第30話 夏のせい
「おじいちゃんおはよー。」
カウンターに立つマスターを見つけて大須が元気良く挨拶をする。昨日帰るのは遅くなったはずだがそこに疲れは見えない。
「マスターおはようございます。」
ワンテンポ遅れてマスターに頭を下げる。大須と朱音を空いていたテーブルに座るように促した。店の中に客はおらず貸しきり状態だ。
まだ昼前とはいえ少し暑かったからか椅子に座った大須が自分の帽子で扇いでいる。
「大須、時人くんおはようございます。……昨日は助かりました。ありがとうございます。」
マスターは穏やかな微笑みで礼をあらわす。
「あー、大須は大人しかったし、僕も楽しかったので。」
少し休憩してから帰ろうと飲み物を準備するためカウンターに入る。
「……時人くんが誰か連れてくるのは珍しいですね。」
大須と話していた朱音を見て少し驚いた表情でこちらに言った。
「昨日電話で話した朱音ちゃんだよ!」
何か言う前にテーブルから大須の声が飛んできた。
「はじめまして。長月朱音といいます。」
朱音はマスターに向けて頭を下げる。
「貴女が……そうですか。大須が世話になりました。ありがとうございます。」
マスターがカウンターに入った俺を見ながら会話をしていた。勝手知ったるバイト先、グラスに氷を入れてアイスコーヒーとオレンジジュースを準備する。
「時兄ぃの家でね、ご飯食べて、時兄ぃとお風呂入った!」
「そうですか。楽しかったですか?」
「うん!朱音ちゃんのご飯すごかった!」
「それはなによりです。」
マスターははしゃぐ大須を見て満足そうだ。グラスに飲み物を注ぐとカランと氷がまわった。ストローをさして完成した飲み物を銀の盆に載せて運ぶ。
「おまたせしました。」
「ありがとー!」
「あ、ありがとうございます。」
ウェイターのスマイルを仕立てて音を立てないようにグラスを置いていく。もちろんミルクピッチャーとガムシロップも忘れない。
「……マスターちょっといいです?」
カウンターの中で微笑みを絶やさないマスターの方を振り向いてバックヤードを指す。
「大須、お客さんが来たら呼んでください。……朱音さんもゆっくりしていてくださいね。」
「はーい。」
「ありがとうございます。」
裏に入ってマスターに向かい合う。
「昨日のお金余ったんで、とりあえずお返しします。」
結局食べずじまいになった帰る道すがら買ったお菓子と飲み物代にしか使っていなかったので大量に残ってしまった。貰ってしまうには大きすぎる額なので返してしまうのが正しいと思う。
「……これは、昨日のご飯代として渡したので貰っておいてください。」
返された金額を見て色々察したマスターが受け取りを拒否する。
「いいんですよ。……朱音と食費を折半しているのであらためて計算するのも面倒ですし。そのかわり、今さっき出した飲み物代はナシってことでどうです?」
「やれやれ、そういうところお父さんと変わりませんね。」
零れるように笑ってマスターはお金を受け取って仕舞い込む。
「まあ親子ですし。……今日は軽く休憩したら帰るので、大須と過ごしてやってください。大須も問題なく楽しそうにはしてましたが、やっぱり寂しそうでもあったので。」
「そうですか。大須には少し悪いことをしましたね。……時人くんがいてくれてよかったです。」
「いえいえ。マスターには世話になってますから。」
「ところで……朱音さんは時人くんの彼女ですか?」
マスターは珍しく意地悪そうな顔でこちらを見ていた。似たような顔を今朝エレベーター前で見た気がする。
「ちがいますよ。友だちです。」
「そうですか。ならそうなんですね。」
「そうです。……喉が渇いたので戻りますよ。」
いまだにこちらを見つめていたので居心地が悪く店に戻る。大須の隣に座る頃には自分のグラスが少し汗をかいていた。
「何の話してたの?」
無邪気に話す大須にお金のことだよ。なんて正直に言う気にもなれない。
「大須がご飯を好き嫌いしてなかったか聞かれてた。」
「大須してないよ!!」
「そう言っといたから。」
いまだ客は入ってこない。静かな雰囲気に落ち着いてゆっくりとコーヒーを味わう。
視線を感じて対面に座る朱音を見ると露骨に目を逸らされた。窓に視線をやって大人しくコーヒーを飲んでいる。ミルクが入ったそれは甘そうな茶色をしていた。
「……なんだか朱音ちゃん静かになっちゃったね。疲れてる?」
大須が寂しげに呟いた。
「そ、そんなことないですよ。」
窓から外を見ていた朱音が大須に向きなおして手を振って否定していた。
朱音は静かになった。というよりは緊張しているといった方が正しいと思う。
マンションの敷地をでて店に向かってくるまでも、朱音は余り口を開くことは無かった。時折大須の言葉に返事をするくらいだった。
