たっくんの履歴書<前編>
「今度さあ、就職することにしたんだよ」と、たっくんが俺たちに言った。
俺は嫁と一緒に小さな居酒屋を営んでいる中年男性。金はないが、楽しく仕事をしている。たっくんは俺たちの居酒屋によく来る若い客で、フリーターをしている。年齢は20代半ばだと思う。今は開店前で、突然たっくんが店に入って来て、俺たちに話しかけてきた。
「そりゃいいことじゃないか。地道に働くのが一番だ」と俺はたっくんに言った。
「どこで働くんだい」と聞く嫁。
「幸町にある小さくてしけた会社だよ。でも、俺には大会社勤務なんて無理だから、この辺で手を打とうと思ってさ」
「身の丈にあった仕事をすればいいさ。がんばんなよ」
「それでさあ、就職の面接を受けに行く前に履歴書を出さなきゃいけないみたいなんだ」そう言ってたっくんはズボンのポケットから封筒を出した。
無造作にポケットに入れたせいか、封筒も、その中の履歴書もくしゃくしゃになっていた。
居酒屋のテーブルの上で履歴書のしわを手で伸ばすたっくん。
「でもさあ、俺、履歴書なんて書いたことがないから、おっちゃんたちに書き方を教えてもらおうと思って」
たっくんは一人暮らしで、親元から離れているらしい。だから親にも聞けず、友だちは友だちでまともに就職しておらず、親しい知り合いの中で唯一まともに働いている大人として行きつけの居酒屋の夫婦、つまり俺たちを頼って来たと言うことだった。
「たっくんのためならいくらでも協力するが、俺たちも履歴書なんて書いた覚えがないからなあ」
「なら一緒に書く内容を考えて、手伝ってやりなよ」と嫁が俺に言った。
「そうだな。・・・どうれ、とりあえず履歴書とやらを見せてみな」
俺たちの前に履歴書を出すたっくん。そこにはまだ何も記載されてなかった。
「じゃあ、一緒に書いてみよう」と俺が言うと、たっくんは胸ポケットに挿していた鉛筆を取り出した。
「おいおい、たっくん、鉛筆じゃなくてボールペンを使えよ。・・・持ってない?じゃあ、店のを貸してやる」
嫁がボールペンを取りに行く間、俺は履歴書を眺めた。氏名、生年月日、年齢、性別、現住所、電話番号、メールアドレス、学歴・職歴、免許・資格、志望動機、趣味・特技、本人の希望などを記載する欄があった。
顔写真も貼らなくてはならない。
「たっくん、写真はあるのかい?」
「おう、そこの写真屋で印刷して来たよ」そう言って写真を胸ポケットから出すたっくん。この写真はくしゃくしゃにはなっておらず、真ん中に一本しわが寄っているだけだった。
「おい、こりゃ誰の写真だ?」その写真には見たことのないイケメンが写っていた。
「俺だよ、俺。スマホで自撮りしてさ、アプリで少し修正したんだよ。顔を細くしたり、目を大きくしたり、鼻の孔を目立たなくしたり、肌を白くして、ほうれい線も消したんだ」
「元の面影が全然残ってない・・・。面接であったら相手がびっくりするぞ」
「カメラ映りが悪いと言っとくよ」
そのとき嫁がボールペンを持って戻って来た。
「じゃあ、書き始めてみるか」俺がそう言ったとき、たっくんのスマホが鳴った。
「あ、新吾からの電話だ。ちょっと待ってて」そう言ってたっくんは店の外に出て行った。
履歴書を見つめながらたっくんを待つこと数分。ようやく店に戻ってくると、
「ごめん、おっちゃん、おばちゃん。ちょっと急用ができた。ちょっと行って来るわ」と言った。
「おいおい、たっくん、履歴書はどうするんだよ」
「適当に書いといて」そう言い残してたっくんはあたふたと店を出て行った。
「・・・どうする?」嫁と顔を見合わす俺。
