第72話 ランチに紅茶
今日も少し短めです。
時刻はお昼を少し過ぎたほど。前もってこれくらいにお昼にしようと朱音と決めていた。
水族館を出て少し歩いた場所にあるカフェレストラン。通りから離れた場所にあるその店はランチタイムのピークを過ぎた今、何組かがゆっくりと午後のお茶の時間を楽しんでいた。
店員に通されたその奥のテーブル席は静かで落ち着く雰囲気だ。
「おしゃれなお店ですね。」
「紅茶が有名らしくて一度来てみたかった。」
ランチセットでドリンクを紅茶にして注文する。朱音も同じものを注文した。
「静かで落ち着きます。」
「いい席に通してもらえてよかった。」
水族館を出るときに予約しておいて正解だったようだ。
朱音と水族館の感想などを話していると店員がランチのパスタを持ってきた。
「いいにおいですね。」
運ばれてきたのはきのこがメインのクリームソースでタリアテッレのパスタが絡んでいる。
「美味しそう。」
「そうですね。いただきましょう。」
フォークを使って一口分、口に運ぶ。
「美味しいですね。時人くん。」
「そうだな。美味しい。」
もちもちとしたパスタにきのこがいいアクセントになってとても美味しい。
「……時人くん?」
「どうした?」
「いえ……。あまり美味しくなかったでしたか?」
朱音が不安げにたずねた。
「え、美味しいよ。」
もちろん美味しい。
「そうです……?」
「美味しいけど……。何か朱音のクリームパスタのが好きだなって。」
「な、なんですか。」
朱音はフォークを口に入れたまま黙ってしまった。
もちろんこの店のパスタも美味しいのだが、朱音が前に作ってくれたパスタの味付けの方が好みにあっていた。
「また作ってよ。」
「……気が向いたらです。」
朱音は嬉しそうに微笑んだ。
パスタを食べ終わった頃を見計らって店員が紅茶を運んできた。
「今日はマスカットティーです。」
テーブルでカップにティーポットから注がれる。とくとくとカップが満たされるにつれてマスカットのいい香りが伝わってきた。
「ごゆっくりどうぞ。」
丁寧な動作で一礼してから店員がテーブルから離れていった。
「すごいマスカットです。」
朱音の感想はシンプルだったがそれゆえにその思いも強く伝わってきた。それほどマスカットの香りが強い。
「そうだな。」
キラキラと紅茶を見つめている朱音に小さく笑ってカップを持ち上げる。
鼻先にダイレクトに香りが届く。美味しそうだ。そのままカップを傾けて口に含む。
「美味しい。」
俺の呟きを聞いて、香りを楽しんでいた朱音もようやく口に入れる。
「本当ですね。美味しいです。」
かわらず朱音はキラキラと輝きのある目でカップを見ていた。
店内は数組の客が話す声とかすかに流れているボサノバが遠くに聞こえる。この席はとても静かでまるでここだけ違う店にきたようだ。
この店はどうやら店員が定期的に巡回していてその度にカップが空いていると紅茶を注いでくれるようだ。毎回持ってくる紅茶の種類は変わっていて色んな味、香りを楽しむことができる。
マスカットティーをこくこくと飲みながら朱音と話をした。
「……紅茶はとても気に入ったみたいですね。」
「紅茶は。って……。さっきのパスタも美味しかったさ。」
「そうですか。」
朱音はクスクスと笑った。
丁度店員がちがう紅茶が入ったティーポットを持って現れた。次もフレーバーティーで今度はライチのようだ。
さきほどとは違うが今度もいい香りだ。
「これもいい香りですね。」
朱音は今度も気に入ったようだ。
「……そういえば時人くんの家ではじめていただいたのも紅茶でしたね。」
そう言われて思い出した。朱音が急にカレーを持って現れたあの日だ。
「カレーの対価に演奏を求められたあの日か。」
「……そう聞くとすごい変な話ですね。」
朱音は苦笑いをしていた。
「あの紅茶も美味しかったです。」
「……懐かしいな。」
「あの……時人くん。」
「なに?」
朱音はもじもじとしながら言い淀んでいる。
「あの日、時人くんは適当に淹れたって言ってましたよね?」
「あー多分?」
覚えてはいないけど言ったような気もする。
「時人くんがちゃんと淹れた紅茶も飲んでみたいです。」
思い返せばここ最近は朱音が飲み物を準備することも多かったし、そもそもそこまでこだわりが強いわけでもなかったのでコーヒーもインスタントばかり飲んでいた。
「あー……気が向いたらな。」
さっきの朱音と同じ発言をして、俺たちは笑いあった。
お互いに気が向く日はきっと近いのだろう。
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