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なんでやねんと歌姫は笑った。  作者: 烏有
第2章
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第92話 バイト先と彼女


更新が遅くなりましてすいません。




「おはようございます。マスター」

店に入るとマスターがカウンターで微笑んで出迎えた。

「おはようございます。時人くん」

「これ、お土産です」

「ああ。ありがとうございます」

先日行った旅行の土産をマスターに渡す。買ったのは焼き菓子。両親と行った際は地ビールを買っていたが流石に未成年では買うことができなかった。

「いつもの買いたかったんですけど……」

「いえいえ。気持ちだけでも嬉しいですよ」

マスターが紙袋の中身を確認してから冷蔵庫に入れていた。裏に入ってウェイターの服装に着替えてエプロンをつける。戻ってきても客は入っておらず店は静かだった。

「旅行はどうでしたか?」

「楽しかったですよ」

「少し焼けてますね。海には入られたのですか?珍しいですね」

毎年あそこには行っていたが海に入ることは早々無かった。近くで眺めることはあったが。

「そうですね。がっつり泳いだのは久しぶりです」

「それはよかったです。春人くんも元気にしていましたか?」

今年も家族で行っていたと思われているようだ。

「いえ、両親とは行かなかったんです。母の都合がつかなくて」

マスターが目を見開く。よっぽど驚きだったらしい。

「なるほど。それで……」

「ええ、僕だけではお酒は買えなくて」

「気を使わせましたね。時人くんそういうの選ぶの苦手でしょう?」

「悩んだので一番前にあったものにしました」

地ビールと決めていたら楽だったが改めて選ぶとなると悩んだ。朱音に背中を押してもらわなければもっと悩んでいたに違いない。

マスターは微笑んでからコーヒーを準備した。氷の入ったグラスに注いで俺に差し出す。

「いただきます」

どうぞ。とマスターに勧められるまま一口、二口と飲みすすめる。アイスコーヒーのきりっとした味わいに満たされる。冷たくて爽やかで飲みやすいそれは今の季節にぴったりだ。

マスターと世間話を続ける。暑くなるこれからの時間帯は涼を求めて客が入ってくる。段々と忙しくなることを予想していたがやはり少し忙しくなった。



いつもより人の出入りが多く少しバタバタとした。こんな状況は珍しい。気づけば時間は過ぎていてお昼をとうに回っていた。だが、残る客は中年の男性一人となって店内は静かな雰囲気になっている。そこに、カランカランと新たな客の入りを知らす音が鳴った。

「いらっしゃいま……」

「おつかれさまです。時人くん」

朱音がにっこりと笑ってそこにいた。本当に来たのかと思って朱音に微笑を返す。

「おや、おひさしぶりですね」

マスターが笑ってカウンターを指した。朱音はぺこりと頷いてその席に着く。

「覚えてもらえて嬉しいです」

「時人くんが誰かを連れてきたのは珍しいですし、大須も懐いていましたから」

前回の来店を覚えていたマスターと朱音が会話をしている。それを横目で聞きながらグラスの氷に水を入れて朱音の前に置く。

「ありがとうございます」

「何頼むか決まったらまた声かけて」

「はい」

朱音はメニューを見て悩んでいた。

「あーちょっといいかな?」

もう一人の男性客に声をかけられる。

「はい?」

「会計してもらえる?」

「少々お待ちください」

テーブルの伝票を開く。見るまでもなく値段はわかるが一応確認しておく。アイスコーヒーしか頼んでいなかったはずだ。

「210円ですね」

「じゃあ、これ」

男が小銭をテーブルにおいて立ち上がる。

「丁度ですね。確かに」

お金を集めてレジに集金する。男がぺこりと頭を下げて店を出て行った。

「ありがとうございました」

慇懃に客に礼をして挨拶する。マスターもカウンターでぺこりと一礼していた。

「あの、時人く

「あーすまん」

朱音から声がかかったがさっきの客が戻ってきた。朱音の注文はマスターに任せてこちらを応対しよう。

「どうされました?」

「郵便局に行くにはどうすれば?」

「あー、ちょっと待ってください」

ポケットからスマホを取り出して調べる。行く用事なんてなかったので近くの郵便局の場所がわからない。調べたところ近くといっても歩くにはそこそこの距離のようだ。

「今ここなので……、店でてからこの大きい道に出てもらって、こういってこうなんですけど……。行けそうですか?」

スマホを男に向けて説明する。男は首を捻りながらスマホの画面を凝視していた。

「時人くん、店も落ち着いてますし近くまで案内されたらどうでしょう?」

「本当かい?それは、たすかるが……?」

「わかりました。じゃあちょっと出てきますね。行きましょうか?」

マスターにそう言われて準備をする。朱音も何か言いたげだったが手を振っていたので微笑み返して店を出た。



「あ、あそこですね。見えました」

スマホ片手に道案内をしていた。不安だったので結局郵便局の近くまで来てしまった。

「ああ。たすかったよ。わるいね暑い中」

男はそう言って財布から一枚の札をとりだした。

「これで何か飲んでくれ」

「受け取れないですよ。仕事中ですし」

「まあまあ」

男は無理やり渡してきたのでありがたく受け取る。

「すいません、いただきます」

お金を渡して男は足早に去っていった。

陽は高く、熱気と湿気でとても暑い。手の甲で額の汗を拭った。近くの自販機で何か買って帰ろうかと思った瞬間ポケットのスマホが振動する。バイト中だったのでマナーモードにしてある。取り出してみてみると着信はマスターからのようだ。

