ……!」

 まるで自分が悲劇のヒロインかのように姉は悦に浸っている。姉はもうじき名門・(アオイ)家の嫡男・元晴(モトハル)と結婚することが決まっていた。これは両親が姉に良家に嫁いで幸せになってほしいという願いと名門との繋がりがほしいという思惑が重なった結果なのだろう。それを姉は直前になって嫌だ嫌だとごねているのだ。

「淑子、何かあったのか?」

 父は心配そうに姉の頭を撫でた。

「何でも言ってご覧なさい」

 母は姉に優しく微笑みかけた。

「あのね、あたし、紫苑(シオン)様が好きになっちゃったの」

 姉はまるで子どものようにあどけない口調で言った。紫苑とはこれまた名門・(ウメ)家の若君だ。誰もが羨む気品溢れる美しい顔立ち、十八歳にして国王陛下の信頼が厚い、当代随一の貴公子である。

「そうか、わかった」

 父は何をわかったのだろうかと熙子は不思議に思った。父は時々その場のノリで分かった、頼りにしてくれ、何とかするなど宣うところがある。

「紫苑殿のことは私が何とかしよう」

 父は頼り甲斐がありそうな雰囲気を醸し出した。

「お父様ありがとう!」

 姉は嬉しそうに飛び跳ね、父に抱きついた。

「熙子、お前が元晴殿と結婚しろ」

「淑子さんのおかげよ。感謝なさいね」

 両親ははじめて熙子の方を見ると、冷たい表情で姉の尻拭いを押し付けた。直前になって、結婚破棄とは外聞が悪い。所詮家同士の繋がり、姉の代わりに妹で妥協してもらおうとの考えなのだ。

「はい、お父様、お母様」

 熙子はいつものように両親の命令に粛々と従った。十六歳の家に縛られた少女は両親に抗う術など持ち得なかった。それに、悪い話ではないだろうと熙子は前向きに捉えた。名門の嫡男の妻となることができる。そして、何よりこの家から逃げ出せるのだ。

 

 姉のわがままを押し付けられた熙子は結婚式になって初めて夫となる元晴と対面した。それくらい姉が駄々をこねる時期が直前だったのだ。おかげで準備がてんてこまいだった。式中もいろいろやることが多かったため、元晴の顔を見る暇もなかった。

「熙、おめでとう」

「ありがとうございます。お姉様」

 誰よりも派手な格好をしている姉が満面の笑みで話しかけてきた。その後ろには両親が控えていた。

「着膨れした子供みたいね、アハハハ!」

 姉は着飾った熙子を指差して笑った。熙子は頭が真っ白になった。人よりも小柄な体形は熙子のコンプレックスだった。どんなに大人びた振る舞いをしても、綺麗な衣服を身に着けても子供が背伸びをしているようにしか見えないらしい。姉のように綺麗で華やかな見目にはなれないのだ。

「淑子、今はやめなさい」

 さすがの父も体面を気にして姉の行動を咎めた。

「でも、本当のことじゃない?」

「……淑子さん、あちらにいるのは紫苑様ではなくて?」

「ホントだ!!」

 姉は母が指を差した方に駆けていった。母も父も気が気ではないようで姉の背を追いかけた。三人は熙子のために式に参加したわけではない。元晴の友人、紫苑との接触を図りに来たのだ。姉が向かった先には艶やかな紫の髪が靡き、スッと通った鼻筋、きりっとした目元が印象的な美しい人がいた。恐らくあの方が紫苑なのだろう。今日は元晴と熙子の結婚式にもかかわらず、誰より派手に着飾り、紫苑に興奮している。その姿を見て、多くの人が眉を顰めていた。熙子は姉が恥ずかしかった。両親が恥ずかしかった。そして、夫となる元晴に申し訳が立たなかった。

 

 式が終わって夜になった。所謂、初夜である。正直、元晴がどのような人か熙子にはどうでもよかった。ただ、あの家から出られると喜んでいた。姉には優しく、熙子には冷たい家。何が何でも早く出たかったのだ。

