第90話 恋人たちの夏休み
「あー朱音。ちゃんとミュートできてない。」
昼を過ぎた頃。朱音のギターの練習に付き合っていた。
昼ごはんを食べて少し休憩を経てから始めた練習は苛烈を極めた。
俺も朱音も昼前の触れ合いで少し緊張していてそれを吹き飛ばすかのように集中していた結果だった。
「うー。はい。もう一度最初からいきます。」
朱音がしていたのは簡単な曲のコピー。コピーといっても耳コピでなく楽譜をなぞるものだ。
フォーカウントから朱音がコードを弾き始める。丁寧なコード進行を意識してもらう。今は一つ一つの音を綺麗に出せるまで練習してもらおう。
ドラムセットに座ってハイハットでカウントを丁寧にとる。朱音はそれに合わせて弾いてもらっていた。
料理などで発揮されていた手先の器用さはここでも生きていた。最初躓きがちなそもそも弦を押さえられないといったことはないらしい。コレまで何回かしていたが、ギター自体は鍵盤より朱音に向いてそうな気さえする。
「あ。」
朱音がミスをした。音を鳴らすのを止めて朱音は腕を振る。
「ちょっと休憩しようか。」
「そうですね。少し疲れました。」
朱音の集中も切れてきたらしい。丁度いいタイミングだ。ふうと座った朱音を置いてリビングに向かった。何か飲み物でも入れよう。グラスに氷と麦茶を入れて寝室に戻った。
「ありがとうございます。」
朱音にグラスを渡すと礼を言って飲み始めた。
「朱音ギター上手いよ。俺のときより掴みはいいと思う。」
「本当ですか?嬉しいです。」
ドラムセットの椅子にもう一度座る。
「鍵盤でしっかり練習してたからリズム感もつかめてるし、あとは左手の運指がスムーズに動けばどんな曲でもコードで弾けるようになると思う。」
「がんばります。」
「もうちょっと休憩してて。」
朱音は頷いてからこくりこくりとゆっくり麦茶を飲んだ。俺も一口飲んでから自分の分のグラスを横に置いてスティックをもう一度握る。さっきから朱音のために簡単な4つ打ちしかしていなかったので叩きたくなった。
スネアをタンタンと叩いてフィルインに繋げる。ハイハットを開閉してドラムペダルを踏み込む。ドンドンとバスドラの音がお腹に響く。要所要所でシンバルを重ねていく。バスドラのリズムは乱さない。でも、時折ツインペダルでドドドと拍子を変えて遊ぶ。
ドラムはそこまで叩けるものじゃなかった。この電子ドラムも父親のものだ。それでもたまに叩きたくなる。今日もだいぶ久々に遊んでいるがやはり楽しい。気も乗ってきてスティックを回しながらシンバルを叩き続けてからタタトンとタムで締めた。
ふうと一息ついて隣に置いておいた麦茶を飲む。朱音がこちらをキラキラと見つめながら拍手をした。
「ありがと。」
「すごいです。かっこいいです。」
朱音はパチパチと拍手を続ける。その反応が心地よい。
「時人くんのドラム初めて見ました。何でもできるんですね。」
「ここにある楽器だけね。他は触ったこともないし。」
ギターとベース、キーボードにドラム。
「時人くんはバンドを組んだりとかに興味はなかったんですか?」
「無かった。誰かと合わせるのは楽しいけどバンドとなると面倒くささが勝つ。」
父親がドラムを叩くときに合わせたり、マスターとたまにギターを弾いたりすることはあったがそれ以上は無い。
そもそも一人でずっとしていたのだ。自分が弾きたいように弾いて演奏するのが楽しい。
「……そうなんですね。」
「あ、朱音に教えたりするのが面倒とかじゃないから。楽しんでやってるし。」
「それはわかってます。ちょっと気になっただけです。」
朱音はクスクスと笑った。俺の言葉に嘘はない。朱音とするこのレッスンは楽しい。そしてそれは朱音にも伝わっていたらしい。
「朱音がバンドに興味あるの?」
「いえ……。でも、もっと弾けるようになったら……。」
「なったら?」
朱音がたっぷり間をおく言い方をした。ちらちらとこっちを伺っている。
「時人くんと……いっしょに弾きたいです。」
「それくらいなら喜んで。」
朱音は微笑んだ。
「そう言ってくれると思いました。」
ニコニコと朱音が楽しそうにしている。
「……じゃ、上手くなるために再開しようか。」
