五郎の履歴書
その日も嫁と一緒に居酒屋の開店準備をしていた。すると入口の戸が開き、柔道着を着て黒帯を締めた若い坊主頭の男性が入って来た。
「押忍!お世話になるっす!」とその若い男性が言った。
「まだ開店前だよ」と俺が言うと、
「いいえ、こちらで履歴書の指南をしてくれるとあっぷるちゃんに聞き、自分もお願いに参りましたっす」
「君はあっぷるちゃんの友だちなのかい?」ギャルと柔道着男じゃ釣り合わないぞ。
「押忍、そうっす」
「君も履歴書を書いてほしいのかい?」
「そうっす。自分も就職したいと考え、近々面接を受ける予定っす」そう言いながら柔道着男は胸元から履歴書が入った封筒を取り出した。
やや汗ばんだ封筒を受け取り、中の履歴書を広げる。
俺は柔道着男にテーブルに着くように促し、自分も向かい合わせに座った。嫁は斜め後ろに立ったままだ。
「君で4人目だから書いてもいいけど、・・・おい、ボールペンを取ってくれ」と俺は嫁に言った。
「筆記具は自分が用意してるっす」と柔道着男が言って胸元から取り出したのは筆ペンだった。
「これで書くのかい?俺、習字は苦手なんだが」
「自分には筆がふさわしいと考えてるっすが、自分もあまり筆がうまくないっす。大将、どうかよろしくお願いするっす」と言って頭を下げる柔道着男。若干暑苦しいが、礼儀正しい男のようだ。
「わかった、わかった。字は下手だけど勘弁しろよ。・・・まず名前を教えてくれ」
「自分は加藤五郎と言うっす。加藤は普通の加藤、五郎は野口五郎の五郎っす」
「加藤・・・野口五郎ね」と俺は聞いたまま履歴書に筆ペンで記入する。
「何となく嘉納治五郎に似ている名前だな。君にぴったりじゃないか!」
「『かのうじ・・・ごろう』?どなたすか、その人は?」
「昔の有名な柔道家だよ。孫娘の柔ちゃんも柔道の天才なんだよ」
「あの金メダルを取ったヤワラちゃんっすか?」
「そうそう」
「あんた、マンガと現実をいろいろと混同してるよ。あんたが言ってる柔ちゃんはマンガの『Yawara!』の主人公のことだろ」と後から嫁が注意した。
「そうだったかな?・・・まあ、いいや。で、生年月日は?」
「平成10年10月1日っす」
「おおっ!続けて読むと十十一・・・『柔道一直線』と読めるじゃないか?君にぴったりだな」
「どうもっす。・・・ところで『柔道一直線』ってなんすか?」
「昔そういうタイトルのテレビドラマがあったんだよ。もちろん柔道もので、地獄車とか二段投げとか、必殺技がばんばん出てくるドラマだったな。・・・確か原作マンガがあったような?」
「よくわからないっすけど、いい誕生日なら良かったっす」
「今住んでいるところの住所は?」
「東京都台東区上野公園っす」
「・・・上野公園ね。・・・え、上野公園?」
「はい。上野公園には自分と同じ格好をした西郷さんの銅像があるので、よくその前で夜を過ごしてるっす」
「上野公園の西郷像の前で夜を過ごす?・・・ホームレスじゃないのか?第一西郷さんが着ているのは柔道着ではないはず」と思いながらも、住所欄に「東京都台東区上野公園西郷像前」と書いた。
「性別は、当然男だな?」
「押忍!」・・・「オス」か。性別欄に「オス」と書こうと思って、どんな漢字だったかど忘れしてしまった。
画数の多い字は書くのが面倒だから、競馬で使われている簡単な字にしよう。「牝馬」と「牡馬」だったな。どっちがオスだったかな?