「熙子殿、はじめまして」

 熙子が寝室でじっと待っていると、元晴がやって来た。その時、ありきたりではあるが雷に打たれたような感覚を覚えた。頼り甲斐のある大きな身体に、勇ましい眉毛、極め付けは細い目からちらっと見える瑠璃色の瞳。それらが熙子の心を掴んで離さなかった。俗に言う一目惚れをしてしまったのだ。

「……元晴様、姉が大変失礼いたしました。今まで、さぞ迷惑をかけたことでしょう。申し訳ございません」

 熙子は緊張して頭が真っ白になってしまったが、言わねばならなかったことを口に出した。先程の式中の態度もそうだが、結婚の話を断ったことはじめ、姉はその他いろいろ迷惑をかけているはずだ。

「もうよいのだ。あなたも大変だっただろう」

 元晴は小さな身体を縮こまらせて謝る熙子の肩に優しく手を置いた。あたたかい手だ。熙子はどうしてあの人の妹にここまで優しく、気遣うことまでできるのだろうかと元晴を尊敬した。熙子は心の底からこの人が夫でよかったと感動していた。

「今日は疲れただろうからゆっくり休んでくれ」

 元晴はそう言うと、部屋から出て行ってしまった。熙子は拍子抜けした。そして、無意識に期待していた自分を恥じた。

 

 それから、あの両親のもとではあり得ないほど平和な日々が続いた。誰かの気分や機嫌に左右されることはない生活は熙子にとって生まれて初めてだった。元晴は時折、金平糖や綺麗な花などを手渡してくれる。小柄で地味な妹よりも綺麗な姉の方がよかったのかもしれないが、元晴なりに歩み寄ろうとしているのだろう。熙子はそのことが嬉しかった。元晴の父は忙しいようであまり姿は見えないが、彼の母は時々様子を見に来て熙子とお茶をしている。元晴の両親は二人仲睦まじく、手を繋いで共に出かけることもあった。元晴の家族の穏やかで優しい姿を見ていると、自分の両親や姉があまり健全ではないことに改めて気付かされる。熙子は薄ら悲しい気持ちになった。

 そのような日々が続いている中、女中の一人が忙しなく熙子のもとに駆け込んだ。

「若奥様!」

「どうしたの?」 

「梅家の紫苑様がお見えになっております」

 熙子はツーっと嫌な予感が背中を伝った。姉が何かしてしまったのではないかと危惧したのだ。

「お通ししてちょうだい」

 熙子は服装を軽く整えると、紫苑が通された応接間に向かった。

「はじめまして、熙子殿。梅家の紫苑だ」 

 間近で見ても、紫苑はとても美しい人だった。面食いの姉が惚れこむことも道理なのだろうと熙子は感じた。

「俺は保名(ヤスナ)だ」

 紫苑の隣にもう一人、男がいた。友人のようだ。

「ふふふ、あやつにはもったいない奥方ではないか」

 保名は大・金・星と扇を広げた。茶目っ気のある方なのだろう。

「とんでもございません。そのようなことは……」

 熙子は元晴と並ぶと自分の小柄さが際立ち、まるで子どものように見える。そのため、お似合いと言われるような夫婦ではないと感じている。

「……俺は世辞は言わんよ」

 にっこりと保名は笑みを浮かべた。この人もこの人で妙に妖艶で不思議な雰囲気のある人だ。

「今日は元晴のことで来たわけではないのだ」

「……もしや、姉が何かご迷惑を?」

 紫苑と保名は首を縦に振った。熙子はやっぱりと恥ずかしい気持ちになった。

「あなたの姉君は随分行動的な方のようで……」

 紫苑は疲れ切ったように遠くを見つめた。

「惚れ込んだ紫苑に毎日のようにあの手この手でアタックしているのだ。時には家や職場に待ち伏せし、時には髪や爪が混入した食べ物を贈りつけ、果てには紫苑のご両親に結婚のご挨拶と偽ってにこやかに談笑していた」