俺の横にいた大須は一歩ひいた場所から着いてきていた朱音の様子には気づかなかったようだ。
さっき給仕したときもそうだった。いつもなら飲み物を出そうなら笑顔でありがとう。と言うだろう。明後日の方を見ながら少しどもっていた。
……間違いなく原因は今朝の俺のアレだろう。
ずずずっと大須のストローから飲み干した音が鳴った。
「……朱音も疲れてるみたいだし、そろそろ帰るか。」
「え、あ、はい。……そうですね。」
タイミングもよかったので疲れているせいにしておく。グラスに口をつけて残ったコーヒーを飲み干す。氷が一つ飛び込んできたので噛み砕いた。
「えー帰るのー?」
「大須もマスターと話したいことあるだろ。昨日から俺とばっか話しているし。」
「うん。……また遊びに行っていいよね?」
社交辞令で言ったと思っているのか。大須は少し不安な表情を浮かべていた。
「ああ。いつでもとは言わないけどな。」
「朱音ちゃんにもまた会える?」
次は朱音に向けて同じ表情をしていた。
「もちろんです。私も大須くんにまた会いたいですから。」
「よかったー。」
大須も満足しているようなので軽く頭を撫でてから立ち上がる。マスターのいるカウンターへ向かった。
「じゃあ今日は帰りますね。コーヒーごちそう様です。」
「暑くなってきたので気をつけて帰ってください。」
会計をすると思っていた朱音が財布を片手に近づいてくる。
「朱音さんもありがとうございました。またいつで遊びに来てください。」
「あ、いえ、私は何も。……また来ますね。」
いまだ財布を仕舞わない朱音に苦笑いしながらマスターが続ける。
「今日の御代は時人くんから頂いていますよ。」
「え、そうなんですか?いつのまに……。」
「時人くんはそういう人ですから。」
「どういう人なんです?それ。」
マスターの冗談にいつものノリで軽く返しておく。二人で笑いあうので朱音がキョトンとしていた。
「じゃ、帰るぞ。」
「はい。」
このままだといつまでも話し続けてしまうのでひとまず歩き出した。カランカランと店の扉を開けて、しまらないように片手で抑えながらふりむく。
「大須、またな。」
「大須くん、また。」
俺の言葉に続いて朱音が大須に手を振る。大須は一本無い前歯を見せて笑っている。
「またね!時兄ぃ!朱音ちゃん!」
マスターも手をふっていた。軽く頭を下げて店を出る。彼女が続いて出てきたので手を離すと扉がゆっくりとしまった。
「……じゃ、買い物して帰るか。」
突き刺さるような日差しから手で目を隠しながら空を見上げた。
「……はい。」
入学して春も過ぎた。もう夏が来ている。そう思わせる気温と日差しだ。
「……次は……。」
歩き出そうとした瞬間に横に立っている彼女が不意に口を開いた。
「次は何?」
中途半端な位置で言葉を止めたので鸚鵡返しして続きを促す。
「次は……時人くんがアルバイトしているときに行きますね。」
「まあ……いいけど。」
こちらをちらりと横目で見ながら彼女が言った。
「ウェイター姿の時人くんみてみたいです。」
「……そ、そうか。エプロンつけてるだけだけど。」
「……きっと『似合って』ますよ。」
彼女がこっちを向いてしてやったりと悪い笑顔をしていた。この手の笑顔を見るのは今日で三回目だ。
少しは照れるが、実際に見られているわけではないので戸惑うことはない。
「……前から思っていたけど、朱音のエプロン姿似合ってて可愛いと思うよ。」
「え、な、なんなんですか、もう。」
きっと俺もさっきの朱音と同じ顔をしている。顔を真っ赤にして俯いてしまった朱音を見てそう思った。
「時人くんはずるいです。」
「いやいや先に仕掛けてきたの朱音だから。」
こちらを見ずに俯いたままの彼女が言う。
「そんなん関係ないやん!……ないです。」
勢いよく顔を上げて言った朱音の発言はまた関西弁が出ていた。
「……その誤魔化し方は無理があると思う。」
うー。と朱音は唸っている。それを見て思わず笑ってしまう。
「笑わないでください……。」
「いや、可愛くて。」
「またそんなん言うやん……。」
小さく呟いた朱音が更に顔を赤くする。湯気でも出ているかのように真っ赤だ。
暑い。夏だからだ。こんなに暑いのはきっと夏だからだ。
暑くて頭が回ってないから普段言わないようなことまで言ってしまうんだ。そういうことにしておこう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きが気になる方はブックマークなどしていただければ幸いです。
またいいねついてました。嬉しいです。感謝です。
これからももっとたくさんの人に喜んでもらえるようにがんばります。