「はい。」
再度練習を始める。また部屋の中には楽しげな音が響いた。
「時人くん、買い物行ってきますね。」
練習を終えて朱音が冷蔵庫を見ながら話した。材料が足りないらしい。
「俺も行くよ。」
「……じゃあつきあってもらいます。」
朱音が嬉しそうに笑った。
夕方でも外は暑そうだが朱音一人買い物に行かしてひとりクーラーの効いた部屋にいるなんていられない。
「いつものスーパー?」
「そうです。」
財布とカギとスマホ。最低限のものをポケットにつめて家を出る準備をする。遅くもならないだろうしエアコンはつけっぱなしだ。
俺の準備ができたのをみた朱音はトートバッグを肩にもって玄関に向かう。その後ろに続いた。
玄関の扉をあけるとむわっとした湿気と熱気が全身を包む。空調の効いた部屋にいた分余計に暑く感じる。
「暑いですね。」
「なら家で待っててもいいよ。俺行ってくるし。」
「嫌です。いっしょに行きたいです。」
朱音がそう言って右手を差し出した。一度笑ってから左手で朱音の手を掴む。
「……やっぱり俺も一緒がいい。」
えへへ。と笑って朱音が歩き始める。繋いだ手に引っ張られるように俺も続く。
「時人くん何食べたいですか?」
スーパーまで歩きながらの道のり、朱音がこちらを見上げて問う。
「カレーピラフが食べたい。」
「カレー好きですね。」
クスクスと笑った朱音がそう言った。
「カレーライスとカレーピラフは別物だからセーフ。」
「たまに出る時人くんの謎理論。面白くて好きです。」
「ありがとう?」
朱音は繋いでいない方の左手で口元を隠しながらふふふと笑った。
「カレーピラフですね。任せてください。美味しいの作りますから。」
「楽しみにしてる。お腹すいてきた。」
「気が早いですよ。」
右手でお腹辺りをさすって見せると朱音はまたも笑った。
「むむむ。醤油が安いですが先日買い足したところです。」
朱音が特売品となっていた醤油を持ち上げながら呟く。店の中では流石に手は繋いでいない。朱音のすぐ後ろをカートを押して続く。
「買って置いておけば?」
「いえ、止めておきます。まだまだ無くならないですし。」
醤油を棚に戻して朱音が歩を続ける。
「ピーマン安いですしいい感じですね。」
必要なものはポンポンとカートに飛び込んでくる。時折掴んで悩むことはあっても基本的に朱音は止まらなかった。
「あ……。」
立ち止まったのはお菓子コーナー。特売のチョコ菓子に視線がいっていた。それを一つ掴んでカートに入れた。
「美味しそうだな。これ。」
「気になりますね。新作なのに特売なんて。」
「食後の楽しみってことで。」
朱音と見合って笑う。
「相変わらず仲が良いんだね。」
後ろから声がかかった。爽やかな声の彼は夏休みに入ってみていなかった顔だ。
「久しぶり。友里。」
「お久しぶりです。松山くん。」
友里は相変わらずの爽やかさで笑った。
「二人とも元気してた?」
「それなりにな。友里も元気そう……いや、夏バテ?」
友里は少しやつれた気がする。
「あはは。父様のしごきが厳しくてね。少し痩せたよ。」
夏休み忙しいと言っていた友里はやはり大変な日々を過ごしているようだ。
しばらくスーパーの通路で話していたが友里はあまり時間がないらしい。そろそろ帰るよ。と言って別れようとした。
「あーところで長月さん。」
「はい?」
「うまくいったんだね。おめでとう。」
「え、いえ。あ、ありがとうございます?」
友里が朱音に微笑んで言う発言に朱音が驚いた。
「何の話だ?」
「付き合ってるんだろう?」
「お、おう。まあ。うん。」
「だからさ。おめでとうって。」
「ありがとう。」
友里はそう言うとレジに向かって去っていった。
「……朱音が何か友里に言った?」
俺たちが付き合い始めたことを友里はどこで知ったのだろうか。
「いえ、私はなにも……。」
朱音にも心当たりはないらしい。
「竜が話したとかかな。」
「でしょうか……?」
二人で首を傾けたがわかることは無い。くすりと朱音が笑って買い物を続けることにした。
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