 恐怖!と保名は扇を広げた。 

「姉君だけならばまだよいのだが、ご両親まで介入なされているようで……」

 熙子は何も変わらず、人様に迷惑をかけている家族に頭を抱えた。

「申し訳ありません。わたくしに両親や姉を止める方法はわかりません」

 熙子は家族に抗う術はなかった。父に暴力を振るわれても反撃する力はなく、母に食事を減らされても歯向かう力はなく、姉に自分の物を奪われても取り返す力はなかった。

「……失礼ですが、紫苑様はどなたかとご結婚の予定はおありでしょうか?」

 熙子にはあの三人を制御する方法は終ぞわからなかった。しかし、もし、紫苑に結婚話があったとして、その相手の方と熱愛中という三文芝居などを打てば、さすがの姉も紫苑へのアプローチは止めるのではないかと考えたのだ。姉は自分の思い通りにならない人、自分のことを好きにならない人は毛嫌いするモンスターなのだ。

「ない。私は真に好きな方と結ばれたいのだ」

 紫苑は堂々と言い放った。自分の意志だけで結婚をしたいようだ。

「すまない。紫苑は面倒な奴なのだ、ふふふ」

 しょうがない奴というように保名は笑った。紫苑がいつも言っていることなのだろうと熙子は感じた。

「いいえ。……羨ましいですわ、本当に」 

 熙子は自分の意志で何かしたいと言える紫苑が眩しかった。熙子は家族のなすがまま、元晴の妻となった。熙子の意志を貫くことも持つことも許されていなかった。その結果、あんな素敵な方と結婚できたのだから、終わりよければすべてよしといえるかもしれない。しかし、それでも、熙子は自分で選んだ好きな殿方を、元晴をつかみ取りに行きたかった。

「熙子殿……」

 元晴が部屋の入り口に悄然と立っていた。いつからそこにいたのだろうか。

「元晴様、お帰りになっていたのですね」

「ああ……」

 熙子は笑顔で声を掛けたが、元晴はどこか憔悴しているように見受けられた。

「お疲れのようですわね」

「……大丈夫だ。紫苑、何かあったのか?」

「わたくしの姉が紫苑様にご迷惑をおかけしているようでして……」

「そうか」

 元晴も眉を寄せてやはりなと呆れた表情をした。

「父はわたくしの言うことには耳を貸しませんが、元晴様や紫苑様のお言葉は聞くと思いますの」

 父は権力という言葉に弱い人間だ。葵家と梅家の若君が揃って警告をすれば従うだろうと熙子は推察した。

「それはあなたの家の痛手とならないか」

「そうでもしませんと姉は止まりません」

 名門の若君二人が連名で警告をするのだ。彼らの体裁に傷がつく。名門二家に疎まれた彼らは周囲から爪弾きにされるだろう。だが、そうでもしないと父は姉の行動を止めないのだ。

「元晴、頼んでもいいか?」

「……ああ」

 元晴は渋々承諾した。彼もそうでもしないと姉が止まらないことをわかっているのだろう。

「ありがとう」

 二人は用が終わったため、帰って行った。姉が大変な迷惑をかけているようで申し訳ないと熙子は身につまされる思いだった。

「熙子殿、そこまでするのは紫苑のためか?」

 いつになく真剣な眼差し、固い声で元晴は熙子に問うた。

「……いいえ、この家のためですわ」 

 姉がこれ以上暴走すると元晴の名誉にもかかわることをしかねない。姉の不祥事は元晴のためにも防ぐべきだ。

「……あなたは他に」

「何でしょう?」

 熙子は顔をあげて元晴を見た。彼はいつになく暗い顔をしていた。

「……いや、何でもない」

 それから元晴はよそよそしくなった。熙子にはなぜか、自分が何をしてしまったのかわからなかった。聞いても答えはもらえなかった。ただ一つ確かなことは、元晴は熙子に歩み寄ることをやめたようだった。


