第91話 恋人たちの夏休み
「生米のままフライパンに入れるの?」
「ピラフですし……?」
帰ってきた朱音がさっそく調理を始める。手伝えることは少ない。ただ、朱音の手さばきを見ていた。
自分の中でピラフとチャーハンがごっちゃになっていたようだ。
「ピラフとチャーハンって違いあるんだ?」
「私もそんなに詳しいわけではないですけど。フライパンで炊くのがピラフで、炊いたご飯を使うのがチャーハンだと思いますよ。」
朱音が手際よく作業をするのを見ていた。鼻歌交じりの朱音は機嫌がいいらしい。
「……カレーチャーハンの方がよかったですか?」
「そんなに変わるもの?」
「チャーハンの方がぱらっと仕上がりますね。炊いたご飯を炒めますから。」
「カレー味ならどっちでもいいかな。でも今日はピラフがいい。」
「そうですか。」
クスクスと笑って朱音は調理を続ける。カレーのいい香りが漂っている。
「この匂いはお腹空くって。」
「ですね。……もうすぐできますから。待てますか?」
「待てない。」
「い、急いで仕上げますので。がんばって耐えてください。」
朱音の冗談に乗って返すと朱音がせかせかとし始めた。それを見て笑っていると朱音が気づいたらしい。
「時人くん?」
「冗談だって。さすがに『待て』くらいできるから。」
笑いながら答えると、少し睨んでくる朱音が可愛かった。
「時人くんの分だけめっちゃ辛く仕上げます。」
「え?」
「大丈夫ですよ?食べられる範囲にしておきますから。」
「あの朱音さん?」
朱音はにっこりと笑って作業を再開した。
「辛い。」
朱音の料理は何度も食べているがこれまでで一番の辛さだった。それでも辛すぎて食べられないことは無く、暑くなりつつもクセになりそうな辛さだ。
「……辛くしましたから。」
朱音はツンツンとしながら答えた。辛いのは辛いがスプーンが止まらない。ここまで辛いものを食べたことは無かったが俺は辛いものが好きらしい。
勢いよく食べ進めていると、朱音がだんだん表情を曇らせていた。
「ごめんなさい時人くん、もしかして無理してますか?」
いつもより早く食べているのが無理やりかき込んでいると思ったらしい。
「ああ。違うよ。美味しくて止まらなくなってた。」
「本当ですか?少し汗もかいてるみたいですし、無理なら残してくださいね。あ、交換しますか?こちらは普通の辛さですよ?」
「本当に美味しいって。むしろ渡さないから。」
そう言って皿を自分の元に寄せる。それを見て朱音が笑った。
「よかったです。……やりすぎたかと思いました。ごめんなさい。」
「いいよ。それにそこまで辛すぎるわけでもないし。……ほら。」
一口分スプーンにすくって朱音につきだす。
「え?あ、あの。」
朱音の様子を見て気づいたがこれは少し気恥ずかしい。朱音も段々赤くなっている。
「あ、悪い。」
そのまま下げようとした瞬間、朱音がスプーンに食いついた。ゆっくりと朱音が口を離す。
「……辛いですね。」
朱音が口元を手で隠しながら小さく呟く。赤い顔で目線を外す朱音を見て俺も照れてくる。
「……だろ。」
コップの水を飲んで気を紛らわす。ちらりとこちらを見た朱音と目が合った。
「ちょっと恥ずかしかったです。」
「あーごめん。」
「……はい。」
朱音が一口分すくって俺につきだす。顔を赤くして腕をプルプルとさせてまでそうする朱音を見るととても愛おしく思った。遠慮なく食いついて朱音を見つめたまま口を離す。
「こっちも美味しい。」
自分の分と比べると圧倒的に辛味は無いが、優しいカレー味のピラフでおいしい。
しかし、朱音の使っていたスプーンで食べたこれをそう咀嚼しているのもなんなので飲み込む。
「時人くん、ずるいです。」
赤い顔のままの朱音は小さくそう呟く。
「もう少し照れてほしいです。」
朱音は少し拗ねた表情だ。
「照れるけどそれ以上に朱音が照れてるから。可愛いなあって気持ちのが強くなる。」
そう言うと更に朱音は顔を赤くして、その顔を手で隠した。
「……時人くんはもうアカン。」
「なにそれ。」
その後も朱音は小さくアカンと呟いていた。朱音は煙を上げて動きが止まってしまっている。少し笑ってから俺は食べるのを再開した。
