第71話 水族館にペンギン
「時人くん!すごいです!たくさんいますよ!!」
大きな水槽の前で朱音はテンション高くはしゃいでいる。朱音が指差す辺りを回遊魚はゆったりと優雅に泳いでいた。
「わかったって。見えてるから。」
油断すると朱音が先に駆けていきそうになるので左手の力を緩めないように気をつけていた。
水族館内の照明は暗かったが、朱音の眼鏡の奥はキラキラと明るかった。
「泳いでますねー……。」
「さ、魚だからな。」
朱音の不思議な感想に思わず笑いながら答える。朱音は自分が呟いたことにも気づいておらず水槽を眺めていた。
大きな水槽の前で動かずじっと魚を見つめている朱音は楽しんでいるようで、ここに連れてきてよかったと思えた。
「あー朱音。大きい水槽で感動するのもわかるけどそろそろ見て回ろう?」
確かにそうですね。と朱音は小さく照れて笑って俺の左手を引っ張って歩き出した。
朱音は小さな水槽から大きな水槽まで一つ一つ立ち止まってはしっかりと解説も読んでいた。その度に可愛いとか、不思議です。と感想を告げる。時折、展示の前から立ち止まって動かなくなってしまうので、その都度、納得した頃合を見計らって出発を促した。
「時人くん!今ならペンギンにエサをあげられるみたいです!行きましょう!」
館内放送を聴いた朱音がそう告げた。そんな笑顔を見せられると断ることなんてできやしない。
「行こうか。」
「はい!」
朱音に引っ張られるようにペンギンのいる場所へと向かった。
があがあ、きゅーきゅーと鳴き声をあげているペンギン達が飼育員に集まっている。
俺たち以外にも何人かの客がエサやりに来たらしく数人の人が周りにいた。
「ではエサの魚をお渡しするので順番にペンギンさんたちにあげてくださいねー。」
間延びした声で飼育員が客に魚を渡していく。
家族で来ていた小さな男の子が父親と一緒にエサをあげていた。
「何か……いいですね……。」
それを見ていた朱音が小さく呟く。その瞳は憧れをうつしていた。
握っていた手に力を込める。それに気づいた朱音が握り返した。
「時人くん、一緒にしてくれます?」
「もちろん。」
二人でエサをもらってペンギンに与える。近づくと意外に目つきや嘴の中の牙が鋭く少し恐怖感があった。
魚を飲むように食べるペンギンに朱音も満足げだ。
「はいーありがとうございましたー。」
次の方ー。と指導員に促されて列を後にする。
「可愛いですね。ペンギン。」
「お、おう。」
朱音はペンギンが気に入ったようだ。
その後、魚を触った手を洗うためトイレで二手に分かれた。
先に出てきたようで朱音の姿は見えない。近くの柱に寄りかかって朱音が出てくるのを待った。
「……お待たせしました。」
朱音が出てきたようで声がかかった。だが少し俯いた顔で表情が見えない。
「……今度はどうした?」
「時人くんが待ってくれているのを見て……、あらためてデートに来ているんだな。と実感してました。」
微笑みながらこちらを向いた朱音の破壊力にやられてしまう。思わず手で口元を隠して朱音から目を逸らす。
「……どうも。」
言葉が出てこなくて、適当な相槌をうった。それが面白かったのか朱音はクスクスと笑い始める。
「では、行きましょう?」
朱音から手をつないで歩き出した。大体は見て回れたので残りはもう少なそうだ。
海獣のエリアではイルカたちのアクティブな動きに圧倒された。
見た目のファンシーさが気に入ったようでまたもしばらく動かなくなってしまった朱音に呆れつつその横顔をしばらく眺めていた。
「イルカショーは終わってしまったばかりみたいですね。」
ペンギンのえさやりからイルカのショーはタイミングが微妙に合わずに間に合わなかった。イルカの水槽の前でタイムスケジュールを見た朱音が呟いた。
「今日は諦めよう。」
次のショーまで時間が大分空いてしまう。
「……見たかったです。」
「だから、また来ようか。」
「そうですね。次は見ます!」
また来てくれるみたいだ。嬉しそうに笑った朱音を見てこちらも嬉しくなった。
「時人くん、ペンギンがいますよ。」
水族館の展示の最後はショップエリアだった。大きなぬいぐるみのペンギンを抱えて朱音が喜んでいた。
「そのペンギンは可愛い。」
「……やっぱり時人くん、本物は気に入ってませんでした?」
妙な言い回しになったので、朱音は納得がいったようだ。どうやら態度にも出ていたらしい。
「気に入っていないというか、ぬいぐるみほどの可愛さはないかなって。」
「そうですか。」
誤魔化しきれていないようで朱音はクスクスと笑いながらそう答えた。
しばらくモフモフとそのぬいぐるみを抱えていたが、名残惜しそうに元の位置に戻した。
その後もしばらく物色を続ける。あちこちと手にとりつつも朱音は何も買おうとはしなかった。
「何も買わない?」
「悩んでるんですけど、今買うとこの後持ち運びに困ってしまうので……。」
事前に今日の行程は伝えてあったので、この後のことを考えると荷物が増えることをよしとしていないらしい。
アクティブに動き回るわけではないがしばらくぶらつくのに邪魔だと思ったのだろうか。
「……そっか。」
そうして俺たちはショップから出た。もう出口も近く、水族館は満喫できたといえる。
すみません。と言ってトイレに向かっていった朱音を見送って、俺はもう一度ショップに戻った。
「時人くん、それ……。」
ギリギリだったが朱音が戻ってくるまでに間に合ったらしく、出てきた朱音は手に持っていた袋に驚いていた。
「朱音に買った。気に入ってたみたいだし。」
中身はさっきのペンギンのぬいぐるみ。
「え、でも、そんな。」
「俺が持っておくからいいよ。じゃ行こうか。」
「悪いです。せめてお金は払います。入館料だって受け取ってくれなかったじゃないですか。」
財布を取り出そうとした朱音を止めてその手をまた繋いだ。
水族館に入るチケットを買うために受付の列に暑い中並びたくなかったので事前に買っておいた。入ってすぐに朱音が驚いていて、その分払おうとしたがそこも押し切った。
「いつも朱音には世話になってるから。今日ぐらい格好つけさせて。」
朱音の反論をする余地を残さないようにそのまま歩き出す。
「時人くんは。ずるいです。」
「それを聞くのも何回目かな。」
「……やってずるいもん。」
そう言いつつ朱音は嬉しそうだ。
水族館を後にしてこれから昼ごはんにしよう。と告げると朱音はニコニコと微笑んだ。
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