 それから早五年。熙子と元晴の関係は仮面夫婦のようにぎこちないままだった。熙子は元晴にもしや誰か好きな方ができたのではないかと考え、断腸の思いで身を引こうと考えたこともあった。だが、熙子に帰る場所は他にない。彼女の実家は姉の放蕩や身勝手によって没落一直線のようで、経済的にも熙子を養う余裕はなかった。父は姉を家に閉じ込め、その狭い世界で彼女の好きにさせているようだ。姉は大きな子どものまま両親の庇護下のもと生きていくのだろう。

 概ね穏やかな日々が続いていた、ある夏の日。久々に元晴が熙子に言葉をかけた。

「熙子殿、その……、最近暑いな」

「ええ、そうですわね」

 久しぶりに業務連絡以外で話しかけられたので熙子は驚いた。何かあったのではないかと心配になった。

「その……、最近王宮では冷やした果物が重宝されているそうなのだ!」

 大きな声と同時に冷たい果物の詰め合わせセットを手渡してきた。

「ありがとうございます。皆で食べますね」

 この夏の暑さにみんな参っているのだ。女中の舞耶(マイヤ)にどのように分けるか相談しようと熙子は考えた。この五年で元晴以外の葵家の人間とは随分親密になっていた。元晴の父と母の三人でお花見をすることもあった。また、元晴の姉とは文通をしている仲である。

「……あ、あと、この簪を」

 元晴は熙子にべっ甲細工の大人びた簪を手渡してきた。熙子は自分に似合わないものだと反射で判断した。そして、もしや誰か側室を迎えるつもりではないかと勘繰った。冷えた果物と簪で熙子の機嫌を取ろうとしているのではないかと感じたのだ。

「……お気に召した方でもできましたか?」

 結婚してから五年、遅すぎたくらいだ。熙子は焼けるような心を必死で隠した。

「それは違う!」

 元晴は必死な声で否定した。熙子には夫が嘘を言っているのか、真実を言っているのか判らなかった。

「わたくしは気にしませんので、どうぞお好きになすってください」

 冷えた果物と簪を受け取ると、にっこり笑って熙子は元晴の前から逃げるように立ち去った。


 次の日、熙子は元晴の話を碌に聞かなかったことを反省し、謝ろうと思って、帰ってきた元晴を出迎えた。元晴は女性を連れていた。その姿を見て熙子は頭が氷水をかけられたように冷めきった。黒髪で背の高く、あのべっ甲の簪がよく似合いそうな方だった。

「熙子殿、違うのだ……」

 熙子が元晴の隣にいる女性を凝視している様に気づいたようで、元晴はか細い声で否定した。

「元晴様、わたくしは他の女性を作ることに反対はしておりませんのよ」

 熙子は涙を必死にこらえた。こんなところでは泣きたくなかった。

(ミドリ)とはそのような関係ではないのだ」

「翠?」

 熙子殿と他人行儀で呼んでいるにもかかわらず、その人は呼び捨てなのねと熙子は拳を握り締めた。

「二人でお話ししてもいいですか?」

 翠というらしい女が険悪な雰囲気になった二人の間に割って入った。

「……わかった」

 元晴は翠の言うことを素直に聞き入れた。熙子はしずしずと翠を応接間に案内した。

「改めまして、私は翠と申します。陛下の妃・琴音様の護衛をしております。私は先日、元晴様の意中の人に簪をお贈りしたいという相談に乗っただけです。断じて、元晴様と男女の仲ではありません」

「そうですの」

 恐らく二十歳前後だろう。熙子は自分と同じ年頃の女性だと感じた。それにもかかわらず、見た目が随分違うのだと衝撃を受けた。こんな小柄な自分なんかよりも元晴とお似合いだとそればかり熙子は考えていた。

「熙子様、どうしてそのように元晴様をお疑いになるのでしょうか。あの方は過去に何か過ちを犯したのですか?」

「いいえ!そのようなことは……」

「申し訳ありません。私は噂や事情に疎いのです。もしよろしければお二人の馴れ初めからお話ししてくださいませんか?」

 凪のような翠の声によって熙子の心は落ち着きを取り戻していった。そして、熙子は元晴と結婚した経緯や姉の醜聞はみんなが知っていることだと無意識に決めつけていた自分を恥じた。