「書いといてって言われたから、わかる範囲で書いてあげたらいいじゃない」と、人に対しては親切だが、物事を深く考えない嫁が言った。
「そうだな」俺は嫁が持って来たボールペンを手に取った。
「まず氏名か。・・・たっくんの、名字は何だ?」
「う〜んと、・・・聞いたことがないねえ」
「じゃあ、名前を書けないじゃないか」
「でも、ここで飲みながらよく『俺はこの酔いどれ横町のキムタクだ〜!』って言ってたよ」
「キムタク?じゃあ、本名は木村拓哉か?・・・『たくや』はキムタクと同じ漢字でいいのか?」
「さあねえ?漢字はいろいろあるからねえ」
「しょうがないな。『たくや』はひらがなで書いておこう。・・・『木村たくや』。おい、このボールペン、赤じゃないか!?」履歴書に赤い字で書かれた『木村たくや』。
「ありゃ〜、間違えたね」
「黒のボールペンを持って来いよ」
「持ってくるけど、そこに書いた字はどうするんだい?ボールペンだから消しゴムで消せないよ」
「黒のボールペンで上からなぞるんだよ」
「そんなんじゃ赤い字を完全にごまかせないだろ?」
「そりゃあ多少ははみ出すかもしれないが・・・」
「二重に書く方が変に見えるよ。いっそのこと全部赤で書いたらどうだい?そしたら『間違えてません!自分の意思で赤ボールペンで書きました』って言い張れるよ」
「それでいいのかな?」
「いいんじゃないかい?」
「じゃあ、このボールペンで書き進めよう。次は生年月日か。・・・知ってるか、たっくんの誕生日?」
「え〜と・・・。あ、そうだ、たっくんが初めて店に来た日のことを覚えてるかい?」
「ああ、ある晩ふらっと店に入って来て、いきなり『酒をくれ』って言ってきたな」
「その時のたっくんが若そうに見えたから、あんたが『未成年じゃないのか?』って聞いただろ?」
「聞いた、聞いた」俺は当時のことをぼんやりと思い出した。
「そしたらたっくんが、『俺は今日二十歳になったんだ!』って言い張ったじゃない?」
「そう言えばそうだったな。じゃあ、あの日が20回目の誕生日か。・・・何年何月何日だったっけ?」
「確か閏年の二月二十九日だったじゃない?『こんな珍しい日が誕生日なのかい!?』って、店にいたみんなで盛り上がったじゃない」
「そうだったな。何年の閏年だっけ?」
「あの年は2016年だよ。その20年前が生年月日だよ」
「となると、生年月日は1996年2月29日か。・・・ちょっと待てよ。2月29日って4年に1回だよな?」
「そうだよ。だから珍しいんじゃないか」
「誕生日が4年に1回となると、4年で1歳、歳をとるんじゃないか?」
「そうね!じゃあ、4年かける20で80年ね。生年月日は1936年2月29日だよ」
「俺たちよりかなり年上になるな。全然そうは見えないが。・・・おっと、西暦じゃなくて元号で書かなきゃならん。1936年って、昭和・・・何年だ?」
「えっと、西暦の下2桁に25を足すか引くかすると昭和の年になるはずだから、・・・昭和61年だよ」
「俺たちより若いじゃないか。・・・見た目通りだけど」そう言って俺は生年月日欄に「昭和61年2月29日」と書いた。
「年齢は・・・あれから4年経ってないから、まだ二十歳だな」年齢を書き込む。
「次は性別か。・・・たっくんは男だよな、なよなよしてるけど?」
「どうだろうねえ。最近じゃ見た目や言葉遣いから男か女かわかりづらいからねえ。・・・わかんないから『その他』って書いときなよ」
「性別がその他って何だよ?」
「最近じゃあ性別は男女以外にいろいろあるらしいよ。同性しか好きになれない人とか」