そう言えば昔、渡哲也主演の『無頼黒匕首』という映画を観たことがあったな。「匕首」で「ドス」と読むなら、こっちの方が男っぽいから、同じヒの字が入っている「牝」の方が雄なのだろう。ふりがなも付けておけば確実だな。
俺はそう思って性別欄に「牝」と書いた。
「電話番号とメールアドレスは?」
「自分は携帯を持ってないっす」と柔道着男こと加藤君。若いのにそれでやっていけるのかな?と心配になる。
「次は最終学歴と職歴なんだが」
「学歴は自由道高校卒っす」
「じゅうどう高校?柔道高校?変わった名前の高校だな?」
「ユーミンが歌った『中央フリーウェイ』こと中央高速のそばに建った私立高校なんで、『フリーウェイ』から『自由道』という校名になったそうっす」
柔道は英語でフリーウェイというのか?疑問に思ったが、俺も英語は達者じゃないので、聞いたまま「中央柔道高校卒」と履歴書に書いた。
「職歴は自由業、つまりフリーターをやってたっす」
「柔道」、いや「柔業」を「フリーター」と読むんだな、と思って「柔業」と履歴書に書いた。
「資格や免許は持っているかい?黒帯だから柔道初段だろ?」と聞くと、加藤君は首を横に振った。
「柔道はしたことないっす」
「はあ!?じゃあ、なんで柔道着を着て黒帯を締めてるんだ?」
「生地が厚いんで、これ一着で昼も夜も、1年中着れるから愛用してるっす」
「寝間着兼用だったのか・・・。冬はさすがに寒くないかな?・・・ほかに資格か免許は?」
「資格というか、柔道の気つけならできるっす」
「きつけ?」
「柔道の技で意識を失った相手の背中を膝で突いて、意識を回復させることっす。昔、友だちとやり合って遊んでいたっす」
「なるほど。着付けの免許か免状は持っているのかい?」
「友だちの中では自分が一番うまく、『お前は気つけ名人だな』って言われてたっす」
それを聞いて資格・免許欄に「着付け名人」と書いた。
「次は志望動機だな。そう言えば聞いてなかったが、どこの面接を受けるんだい?」
「引っ越し業者っす」
「引っ越しか。体力がありそうだから適職かもな。その業者を選んだ理由は?」
「制服が支給されるらしくて、それ目当てっす。この柔道着もだいぶ傷んできたんで」
「服が目当てか?」・・・まあ、普段から柔道着のコスプレをしているようなもんだから、そういうのに目が行くんだろうな。
「こんなんではどうだ?・・・自分は体力に自信があり、重い家具でもひとりで運べます。そんな自分は引越業が天職だと考えます。また、以前から御社の制服にも憧れており、その制服を着て仕事をしたいと熱望しています」
「だいたいいいっすけど、自分はあまり体力がないっす」と加藤君。
「そんなんでやっていけるのか?・・・まあ、志望動機は多少は盛って書いとくもんだ。少々力不足でも、何とかなるだろうよ」
「そうっすか?」
その時、以前にたっくんから横文字を多用してくれと頼まれたことを思い出した。しかし加藤君を見ていると、横文字が似合いそうには思えなかった。そこで見た目に合うように柔道用語っぽい言葉を使って、次のように書き直してみた。
「自分は柔道の技に自信があり、重い家具でも背負い投げできます。払腰、釣腰も得意で引腰業は天職です。以前から御社の制服の帯を締めることに憧れており、御社への就職を熱望しています」
「次は趣味と特技だな」と俺は言って、さっき聞いた「柔道着コスプレ」をまず書いた。柔道着を着て面接を受けるだろうから、変な格好だと思われてもコスプレが趣味と言えば納得してもらえるだろう。会社の制服に憧れているという志望動機も、コスプレ趣味と合致するしな。
そう言えば資格・免許欄に「着付け名人」と書いたが、これもコスプレと関係する。かなり辻褄の合ったいい履歴書になってきたぞ。
「ほかに何か趣味か特技はあるのかい?」
「・・・そう言えば、中学時代に自分は陸上競技をしていたっす」
「陸上?100メートル走か?それともマラソンか?」
「自分は幅跳びが専門だったっす。助走には自信があったっす」
「・・・そ、そうか」コスプレ趣味が高じて女装もするようになったのか?そして「はば跳び」?「はば」の字はどうだっけ?女装が趣味だから「婆」がついていたかな?
