第29話 キャップ
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カチャカチャと皿を洗う音が止まった。
朝ごはんを食べた後、飲み物を楽しみながらゆっくりしていると彼女が朝ごはんの分の食器を洗い始めた。その後姿を眺める。後ろで綺麗に結ばれているエプロンの紐。前からはエプロンに隠れているがその位置にある腰の細さにあらためて彼女のスタイルの良さが現れていた。
彼女が洗い終わってエプロンを脱いでテーブルに座る。
「時人くん、今日の予定は?」
時間を気にせずゆっくりしていたが時計を見ると既に店は開いている時間だった。
「あーそろそろ大須を店に連れて行くよ。」
「えーもうちょっとゆっくりしようよー。」
「ダメだ。」
マスターに何時に行くとは言ってないが、だからこそあまり待たせても悪いだろう。ぐずる大須を説得し帰る準備をさせる。
「また遊びに来たらいい。」
「いいの!?わーい!」
ご飯を食べてお風呂に入っただけだが大須は満足しているようだ。まあ、あのご飯だけでも価値はある。
「そのときはまた朱音ちゃんご飯作ってくれる?」
やはりそうだったようだ。
「いいですよ。」
彼女がここでご飯を作ることが大須の中で疑いのないことらしい。クスクスと笑う彼女もそう思っているようだ。
寝室に置いていたリュックを取りに行く大須の背中を見つめる。開けっ放しの扉から何か叫んでいた。大須のスマホの充電器が見つからないらしい。きっとベッドの枕元にでもあるだろう。バタバタといった音を聞いて彼女と苦笑いをする。
「今日は遅くなりますか?」
「いや、大須を送ったらすぐに帰ろうかと思ってる。マスターとの時間も必要だろうし。」
「では、二人が出ている間に買い物を済ませておきます。タマゴ切らしてしまったので今日のご飯の分買っておかないと。」
「……朝から来てもらっておいてなんだけど日曜日だしゆっくりしていいんだぞ。」
こうも毎日つきあわせては申し訳ない。というか彼女に予定は無いのか。……バイトくらいしかすることのない俺が言えた事ではないけど。
「いえ、いいんです。取引云々もありますけど、私自身誰かにご飯を作るのが楽しいみたいです。」
彼女はいつもの微笑でそう言う。メガネの奥の瞳も輝いていた。彼女の言葉は本心だろう。
「……そうか。じゃあありがたく。……昼過ぎには帰るから。」
「ではお昼も用意しておきますね。」
「……わるいなあ。」
「……だから、楽しんでるのでいいんです。」
ちゃんと聞いてください。とでも言うように少し唇を尖らせる。
「おまたせー!」
小さいリュックを背負って野球帽を被った大須が戻ってきた。この家に来たときの装備だ。帰る準備ができたみたいだ。椅子から立ち上がって財布と鍵をポケットに突っ込む。
「じゃあ行くか。」
「うん。」
大須を先頭にして玄関に向かう。彼女も一旦部屋に帰るらしい。
「え、朱音ちゃんも一緒に行くの?」
靴を履いた彼女を見て大須が嬉しそうに彼女を見つめる。
「ちがうよ。というか家主の俺が出るのに留守番させるわけないだろ。」
自分がバイトの時は留守番どころか晩御飯まで作ってもらっているのだが。
「ええー。一緒に行こうよー。」
大須は俺の腕をつかんでブンブンと振る。
「あまり困らせるなって。」
「……一緒に行きます……?」
彼女が苦笑いしながら控えめにこちらに問う。見てはいないが隣からキラキラとした目線が上がっている気がする。
「行こ!!朱音ちゃん!!けってーい!!」
「迂闊なこと言うもんじゃないって。こうなると大須止まらないぞ。」
「いいですよ。せっかくですし。……少し待っていてもらえますか?」
鼻息荒く興奮している大須の頭を帽子越しに撫でて、彼女は一旦自分の部屋に戻っていった。
「本当に隣に住んでるんだね。いいなー。」
隣の部屋の扉を見つめて大須がそう言う。
「そこ疑ってたのか。」
「……時兄ぃ、朱音ちゃんのこと名前で呼ぶの避けてるでしょ。」
お風呂入ってるときはがんばるって言ったのにー。と非難する目つきでこちらを見上げていた。
「わざわざ名前で呼ぶタイミングが無いんだよ。」
「いいわけだー。……今のうちに呼んでおかないとタイミングのがしちゃうよ。」
実際に言い訳だったと思う。一晩たって余計に思う。同姓である竜、年の離れた大須はさておき、あらためて名前で呼ぶことは気恥ずかしい。
そういえば桐島にも初対面時に名前で呼んでと言われたっけ。本人に言われた上で拒否して苗字で呼んでいた。
「お待たせしました。」
彼女が小さなポーチを肩から提げて戻ってきた。服装はさっきと変わらずパーカだったが珍しく帽子を被っている。
「朱音ちゃん帽子おそろいだね。」
大須のものと違ってツバの部分が平らではあったが大須は満足のようだ。
「ええ。お揃いです。……初めて被るんですけど似合ってますか?」
ツバを持ってこちらを自慢げに見つめる。
「朱音ちゃん可愛いよ!」
「ありがとう大須くん。」
「……暑いし、さっさと行くぞ。」
二人から顔を背けてさっさと歩き出す。後ろから大須が小さな声で照れてるー。と言っていたが聞こえない振りをした。照れているわけではない。多分。
エレベーターのボタンを押して来るのを待つ。
「……時兄ぃ。」
袖をくいくいと引っ張るので屈んで耳を寄せる。
「ちゃんと『朱音似合ってるぞ』って言わないとダメだよ。」
小声でモノマネをしながらニシシと悪戯顔で笑う大須に五月蝿いと軽くデコピンをして立ち上がる。不意にため息が出た。
「あー……あのさ。」
彼女の方を向いて呼びかける。
「どうかしました?」
「……いや、なんでもなかった。」
「……大丈夫ですか?」
時兄ぃのへタレ!とでも言うように大須が脛の辺りを蹴ってきたのでもう一度デコピンをする。さっきより強くしたのは八つ当たりかもしれない。
「なんでもないよ。」
大須と俺のじゃれあいを見て眉を八の字にしていたが気にしないようにしたようだ。
開いたエレベーターの扉を押さえて乗り込む。二人が乗り込むのを確認してから開ボタンから手を離して地上階を押した。
地上階に向かって動くエレベーター内で腕を組み目を閉じる。帽子のツバを持ってこちらを見た彼女の顔が瞼の裏によみがえった。
少しの衝撃があって地上階に着いたことを感じさせる。扉が開いたので開ボタンを押して大須から出て行かせる。大須に続いて彼女がエレベーターから出た。二人が出たので自分も扉を押さえながら外に出る。
エントランスを抜けてマンションから出る。既に日差しは強い。
「いい天気ー!」
そう言って駆け出す大須を彼女が待ってくださいと追いかけようとした。
その腕をつかんで彼女の耳元に近づく。
「朱音、似合ってるよ。」
こちらを振り向いた朱音の表情を見れず、手の甲で自分の口元を抑えながら顔を背ける。
「大須に唆されなかったらこんなこと言わないからな。」
未だ駆けて少し先にいる大須を呼び止めて追いかける。
「……そんなんあかんって。」
追い抜かす瞬間に顔を真っ赤にした朱音が小さく呟いたのが聞こえた。
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だいぶ久々に出せたかなっていう朱音の関西弁。ちっさく一言ですけど。