「本当は元晴様とわたくしは夫婦になるはずではなかったのです」

 熙子は今までのことを言葉を選びながら説明した。結婚の経緯、姉と紫苑のこと、熙子は簡単に翠に話した。それでも、熙子の心は少しだけ軽くなった。ずっと誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

「なるほど……、それで、あなたは元晴様のことはどう思っていらっしゃる?」

「え、その……」

 一通り話し終えると、翠は何食わぬ顔で熙子の心臓に悪いことを聞いてきた。

「お二人の事情はわかりました。それで、熙子様は元晴様のことをどう感じていらっしゃるのですか?」

 ダメ押しでもう一度同じことを問われた。

「ひ、一目見たときから……」

 熙子はじわじわと顔が熱を持つことを感じた。首までも赤くなった気がする。

「ちなみに結婚して何年程になりますか?」

「五年になります」

「その間にご自分の思いをお伝えになったことは?」

「き、緊張してしまって……」

 五年も何もしていないことの情けなさから熙子は手で顔を覆った。

「元晴様は私に好きな人に簪をさしあげたいとおっしゃっていました。そのお相手はあなたですね?」

 翠は畳み掛けるように熙子に対して質問を続けた。

「たしかに、簪はいただきました。で、でも、違うかもしれません。わたくしなんて……」

 何もできないし、小さいし、子どもみたいであの簪が似合う素敵な人ではない。それに、元晴様は対等な相手として見てくれないだろうと熙子は尻込みした。

「一度くらいお気持ちを伝えてみてはいかがですか?」

「え?」

「私に騙されたと思ってね。袖にされたら愚痴くらい聞きますよ」

 熙子はその翠の提案を聞くと、顎に手を置いて熟考した。きちんと考えると、熙子は元晴にお慕いしているという気持ちさえ伝えていなかったのだ。元晴は同じ気持ちを返してくれないかもしれないが、好きだというくらいは許されるのではないか、一応妻なのだしと勇気が湧いてきた。

「そうですわね、一度くらいは……」

 熙子は一度だけという甘い響きに縋った。

「まずは、簪のお礼に何か元晴様に差し上げます」

 気持ちを伝える以前に誤解をして、元晴の話を聞き入れなかったことを謝りたいと熙子は思った。話を聞いてもらえないことは存外につらいものがあるのだ。

「いいですね」

「何を贈りましょう。翠さんどう思って?」

 好きな人に何を贈るかについて誰かに相談することは熙子にとって初めてだった。無意識に熙子の声は弾んでいた。

「私に元晴様がほしいものはわかりませんよ」

「あっ、瑠璃の耳飾りはどうかしら?元晴様の瞳の色なの!」

「はあ、……いいんじゃないですか」

 熙子は気持ちが昂揚していたため、翠と少し素っ気ない態度には意も介さず、元晴について考えていた。


 しばらくして、素敵な瑠璃の耳飾りが見つかったため、元晴の部屋を訪ねた。

「元晴様、今お暇でしょうか?」

「ああ、大丈夫だ」

 元晴の声に熙子は心臓が高鳴った。誰かに物を贈ることは初めてということもあり、とても緊張していた。

「先日は申し訳ありませんでした。翠さんにもとんだご迷惑をお掛けしてしまいましたわ」

「わかってくれればよいのだ!」

「お詫びの品です。受け取っていただけませんか?」

 熙子は元晴に瑠璃の耳飾りを手渡した。元晴は一瞬瞳を大きく見開いた。

「…………ありがとう」

 元晴は浮かない顔をして自分の部屋を出て行った。

「元晴様……?」

 その背には深い拒絶が感じられ、熙子は伝えたいことを口には出せなかった。自分はまた何かしてしまったのだろうか、もう手遅れなのだろうかとさまざまな想いがぐるぐると熙子の頭を巡った。