「そんなのも性別に入るのか?・・・たっくんは見た目ロリコンっぽいけどな」
「ロリコンと言ったらオタクじゃないのかい?」
「オタクはほとんどがロリコンだろうが、オタク以外にもロリコンはいるんじゃないか?たっくんはよく小学生女児が持つような、ファンシーだっけ?そんな小物を持ってるじゃないか」
「じゃあロリコンでいいよ」と嫁が言ったので、俺は性別欄に「ロリコン」と記入した。
「次は住所だな。・・・お前、たっくんの住所を知ってるか?」
「さすがに住所は知らないよ。・・・前に友だちの家を泊まり歩いてるって言ってたのを聞いたことがあるから、ちゃんとした家がないんじゃないかい?」
「・・・とりあえず住所不定と書いておくか。・・・次は電話番号とメアドか」
「それなら知ってるよ」と嫁。
「何でお前がたっくんの電話番号とメアドを知ってるんだ!?まさかたっくんと浮気してるんじゃないだろうな!?」
「何馬鹿なことを言ってるんだよ。前に店が満席だった時にたっくんが来て、『席が空いたら連絡して』って言われて電話番号とメアドを聞いたんだよ」
「そうだったのか。安心したぜ」
「やだよ、この人は!年甲斐もなく嫉いちゃってさ」
「ははは・・・。とにかく番号とメアドを教えてくれ」
俺は嫁がメモに書いておいた電話番号とメアドを書き写した。
「メアドは、takkun-kuriimu5963@・・・か。そのまま読むと『たっくんクリームごくろうさん』だな。なんてメアドだよ」
「若いからいいけどね。・・・クリームって英語の綴りを知らないんだね」
「俺も知らん!・・・次は学歴・職歴か。たっくんの最終学歴は?大学に行ってるようには見えないが、高卒か?」
「さあねえ・・・。あ、そう言えば、誰だっけ?有名な野球選手と同じ小学校に通ってたって自慢してたことがあったよ」
「野球選手って誰だよ?もっとも名前を聞いたって出身小学校の名前はわからないが」
「野球選手の名前は忘れたけど、小学校の名前は・・・そうそう、大山小学校だよ。ただ、5年生の時に転校したって聞いたよ」
「その後は?」
「ろくに中学には行かなかったと言ってたと思うけどねえ」
「なら、大山小学校中退にしておくか。年は、昭和61年の11年後くらいか?昭和72年・・・って、平成何年だ?」
「昭和は64年で終わったから、64引いて平成8年だね」
「平成8年、大山小学校中退っと。職歴は?」
「フリーターだって言ってたけど、どこに勤めてたかねえ?・・・そうそう、一時期ウーパールーパーしてたって言ってた」
「ウーパールーパー?何だそりゃ?」
「あの、料理を運ぶ仕事だよ。自転車か何かに乗って」
「ああ、あれか。・・・じゃあ、職歴は『平成9年から現在まで、ウーパールーパー勤務』と書いておこう。・・・けっこう長いこと働いてるな?」
「閏年生まれだからね、実際は4で割った年数だよ。5年くらいかねえ」
「なるほど。・・・次は『免許・資格』か。たっくんは何か免許とか持ってるか?」
「聞かないねえ。・・・あ、そうそう!」突然嫁が手を叩いた。
「何か思い出したか?」
「去年、一緒に飲みに来た友だちと悪ふざけして、あんたが怒ったことがあったろ?」
「ああ、突然立ち上がって、友だちと丸めた雑誌でちゃんばらごっこを始めやがったな。『ここは食い物屋だから、暴れるな!』って怒ったぞ、確か」
「その時たっくんが『俺は免許皆伝だ!』と言ってた!」
「ちゃんばらごっこの免許皆伝?何だそりゃ?」
「何も書かないよりはいいだろ」と嫁に言われ、俺は免許・資格欄に「ちゃんばら・免許皆伝」と書いておいた。