第31話 満腹のせい
ケチャップが香ばしいにおいをあげている。ナポリタンをつくっているらしい。
「喫茶店のイメージひきずってない?」
キッチンに問いかけると図星だったようで笑いながらその通りです。と返ってきた。
俺たちは買い物を終えて帰って来た。
夏のせいで店を出てからしばらくはお互いにぎこちなかった。すべては夏のせい。
それでもしばらく歩いていれば緊張なんてほぐれるようで、スーパーに着くころには普通に会話をしていた。
俺がカートを押して彼女が必要なものをカゴに入れていく。迷うことなく食材を入れていたためその時点でナポリタンに決まっていたようだ。
店で食べても良かったが、やはり朱音の料理は捨てがたい。今もテーブルに運ばれた皿から期待をさせる湯気があがっている。
「喫茶店のものと比べちゃダメですよ。」
「そんなことしないって。……マスターには悪いけどこっちのが美味しそう。」
「比べてるじゃないですか。」
朱音がクスクスと笑いながら配膳を終える。具材たっぷりのナポリタンが目の前に置かれた皿に山盛り乗っている。
「……多くない?」
「作りすぎちゃいました。」
朱音が分量を間違うなんて珍しいこともあるもんだ。
「いただきます。」
朱音も席に着いたので食べ始める。山盛りのナポリタンに一瞬躊躇うもフォークを突き刺して口に運ぶ。
「美味しいよ。」
火を通して酸味を飛ばしたケチャップの味がまったくしつこくない。ウインナーやピーマンも強すぎない主張をしていていいアクセントだ。こちらの感想を聞いてから満足そうに彼女も食べ始めた。
それでもさすがにこの山盛りは多すぎたようだ。食べ終わるのに時間がかかってしまったし、なにより満腹を通り越している。しばらく動きたくない。
椅子に座ってふうふうと息を整える。
「……全部食べられたんですね。」
朱音も食べっぷりに驚いたらしい。
「美味しかったし。……しばらく動けないけど。」
「残してもよかったんですよ……?」
「朱音のご飯残すとか無いから。」
そういうと彼女は嬉しそうに照れて笑った。
彼女がいれたお茶を飲みながらお腹が落ち着くのを待つ。優雅な日曜日の午後だ。
「俺はしばらく動く気ないけど、弾きたいならあっちの部屋使っていいよ。」
時間ができてウズウズしている朱音の気持ちを察して提案しておく。
「え、うーん。……では、待ってますので早く来てくださいね。」
朱音は一度笑って隣の部屋に入っていった。
……待っているなんて言われたら行かないといけないな。
まだお腹は重たいけれど仕方ない。小さくやれやれ。と呟いて息を吐きつつ立ち上がる。
扉に入ると朱音がキーボードの前に座っていた。
こんなにすぐ来るとは思ってなかったようで驚いている。
「……来てくれたんですね。」
「ベッドで寝てる方が楽かなって。」
キーボードはまだ電源がついていなかった。電源を入れて音色を調整する。
「ありがとうございます。」
勝手につけて弾いてもらってもよかったのだが、遠慮でもしていたのだろうか。
まあこれで音もでるのであとは好きにさせる。
「もうちょっと休憩さして。……いま横について教えられる状態じゃないから。」
ベッドに腰をかけて彼女の方を向く。本当に横になる気はなかったが、そのまま背中を倒した。
「あれだけ食べたら当然ですよ。」
そう笑って朱音が指を走らせ始めた。あのバラードだ。イントロから弾いている。
少し聞いて倒していた上体を起こす。上達がすごい。
起き上がったのに気づいて音が止まる。
「え、なにかありました!?」
「いや、上手くなったなって……。」
正直侮っていた。こんなに早く上手くなるわけがない。
そこまで一人の時間も無かったはず。最近の食事事情がそれを示している。
「そ、そうですか?」
始まって数秒で判断されたようで不思議に思っている顔だが嬉しさを隠し切れずに口元がヒクヒクしていた。
「うん、指が動くようになってる。」
「やった。」
頬を染めてニコニコと笑顔になる朱音。ああ、学校の男子がこの顔を見るとノックアウトされるだろう。
そのままあのバラードを弾きつづける朱音を見ていた。小さいミスはあるし、リズムのよれもある。もともとスローテンポのバラード。その本家のテンポよりゆっくりではある。でも聞いていて曲がわかる。
練習の量もさることながら熱量が高いのだろう。俺も始めたての頃はそうだったかもしれない。
もう一度背中を倒して目を閉じる。聞き入っていたが、満腹の腹具合でゆったりと心地のいい鍵盤の音を聞いていると気づけば眠ってしまっていた。
意識が覚醒する。上体を起こして鍵盤の方を見ると朱音はそこにいなかった。
リビングに戻ったのだろうかと思って立ち上がろうとしたが近くに気配を感じた。
「え……。」
すぐ隣に同じように足をベッドから放り出して寝ていた朱音がいたので不意に声が出た。
メガネを外した素顔だ。長い睫毛が無防備にさらされているのを初めて見た気がする。
小さめの唇は少し開いていて寝息がすうすうと音を立てている。その度に彼女の胸が小さく上下した。
こんなにじっくりと見る機会も無かったので見続けてしまう。その寝顔からしばらく目を離せなかった。
……油断しすぎだろう。先に寝ていた俺もわるいが、異性のクラスメートのベッドでそう寝ることなんてないだろう。
信頼しているのか。……なにも考えていなかった。なんてことも朱音ならありえるかもしれない。
普段そこまで出すことはないし、もともと薄い方だとは思っているけど俺だって高校生の男子なのだ。それなりに思うことはある。
ため息をついた。息とともに何かが身体から抜けて少し落ち着く。
「んん……。」
朱音が体勢を変えた。あらためて彼女の顔を見る。長い髪が頬にかかっていた。
その髪を梳かすように掬う。羽のような軽さと柔らかさだった。
これ以上触っても起こしかねない。俺もたっぷりと寝かしてもらったのだ。しばらく寝かせておこう。
起こさないようにそっと立ち上がって寝室からでた。
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