朱音に一口あげたスプーンを使っての最初の一口は少し時間がかかった。
「これ美味しいです。」
夜ご飯を食べ終わって片付けも終えてから朱音とゆっくりと過ごしている。いつもより食べ終わるのも時間がかかったが、そのぶん朱音も平静を取り戻している。
ソファで二人並んで座った。午前と同じ触れる距離だ。
隣で特売で買ったチョコ菓子を一つ食べた朱音が目を開いて喜んでいる。遅れて一つ口に入れた。チョコを焼いたそれはサクサクとしてとても美味しい。
「たしかに。」
コーヒーとよく合う甘さだ。チョコとコーヒーの組み合わせは止まらなくなってしまう。
「止まらなくなりますね。」
朱音も同じらしい。自分の分に紅茶をいれた彼女は一つ一つ口に入れては楽しんでいる。
「朱音ってお菓子とか作ったりする?」
「作りますよ。」
不意に浮かんだ疑問が口に出た。それに朱音が食い気味で答える。
「何か食べたいものでもあるのですか?」
朱音が任せてくださいとでも言うように言葉を続けた。なんとなく口から出た言葉なのでそこまで考えて言ってはいないが、折角なので考えてみる。
「……シュークリーム食べたい。カスタードクリームの。」
「では今度作りますね。」
朱音は自信満々に答える。
「作ったことあるの?」
「無いですけど、レシピはなんとなくはわかりますよ。」
シュークリームの作り方なんて見当もつかないが朱音には見えているらしい。
「じゃあ楽しみにしてる。」
「任せてください。」
朱音は任せられるのが嬉しいらしい。笑顔でそういった。この感じだと明日にでも作り出しそうな勢いだ。近いうちに食べられるだろう。そんな未来を思いながら朱音の頭に手を伸ばした。朱音も察したのか若干頭を寄せてくる。そのまま髪を撫でると朱音が嬉しそうに笑った。
「今日ももう終わってしまいますね。」
朱音が帰るくらいの時間になって呟く。帰るのが寂しいのか少し甘えたげだ。
「朱音。」
隣に座る朱音の首に腕を回して肩から引き寄せる。朱音もこちらに身を預けて体重をかけてきた。
「……好きだよ。今日も明日も。」
朱音に昨日貰った言葉。昨日朱音が帰る直前寂しくなった俺にくれた言葉。
「ありがとうございます。私も大好きです。」
しばらく目を閉じていた朱音がよし。と言って立ち上がった。
「帰りますね。」
「わかった。」
帰り支度を始める朱音をみつめる。といっても荷物はそう多くなくトートバッグにエプロンなどをさっと入れて終わる。
「明日、時人くんのバイト先に遊びに行くの楽しみにしてますね。」
「昼過ぎくらいならそんなに忙しくないと思うから。俺は早めに行ってるから朱音も適当な時間においで。」
「……じゃあお昼はご一緒できない感じですか?」
朱音はまだ少し寂しがっているらしい。
「夜は一緒に過ごせるから。」
「仕方ないですね。我慢します。」
しゅんとなった朱音が可愛らしい。小さく笑って朱音に近づく。撫でようと手を伸ばした。
「だから今日はもう少し甘えます。」
そういって朱音が胸に飛び込んできた。急だったので倒れそうになるも持ちこたえて受け入れる。朱音が腕を回して抱きしめてくるので朱音の髪を撫でた。
「こんなことされると俺も寂しくなるんだけど。」
「ふふふ。ずっとこうしていたいです。」
朱音が顔を胸に押し付けるようにしているので少し痛い。なんとなく腕の力も強い気がする。一瞬更につよくなったかと思えば朱音が腕を離した。
「よし。……帰りますね。」
そのまま朱音は玄関まで歩き出す。その後ろを追った。
「おやすみなさい。時人くん。明日楽しみにしてますね。」
「おやすみ。朱音。」
朱音がゆっくりと扉を開けて帰っていった。
リビングはいまだほのかにカレーの香りがする。
夏休み、朱音が毎日来てくれるのはとても嬉しいが、毎日別れが惜しくなるのは辛い。俺にこんなに誰かを愛おしいと思う日が来るとは。
左の手を開閉して気を入れ替える。寝る準備をしよう明日はバイトもある。シャワーを浴びてさっさと寝てしまおう。
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