第87話 旅行からの帰宅
喫茶店一推しのランチセットのブリオッシュはとても大きかった。
それだけでお腹いっぱいになるほどのサイズのそれに竜も満足したらしい。もちろん味もよく最後のドリンクまで楽しんだ。
時間もそれなりに流れて俺たちは帰ることにする。歩いて駅まで向かってちょうどきた電車に飛び乗る。
満腹感と疲れ、心地よい揺れもあって電車のボックス席に着くとそれぞれ順番に寝てしまった。
「水樹、起きなさい。」
肩を叩かれて目を覚ます。どうやらまもなく降りる駅に着くようだ。目を開くと対面に座っている萩原が呆れた顔をしていた。萩原以外寝てしまっていたらしい。萩原の隣で桐島と竜がいまだ寝ている。
肩に重みを感じて隣をみると朱音が肩に頭を預けて寝ていた。不意の寝顔に驚く。おかげでしっかりと目を覚ませた。
「ほら、結、竜くんも起きて。」
「ん……。」
萩原が桐島と竜を順に起こしていく。桐島が艶かしい声をあげてから目をゆっくりと開く。竜はまだ目を覚まさないようだ。
「朱音。」
「……はれ。時人くん。」
名前を呼ぶとびくりと肩を震わせて朱音は目を開いた。
「おはよう。」
声をかけると朱音はまだまどろんでいる。俺もそうだが朱音も睡眠時間が短かった。この短時間でも朱音は熟睡していたらしい。
「えへへ。」
朱音は寝ぼけているのかへにゃりと笑ってまた目を閉じた。そのまま頭を肩に預けて再び眠りにつこうとする。
「……朱音。起きて。」
このまま寝かしておきたい気持ちも競りあがってきて少し葛藤もあったが我慢して朱音を再度呼び起こす。
「んー。」
ようやく朱音がぼんやりと目を開けた。
「おはよう。朱音。」
肩の重みが外れたかと思えば朱音が少し距離をとった。
「お、おはようございます。」
その反応に少し笑ってしまう。
「ごめんなさい時人くん。重かったですよね。」
「いいよ。気にしてないから。」
そのまま少し痺れる腕を上げて朱音の頭を撫でる。満足げに目を細めて嬉しそうにする。
「時人くん。」
今度は目を開いたまま肩に頭を寄せた。
「これは……すごく熟睡できるわけですね……。」
「どういう意味?」
朱音の言葉の意味がわからなかったが朱音の声から嬉しそうなのはわかった。
「内緒です。」
「そうか。」
教えてはくれないようだったので仕方なくそのまま頭を撫で続けた。
「……あのね、家じゃないのよここ。」
「見せつけてくれるよねー。ほんと。」
萩原と桐島がやれやれと言う風に反応した。その言葉に俺も朱音も照れて顔を赤くした。うっかりそうしてしまうくらいには俺も寝ぼけていたらしい。
何か反論しようとした瞬間に竜が足をがくっとさせて目を覚ました。
「うおっ。……びっくりしたー。」
「俺たちのほうが驚くからやめろって。」
反論する言葉もひっこんで竜にツッコミをいれる。竜以外のメンバーから笑いが零れた。
「じゃー俺たちはこっちだからー。」
昨日の朝、合流した駅のコンコースで三人と別れる。さっきまで眠ってしまっていたこともあって夕方のこのまま解散することになった。
「楽しかったねー。」
「そうね。」
「楽しかったです。」
女子達が三人で最後に写真をとっている。
「気をつけて帰れよ。」
「おー。そっちこそなー。」
竜が肩を叩きながらカラカラと笑う。
「いろいろさんきゅーな。また連絡するわー。」
「こちらこそ。お疲れ。」
「水樹くん、誘ってくれてありがとうね。楽しかったー。」
「急に参加することになって迷惑かけたわね。ありがとう。よろしく言っておいてもらえる?」
「楽しかった。二人も気をつけて帰って。」
桐島と萩原もそれぞれ礼を告げて手を振った。俺たちも別れを告げて駅を後にする。
「朱音。」
改札を抜けて三人の視線から外れた頃に朱音に左手を差し出す。
「はい。」
手を繋いで家に向かって歩き始めた。
「楽しかったですね。」
朱音が今日を振り返るように呟く。
夕方時、太陽は段々と沈み始めていた。
「楽しんでもらえてよかった。」
「忘れられない旅行になりましたから。」
こちらを見上げて微笑みながら朱音は言葉を続けた。ゆっくりとした歩幅で歩き続ける。
「時人くんに全て話して。受け入れてもらって。……時人くん。好きです。」
あれから朱音はよく好きと言ってくれる。ずっと言いたかったとも言っていた。その度に俺も心が温かくなる。
「俺も忘れられない。」
朱音に微笑み返して繋いだ手を一瞬解く。疑問に満ちた目で見上げる朱音にもう一度微笑んで手を繋いだ。今度はしっかりと一つ一つ指を絡めて。
「朱音。これからもよろしく。」
恋人つなぎに変わったことで朱音も驚いていたが朱音の方から手に力がこもったのがわかる。今度は簡単に解けなさそうだ。
「もう逃がさないですよ。」
「逃げる気なんてないし、逃がす気もない。」
今朝に似たようなことを言った気もするがあらためて伝えると朱音はまた嬉しそうに笑った。そして、更に体の距離を縮める。左腕全体に朱音の体が感じられる。
「流石に少し暑いですね。」
照れた朱音が笑いながら言うが距離を開ける気は無いようだ。
「じゃあ離れる?」
「嫌です。」
朱音は握っている手に更に力を込めて気持ちを伝えてきた。そのまましばらく嬉しそうに微笑んでいたが急に朱音は顔色を変えた。
「あ、え、まって時人くん。」
急に動揺し始めた朱音が手を離そうとしたのでその手に力を込めて逃がさない。
「どうした?」
「いえ、あの……汗が。」
どうやら急に気になったらしい。
「いまさら?」
朱音の反応におかしくなって笑ってしまう。
「え、だって気にしたら止まらなくなって。というか時人くん今更ってどういうことですか。今までもってことですか。」
段々と早口で手を払おうとするがその手は解けない。
「俺が気にしないからいいって。」
「私が気にするんです。」
「だめ。」
俺が逃がさないとわかったらしい。朱音は渋々と離そうとしたのを諦めた。
「もう時人くん。意地悪です。」
「俺が離したくないっていうわがままだから。ごめんね。」
「そんなこと言われたら……許してしまうじゃないですか。」
朱音の歩幅にあわせてゆっくりと家路を歩いた。
「晩ご飯はどうされますか?」
「あーどうしよう。そこまでお腹すいてはいないんだけど。」
マンション近くまできてこの後の確認をする。
「そうですよね。私もです。」
「今日のところはなにか軽く済ませて早めに休もうか。」
「そうしましょうか。……では、作り置きのでもいいですか?」
朱音は用意してくれるようだ。何か買って帰ろうという意味で言ったのだが、朱音が任せてほしそうなので任せよう。
「じゃあ頼んだ。」
「任せてください!」
手を繋いだまま朱音は少し前にでて前から笑顔で期待してください。と言った。
一度荷物を置くためにそれぞれの家に帰った。玄関の扉を開けて部屋に入る。
リュックの荷物を色々仕分けて、リビングに戻る。そのままソファに沈み込みたくなったが朱音が来る前にさっとシャワーを浴びてしまおう。
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