第88話 甘えと寂しさ
朱音がタマゴと鶏肉を用意して作った晩ご飯は親子丼だった。
「あまり、お腹すいてなくても丼だと食べれたりしません?」
そう言って朱音がテーブルに配膳した。ご飯は少なめにしましたから。と言っていた通り小さ目の器だった。
甘めに味付けされたそれは出汁の味もしっかりとしていてぺろりとたいらげてしまった。
「おかわりつくりましょうか?」
食べる勢いをみていた朱音がクスクスと笑いながら提案した。
「んー。悩むけどやめとく。ありがとう。ごちそうさま。」
「いえいえ。お粗末さまです。」
二人食べ終わって朱音が片付け始める。旅行帰りなので疲れているだろう朱音を手伝おうとすると断られた。
「私に任せてください。時人くんお疲れでしょう?」
「いや朱音も疲れてるだろ?」
「そんなことないですから、ゆっくりしていてください。」
そう言って朱音はお湯を沸かしている。なにか飲み物を作る気だろう。
朱音が折れないのはわかったのでソファに体を沈めた。
「コーヒーでいいですか?」
「ありがとう。それで。」
答えると朱音は片付けに戻った。手際のよい朱音は作りながらほとんど片付けは終えている。晩ご飯に使った分だけ洗うことになるので今日は数も少ない。飲み物が出来るくらいには朱音の作業も終わるだろう。
ソファの背もたれに体を預ける。背骨がポキポキと小気味のいい音をたてて体が伸びる。
食後の満足感と丁度いい疲れ。伸びた姿勢が眠気を誘う。目を閉じればそのまま落ちてしまいそうだ。
そのまま眠気と格闘しているとソファの隣が沈んだ。
「あ、もしかして寝てました?」
「いや、起きてたよ。」
朱音を感じて目を開く。ソファの前のテーブルにコーヒーが置いてあった。
「ありがとう。」
体を起こして一口啜る。苦めの粉を薄めに入れてある。好みの味わいだ。
朱音がすぐ隣で微笑んでいる。旅行前より近くに座っている。寄れば触れる距離ではなくすでに触れている距離。肩と肩が触れている。
なんとなく朱音に触れたくなって腕を朱音の後ろから回す。そのまま朱音の髪を撫でた。柔らかい髪がサラサラと指を抜ける。
「朱音いい匂いがする。」
髪を撫でるとシャンプーの匂いがした。シャワーを浴びてきたらしい。
「時人くんもいい匂いがします。安心できます。」
朱音が顔をこちらに向けてそのまま胸に頭を預けた。
「安心か。だから熟睡できたって?」
今日の電車で朱音が言っていたことが理解できた。俺も今眠ればきっと朝まで起きることはないだろうってほど熟睡できそうな気がしたからだ。
「……そうです。」
朱音が顔を上げずに答える。小さな声のそれは照れを示していた。耳も赤くなっている。どこに照れる要素があったのかわからないが朱音には刺さったらしい。
「このまま寝てもいいよ。」
「うぅ。今日は……ダメです。」
「そうか。」
「楽しみは……お泊りの日にとっておきます。」
それでも朱音は顔をあげずに額をぐりぐりと押しやった。地味に痛いがここまで甘える朱音が可愛い。
そんな朱音とお泊りか。朱音が楽しみにしているらしい。
色々頭によぎることはあったけど全て押し込めて朱音の髪を撫でることに専念した。
「あー。やばい。寝そう。」
「寝そう。というか少し寝ていましたよ。」
気づけば意識が若干飛んでいた。腕の中の朱音が見上げて微笑んだ。無意識に抱いていたらしい。
「時人くん眠たそうですし、そろそろお暇しますね。」
朱音が緩んだ腕から抜け出そうとした。あらためて腕に力を込めた。
離れかけた朱音をもう一度だけ抱き寄せる。あっ。と小さく驚いたが朱音は抵抗無くそのまま抱かれた。
「時人くん?」
眠たいのも事実だが、朱音と離れたくない。二人になってあらためて別れが惜しい。明日また会えるのもわかっているのに。
朱音が腕を伸ばして俺の頭に触れる。ぎこちなく撫でながら朱音が微笑んだ。
「私も離れたくないですよ。でも、明日また会うのも楽しみです。」
ゆっくりと腕の力を抜く。俺の脱力を感じた朱音が慎重に立ち上がった。
「時人くん。好きですよ。今日も明日も。」
少し屈んだ朱音が短く抱きしめて呟いてから離れる。心のうちまで見透かされているようだ。今ほしい言葉を俺にくれた。こんな朱音が俺の恋人だということに改めて驚かされる。
「ごめん。朱音。ありがとう。」
「……なんのことです?」
朱音はクスクスと笑って何も聞いてないかのごとく振舞った。
俺の一瞬の弱気は流してくれるらしい。
「でも、時人くんはもっと甘えてくれていいですよ。」
そう朱音は悪戯っぽく笑った。
「……今日は、やめとく。」
朱音に甘えてしまうととことん甘えてしまいそうだ。俺が朱音をそうさせたいと思っているように。
「残念です。」
ふふっと朱音は笑った。
俺も立ち上がって朱音の帰りを見送ることにする。
「時人くん、明日のご予定は?」
「あー、一応何かあった用に空けてた。」
普段、インドアな自分のことだ。旅行なんて行けば体力を使い切って次の日なにもする気がなくなることは読めていた。
「では、明日は朝からお邪魔してもいいですか?」
「もちろん。待ってる。」
朱音は嬉しそうに笑った。そのまま手を振って朱音は帰っていった。
一人になったリビングはとても静かだった。また少し寂しくなったが明日も朝から会える。さっさと気持ちを押し込めて寝てしまおう。
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