『お疲れ様です。すみません今先ほどのお客さんと別れた所です。今から戻ります』

『暑い中、ご苦労様です。気をつけて戻ってきてください』

一言二言マスターと話して通話をきる。暑いし仕方ないと自分に言い訳をして自販機で炭酸飲料の缶を購入する。冷たいそれを額に当てて涼をとる。その場で半分以上飲み干して、残りを片手に歩き出した。



「戻りましたー。」

店に入るとエアコンの冷気が火照った体に染み渡る。一気に回復する気分だ。

「ご苦労様です。よければどうぞ」

カウンターでマスターがグラスと冷えたおしぼりを差し出した。グラスの中の氷とアイスコーヒーがくるくるとまわっている。

「いただきます」

マスターの横についてグラスを傾けた。冷えたコーヒーが体内に入っていく。冷えたおしぼりで額の汗を拭った。冷たくて心地よい。

「時人くん、おかえりなさい」

朱音がカウンターの前から話しかけてきた。朱音のほかに客はいない。俺がいなかった間に客も来なかったようだ。

「ただいま。相手できなくてごめん」

「いえ、マスターさんと話していましたから」

朱音はニコニコと答える。マスターと少しうちとけているようだ。もらったアイスコーヒーの残りを一気に飲み干す。カウンターの内側でグラスを洗っているとマスターと朱音がまだ何か話していた。

「そうですか。それで、貴方が時人くんと……。楽しい旅行になったようですね」

「はい。とても」

マスターの発言で色々察した。朱音は大分口が軽いらしい。まあ朱音も楽しそうに話しているのである程度聞かなかったことにしておく。

「マスター。流石に恥ずかしいのでその辺にしてもらえます?」

「時人くんに恋人なんて……。よかったですね」

「あの、父さんには言わないでおいてほしいんですけど」

春人はこの店によく来る。夜に来ることが多く、俺がバイト中に会ったことは今のところ無いが。

父である春人のことだ。まず母に伝わるだろう。そうなると少し面倒だ。あの母がテンション高く聞いてくる様子が目に浮かぶ。

「わかりました。春人くんには黙っておきます」

マスターがニコニコと答えた。朱音もこちらを見つめている。

「どうかした?」

「なんでもないです」

いまだ朱音はこちらを見つめている。

「そんなに見つめられると照れるんだけど」

「格好いいなって見てました」

「お、おう」

シャツの上にエプロンを着ているだけのウェイターの装いだ。髪をセットしてはいるもののただ流しているだけだ。

「エプロン着てるだけじゃない?」

「ちゃんとカフェの店員さんって感じします。カッコいいです」

「あー。ありがとう」

朱音がニコニコとしているので顔が熱くなる。後頭部をかきながら朱音に微笑み返した。

「……仲が良いみたいで何よりです」

マスターが温かい目でこちらを見ていた。小さいときから知っているマスターにこういうところを見られるのは少し照れる。

「マスター。その目をやめてもらえると助かるんですけど?」

「おや、そういうところは春人くんには似てませんね」

確かにあの父親なら照れたりせずに堂々と自慢しそうな気はする。マスターはくっくと笑ってこちらを見つめていた。

その後も客数は少なく退勤時まで穏やかな時間が流れた。朱音はすっかり店にうちとけてマスターと三人、仲良く会話をしていた。



「朱音さんも本日はありがとうございました。楽しんでもらえましたか?」

「はいとても。長くお邪魔してすいませんでした。また来ますね」

バイトの時間が終わるまで店にいた朱音がマスターに挨拶していた。

「時人くん。次のシフトは今週末でしたね?セットリストは決まりましたか?」

「あーまだ未定です。指定とかありました?」

「今回も無いです。時人くんにお任せします」

「じゃあ適当に考えておきます。では、お疲れ様です」

「お願いします。お疲れ様です」

朱音と並んで店を出た。既に日は暮れているが、気温は全く下がっておらず蒸し暑い。

「買い物して帰る?」

「そうですね、付き合ってもらえますか?」

「もちろん」

朱音に左手を差し出すと嬉しそうに手を繋いできた。しっかりと指をからめる恋人つなぎだ。

「……今日はどうでした?」

「楽しかったです。時人くんの接客姿見ることができて満足しました」

たまに来た客に接客していたとき、やたら視線を感じたと思えば朱音がばっちり見ていたらしい。

「満足してもらえてよかった」

「はい。……ところで時人くん、セットリスト?って何ですか?」

「あー曲順?みたいな」

「店で音楽でも流すのですか?」

「違うよ。定期的にやってるライブがあって弾き語りしてるんだよ」

そういうと朱音がキラキラとした目で見つめてきた。

「行きたいです!週末なんですよね?」

何となくこうなることは察したが別に秘密のことでもない。

「客も多くなるから今日みたいにゆっくりはできないだろうけどそれでもよければ」

「楽しみにしてます」

朱音がとなりで鼻歌交じりに歩きだした。

これはハードルが上がったな。失敗もできない。やれやれ。と、朱音に気づかれないように小さくため息をついた。

「あ、大須も来るって言ってたっけ」

「大須くんですか?それは楽しみも増えました!」

楽しそうな朱音に手の力を入れて返事をする。朱音も握る力で返した。

気温は蒸し暑いけれど、俺たちの距離が離れることは無かった。




ここまで読んでいただきありがとうございました。

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