字がよくわからないのでとりあえず「婆」と書こうと思ったが、「婆」はちょっと品がない言い方だなと考え直して、代わりに「熟女」と書き、さらに「専門」と書き加えた。
「就職にあたって会社に何か希望事項があるかい?」と俺は聞いた。
「給料はもちろん高い方がいいっすけど、仕事に見合ってればいいっす。つまり、コスパ?・・・コスプ?・・・が良ければと思ってるっす」
「給料は・・・コスプレ重視で、と」と言いながら俺は希望欄に書いた。
「就職したら同僚や上司を連れてうちの店に来てくれよ」
「もちろんっす」と頼もしく答えてくれる加藤君。
「うちは安くてうまいよ。後悔はさせないよ」
「コスプのいい店ってことっすね。頑張って宣伝して誘います」
「期待しているよ」と俺は言って、希望欄に「コスプレのいいお店を知っています。是非一緒に楽しみましょう。やみつきになりますよ」と書いた。
これで書き上げたと思ったら、後ろにいた嫁が肩越しに見てきた。
「筆ペンで書いた文字はちょっと読みにくいけど、すべての欄が埋まっていい感じじゃない」と嫁。
「だろう?今回もいい仕事をしたな」
俺は筆ペンで書いた文字が乾いたのを確認すると、加藤君に履歴書を渡した。
「ありがとうっす」と感謝の言葉を述べて封筒に履歴書をしまい、胸元に入れる加藤君。
「面接も頑張りな」と俺は言って加藤君を送り出した。
それから2,3か月くらい経った頃だろうか?開店前の店に突然フリフリのピンクのドレスを着て、金髪を長く伸ばしたごつい体つきの女が入って来た。
「まだ開店前だよ」と言ったら、その女は、
「自分っす。加藤っす」と太い声で言った。
「ひょっとして、あの加藤君か?引っ越し業者の面接を受けに行った?」俺は柔道着を着ていた加藤君の姿を思い出した。
会社のユニフォームが着たいと言っていた加藤君だったが、なんでそんな恰好をしているのか?
「そうっす。おかげさまであの履歴書を見せたら、先方の社長と部長に一発で気に入られて、即入社が決まったっす」
「そ、それは良かったけど、なんでそんな恰好を?」
「実はこれは社長と部長の趣味なんす。就職してまもなく開いていただいた歓迎会の後で、お二人に誘われて女の衣装を着るお店に連れて行ってもらったっす。そこで無理矢理着せられて・・・」
「そ、そいつは災難だったな。社長と部長の趣味に付き合わされたのか。・・・しかしなんで今もそんな恰好をしてるんだい?」
「この服は就職祝いだと言われてお二人に買っていただいたっす。で、おそるおそる着てみると、けっこう着心地が良くて、今は会社以外ではこの衣装を着てるっす」
一張羅で過ごしているところは変わらないんだな、と思いながら、「そ、それよりうちの店に飲みに来るって約束はどうなったんだい?あれから一度も顔を見せなかったが・・・」
「実は女装バーというところで社長や部長と一緒に飲むことが多く、なかなかこの店に来ることができなかったんす。この格好でも歓迎してくれるんなら、社長と部長をお誘いして来ますが?」
「さ、さすがにその恰好じゃあなあ・・・」と俺は躊躇した。
どんな格好で飲みに来てくれても俺はかまわないが、他の客がからかいだして、収拾がつかないことになりそうだ。
「普通の格好で来てくれよ。なんなら柔道着でも構わないけど」
「柔道着は捨てたっす」と言われて俺はどうしたらいいかわからなくなった。
書誌情報
浦沢直樹/Yawara!(ビッグコミックス、1巻:1987年6月1日初版~29巻:1993年12月1日初版)
原作梶原一騎・漫画永島慎二(11巻から斎藤ゆずる)/柔道一直線(キングコミックス、1巻:1968年3月15日初版~13巻:1971年4月15日初版)
TVドラマ情報
桜木健一主演/柔道一直線(TBS系列、1969年6月22日〜1971年4月4日放送)
レコード情報
荒井由実/中央フリーウェイ(アルバム『14番目の月』所収。1976年11月20日発売)