 しかし、熙子はこのままではまた気まずいまま五年が過ぎ去ると危機感を抱いたため、次の日の夜に元晴の部屋を再び訪れた。

「元晴様、今お暇ですか?」

「あ、ああ……」

 元晴の返事がしたため、熙子は意を決して部屋に入った。すると、元晴は小汚い袋を持っていた。

「それは、何ですの?」

「あっ、いや……その……」

 元晴は明らかに挙動不審な態度を取っている。熙子は大いに戸惑った。

「どうなさいましたか?」

「………………」

 元晴は無言のまま、意を決したように袋の中身を口に入れた。

「うごえッ!!ゴホッ、……ゴホッ!」

「何をなさっているのです?誰か!」

 熙子には全く状況が飲み込めなかったが、ひとまず人を呼び、苦しんでいる元晴の背中をさすった。毒でもあおったのではないかと嫌な予想が頭を駆け巡った。

「誰も呼ばないでくれ!!大丈夫だ」

「とても大丈夫とは思えません!!」

 熙子はなぜか人を呼びたがらない元晴が心配でたまらなくなった。

「私を見てくれ」

 少し落ち着きを取り戻した元晴に縋るように手を握りしめられた。

「え?」

 言われた通りに熙子は元晴をまじまじと見た。がっしりした身体つきに凛々しい眉。そして、細い目からちらっと見える瑠璃色の瞳。咳き込んでいたためか涙目となっており、キラキラとしている。初めて会った時と変わらず、熙子の心を掴んで離さなかった。

「熙子殿……、少しだけでもいいから、好きになってほしい」

 元晴は絞り出すように小さな声で言った。

「一目見た時からお慕いしております!!!!!」

 熙子は今まで生きてきた中で一番大きな声を出した。好きになってほしい?もうとっくに好きですけれど?という気持ちが溢れ出て止められなかったのだ。

「え?本当に?」

 珍しく大きな声を出した熙子に驚いて、元晴は目も口もぽかんと開けていた。

「はい……」

 我を忘れてなんてことを大きな声で言ったのだと熙子は火を噴くほどに顔が熱くなった。

「元晴様は?」

「……私も」

 元晴は耳元で聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で好きだと告げた。手で触れている元晴の背中が熱い。恐らく、自分と同じくらいの温度だろう。元晴が本当に同じ気持ちで自分を好いているのか熙子は確信できなかった。しかし、元晴は自分と同じくらい熱くなっているのだ。そのあつさを信じて、熙子は身を任せた。


 翌朝、熙子が目を覚ますと、元晴が戸惑った顔でこちらを覗き込んでいた。

「熙子殿、大丈夫か?」

「……ええ」

 熙子は思ったよりも声が枯れていて、少し気恥ずかしくなった。

「これをもらってきた」

 元晴は飲み物が入ったカップを熙子に差し出した。

「ありがとうございます」

 熙子は力の入らない腕で何とかカップを掴み、一口だけ飲んだ。生姜とレモンのいい香りがする。蜂蜜も入っているのだろうか。身体に染み渡る。

「その……、すまなかった」

「なにがですか?」

「……いろいろだ」

 何をするにもぎこちない様子の熙子に元晴は思うところがあったようだ。

「大丈夫ですから……。それよりも、元晴様、わたくしの贈った耳飾り、捨ててしまわれましたか?」

「まさか。ちゃんとここにある」

 元晴は鍵の掛けられた机の引き出しを開けて耳飾りを取り出した。

「わたくしが付けてもいいですか?」

「……うん」

 熙子はゆっくりと元晴の耳に手を伸ばして耳飾りをつけた。

「よくお似合いです」

 元晴の瞳と調和して思った通りよく似合うと熙子は悦に入った。

「私もいつかあの簪をあなたに付けてみたい」

 元晴は照れ臭そうに耳を触った。

「その……、次の休みの日に二人で一緒にどこか出かけないか?」

「それは素敵ですわ!」

 熙子は手を叩いて子どものように笑った。

 












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